勝利の女神
 多数の人間が一定の思念を共有してそれを強烈に発するとき、それは特定の何者かの行動に影響を与え、時に歴史を大きく動かすことすらある。その強烈に発せられた思念を「気」と呼び替えてもいい。大衆の「気」を操作してのける個人をカリスマと呼ぶのかもしれない。だとすれば第二次大戦下のナチスによるヨーロッパ侵攻を支えたのは、実は旧ドイツ国民の精神エネルギーだったやも知れず、極東アジアの弱小国が欧米の列強に対抗してのけたのも、同様だったかもしれない。だとすれば、「同時多発テロ」と呼ばれるイスラム原理主義者たちの対米攻撃をかくも見事に成功させたものにも、それは共通するのかもしれない。
 筆者はこの事を好意的に解釈し、だとすれば人類が強烈に平和に対する願望を共有することで、世界史の将来に明るい展望を開くことも可能ではないかとさえ、考えるものだ。が、如何せんこうしたことにおいて、負のエネルギーの方が、はるかに大きな力を発揮することを、すでにその人類史が証明しているような気がしないでもない。
 さて。
 
 昭和63年10月19日、日本のプロ野球史に長く語り継がれることになった試合が、川崎球場で行われた。ロッテ・近鉄の最終戦、ダブル・ヘッダーの第二戦、時間制限の掛かった最終回の近鉄の攻撃を、ロッテはからくも同点のままに抑え、この時すでに全日程を終了させていた西武の優勝が確定した。最早、優勝の望みを絶たれた近鉄が、それでも裏のロッテの攻撃を果敢にしのぎ、感動の涙を誘ったことで一躍知られることになった名勝負だったが、この最終回の攻防にはいくつかの伏線があった。
 パ・リーグの終盤戦、西武と近鉄は激しいデッド・ヒートを繰り広げた。マジックを点灯させ、近鉄との直接対決に勝ちつづけながら、それでも西武がそのマジックを決定的に減らせなかったのは、近鉄が他のチームに負けなかったからだ。特に対ロッテ戦を異常なまでに多く残した近鉄は、そのロッテに絶対負けなかった。ロッテはひたすら、負け続けたのだ。最終戦まで連敗を繰り返したロッテは最終日のダブル・ヘッダー第一戦も落とし、あとひとつ負けると本拠地でその相手の胴上げを見ることになってしまう事となった。ロッテにも意地がある。また、この試合の終盤、アンパイアの判定に不服を申し立てたロッテ有藤道世監督に、近鉄仰木監督が試合の進行を促した場面があった。試合開始から4時間を経過して新たなイニングに入らないという規定が当時のパ・リーグにはあって、同点のまま試合時間が悪戯に少なくなることに近鉄監督としては苛立ちを覚えたのだろう。が、連敗の屈辱に加えてこの言葉が、ロッテナインを燃えさせた。本拠地でロッテファンも多い。近鉄の粘りを、ロッテのこの強い意志が凌駕した。
 一方、戦わずして優勝した西武に、野球ファンの好意は余り向かなかったように思われる。敗れた近鉄に同情的だっただけに、日本シリーズの下馬評はダントツでセ・リーグを制した中日有利と出た。が、終盤もたついたとは言え、眼下の敵である近鉄に勝ちつづけた西武は、その勢いを失ってはいなかった。第一戦、清原が中日球場で場外ホームランを撃って制すと、そのまま4対1で西武が圧勝した。
 が、翌平成元年、やはり流れは近鉄に大きく傾いた。西武との最終決戦をブライアントの3本のホームランで決めた近鉄が見事に優勝。戦力的には有利だった西武は、最後の最後で一蹴されることになる。そして日本シリーズ。対巨人戦を3連勝したところまで、流れを近鉄が確実につかんでいた。その第3戦のヒーロー・インタビュー。近鉄の加藤哲投手の発言もまた、球史に残るものだった。「(パ・リーグ最下位の)ロッテの方がずっと強かった」。この一言が近鉄から流れを遠ざけた。発奮した巨人はここから4連勝し、なんと逆転優勝をしてしまった。あの一言さえ無ければと、近鉄ファンを悔しがらせたものだ。
 さらに翌年の日本シリーズは西武対巨人。シーズンを抜群の投手力で制した巨人は前年度のシリーズ制覇の余勢を駆って、近鉄とのデット・ヒートで疲労困憊の西武の敵ではないとささやかれたものだ。が、西武にはパ・リーグの代表として昨年の近鉄の屈辱をそそぐ使命があった。余裕の見えた巨人に、蓋を開けてみれば4連勝。圧勝だった。3連勝の後のおごりなど持つはずも無い。デストラーデの破壊力ばかりが目立ったが、巨人有利と評された投手力でも上回り、捕手伊藤の涙を生んだ。
 プロ野球のアナや解説者がよく「勝利の女神」などという言葉を使う。
 実力が均衡し、優れた能力の選手がぶつかり合うプロの競技では、ほんのささやかなバランスの崩れが勝敗を決するのだと思う。それが「流れ」とも呼ばれるものだ。筆者はそれを観客の思念であると思っている。対戦する球団のファンの数は拮抗するだろう。だとすれば、他の野球ファンがどちらかに荷担した時、そのバランスの崩れは発生する。特に全国のファンが見守る優勝決定戦や日本シリーズでは、顕著なものになりはしないか。ひとつのミス、フェア・プレーに反する行為、逆にファイン・プレーや、マナーにかなった態度など、ひとつひとつが局面を変えていく。まして日本人には判官びいきという美意識があるから、同情を集めたり、けなげな態度に好感を持たれたチームが、とんだところでチャンスを物にしたりするのだ。
 今年のシリーズも奇跡的な試合を繰り広げ、最後の最後まで勝ちつづけた近鉄と、逆に終盤で巨人に追いすがられほうほうの態でようやく優勝を決めたヤクルトでは、印象が近鉄有利と見えただけに読めないことは無かった。西武びいきの筆者はそれでも死闘を繰り広げた近鉄の優勝を期待もしたが(12球団唯一、優勝経験の無いチームてもあったし)、結果はやはりヤクルトの圧勝だった。若松監督は言う、「うちにあった流れを切らないように努めた」のだと。
 来年、近鉄が出れば、今度は近鉄の日本一に違いない。が、パ・リーグの流れは最後まで健闘したダイエーか西武、だろう。セ・リーグは巨人と見ている。つまらぬ、球界の盟主などという驕りさえ捨て去ることが出来るならば。それさえなければ、あれだけの戦力を揃えた巨人が、優勝できない訳がないのだ。(戦犯扱いされ続けた中継ぎ投手陣が哀れだった)
 
