オトナの時間 1999
 いささか高い入場料だったが、我慢した。一日の入場者数を数十人に限定した全天候型テーマパーク。休日ともなると1年以上も前から予約しなければならないのだから、これは少々高くついても仕方がない。ついでに言うと、男性限定で、しかも年齢制限もある。35歳以上。うーん。この辺りのボーダーラインは難しい。もう少し上でも良いと思うのだけど、かなり練った制限なのだろう。禁煙である。酒も置いていない。入場口を抜けると大きな紙包みを渡される。入場者は更衣室でこの中の衣装に着替えなければならない。これも必須条件だ。免許証、身分証明書、名刺さえも身につけてはいけない。財布もだ。更衣室のロッカーにすべて残していくことになっている。更衣室にはシャワー室が併設されていて、原則としてシャワーを浴びることとされている。頭をしっかり洗うよう、入場時に渡されたガイドブックにはそうアドバイスされていた。洗髪が大切なのではない。髪型をいったんめちゃくちゃにすることが目的だ。洗った髪には櫛を入れてはならない。整髪料もドライヤーも厳禁。理由はあとで自ずと明らかにされる。
 さて、私の衣装は下着の上に照かりの出た紺のセーター、丈の長い半ズボン、素足にボロズックだ。洗った髪を手櫛でかきあげ、手にしていた野球帽に押し込む。ズボンのポケットに両手を突っ込み、大きめのセーターに身体を馴染ませながら、ひとつ大きな深呼吸をして更衣室を出た。
 私たちが子供時代を過ごした、昭和30年代の町並みが再現されたそのテーマパークは、しかし、観光ガイドやもとよりツアーなどでは紹介されていない。知名度はさほど高くないのにこれほど人気なのは、すべて口コミによるものだと言う。『失われたあなたの少年時代を取り戻すために―』 それがこのテーマパークのコピーである。私たちは少年時代のコスチュームに戻り、今手にしている社会的な地位や立場、良識や分別をみな捨て去って、ここで文字通り少年に戻る。遊び、騒ぎ、徒党を組む。「いいストレス解消になるんですよ」紹介してくれた取引先の営業部長は、いつに無くはにかみながら、そう教えてくれた。始めは正直馬鹿にもしたし、世紀末の流行のひとつと感心しながら半ば聞き流す形だった。けれど、数日たっても忘れることができず、そのうち、どうしても出掛けてみたくなった。ストレス、といえば確かにストレスは溜まっていた。しかし、それ以上に確かめたいことがあった。近頃、何とはなしに思うことが多かったのだ。自分はいつを境に、子供から大人になったのだろうか、と。いや、世間がそう見てくれているように、本当に自分は立派な大人になったのだろうか、と。予約から半年、ようやくその日が来て、未だに私の興味は失われていなかった。
 扉の外に薄汚れたコンクリートの階段があった。周囲は暗い。見上げると高い天井に夕暮れ間近の空が映し出されていた。近頃すっかり見る機会の少なくなった、遮るものの無い、鮮やかな夕焼け空だった。街灯の灯を頼りに錆の浮いた手すりを伝って、下の路地に降りた。
 突然、声がした。
 「はい。お小遣いだよ」
 路地裏の風景の中に、ぼんやりと白熱灯に浮かび上がった玄関戸があって、その半ば開いた玄関の奥から、その声は聞こえた。覗き込むと割烹着を着た五十絡みの女性が玄関のかまちに正座して、私に数枚の紙幣と小銭を差し出していた。
「あ、ああ」
「使いすぎるんじゃないよ」
「う、うん」
