風化する猫、或いは肥大について 1986
  毎日の時間が静かな川の流れのように、或いは門外漢にとっての株の値動きのように、ゆったりと、意味も無く、しかし確実に過ぎていた。会社を辞めてそろそろ一年になる。また、春が来る。
 この一年間、私はずっと私自身の肥大について感じ続けてきた。それは、もとより肉体的な現象でもあったし、同時に精神的な側面も持っていた。たしかに一年の間に私は八キロほど肥った。その分だけ身体はひどく重たくなったし、臍の辺りには世辞にも美しいとは言えぬ、どっぷりとした脂肪がまとわり付き出していた。妻はそれを笑い、娘は顔をしかめ、息子は目を逸らした。運動量は在勤時より、むしろ増えている筈だが、決定的な緊張感の欠如は如何ともし難い。それが、主な原因だと思う。が、そんなことは大した問題ではない。明日にでも、糖尿病で入院するという訳でもないのだ。
 やっかいなのは、もっと内面的なそれだった。今年で四十七になる。決して若いなどと言うつもりは無いが、少なくとも、家でごろごすして過ごす歳ではない。かつては、単調な反復作業と自嘲しながらも、仕事の上で私は確実に何かを創造していた。もしくは解体していた。それは、「人間の時間」というものが個々の肉体の底に溜めていく、膿みたいなものを、精製し、醗酵させ、時に蒸留して別の何かに作り変え、放出する作業と言えた。
 それを停止してしまった今、私は身の内に溜まる一方の時間の「澱」を持て余している。そいつが私を必要以上に肥大化させているのだ。そのような自分を、私は自ら、「化け物」と称している。肥満していく肉体の中で、感性だけが異様に研ぎ澄まされ、反面で情念は白々と醒め、周囲の人間を枠外に対象化し、吐く言葉はすでに記号以外の何物でもなくなってしまう。めでたく化け物になり切った私は、容易に人を殺傷し、虚言と背徳を繰り返すだろう。やがて、自分の腹を裂き、そこからピンク色の膿や澱が、ずるずるとこぼれ出していくのを見て、狂喜するのだ。
 私は、だから− つまり自分の不吉な進化を押さえ込み、一方でそれを楽しんでいる自分との折り合いをつける為、酒を飲み、毎日十キロほど走っている。かつて試みた禁煙を解き、家ではダンベルを振っている。妻はそれを矛盾だと言う。しかし、私の中では、全てが「自らの肉体を痛めつける」という点で一致しているのだ。子供たちは成長し、退職金で家のロ−ンも片づけた。ひとまわり大きな生命保険に入り直しもした。少々の無理は許してもらえるだろう。
 そして、詰まるところ、私は走ることが好きなのだ。自虐的な楽しみ− 学生時代、妻はそう評して、私の趣味を笑ったものだ。そうだ、どこが悪い。− 私は、そう応えた。
 毎朝、五時に起床し、トレ−ニング・ウェアを着た私は、新興住宅地を抜け、坂を駆け登ってバイパス線に出る。その起伏に富んだ歩道を四キロほど走って、国道との合流点に有る歩道橋で折り返し、戻ってくる。淡々と、無理などせず、自己のペ−スを保って− 健康法としてのジョギングの心得だ。なるほど、その通りに違いない。そして、これほどの退屈もない。私は二百メ−トルを全力疾走する。次の五百メ−トルほどを、ゆっくりと走って息を整え、また、二百メ−トルのダッシュ。バス停の数で変化をつけることもあるし、擦れ違う車を目安にすることもある。同様に、ロングストライド走法とピッチ走法とを使い分けたり、片道そっくりを全力で走り、復路を歩いてもどる時もある。長距離ランナ−でもない私にとって、これはかなりの無茶と言える。会社の保健室詰めの医師が知ったら、さぞや怒鳴り散らされ、即刻、中止命令が出るところだろう。「少しは歳を考えろ。若かないんだ。ボロボロになっちまうぞ」
− そう、ボロボロにしたいのだ。

 その猫を初めて見たのは、四日ほど前のことだ。信号の無いバイパスの制限速度は五十であるけれど、守る車など、まず無いと言っていい。深夜ともなれば、若者たちが百キロをさらに上回ったスピ−ドで競い合う。畢竟、事故が多いが、猫や犬が撥ね飛ばされ、轢き潰されるなどは日常茶飯事だ。半年以上もそこを走っていると、猫の死体やガ−ド・レールにめり込んだスポ−ツ車など、すぐに見慣れてしまう。
