日本酒考
1.分類

【級別制度】
 2級酒、1級酒、特級酒−まだ記憶に新しい日本酒の級別は、戦後50年に渡って連綿と続き、平成4年にようやく廃止された。よく特級酒より2級酒の方がよほど美味い、等と舌自慢の酒飲みが言ったものだが、あながちこれは間違っていない。と言うのは、もともとこの制度、酒税法上の便宜で、国税庁の醸造試験場にサンプルを送ってランク付けしてもらい、上級ほど酒税を高くするという単なる「お墨付き」でしかなく、当然その税は価格に跳ね返った。この鑑査を受けない酒は自動的に2級酒となる仕掛けだ。
 だから、良心的な酒蔵はあえてこの鑑査を受けず、2級酒として自慢の酒を世に出した。先の特級酒より2級酒、の伝説は、ここから生まれたのだろう。もっとも、特級酒の呼称は制度外であり、今使われている特選、超特選等と同様、根拠のない自称に過ぎなかった。
 ついでながら、現在的な意味でのお上のお墨付きといえば、毎年の新酒鑑評会で金賞を受賞する事だろう。よく滝野川などと呼ばれたが、これは東京都北区にある醸造試験場の地名で、今は確か移転したと聞いている。だが、ここでも審査されるのは一部のサンプルであり、どの酒蔵もこの日のために特別な仕込みをし、手間もかけ、腕によりをかける。だから、金賞受賞酒などはふつう一般に出回ることが少なく、同じ銘柄だからといって質まで同じと限らず、まして受賞蔵などというのも、あまり価値の基準にならない。その他の酒を全部オートメーションで造っていても、受賞蔵は受賞蔵だから、だ。ただ、受賞酒は確かに、美味い!

【三倍増醸造酒】
 戦後、食用米の絶対量が不足した為、酒米も食用に供された。いっそ日本酒の生産を自粛すれば良かったのだろうが、どうもそうはいかなかったらしい。せめて、少ない米で大量の酒を造ろうとしたお上公認の苦肉の策は、工業用アルコールを大量に混ぜて、三倍の酒を造ろうとすることだった。この増量法は何故か戦後復興の後も引き継がれ、灘、伏見と言った酒の生産地はこの三倍増醸造酒をもって一大発展を遂げることになる。今更、戦前の製法に戻れる筈が無い、ということだ。そりゃそうだ。もともとの製法でも価格を三倍に出来る訳では無いのだから、売り上げが3分の1に減って、会社(あえて蔵元とは呼ばない)は潰れてしまう。このことが、日本の酒造界を荒廃させたと言っていい。それでも良心的な酒蔵は三倍増醸造酒と同じ価格で純米酒の生産を続け、近年、ようやく、その本当の味が認められて評価されるに至り、酒造業界全体が本来の酒造りに戻りつつある。それでも、一般に普通酒と呼ばれ日本酒の8割を占める酒の多くは、未だにこの三倍増醸造酒なのである。

【普通酒】
 普通の酒とはよく言ったもの。野放しの酒である。醸造用アルコールの添加量や酒米の精米歩合など、まともな酒の基準となる目安にまったく基準が無い酒であり、最低ランクの酒も無論、これに属する。日本酒全体の8割は占めるだろうと言われている。

【本醸造酒】
 酒米の精米歩合を70%以下と定められ、醸造用アルコールの使用量も、米1トンあたり120リットル以下というような規制が加えられている。糖類の添加は認められていない。最低限の誠意というやつである。というのは記者が純米酒以外を酒として認めていないせいだ。実際は、経営戦略上、この本醸造酒の生産でさえ英断といってもいい。また、醸造用アルコールの添加は上槽(絞り)の直前に行われるのだが、この添加が濃厚な純米の酒にすっきりとした口当たりを与え、また、きりっとした辛口に仕上げるのも確か。確かに捨てがたい本醸造酒も存在する。

【純米酒】
 そもそも、この純米酒という呼称がおかしい。日本酒は戦前まで、みな純米酒だったのだ。 使用できる材料は精米歩合70%以下の酒米、米麹、水。それだけ。日本酒はずっとそうやって造られてきた。醸造用アルコールとか、糖等はもちろん混ぜなかった。それなのに、いまだに純米酒と銘打っておきながら、醸造用アルコールを添加した酒がある。こんなものは飲めばすぐ分かるのに、まったく消費者をバカにするにもほどがあるではないか。こんな酒は、皮肉を込めて「アル添純米」などと呼んだりする。最近飲んだ中では、「○の○梅」なんかがそうだ。

