こたつの楽しみ

 こたつの生活をしなくなってからもう何年になるだろう。きんとん庵時代が最後だったか?
 だとすればほぼ20年ぶりに我が家にこたつを入れた。
 厳密にはこたつではない。ホットカーペットのうえのテーブルに蒲団を載せ、別のテーブルから天板だけを外してその上に置いた。でも、機能はほとんどこたつだ。もぐりこんでついうとうととしてしまう、片付けるのが億劫になってついゴミや埃をためてしまう、だからこそ我が家で設置を拒否され続けてきたこたつである。
 こたつがこたつであるゆえんは、その隠微さにある。
 外界から視覚的に遮断された空間が、例えば家庭内のリビングルールのような本来明るく開放的であるべき空間の中に現出する。見えないから安心してくつろぎ、心理的な解放感を味わえる。実際、男女が隠微な行為を行うことも出来る。
 外界が明るいのにも関わらず、その中は暗く、外界が寒いのに関わらず、その中は暖かい…。そうした、多重空間の発生こそがこたつの、或いはこたつ的空間の存在意義ではないだろうか。
 こたつ的空間…。
 例えば露天風呂。
 或いは自家用車の中。
 砂漠の中のオアシス。
 雪中のかまくら。
 山間のテント。
 それらはまったく想像するだに何やらワクワクとする空間ではないか。
 だから、そのこたつの誘惑に必ずや敗北する自分を知っているからこそ、我が家にこたつの導入を拒み続けた20年間があるのだ。
 そして、今回屈した理由?
 そんなものはない。屈したわけではない。
 寒さに、若さを失いつつあるこの肉体が耐えきれなくなっただけのことだ。
 ただ、その心地よさだけは何物にも代え難い。

2005.11.25