 それでも、その猫に注意を引かれたのは、それがまだ生きていたからだろう。白に茶と黒のぶちが入った、少し大柄な牝猫だった。裂けた腹から妙に乾いた淡いピンクの臓器を散らし、前肢でそれを玩んでいた。時々頭を起こしては、力尽きたように舗道に落とす。何度もそれを繰り返す。尻尾は別の生き物のようにゆったりした回転運動を続けていた。私には助けようが無かったし、助けるつもりも無かった。飛び出した猫に罪は無い。轢いたドライバーが罪に問われることも無いだろうし、ましてこんな所にバイパスを造った自治体なり道路公団なりが非難されることも無いだろう。仕方がないのだ。それが人間の時代の、人間の理屈だ。もはや業や原罪や、因果律に問題をすり換えることは許されない。罪を問うのは検察庁で、罪を定め赦しを決するのは裁判官だけなのだ。復路で改めて見ると、猫はその空しい運動をすでにやめ、静かになっていた。まだ綺麗なままの死体なら、保健所なり役所の道路管理部署の人間が片づけてくれるだろう。
 しかし二日目もまだ、猫はそこに在った。四肢が硬直し、毛は艶を無くしていた。鮮やかだったピンクの内蔵はすでにどす黒く変色し、舗道の一部と化しつつあった。人家は離れていたし、バス停からも遠かった。道路管理者が気が付いたところで、わざわざそれを角スコップですくい取りビニール袋に放り込む気にはなれないだろうと思う。私だって、厭だ。
 三日目、夜半からの雨が猫をボロボロにしていた。加えて、明らかに複数のタイヤがその上を通り過ぎていた。雨で視界が悪くなっていたし、何せそれはもう、ボロ雑巾ほどの存在感しか持ち合わせてはいなかったのだ。皮と肉とは剥ぎ取られ、粉砕された肋骨が鈍い白を浮かび上がらせていた。全体に平たく引き延ばされたような感じだ。私はもう、立ち止まることもペースを落とすこともせずに、その脇を走り抜けた。
 そして昨日は数週間ぶりにランニングを休んだ。右腕に奇妙な痺れがあって、半身がだるく、いつもの時間に起きることが出来なかったのだ。そして今日、てきめんに重くなった脚を引きずって走っていると、それはもう道路にこびり付いた泥ほどになっていた。長半径五十センチほどのいびつな楕円。かつて猫であった痕跡は完璧に無くなっていた。明日から私が注意を払う払うことすら無いだろう。あと数週間もすれば、それは路面に黒い染みを残して多くは塵と化し、やがて風に運ばれてしまうことだろう。粉化したそれを、ランニングの途中で私が肺の奥深く、吸い込むことになるのかも知れない。そして、その路上の染みが白に茶と黒の混ざった大柄な牝猫であったことを、私だけが知り続けるのだ。私は奇妙な責任を感じた。
 猫は風化し、私の中にやり切れないしこりを残した。私が何かを後悔している訳では決してない。死体を早く始末する為の措置を講じていれば、事態がもっと上手く進行していたとは、私にはどうも思えないのだ。だから、それは負い目ではなかった。強いて言うなら、車に跳ねられ内蔵を散らしやがて潰され、いつか風化していく猫に対する連帯感みたいなものだろう。自分とそいつとを重ね合わせて何か象徴的な意味を汲み取る− などという青臭い試みをしようとも思わない。ただしばらくの間、こうして事態の進行に付き合ったという、それだけの− 。よそう、言い訳がましい。私は私が明日もここを走ることを知っているのだ。
 家に戻ると珍しく妻が起きていて、ぐっしょりと濡れた私にタオルを差し出しながら、何気ないそぶりで言い添えた。
「あなた、あんまり無理しない方がいいんじゃない。最近、顔色が悪いわよ」
 私は受け取ったタオルで汗を拭いながら浴室に行き、シャワーを浴びてから鏡を見た。見知らぬ男がそこに居て、私をじっと凝つめてから、やがて言った。
「もういい加減、おわりにしなきゃな」
 判ってるよ、おっさん、− 私が応えた。− こんなことでいちいち参ってたんじゃ,やってけないものな。無性に何か、抱き締められるものが欲しかった。今の私には、もう何ひとつ残っていないのかも知れない。もし、有るとするなら− 。
 私は浴室を出、少しためらってから台所で包丁を使っている見知らぬ女に向かい、話し掛ける最初の言葉を選びながら、近づいて行った。