【吟醸酒、大吟醸酒】
 ここでも米の精米歩合の話になる。吟醸酒、大吟醸酒というのは、基本的にはこの精米歩合だけを基準とした酒の分類法なのだ。酒の製法というのは、単純に言ってしまえば二種類の化学反応だけでしかない。澱粉が麹菌によって糖に変化する化学反応(糖化)と、その糖が酵母菌によってアルコールに変する化学反応化(発酵)。これが複合し、様々なプロセスを経て妙味あふれる日本酒を生み出すに至る。で、酒米が提供するのは、この澱粉である。しかし、澱粉は米の主に中心部(心白と呼ぶ)に在って、その周辺は酒造りには意味のない、どころか雑味の原因にしかならないタンパク質や脂肪で出来ている。従って、良い日本酒の条件というのは必然的に、いかにこの米の心白だけを使って酒を造れるかに掛かってくる。
 ちなみに、吟醸酒の精米歩合は60%以下、大吟醸酒の精米歩合は50%以下と定められている。さらに、先に述べた 新酒鑑評会で金賞を受賞するような酒の精米歩合は40%、35%である。精米は通常精米機で行われるが、これくらいの精米歩合となると、とてもオートメーションでこなしきれない。米を削るときの熱が、うっかりすると肝心の澱粉を変質させてしまうからだ。通常の精米でもに昼夜から三昼夜は掛かるというから、ここでは職人の勘と不眠不休の体力だけが勝負となる。また、著名な山田錦や五百万石など、酒造好適米の特徴は、この澱粉を多く含む、つまり非常に心白が大きいことになる。
 そして、この吟醸酒の特徴は何と言ってもまろやかな口当たりと、独特のあのフルーティーな香りにあると言える。しかし、ここでも偽物は横行していて、この吟醸香を人工的に添加したものまで、今では出回っている。見分けるのは難しいが、やはり偽物の味は薄っぺらいようだ。又この場合も、権威を持った監視機関が無いものだから、先に挙げた条件を何一つクリアすることなく、堂々と吟醸酒を名乗る紛い物も後を絶たない。

*以上、普通酒からここまでは我が国の酒税法で定められた分類法である。繰り返すが、このことについて特に強制力は持たないし、違反したからといって罰則がある訳でもない。鑑査する機関もない。すべては生産者の良識に依るところが大きい。なお、以下も良く耳にする日本酒の分類法であるが、これらはあくまで、酒造業界の自主基準で定められたものである。

【原酒】
 発酵を終えた醪(もろみ)は上槽に回され、絞られて酒になる。これが原酒ということになる。が、この分類の趣旨から言えば、通常そのあと火入れ、貯蔵、瓶詰め、再火入れとプロセスが進む中で、加水によるアルコール度数調整が行われるのだが、これを行わないで製品化した酒をこそ、原酒と呼ぶべきだろう。加水調整される酒が15〜18度であるのに対し、原酒は20度を越えるのが一般だ。

【生酒】
 先に述べた通り、発酵終了後の酒には、通常二度に渡って加熱処理がなされる。これを火入れと呼ぶ。一度目の火入れは、酵母の活動を停止させる、つまり発酵を終了させる為に行うもので、まさにその瞬間に酒の仕上がりが決定されると言っても過言ではない。同時に殺菌処理を行うことで長期の貯蔵に耐えられる酒にする。加熱温度は65度ほど。貯蔵熟成を終え、瓶詰めして出荷する際にも、火入れを行う。もちろん、商品の品質管理のためだ。日本酒には本来、防腐剤も保存料も添加されていないから、この二度の火入れをしなければ雑菌の繁殖によって味を駄目にしてしまう。
 ところが近年、冷蔵保存の技術が進み、コストも下がって、それまで一定の時期に酒蔵でしか飲めなかった生酒が、全国どこでも季節に関係なく楽しめるようになった。生酒とは、つまり二度の火入れを行わずに短期間の貯蔵で出荷される酒だ。中には酵母の活動が続いていて発泡しているものもあり、フレッシュな味わいが魅力となる。

【生貯蔵酒】
 上槽後の火入れを行わないで貯蔵し、出荷前のみ処理を行った酒。貯蔵時に酵母がまだ生きている為、管理が難しいが、この間の味の変化は面白い。

【生詰め酒】
 上記とは逆に出荷時の火入れを行わない酒。よく「冷やおろし」と呼ばれるのがこれで、その名の通り秋口に出荷されるのは、高温に弱いデリケートな酒の為。それでいながら、どっしりとした落ち着いた味わいの酒が多い。

【長期熟成酒】
 古酒とも呼ばれる三年以上貯蔵し、熟成させた酒。ブレンドした場合はそのうち最も貯蔵年数が少ない酒が三年以上でなければならない。ワインと違って日本酒には年代物がこれまで無かったが、それはそれだけ長期の熟成に耐え、味を深めるだけのしっかりした造りの酒が無かったか、それとも造ってはいても酒蔵の経済事情がそれを許さなかったか、のどちらかである。近年、消費者の意識が変わり本当に良い酒が認められるようになり、長期熟成酒を生み出す素地となった。編者も飲みたいがこの場合は編者の財布が、それを許してくれない。

