ニンゲンの時間 1999
(続「続・コドモの時間」)
 ゲンさんが右手を高々と揚げた。
 広場から見えるアパートや遠い高層建築には、とおに灯が灯っている。その灯った数だけの夕べの営みが、この町でおこなわれている。薄暮と呼べる時間も既に過ぎて、たしかにもう、子供が遊ぶ時間は過ぎた。
 そうだ。思い出した。
 あの頃、それでも私たちは、街灯や近くの窓から漏れる灯を頼りに、遊び続けたものだった。誰かがつい、もう帰ろう、などと言ってしまうのではないかと、それだけが怖くて、夢中で遊び続けた。すると、ちょうどこんな時間だ。それぞれの母親が連れ立って、子供たちを連れ戻しにくる。
 いつまで遊んでるんだい?
 もうすっかり暗いじゃないか。
 ○○ちゃん、お母さんが心配してたよ。
 夕御飯が冷めちゃうじゃないか。
 お父さんがもう、帰ってくるよ―。
 それを潮に、その日の遊びが終わる。口々にサヨナラを言いながら。明日の約束を取り交わしながら。誰かは悔しがり、誰かは得意満面で、それぞれの灯に帰っていく。そうだ。今はそんな時間だ。
「今日はこれまで。シゲさんもソラオもよくやったが、仕方ない。引き分けだ。この続きは―そのうち、やる」
 周囲のため息に、私はその場に座り込んだ。疲労困憊―もう肩が重くて、いずれにせよ。私に勝てる見込みはなかった。体力不足でもあるし、筋力が低下している。私の右肩がこれほど熾烈な使われ方をしたのは、おそらく初めてのことだったろう。その垂れ下がった右腕をつかんで、シゲさんが私を立ち上がらせた。
「まだまだだね」
 そのまま、私の右手を握った。握り返す握力すら、私には残っていない。
 まだまだ、というのは、勝負の行方のことを言っているのだろうか。それとも、私の腕の未熟さを言っているのだろうか。どちらにも取れたし、また、どちらでもいいことだった。
「終わりですね。次、いつ来れるか分からないけど―。いや、もう来れないかも知れないけど―。でも、楽しかったです」
「なに、まだ終わりじゃないさ。コドモの時間は、確かに終わりだ。―かと言って、このままオトナの時間にしてしまうのも、惜しいじゃないか。とりあえず―」
 散っていく仲間の中から、ヨシキ君を見つけ出して、
「おーい、風呂でも入るか?」
 ヨシキ君がやってきた。
「いいですね。あっ、ソラオさん、お疲れさまです。ホントに目茶苦茶疲れてるみたいですねえ」
「目茶苦茶疲れてるさ。で、風呂って?」
「そりゃ、銭湯でしょ。自慢じゃないけど、この町には家風呂持ってる人なんて、居ないものな」
「よしよし、じゃ、行くか」
 私はすっかり感覚が無くなってしまった右肩を回しながら、二人の後に従った。
 「亀の湯」もまた、懐かしい銭湯のひとつだった。
 何が懐かしいかと言えば、婆さんの座った番台もそうだし、板敷きの脱衣所の床もそうだ。ゆったりした脱衣所には男湯と女湯の双方から見えるよう、仕切りの上にテレビが乗っていて、折しも、古いコメディータッチの時代劇をやっていた。もちろん、白黒放送だ。天井には大きな扇風機があって、隅にはコーヒー牛乳などの瓶がずらりと並んだ冷蔵庫が座っている。板塀の内側の池には鯉がいて、縁側に並んだ子供たちがそれと遊んでいる。ガラス扉の向こうの浴場は広々として、湯船は真ん中で仕切られているだけの単純なものだ。ジェットバスだの打たせ湯だの、勿論サウナなんてものは無い。洗い場もずらりと並んでこれも広い。正面の壁には鶴と亀、背景は青い富士山だ。そして、天井が、高い。あの子供にとっては途方もない高さが、昔から好きだった。
 しかし、懐かしさの訳がそれだけでないことに、あわてて服を脱ぎ、掛け湯もそこそこに飛び込んだ湯船のなかで、すぐに気づいた。
