再生する森 2000 |
「初めはね、誰かのいたずらだと思ったんだ」 久しぶりに会った敏彦は、待ち合わせた改札口から出るなり、再会の挨拶もそこそこに、切り出した。駅前のロータリーに踏み出し、掌をひさしにして5月の太陽を眩しげに見上げている。 「それで、それは一体いつ届いたんだ?」 自分の車に案内しながら、私は敏彦にそう訪ねた。 「いつの間にか、入ってたんだけど、そう、多分3月の始め頃だと思う。2月に一度ボックスを空にしたんだけど、それからすぐじゃないかな? やたらDMが続けて入ってきた時期があって、ほとんど開かないで捨ててたんだけど、前にお前から貰ったメールと同じタイトルだったんで、そのままにしておいたんだよな。それを、4月になって仕事が一段落したんで整理しようと思ったら―」 「あった訳だ」 敏彦から久しぶりに電話がかかってきたのは、3日前の夜だった。ぜひ会って相談したいことがある、という。次の日曜なら、と応えて要件を聞いても、どうも要領を得ない。やっかいなメールが携帯に入って、それが私が以前に書いたメールとタイトルが似ているのだというのだが、しかし、特に支障がある訳では無さそうだし、第一、嫌ならとっとと削除してしまえば良いものを、それも出来ないのだという。とにかく会う約束をして、敏彦は私を、この山間の町まで訪ねてきた。 GWを過ぎたと言うのに、季節が良いせいか、レジャー客が次々と列車から降りてくる。帽子を被ってリュックを背負った親子連れが多いのは、この付近によく整備されたハイキングコースが幾つもあるせいだ。おそらく、こうした電車を利用する客以上に、自家用車で訪れる客の方が多いことだろう。今年になって、またひとつ新しいオートキャンプ場が新設されたと聞いている。国道は車で一杯に違いない。私は裏道を選んで市街地を抜けた。 「とりあえず、飯でも食おう。何でもいいか?」 「ああ」 車に乗ってからずっと押し黙っていた敏彦が、低い声で反応した。私は峠をひとつ越え、観光地からはやや離れた旧国道沿いの、小さなうどん屋に敏彦を案内した。小さいが座敷が仕切られていて、落ち着いて話せると思った。それに、ここの親父が打つうどんは、摘みたての山菜のてんぷらと共に、絶品だった。 「さあ、話せよ」 「前に―」 敏彦は懐から煙草を取り出し、火を付けながら切り出した。 「お前に貰ったメール、確かタイトルは『森の再生』だったよな」 「うん。そんなメールをみんなに発信したことがあったな」 生態系保護に取り組む或る団体がこの春、ダム事業が生態系に与える影響と、その中で自然を再生させていく取り組みについて考えるシンポジウムを開催した。私も仕事がら若干のつながりがあって、何人かの友人にその案内をメールで送ったのだった。 「タイトルはそのまま、同じなんだ。ただ、アドレスが違っていた。そして、本文には―」 敏彦は自分の携帯電話を取り出し、文字入力モードに切り換えてボタンを何度か押し、画面に『・』の記号を映し出した。 「この点だけだったんだ。訳が分からなかったし、アドレスに見覚えも無かったから、すぐに削除したよ。でも、消えなかった」 「消えなかった? 保護はしてなかったんだろ」 「してないさ。削除したのに、次に受信メールリストを開くと、そこにあるんだ。それに、発信日はいつも新しいんだ。俺の知らないうちに勝手に書き換えられてる。だから消しても消しても、送信してくるのかも知れない。そのくせ受信時の案内はない」 「携帯自体がおかしいんじゃないのか」 「そう思ったよ。見てもらったし、あんまり埒が明かないんで、機種の交換もした。アドレスも変えた。でも、いつの間にか、戻ってるんだ。 でもな、それは気味が悪いだけの話で、別に実害がある訳じゃないし、受信メールのボックスがちょっとばっかり狭くなっただけじゃないか。