 私はその女性の顔を正視できないまま、額も確かめず、手渡された金をズボンのポケットの中に押し込んだ。そのまま、小走りに路地の奥に入っていく。「う、うん」は良かった。私は自嘲した。母親に小遣いを貰ったとき、当時私はそれを当然の権利と胸を張ることはできなかった。わが家は決して裕福ではなく、私の小遣いの殆どは母親の内職で賄われていた。だから、私は母親から小遣いを渡されるとき、母親の顔を正視できなかったように記憶している。その後ろめたさが先程の「う、うん」だ。勿論、照れくささもある。それはでも仕方ないと思う。少しずつ慣れていけばいいじゃないか。時間はたっぷりあるのだ。
 左右に続く板塀に張られたポスターやブリキの看板には、懐かしいものが多かった。最近、好事家の間で取引されていたりして、テレビで目にするものもあったが、当時見た記憶のある東宝や大映の怪獣映画のポスターなどが色あせたまま張られていたりすると、剥がして持ち帰りたくなる。思わず立ち止まって手を触れていると、突然、つい先の木戸が開いて一人の少女が飛び出してきた。
 今は少なくなった白のセーラー服にお下げ髪の少女は、いったん路地に飛び出すと、振り向きざまに木戸を大きく開け放ち、「よいしょっとっ」 元気な声を出して板塀の壁から自転車を引きずり出した。大型の、いかにも重そうな古いタイプの、それは自転車だった。
「行ってきますっ」
 板塀の奥に向かって声をかける。
「早くお帰りなさいよ」
 ここでも、母親の声がした。少女は小脇に抱えていた雑誌を無造作に自転車の前かごに放り込むと、その時初めて気づいたように私を見た。そして、にこりと笑って、鮮やかに自転車に飛び乗って走り去った。
 うかつにも胸が高鳴った。私の知り合いにも、かつて彼女に似た少女がいた。いや、私の胸を握りつぶしたのは、今の少女が、その3つ年上の私にとって初恋の対象だった女学生(なんという響きだろう!)としっかりと重なったせいだ。多分、どこが似ているかといえば、どこも似てはいないのだろう。ただ、彼女たちの漂わす空気は同じものだった。そして、三十数年前に私が恋した相手も、おそらく、その空気だったのだろう。やれやれ、思えば今の彼女は娘と幾つも変わらない年頃だろう。何をときめいているのだ。私は苦笑いした。おかげで、今のがここのスタッフで、なかなか手のこんだ演出であることに気づくのに、随分と時間がかかってしまった。そういえば少女が前籠に入れた雑誌の表紙には『女学生の友』の文字があった。
 板塀の続く路地が右に折れ曲がると、正面に広い通りが見える。通りには夕日が差し込んでいて、ひどく明るく感じられた。どこかで豆腐屋のラッパの声がする。子供たちの歓声、商店街の賑わい、買い物帰りの母親たちの談笑―そして、狭い路地がその通りにぶつかる角に、駄菓子屋が一軒。
 私はいったんそこで立ち止まり、軍資金をポケットから引き出した。百円札が3枚。孔の開いた大きな五十円玉がふたつ、十円玉が10個。しめて500円というのは大枚だ。当時の私(私は今の私をとりあえず小学校の高学年に設定した)にしてみれば、一ヵ月分の小遣いに近い額だ。札と小銭を左右のポケットに分けてしまい直し、改めてそのうちの百円札2枚を後ろのポケットに入れた。そして、胸を踊らせながら、その駄菓子屋を覗き込んだ。
 コンクリートのたたきは十坪ほどか、低い縁台が幾つか敷きつめられて、その上に駄菓子やくじ、玩具が並べられている。縁台と同じ高さで奥に畳の間が続いていて、ここにも様々な商品が並べられているから、店の規模としては結構広い。奇妙な違和感があってよく見てみると、縁台の高さがとても高い。私の腰よりも上だから、ざっと1メートルはあるだろう。―つまり、こういうか。身体が大きくなった分だけ、我々の住む世界は狭くなった。昔は広く感じた路地も空き地も、大人になって再訪すれば、とても小さく狭く感じられるように、それだけ成長と共に我々の視野は広くなり、視界は高くなる。だから、子供を演じる大人に合わせて、駄菓子屋という舞台さえも、スケールアップしなければならなかったのだ、と。