 人だった。なるほど、時間も時間だ(番台の背後の柱時計は7時を差していた)、子供から老人、青年も中年も居る。数も決して少なくない。それがひとり残らずとても居心地良さそうに、いつもの暮らしのまさにその中で、この銭湯を楽しんでいる。いや、楽しんでばかりではなく、深刻な相談事をする会社員風や、むづがって泣き叫ぶ幼児も居る。なにやらしきりに怒っている親父もいる。それらの声にあの懐かしいエコーが掛かって、カポン、スコンという桶を使う丸い音が重なって―。どうも、それら全てが懐かしいのだ。
「ソラオさん、あんまりそんな顔で風呂に入るもんじゃないですよ」
 ヨシキ君が広い湯船を横断してこちらにやってきた。
「あれ、俺、どんな顔してた?」
「嬉しそうな、楽しそうな、遠足前の小学生のような―」
「じゃ、そのままじゃないか。そのとおりだ。遠足が終わってもまだ楽しくてしょうがない小学生だ」
「でも、そのニヤついた顔は、ちょっと見られたもんじゃないすよ。気持ちはいくら子供でも、頬の肉のたるみまでは消せませんよ」
「おっ、言うじゃないか」
 私はお湯をヨシキ君に向かって掛けた。
「あっ、ヤだなぁ、何すんですか。まったくっ」
 と、ヨシキ君も応戦した。しばらくやって、近くの老人のひんしゅくを買い、二人すごすごと洗い場に向かった。

 脱衣所で、私は腰にタオルを巻いて、まず冷蔵庫の中を物色した。白牛乳、コーヒー牛乳、琥珀色のリンゴジュース、ラムネ―。
「あっあっ、駄目ですよ。ソラオさん、何やってんですか? ねえねえ、シゲさん、ソラオさんにちゃんと教えてあげてくださいよぉ」
「なにが?」
 私にはどうして彼が騒ぐのか、分からなかった。シゲさんがやってきた。
「ソラオさんに奢ってもらうのは、この次に行く所で、です。喉が乾いてるんでしょ? だったら、もう少し辛抱してください。コドモの時間は終わったって言ったでしょ」
「えっ? 何、それじゃ、一杯やれるんですか」
 私はあわてて着替えの入った脱衣カゴに手を延ばした。
「その恰好じゃ、ちょっと入れない場所になりそうですけどね」

 結局3人は、改めて更衣室まで出掛けて元の服装に着替え、再び町への扉を開けた。
 私の腕時計は午後8時を示していた。突然、元の時間に戻されながら、再び時間を超越した世界に入っていくのだ。私の時間感覚はパニック状態に陥った。それにしても、10時頃に入ったのだから、かれこれ10時間が経過している訳ではないか。いやいや、あっと言う間だった。
「ここは何時まで、いいんですか」
 シゲさんに聞いてみた。
「入場時間という意味なら、1時間ほど前に終わってます。しかし、町は勿論24時間、動いてます。―さて、どこがいいですか?」
 腹は減っていた。しかし、
「映画館の隣にトリスバーがありました。たしか、名前は―」
「まだ名前はありません。本日開店ですから。良かったら、名前はソラオさんが付けるといい」
「本日開店。翌日閉店」
 意味不明のシゲさんの説明に、ヨシキ君が意味不明の茶々を入れた。
 バーの重い樫板の扉を押して入った。
 入口から奥に、細長く延びた造りで、右手にカウンター。レザーの回転椅子の後ろは、ようよう大人一人が通り抜けられた程のスペースしか無い。数えてみた。椅子はそれでも10脚。この店の定員の数だった。
「いらっしゃいませ」
 夕方(と言えば良いのか)出会ったあのバーテンダーが、軽い会釈の後、私だけにあのウインクをした。サングラスはしてなかった。くわえ煙草も、だ。「急ごしらえにしては、なかなかのもんじゃないの」
 シゲさんが言った。
「すぐに潰すのは惜しいですね」
 と、ヨシキ君。
「じゃあ、しばらく続けていいですか。ホントのこと言うと、かなり気に入ってるんですよ」
 これはバーテンダー。
「さっきから何を言ってるんですか? 急場で造ってすぐに壊すっていうのは―それ、この店のことですよね」