無視することにしたんだ。ところがな、先週のことだ。ちょっと暇が出来て、保存してある受信メールを開いてみたら、やはり直前に更新されたばかりの『森の再生』があってね、何気なく開いてみたんだよ」 敏彦は、幾つかのボタンを押してメールのモードに切り換えると、受信メールリストにカーソルを移動させ、決定ボタンを押した。なるほど、ずらりと並んだリストの一番上に、『森の再生』はあった。受信時間は―。私は腕時計に目をやった。5月14日、午前11時46分。まさに、ちょうど「今」だった。敏彦はもう一度、決定ボタンを押した。 「何なんだよ、それは!」 私は思わず敏彦からその携帯を取り上げていた。 ディスプレイ全体に大きな楕円が描かれていた。形はややラグビーボールに似ていたが、尖った両端のうちの片側がやや偏平だった。外周の線に微妙な凹凸があり、その上陰影まで施されていたため、妙に立体感があってリアルだった。 「大きくなったんだよ、あの点が。下にスクロールしてみなよ」 言われるままに、ボタンを押して画面を動かしてみた。ラグビーボールがディスプレイの上側に消えると、代わって文字が登場した。それはカタカナで、こう書かれていた。 『アメヲフラセテクダサイ』 「どういう意味だと思う?」 こっちが聞きたいくらいだった。雨を降らせて下さい―そのままの意味なのか? 何かの暗号なのか? その時、ちょうどうどんが出来上がってきたので、私はディスプレイをそのままにして、携帯電話を敏彦に返した。 「とりあえず、食うか」 他に気の利いた言葉も思いつかないまま、私は敏彦にうどんを勧めた。 「ああ」 しばらく、二人は黙ったままうどんを食べつづけた。 「しかし、」 なにやら重苦しい昼食を終え、煙草を取り出しながら、私は気になっていたことを訪ねてみた。 「どうして、俺のところに来たんだ? 俺に話せば、なにか分かるとでも思ったのか?」 「ああ、手掛かりがひとつしかなかったもんだから―」 「『森の再生』っていうあのタイトルか?」 「そう。実は―」 「俺のイタズラだとでも思ったんだろ」 「悪い。最初はな。でも、すぐに分かったよ。これは、そんなレベルの話じゃないんだ、と。人間の仕業ですらないような気がする」 「おいおい、あんまり考えすぎないほうがいいぞ。いや、実はな、お前から電話を貰ってから、やっぱり気になって俺も古いメールを開いてみたんだ。俺は来たメールを片端から残しておいて、上書きされるに任せてるだろ? だから残ってるか心配だったんだけど。あったよ。ほら、3月になってすぐ、お前からメールを貰ったろ? これだ」 私は自分の携帯を開いた。そこに3月4日受信で『久しぶりだな』というタイトルのメールがあった。開いてみた。敏彦の古いアドレスがあって、その本文には、こう書かれていた。 『実は今、お前の家の近くに居る。K山に登る。山小屋で一泊する。時間があったら、下山してから会いたい』 「ああ、覚えている。お前は仕事で動けなかったんだっけか。そう言えば、これも3月の始めだったな」 「うん。これがあったんで、わざわざ俺のところまで来るのかと思ったよ」 「いや、それは考えてもみなかったな。忘れてた」 「確かに、関係はなさそうだけど―」 「来てね、どうなると思った訳でもないんだ。久しぶりにお前の顔を見たかったし、山の空気も吸いたかったし―。いくぶんか、気が晴れた気がする」 「そうか、そう言って貰うと、助かる。どうも、役に立てそうにないからな」 我々はそれから古い友人たちの話をしながら、山に入り、幾分か遅いツツジや新緑を楽しんで、快晴の5月の午後を過ごした。敏彦は私の持たせた土産の山菜を片手に、来た時よりはいくらか元気そうに、帰っていった。 その翌日、ふと思いついたことがあって、私は彼の新しいアドレスにメールを送信している。 