今さらの、旅の意味 | ||
人の時間が枯れる。 人の身のうちに蓄えられたチカラ、日常を営むに要する途方も無いエネルギーのミナモトが枯れる。ケが枯れて人は穢れ、新しいチカラを身の内に呼び戻すためにハレの場に臨む。 マツリがそうだろう。単に日常からの解放に留まらず、そこで人は神と接触する。身を清め、神と寝食を共にする。音曲、踊りも神に捧げ神と共に楽しむ。 そして、タビは神詣で、巡礼であって、常の仕事を離れ、常ならぬ時間を過ごし、時に苛酷な旅程を経、徐々に清められてやがて神の前に到達する。 日々の慰安を求め、疲労の回復と癒しを求めて、いま、我々は旅行をするが、思えば旅の意味には、かつてとてつもなく大きかった。 若かった頃、仲間と口ずさんだ「出発の歌」には、「失われた時を求めて」というサブ・タイトルが付いていたように記憶している。「愛と風のように」も「今が通り過ぎていく前に、虹の向こうに出掛けよう」と歌い、「人は誰もただ一人、旅に出て」と、これは北山修の「風」。旅、特に一人旅には憧れとロマンの香りがあり、それは冒険であったり、日常からの脱出であったりした。「青年よ書を捨てて街を出よ」と寺山修司は語り、青春などという言葉がまだ死語でなかった頃。当時の国鉄の口車に乗り、「赤い風船」というパッケージツアーが、一人旅を量産したあの頃。 かく云うわたしも、高校時代に九州までの一人旅を敢行し、なにやら自立した気分になって調子に乗り、以後、奈良、沖縄、インドと一人の旅を拡大させていった。そのわたしにとっても、旅は、そして見知らぬ土地は憧れだったし、そこでの出会いに過大な意味を付与して得意になったり、価値観を変えられた気がしたり、その意味について自問したりしたものだ。 事実、その頃と比べると時代と共に旅と日常の段差は、随分と低くなった気がする。祭が観光化され、旅は商業化された。日常で溜めるケガレは重くなる一方なのに、簡単なハードルはハレにケを払う十分な霊性を付加できずにいる。 仕事の合間を縫った短い旅行では、疲れさえ十分に取ることは出来ないのに。それどころか、渋滞の高速道路や満員の列車や飛行機は、疲労を倍増させるだけなのに。 「旅の重さ」という映画があった。斎藤耕一監督、高橋洋子と秋吉久美子のデビュー作だった。家出をした少女が、四国を巡礼のような一人旅で巡りつつ、旅の一座に交じったり、行商の男と暮らしたりして成長していく姿を描いた作品のように記憶している。そう、そこで語られるまでもなく、一人旅とは苛酷で悲しみと寂しさに満ちたものであり、だからこそ出会いは常に鮮烈でかけがえないものなのだ。そして、人は否が応もなく変わる。いや、変えられていく。映画の主題歌は吉田拓郎の「今日までそして明日から」。「私は今日まで生きてきました」で始まるあの歌との出会いも、当時のわたしには衝撃的なものだった。 そしてしばらく後、その拓郎がヒットさせた「旅の宿」。「浴衣の君は薄のかんざし、熱燗とっくりの首つまんで、もう一杯いかがなんて妙に、色っぽいね」 旅情も色恋も癒しもいいが、あの時拓郎に裏切られたと思ったフォーク・ソングフリークは私だけだったろうか。 空間の移動は日に日に早く、安価になって、やがて学生が簡単に海外旅行を楽しめるようになり、今や宿やチケットの予約もインターネット。時刻表を繰る手間も省け、宅急便の類が大きな荷物を少なくする。 それはそれでよく、見知らぬ土地を訪ね、人と出会う旅の魅力は今も色あせることはないだろう。ただ、 ただ、浄化されることのない我々の日常の汚れは、どこに堆積するのだろう。 巨大な駅舎の片隅に、高層ホテルの華やかな灯りの陰に、サービスエリアのごみ集積場に、観光地に流れる川の水面に、それらはうず高く積み上げられ、壁を汚し、獣があさり、漂って流れていく。 あれが、我々の日常だ。 旅の形が変質するより先に重くなりすぎた日常の、だからレガレを払うには今、もっととてつもないハレの舞台が必要なのだということか。たとえば、 高層ビルに旅客機が激突して多くの死傷者が出るような、大きな祭りと、その報復に最新鋭の戦闘機と艦隊で海を越えるような、大きな重たい旅行とが。 |
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2002.9.2. |