「そうさ。この店はソラオさん、アナタの為にこしらえたんだ。この半年かけてね。だから、我々はアナタがここに来ることを知っていたし―と言うよりアナタの好みに合わせて造ったのだから、来るのが当然だし、来て貰わなくちゃ、みんなの立場が無くなるとこだった。―アナタは物分かりが良さそうだから、ついでに言っておくと、今日一日この町をいろいろと演出したのは、すべてアナタに合わせて、だった。晩夏の夕方―だっけね。お好み焼き屋、よろず屋の婆さま、例のメンコ―あれは苦労したよ。みんな総掛かりで作ったんだもの。―あっ、トシ坊。ソラオさんにハイボールだ。バーボンでね。バーボンは―」
「IWハーパーでしたよね、ソラオさん」
「あっ、うん。ありがとう」
 謎は解けた。そうか、すべてはあのアンケートだったのだ。
「あと、わたしに適当なコニャックを。ヨシキ君には―」
「カリフォルニアワインがいいですね」
「了解」
「そう、あの延々と続くアンケート。あれ、全部応えるのに、半日は掛かるんじゃないですか? よく、丁寧に回答してくれました。だから、その成果が、これです」
「でも― でも、何のために」
「アナタは本日のお客様です。まともにあれだけの額の入場料を払った、アナタはただ一人の人なんですよ。何のために、と聞かれたら、我々はお客様に喜んでもらうために、と答えるしかありません」
「すると貴方がたは、ここの―」
「ある意味では、ソラオさん以外の全てがスタッフですよ。さっき説明した通りで、いろいろなスタッフが居ますがね。で、ここにいるシゲさんがこの町のオーナーです」
「この町の、町長です」
 シゲさんが丁寧に言い直した。
 私はカウンターに置かれたグラスに手を延ばした。喉がひどく乾いている。「それだけじゃ、理解できない。そんな分の悪い商売って何なんですか。一人の客―高い入場料たって、よってたかって僕を騙したあれだけの人数に見合うお金を出した覚えはないし、こんなことやってたらこの町は早晩、破綻しちゃうじゃないですか」
「そう。アナタの会社みたいに、ね」
「……」
「アンケートだけじゃないんです。興味深いお客様には、徹底した調査もさせて頂いておりまして―、要は、アナタはちょっと普通の人じゃなかったんですよ。普通じゃないって言い方は、ヨシキ君、失礼だろうかね?」
「普通じゃないですよ。確かに、この人は」
「そう。普通じゃない。普通じゃ、あんな経営はしない。私はね、ソラオさん―」
 シゲさんはそう言うと、懐から名刺を取り出した。1枚目はこのテーマパークのオーナーであり町長であるという、ちょっとウィットに富んだ名刺で、2枚目がまだあった。ごく普通の、それはある大手情報機器メーカーの代表取締役という肩書のついた名刺だった。
「そ、それじゃ、貴方は―」
 その先の絶句の意味を、勿論彼らは知っていた。
 その大手情報機器メーカーとの新規取引という、まるで夢のような話が、我が中小企業の命運をついこの間まで握っていたのだ。
「アナタの会社は人間味のあるいい仕事をする。丁寧で、誠実で、根気のある職人さんたちを、よく集めたものだと感心した。経営者としてのアナタをその点では最大限に評価しているつもりです。が―」
 シゲさん―と、そう呼ぶのは本名を知ってしまった今となれば、ひどく座り心地の悪いものだった。が、あえてそう呼ぼう―シゲさんは、ブランデーグラスを掌で包むようにして、口許に運んだ。ヨシキ君(彼の名も、私は知っている。次期社長候補の娘婿にヨシキという名の男が居た筈だ)も、ワイングラスに手を延ばした。
「アナタはそれだけです。経営者としてのアナタには、それ以外の魅力はまったく無い。ヴィジョンが無い。戦略がない。力量が無い。勿論、資本も無い。いいですか。しかし、アナタには素晴らしい仲間が居る。その仲間を引きつけるだけの魅力がアナタには有るんです。何故、それを大切にしないのですか? 私はアナタにチャンスをあげたつもりです。しかし、アナタはそれに応えようとはしなかった。アナタにはアナタのやり方があるのでしょう。でも、それは戦略と言えるものではない。アナタには夢がありますよね。しかし、それもヴィジョンとは言いがたい。私はだから、アナタからチャンスを奪い取ったのです」