『あれはやはりタネだと思う。アメをフラセテみてはどうか。雨の絵文字を使ってみては?』 その夜、返信があった。 『ヒットだ。見せてやりたかった。カサマークをあの絵に上書きしたとたん、根が出て、芽が生えた。このまま花が咲いてオワリという洒落なら、いいんだけど。転送してやりたいが、それは遠慮しておこう。そのうち、見に来い』 私はそのメールを何度も読みなおし、愕然とした。これが単なる洒落で終わる筈のないことは、敏彦が一番知っている筈なのに―。私の空想はそれ自体、とても現実離れしていて、まるでSF小説やコミックみたいなので、改めて口にする気にはなれなかったが、それは或る種の危険性を示唆していた。それでも、それが人の生死にまで係わるほどとは、その時点の私にはとても想像できなかったが。 翌日、私は思い切って敏彦の職場にまで電話を入れた。 「どうだ、その後」 「おう。すくすくと成長してるよ。今じゃスクロールして全体を見るのに、結構時間がかかるほどだ」 「悪いことは言わん。携帯を捨てろ。お前が心配だ」 「おいおい、何を言うんだ。お前のおかげでようやく楽しくなってきたのに。まっ、気味悪いのも半分はあるけどな。成長の過程が面白いんだ。何とか花までは咲かせたいと思ってる。実はな、会社のパソコンで携帯のデータをファイル化できるんだ」 「おい、まさか」 「分かってるよ。会社中のディスプレイを満開にするつもりはないから、ハードには残していない。全部、フロッピィの中だよ。心配するな」 「確認しておきたいことがある」 「なんだ?」 「K山では携帯の受信状況はどうだった?」 「ああ。そうそう、良かったよ。途中まではバッチリだった。山小屋も入ったな。お前にメールを送ったのは登り始めて最初の休憩の時だったし、お前の返信を受け取ったのなんか、小屋手前の尾根道だったんだぞ。で、それがどうした?」 「いや。それともうひとつ。あのタネのメールは、誰にも転送してないよな?」 「ああ。してない。しなくて良かったよ」 「そうか。あっ、お前、K山には一人で登ったんだっけ?」 「いや、会社の同僚と3人だ」 「あとの二人も携帯を持ってたか?」 「ああ。二人とも持ってたよ。山では天気予報を聞いたり、いろいろと役に立つんだ。へへ、遭難しても救助を呼べるしさ」 「二人とも、メールはするのか?」 「おいおい、いったい何なんだ? お前、いつから探偵になったんだよ」 「いいから答えてくれ!」 「ああ。そういえば、吉田はメールをやってたな。もう一人は通話だけだ。なあ、これで何が分かるんだ? お前、何か知ってるのか?」 「いや。分からない。でも、いろんな可能性を考えてる。その吉田という人のメールアドレス、後で俺の方に送っておいてくれ。それと―」 「分かったよ。ほどほどにしておくよ。花が咲くまでは待っていてくれ。そうすれば、お前の言うように携帯を捨ててもいい」 妙に明るい敏彦の話し声に、私は随分と安心してしまっていた。そうでなければ、次の日曜、彼を訪ねてもいいとさえ、思っていたのだ。それが、結局さらに1週間延びた。私が犯したミスは、これで3つになる。一つ目はK山にいる敏彦にメールを送ったこと。二つ目は、タネにアメを降らせるようアドバイスしたこと。そして、彼のメール遊びを強引にでも、止められなかったこと。 この3つのミスが、敏彦を殺したのだ。 電話で話したその翌々日から、敏彦は会社に出社しなくなったそうだ。電話も通じない。メールへの返信もない。一人暮らしの彼のアパートに、会社から連絡を受けた親が訪ね、変わり果てた彼の姿を発見した。 「植物のツル状のもので首を締められ、殺されていた」と、訪ねていった警察署で、担当の警察官は私にそう説明した。ただ、後の言葉は呑み込んでいた。