わらしべ亡者
 道ばたで拾ったたった一本のわらくずを、次々と交換してついには大きな屋敷と田畑を手に入れ、長者になってしまうという貧しい若者の話「わらしべ長者」は、子供ながらに結構好きな昔話だった。「今昔物語」、「宇治拾遺物語」にも収録された致富長者説話の代表格で、観音信仰を説く仏教説話でもある。
 みなが等しく貧しかった時代、この種の成り上がり物語─ サクセスストーリーは多く大衆に支持されたものだが、特に主人公に欲が無く、好意で人に与えたものが、礼という形でより価値の高いものへと変わっていく過程も、その礼が相手にとって現在のところ不要の物であったりするので、一見有利な交換には思えない。そのあたりが絶妙に、この話を魅力的なものにしている。
 さて、みなが等しく貧しかった時代。じつのところ、そんな時代など有る訳がないのだが、まあ、時代の気分として「貧しさ」が平均に近いところにあり、さして負い目もなく自らの貧しさを語れた時代、とでも言い換えようか。確かに、そんな時代を私は幼少期に過ごした。環境も良かった。大阪の工場地帯や商店街の外れ、下町と呼んで何ら差し支えのない場所を転々としたのが、私の物心ついてから十歳までの人生だった。確かに近所に金持ちのボンは居た。けれど、多数は我々だった。金にものを言わせた彼らのやり方は糾弾されたし、私がいじめられてもサポートしてくれる友達や大人がたくさんいた。
 さて、一度ボンと一緒にアオムシ(アゲハの幼虫である)を大量に捕獲したことがあった。空き地に持ち寄った我々に、ボンはそのアオムシすべてを買い取ると宣言した。実際は駄菓子か何かとの等価交換だったかもしれない。とにかく、数十匹のアオムシは彼のものになった。そして、ボンは自らの所有としたアオムシすべての大量虐殺を開始した。地面にぶちまけたそれらを次々に踏みつぶしていったのだ。我々の目の前で。小学校の2年生だったか、3年だったか、その頃の自分がとても悔しく思ったのは、アオムシが可哀想とかそんな問題ではなかった。屈辱だったのだ。アオムシの命を金で売ったことで、自分がひどい人間として彼に烙印されたことが。難しいことが分かる筈はない。そこらは本能みたいなものだ。子供ながらに確実に私は屈辱を感じた。それでいながら、ただ、泣くしかなかった。
 「貧しさ」に、生まれて初めて負い目を感じた瞬間だった。
 じっさい、うちは貧乏だった。自営業の義父の仕事が上手くいかなくなる度に、住居は転々とした。その度、住まいは小さく安普請になっていった。アパートではない、長屋というやつだ。四畳半一間に一家四人で寝た。壊れたランドセルの代わりは買ってもらえなかった。親の旅行鞄にペンキを塗ってそれを提げていった。テレビは常に友達の家で見た。学級名簿の電話欄から「呼び出し」の文字が外れるのは、本当に最後の方だった。真実腹を空かせて万引きをしたことがある。給食費を払えず、何度も教師に叱られた。参加費が払えず、仮病を使って遠足を欠席したこともある。
 小学生の高学年になった頃、つまり1960年代も最後の頃になると、持つ者と持たない者の差は徐々に明らかになってきた。片やカラーテレビを購入した家庭があり、一方ではまだ、白黒テレビさえ満足に映るものをもっていなかったりする。当時のカラーテレビのコマーシャルコピーに「となりのテレビが小さく見えます」というのがあったが、そんなコマーシャルを真似する友人の言葉にさえ、傷つけられる時代だった。
 中学になって部活に入ることになる。サッカー部はまだユニホームも安かったが、スパイクシューズになかなか手を出せなかった。公式戦に出るにはどうしても必要だったが、何せ金がない。チームの一番最後にようやく安いものを手に入れたが、そのためにお袋の一ヶ月分の内職代がふっとんでしまった。あとで友人に貸してなかなか返してもらえなかったときは、彼の自宅まで押しかけ、泣きながら訴えたものだ。ものに対する感覚には常に金銭がつきまとい、そのことで物にはえらく執着するようになった。
 これもある種のトラウマだろうか。 
 働いてそこそこ稼ぐようになっても、執着は消えず、そのくせ幼少期の反動だろう、使う時はとことん使った。物をたくさん買うことで自分を満足させた。自分の部屋に、読まない本が、どんどん山積みされていった。分かっているから、買物の後には必ず自己嫌悪がつきまとう。不思議なものだ。金が無くて厭な思いをしてきたのだから、少しくらい貯めたら良いのにそれが出来ない。「金が仇」、まさにそのとおりだった。 金が身に付かない、金銭感覚がおかしいというのは、トラウマというよりも「業」というのが正しい。高校時代にK氏と知り合ったのだが、よく彼にはおごって貰った。「そのくせ、山村は絶対人におごらない」、彼によく非難されたものだが、確かにそうだったと思う。使うのは物に対してでなければならなかった。他人に対して自分の金を使える人間が驚異で、ことさら真似をしようとした時期もある。ただ、そのことはとっとと忘れてしまわなければならない。いつまでも覚えていると自分がどんどん恩着せがましくなっていくのが分かる。無理をしてやっているのだから、当然言えば当然だろう。
 「金だけがすべてではない」、「幸福は金で買えない」、自分が口にするとどうも言い訳じみてくる。それでも、その路線は外せなかった。貧乏は絶対に厭だったから、貧しくても清くとはさすがにいかない。ドラマでも映画でもその手のものは苦手だ。だから、一定の功利性を引きずりながら口にするのだ。「金に振り回されるのは御免だ」、「豊かさを金以外の物で手に入れる」。大学進学→一流企業という路線を極端に毛嫌いしたのも、そのせいだったろう。じっさい、大学に行けるだけの金は無かったのだが。
 確かに、金への執着は煩悩であって、そこから解放されることで人は絶対に幸福になれると思う。絶対にそう思う。が、自分は金に背を向けて結局別のものに執着し、煩悩の固まりになっている。つまらない「自我」に対する執着もそうだろう。自分の「在り方」、「生き方」、「スタイル」、「価値観」。語ればすでに煩悩の鬼だ。もちろん、物にもしっかり振り回されている。家族、家、仕事、自分の所有するものすべて。いや、所有しているというその概念!
 だから、私が観音にお告げを受けたとしても、決して「わらしべ」は拾わなかったろう。よしんば拾ったにしても、先っぽにアブを付けたそれをミカンなどとは交換しなかったろう。ミカンを反物にも。反物を死にかけた馬にも。
 どこかの早い時期に私はきっと金銭との交換を望み、その金銭を何某かのものに交換して、この話は終わる。最後に「めでたし、めでたし」は付かない。
 放っておいても金の方から、厭と言っても近づいて来るというタイプの人間が居る。そういう宿命なのだ。あきらめて欲しい。一方、絶対に金の方で避けて通るタイプの人間もいる。私もそうだが、じっさいに諦めきれる筈がない。
 まして、それを幼少期のトラウマなどとこじつけるなんて、あまりに悲しいではないか。

2003.7.22.