 先客はいなかった。座敷の隅に、婆さんがひとり。最早、演技かどうかはわからないけれど、柱に背中を預けて居眠りをしていた。
 広口の硝子瓶にぎっしりと詰まった飴や煎餅、ブリキの玩具、メンコにビー玉、おはじきやベーゴマの数々、天井からぶら下げられたお面にブロマイド、紙袋に入ったグライダーの模型、シールとワッペン、さらにバッジ。それに目の前には、仕切られた箱の蓋を破って中の菓子や玩具を当てるくじがあって、その向こうに大小の飴がつながった蛸糸の束がぶら下がっている。勿論、三角くじもある。水飴にふ菓子、酢イカ、すもも、カレーあられ、粉ジュース、あたり付きのチューインガムと、どれも得体の知れない、いかにも健康に悪そうな駄菓子の面々。どれもが懐かしく、私をどきどきさせた。
 不思議と、今ここにある駄菓子を食べたいとは思わない。あの頃、どうしてこんなものに夢中になったのだろう。どれもが美味しく思えたのは確かだ。他にちゃんとした菓子メーカーの商品がなかった訳ではなかったが、それらは子供の小遣いで簡単に手に入るほど、安くなかったように記憶している。なるほど、そうした高級菓子は驚くほど美味で、憧れもしたし、或る種の夢でもあった。でも、小遣いを節約してまで買おうとは思わなかったのは、子供ながらにハレとケを生き分けていたのかもしれない。ケの世界である駄菓子も、それはそれでわれわれを十分に満足させたのだ。
 何にせよ、私には、ここに来る前からこれだけは買おうと思っていたものがあった。
「おばちゃん」
 眠っている婆さんに、わたしは呼びかけた。婆さんはかすかに重い瞼を持ち上げてみせた気がする。
「この先の空き地で、まだみんなメンコはやってるかな」
 婆さんは今度ははっきりと瞼を開けて、しかし、ぼうっと私を見つめなおした。質問の意図が伝わったかどうか、彼女はしばらく私を見つめてから、再び気持ち良さそうな眠りに入った。
 あきらめて私は、ずらりと並んだ色とりどりの面子を物色し出した。嬉しいことに、ここには何種類かの角メンコが揃っていた。
 私が小学生の低学年のころ、主流は角メンコだった。厚みのある長方形のメンコは、使えば使うほど柔らかく、重くなる。角を無くし、ボール紙の層と層の間に空気が入りだすと、そのうちのどれか一つはとても強いメンコとなったものだ。不思議と同じ条件で作ったに関わらず、そのどれもが強くなるものでもなかった。だから、誰それの鉄人にはかなわない。やっと誰それの8マンに勝ったなど、数々の伝説が生まれた。私にも、勿論いくつかの伝説があった。特にわたしの作り上げたソランは百戦錬磨で、そのたった一枚が段ボール一箱分の戦利を上げた。どこへ出掛けても私と私のソランは無敵だった。しかし、やがて歴戦の勇士にも終焉は来る。何度もセロテープで補強したに関わらず、最後の一戦でソランは分解した。私の手を離れた瞬間、それは空中で四散したのだ。3枚に裂けて分解したソランは、それから長い間私の宝物のひとつとして、宝箱の真ん中に君臨しつづけたものだ。その後、時代は丸メンコの全盛期を迎えることになる。絵は綺麗になったし、大小様々揃った丸メンコは、しかし、私をそれほど夢中にはさせなかった。紙は薄く、自分の手で強いメンコを作る楽しみは、もう無かった。しかし、ソランを失った私の角メンコは、その丸メンコたちに面白いように連敗した。段ボールの一個中隊が全滅して、私はメンコを卒業した。
 私は5枚をひと束にしてセロファンでまとめた角メンコを、夢中で物色した。重さと手応え、勿論、絵の善し悪しも選考の基準だ。幾つかを抜き出して、傍らに寄せていると、ふいに、