 返す言葉がなかった。
 彼の言葉ひとつひとつに、確かに思い当たる節がある。反駁することは出来た。が、全ての結果が出揃った今、私に言える言葉はひとつとして、無い。
「アナタは物分かりが良い。それはそれで、そうした経営者の生き延びる方法でしょう。大きくは伸びなくても、潰さず何とか保っていける程度の、ね。しかし、アナタは時に平気で人の言葉を無視し、人の好意を無下にする。つまらないポリシーは捨てた方が、アナタの為だと思うな」
 シゲさんはもう一度、グラスを唇に当てた。
「どうして、アトムだったんですか!」
 突然の強い口調に驚いたのは、むしろヨシキ君の方だった。
「何なんですか、いきなり。アトムって、僕のあのアトムですか?」
 シゲさんは懐から、それこそ名刺でも出すようなさりげなさで、私から取り上げたアトムの札をカウンター上に置いた。
「ヨシキ君への哀れみですか? アナタの自信ですか? たかだか遊びだからですか? どうして、あの時すぐにアナタ、戦車の札を出さなかったんですか?」
 そうだった。私はあの時、戦車を出すべきだった。そうすれば、取引もぎりぎり締結出来たし、会社もどうにか潰さずにおれた筈だった。あの時、私はふいにアトムを試したくなった。自分なら使いこなせると思った。アトムが駄目なら、その時、戦車を出せばいいと思った。私はいつも、やり直しがきくと思っていた。
「結局、アナタは私から一勝も出来なかった。最後もずるずると引き分けに終わってしまった。次の勝負はありません。アナタは勝てなかった―いいですか? この、勝てなかった、という事実だけなんです。残されるのは」
「シゲさんは、ソラオさんに負けるかも知れないって、そう言ってたんですよ。結構、嬉しそうにね」
「そう、楽しみにしてました。アナタが勝てば、この飲み代をアナタに奢ってもらって、それで全てはチャラになる筈でした。アナタの会社は、来月も、来年も、続いている筈でした。私の強烈なてこ入れ付き、でね」
「あっ」
 思わず声に出た。
 それほどの意味があったのか、と。私はそう思った筈だ。逃したチャンスの大きさに、打ちのめされもした筈だ。それが、知らず私の思いを声にした。
「ねっ、だから分かったでしょ。アナタ一人の為に今日、この町がしたことの数々には、それだけの値打ちがあったのです。アナタとアナタの仲間を、我がグループに迎え入れるのには、それくらいの価値はあるのですよ」
 長い沈黙が訪れた。
 シゲさんはやがて、ブランデーを飲み干すと、静かにカウンターを離れた。
 私も席を立った。そして、シゲさんに深く頭を下げた。
「僕はいい。せめて、仲間たちをお願いします。貴方の言うように、彼らは優れた職人です。このままでは惜しい。彼らには、もっとチャンスを与えてやってください。お願いします」
「アナタは、その気持ちをもっと別の方法で表現できなかったことを、もっと深く反省すべきでしょう。―分かりました。彼らの事は、任せて貰いましょう。もとより、願ってもないことです。明日、出社したら、まずそのことを彼らに伝えてください。あとは、この―」
 若い娘婿を振り返った。
「ヨシキ君がいいようにしてくれる筈です。彼に任せて―退社してください。以後、もうあの会社への出入りは遠慮してもらいます。奥さんの出て行かれたあの住まいに戻るのも、面白くないでしょうけれど―」
 彼が私の離婚のことまで知っているということ―もう、そんなことにいちいち驚いていられなかった。
「良かったら、いつでもこの町に遊びに来てください。遊びに来て、新しいチャンスを掴めるかもしれません。だから―」
 と、間を置いて、
「この町の住人になっていい、とまでは今は言いませんよ。分かりますよね」
「はい」
 と言う、私の返事を待たずに、シゲさんは店を出た。
 ヨシキ君がぎこちなく、席に戻った。バーテンがハイボールのお代わりをカウンターに静かに置いた。