だから私は言ったのだ。 「そのツルは、彼の携帯電話から、生えていたんじゃないですか?」 警察官の驚愕の表情が、そうだ、と答えていた。警察も興味を持って、私の話に耳を傾けた。そして、一笑に付した。そんなバカな。あり得ないことだ。これは悪質な犯罪で―。しかし、彼らからは、敏彦の携帯が敏彦の掌にしっかりと接着して離れなかったことに対する、理論的な解答は聞けなかった。携帯電話から露出した細いワイヤが敏彦の手に食い込んで、と彼らは説明した。そう、かれらはそれを決して「根」とは呼ばなかった。 私には敏彦の死をいつまでも嘆き悲しんでいる暇はなかった。原因のひとつは、確かに私にあるのだ。翌日、メールで連絡をとった吉田氏に、私はようやく会う機会を得た。彼もまた、敏彦と同じメールを受信していた。聞けば、敏彦と同様、K山で他からのメールを受け取っていた。その時に入ったのだ。タネのメールは2箇所に転送したという。私は即座にそれら3台の携帯を処分するよう、或いはさせるよう、吉田氏を説得した。訝る彼に、私は、私の荒唐無稽な空想を話して聞かせた。 例えば、今や社会現象となるほどの花粉症。一説にこれは種の絶滅を恐れた杉が、大量の花粉を飛散させ始めた事によるのだとも言う。種の絶滅の恐れとは、何だろう。大気の汚染、酸性雨、紫外線量の増加、窒素酸化物量の増大、森林の破壊―。杉が確かに、種の存続を危ぶんでもおかしくない。そして、同様に危機に瀕した或る種の植物が、そのタネをデジタル信号化して大気中に飛散させた、としたら。―勿論、ありえない話だ。笑い話にもならない。でも、もしそうだとして話を進めたら、その先のことは現に私が見聞きしたことと一致する。 それから私は、デジタル信号化したタネの飛散するK山の山中で、私からのメールと一緒にそのタネを受け取った敏彦が、それからどうしたかを、吉田氏に説明した。状況はきわめて彼の場合も似ていた。ただ、彼はまだそのタネに雨を降らせてないだけだ。敏彦の死にざまを私から聞かされた吉田氏は、さすがに青ざめていた。彼は、少なくともその時は、携帯電話の処分を約束してくれた。 それからしばらくして、私は二つのニュースと接することになる。 ひとつは、神田の或る雑居ビルの一室から、正体不明の蔓性植物が繁茂したというニュース。噂としてある週刊誌が、その蔓性植物がパソコンのディスプレイから出現したという怪しげな情報を流して話題になった。勿論、敏彦の勤めていた会社だ。だれかが敏彦の残したフロッピィをうっかり開いたのだろう。被害はその一室だけにおさまった。 もうひとつは、埼玉県北部の或るベッドタウンに発生した事件。町はずれの農業用水用の溜め池から、先の神田と同じ種類の蔓性植物が大量発生したという。町の名前に聞き覚えがあったので吉田氏に問い合わせたところ、彼が転送したうちのひとりが怖くなって、携帯を、文字通りその溜め池に捨てたのだという。 新しい発見があった。 タネは本物の水でも、発芽するのだ。 双方とも、あらゆる報道の中で、敏彦の事件と結び付けるものはなかった。しかし、すべてが明らかになるのは、もはや時間の問題だ。現に、K山に限らず、デジタル化したタネはその季節になると飛散を始め、携帯によるショートメールの利用者は増加の一途を辿っているのだという。今は山の中だけかもしれないが、埼玉県北部のベッドタウンあたりに繁殖した植物が、次の季節にタネを飛散でもすれば、今度はパソコンのネットワークにも容易に侵入することになるだろう。 誰もまだ、気がついてないだけだ。 そう、私がこの時まだ、以前敏彦から送られたメール『久しぶりだな』の最後、「下山してから会いたい」のあとに小さな点があり、それが少しずつ大きくなっていることに、少しも気付いていなかったのと同じように。 |