 勝利の女神という言葉の持つ意味は大きい。
 確かに「流れ」の変転は神のごとき大いなる意志の力のように感じる。が、それはおそらく多くの人々の思念の結集なのだ。だとすれば、どういうことが言えるだろうか。局面が拮抗して一定のバランスを保っていることが前提ではあるが、人々の何かを守ろうとする意志は歴史を動かし得るということになりはしないか。アフガン北爆を決したのはブッシュでもアメリカ国防省でもない。貿易センタービルの崩壊に涙した国際世論だ。そして、米英がタリバン攻略を短期決着できないでいるのも、難民や餓えたアフガン国民に同情的なやはり国際世論によるものだ。ならば、テロ撲滅も、戦争の早期終結も、その国際世論によって実現できないだろうか。
 いや、その実、筆者は懐疑的ではあるのだ。誰しも口にしていないが、あの貿易センタービルが最初に炎上したとき、テレビの前で皆、もっと刺激的な映像を期待しなかったか。他にも旅客機がどこかのビルに突っ込むという更なる刺激を望まなかったか。新たなる目を見張るようなテロ行為を待っていなかったか。そう、それこそ炭そ菌のような細菌兵器による攻撃や、アメリカ経済の破綻や、全世界的なパニックを。少なくとも筆者の内心はそれらを欲求していた。今は後悔しているが、あの映像を前にしたまさにあの瞬間、筆者の中には「勝利の女神」どころではない、「破滅を求める悪魔」が棲んでいた。筆者はそのとき、イスラム原理主義者に荷担していたし、多くの反米感情を持つ人々も、また同様だったろう。マス・メディアの多くもそうに違いなく、思想や意志とは関係なくただ刺激が欲しくて望んだ者もいたことだろう。
 それらがあの大惨事を引き起こしたのだ。
 忘れてはならない。
 権力を持たず、なんら周囲に影響力を持たない筈の一個人でも、容易に人を殺すことは出来るし、国家に打撃を与えることもできる。多くの難民を生み出し、多くの人々に戦火をもたらすことは出来るのだ。
 
 戦争になんぞ「勝利の女神」は必要に無い。
 絶対に、ない。


2001.11.4.