「シゲさんは、ああ言いましたけどね」
 ヨシキ君もワインのお代わりを頼みながら、
「ソラオさんがこの町に歓迎されたのは、単に有料のお客さんだからという、それだけじゃないですよ」
「何だかね、一人、いい気になってました」
「そうじゃない。みんなソラオさんと楽しんでました。実はね―シゲさんはともかくとして、僕はあなたを社長のままに残してあなたの会社と組みたかったんです」
「吸収するなら、つまらないシコリは取り除いておいた方が、賢明です」
「あなたは、確かに妙に子どもじみた所があります。しかし、そのあなたの未熟さ、幼さ、無邪気さといったものに、貴方の会社の社員は惹かれて、何とか助けてやろうと、頑張ってくれるのだと、そう感じました。今日、一緒に遊んでて、特に、ね。そのあなたを抜いてですね、あの人達に今まで以上の仕事をしてもらうのは、正直に言って、難しいです」
「ありがとう」
 口では礼を言いながら、心はどんどん惨めになっていった。お飾りのお神輿を残しておいた方が仕事しやすい、と言われ、お神輿が喜ぶ訳なかった。
「子供の純粋さをいつまでも保ち続けたいと思ったのは―、学生の頃かな―、あれは本当です。そのように努力もしてきました。周りもね、理解してくれてると思っていました。煽てられ、持ち上げられて、ね、そのまま未熟なままで成長してしまった僕は、それでも会社を経営するに当たって、大人になろうとしましたよ。フリだけでもいいんだ、と友人は言いました。みんな、どうせ大して成長した訳ではないのだから、と。私は信じて、大人の自分に磨きを掛けるのを、随分長い間、怠ってきたんです。今日、ここで分かりました。私はまるで子供のまま、だった。少しも成長してなかったんです。すっかり、自信を無くしました」
「お友達の言葉は、あながち嘘では有りませんでした。そんなものなのですよ。そして、世知に長けた人は初めから大人です。それなりの生き方があってしかるべきだし、優劣はないと思います」
「あなたは―」
 すっかり落ちついた顔つきのヨシキ君に、私は改めて好意を抱いた。
「シゲさんの先程の言葉のとおりだ。子供は人に致命傷を与えてはいけない。大人は自らの力を正しくコントロールしなければいけない。シゲさんとは別の意味で、素晴らしい経営者となられるでしょう。改めて、僕の会社を、よろしくお願いします」
「はい。ベストを尽くします」
 私はカウンターを立った。
「幾ら?」
 バーテンの代わりに、ヨシキ君が応えた。
「シゲさんは、あなたが勝ったら、ここの奢りはあなたの全財産で賄って貰うつもりでいました。つまり、会社も貴方自身もすべてをね。でも、今のあなたからこれ以上は貰えません。この町で貰った小遣いの残りを全額、それと今日の収穫のすべてを頂いて、それをここの払いにしましょう。集めたメンコも勿論出してくれますよね。あっ、戦車札はいいです。その一枚は、大事に取っておいてください。いつか、役に立つ時が、来るはずです」
 私は、そのようにした。
 そして、扉を開けた。

 オトナの自分を捨てて、この世界に入り、このコドモの世界で私はオトナに戻る方途を失った。すべてが終わった今、私はどの時間を生きれば良いのだろうか。ここに留まることは、しかし、出来ない。コドモのまま、オトナの世界に戻り、そして見事に、破綻しよう。
 そう、決めた。

 そして、私は扉を開けた。
 夕日の赤が、鮮やかに路上を彩っていた。
 子供たちの歓声が聞こえる。
 商店街の賑わいが戻っている。
 遠くで、バットにボールが当たる、小気味のいい音がした。
 カラスが、高い空で鳴いている。
 子供たちの一団が、私の傍らを勢い良く、駆け抜けた。
 私の足は出口とは反対の方角、あの狭い、映画館との間の路地へと自然に向いていた。
 狭い路地を抜ける風が、すでに秋の始まりを告げている。その風が、一層高く、少年たちの声を届けてくれた。
 いい匂いがした。