「そいつは、駄目だね」
 婆さんがの声がした。
「どうしてさ」
 私の忘れかけていたプライドが、目を覚ましていた。
「駄目なもんは駄目だ。そのメンコじゃ勝てない」
 婆さんは眠っていた姿勢そのままに、私を睨み付けていた。
「大丈夫さ、こう見えても―」
「分からない子だね、まったく」
 そしてよっこらしょと、身体を柱から離し、探るようにして草履を履き、土間に降り立った。
「いいかい、懐かしくてコレクションにするために買っていく子もいるさ。そんな子にはそのメンコで十分だ。でも、あんたには向いてない。いいのを売ってやるよ」
 そう言って腰を曲げ、縁台の下に手を差し延ばすと、そこから大きなボール箱を引きずり出した。
「ほら、手伝いな」
 私は妙に嬉しくなって、婆さんが引っ張りだした箱を縁台の上に乗せた。
 おもむろに、婆さんが蓋を開ける。ぎっしりと詰まったメンコがそこにあった。角メンコだが、私の知ってるどれよりも、それは厚かった。5ミリはあるだろうか。その一枚を抜き出してみる。重い。しっとりと湿気を吸った重さだった。よく強いメンコを作るために、雨風にさらしたり、縁側の下の日陰に放置したりしたものだが、これもなかなか難しく、大抵失敗して使い物にならなくしてしまったものだが、ちょうどそのメンコは、完璧に成功したときの湿りけと重さと柔らかさを持っていた。てのひらに吸いつく感触が懐かしい。いや私は正直、感動した。絵は当時の漫画物と違い、拙い筆致で戦車が描かれている。他のも戦闘機や軍艦など、あの頃でもあまり見かけなかった種類だ。
「これ、幾らなの」
「あんたがさっき選んでたやつの10倍はするさ、それだけの値打ちがあるんだ」
 婆さんは、そう言い捨てると、もとの位置に戻っていった。同感だった。
 5枚で10円の値札を見て、わたしは思った。1枚100円。とんでもない怪物ではないか。5日分の小遣いを溜めて、私にこのメンコを買う気概は、当時無かったと思う。けれど、今はちがう。
「じゃ、5枚おくれ」
 婆さんは呆れた顔をして、しばらく私を見ていた。
「菓子やくじはいいのかね」
「要らない」
 私の返事は速かった。婆さんの決断も、また速かった。
「くれてやるよ」
「おいおい」
 おいおい、そりゃあんまり―
「小遣いは大切にするもんだ。お袋さんもそう言ったろ。お金はきっとあとで要るようになって、その時に後悔するよ。あたしが言うんだ、間違いない。そいつはくれてやるから、好きなの、5枚選んで持っていきな」
「ありがと!」
 素直に好意を受け入れることにした。一枚一枚、念入りに選んで、婆さんにそれを見せ、後ろのポケットに大切に仕舞った。昔もそうだった。右の後ろポケットには、いつも特別なものを入れることにしていた。ソランもそうだった。それが30年前の私のジンクスでもあった。
「そこの商店街の裏に空き地がある。そこで何人か近所のクソガキが、あんたみたいに夢中でメンコをやってるよ」
「うん。また、来るよ」
「ああ、たっぷり遊んで腹が減ったら、またおいで」
 私は店を出た。
 なんのことはない。私は子供を演じるまでもなく、まだ、子供だった。幾重にも包んだオトナの衣装の下には、間抜けで他愛のない、無遠慮で身勝手なガキがしっかり眠っていた。勿論、世の中を生きていくためには、そのオトナの衣装も、かつてのソラン並みの力を発揮する。それでも、百戦錬磨とはいかないのだ。実際、つい先頃、私はまた一枚ソランを失った。失地回復の為に、もうひとつ私はオトナになることを迫られている。でも、今はいい。オトナの時間はしばらく休みだ。
 どこかでカラスが鳴いた。
 私は夕焼け空の下を、空き地目指して、駆けだした。