【生一本】
 灘の生一本などというコピーがあった。単一の酒蔵で造られた純米酒のことを、そう呼ぶらしい。繰り返すが戦前まではすべての酒が生一本だったのだから、このコピーのいかがわしさが分かるというものだ。おそらく、灘地方にはこの当時、そうした酒蔵が珍しかったのだろう。
 灘地方は背後に酒造好適米の代表格といえる山田錦の大生産地を控え、六甲山系の伏流水である宮水を得、かつ日本全国に拡がる航路の起点とも言える港を前面に抱えた、なるべくしてなった日本酒の一大生産地である。戦後、先に述べた三倍増醸造酒 に関する国家政策を背景に発展したこれら酒造メーカーは、その豊富な資金によって酒蔵をオートメーションの工場に変貌させ、さらに山田錦の使用権を買収して廻った。良心的な小規模の酒蔵がいい酒米を求めても、たとえ隣の田圃に実った山田錦であろうと、使用することができなかった。力を弱めたそれらはやがて大手酒造メーカーの傘下に組み込まれ、蔵オリジナルの銘柄を捨て去ることを強いられる。つまり、造った酒は桶ごと酒造メーカーに買い取られ、それらをブレンドしたものを、その酒造メーカーのブランドとして売り出されるのだ。そこまでしなければ生産が間に合わないほど、その当時、大手の酒は売れた。そして、それだけいい加減な品質管理がまかり通ってしまうほど、この国の消費者の舌は冒涜されていたし、政府の管理はずさんだった。
 その上での「灘の生一本」である。あまりに皮肉ではなかったか。

【にごり酒】
 上槽した後、酒は澱を引き、活性炭素で濾過され、はじめて透明な清酒となる。この工程を省いたのがにごり酒である。上槽によって醪は酒と酒粕に分離される訳だが、絞り袋の編み目を抜けた澱が、この時点ではまだ酒に残っていて、これを沈殿させ上澄みだけを抜き取る作業を澱引きと呼ぶ。それを割愛してそのまま瓶詰めにするのだが、当然生酒であり、酒粕の甘みも手伝って女性客に人気の口当たりの良い、ほのかな甘みが魅力の酒となる。

【樽酒】
 樽で貯蔵した酒。杉樽の木の香りが移り、山吹色の酒となる。

【生もと系】
 分類というより、これは次の「造り篇」で述べるべきかもしれないが、近頃はラベルに大きく表記されることも多くなったので、ここに記しておく。
 もとは、酒母とも呼ばれる。文字通り酒の元である。麹、酵母、水、そして蒸し米を加えてタンクに仕込んで醸したものがもとで、この中で健康で優良な酵母が育てられる。これを大型タンクに移し、三回に分けて麹と蒸し米を加えて醪を造る。これを仕込みと呼ぶ。
 このもと造りの時、特に大切な役割を果たすのが実は乳酸である。酵母菌が生育する環境には当然その他の雑菌も多く存在するが、これらが増えすぎると酒の質は低下し、極端な例では酒を腐らせてしまうことにもなる。この雑菌を殺し酵母だけを生かす働きをするのが、乳酸だ。通常は人工培養した乳酸をもとに加える。これを速醸系酒母と呼ぶ。これに対し、乳酸を加えず、天然の乳酸菌による乳酸の生成を待つ方法が、生もと系酒母であり、手間暇はかかるが、しっかりとした健康的な酵母が育つので、ここから生まれた酒には、腰のすわった力強い酒が多い。
 半切り桶に蒸し米と麹と水を混ぜ、櫂でもって何時間も掛けてすりつぶす─この山卸しと呼ばれる作業を何日も何日も繰り返す。この作業がどのような意味をもって酵母や乳酸を育てることになるのか、編者は浅学にしてうまく説明できないが、それこそ酵母も乳酸の存在も知らずに日本酒を作り続けた先人らにしてみても、ただ経験と伝承、長い酒造りの歴史の蓄積に依るしかなかったろう。もちろん、未だにこの古来からの造りを実践している蔵は、極めて少ない。

【山廃もと】
 山卸し廃止もとである。前述した山卸しを廃止してもとを造る。極端な言い方をすれば天然に存在する酵母や乳酸の力を全面的に信頼して、それらに酒の全てを預けきるというやりかたである。何もしないなら、楽ではないかと思われるに違いない。いや、酒の造りでは何もしないのが、おそらく一番難しいのだと思う。
 勿論、杜氏や蔵人が実際に何もしない訳ではない。健康的で力強い麹米を育ててやる、酒米を厳選し丁寧に磨いてやる、洗い・吸水・蒸し・放冷といったその後の作業もそれこそ秒単位までしっかりと管理して、これ以上はないと言えるまでの蒸し米を造りだしてやる、寒い時期にそれでも氷を担いで蔵の低温管理に努める。─そこまでしても、この造りは失敗することの方が多いのである。
 だから、予め純粋培養された酵母や乳酸を投入することの方が、ずっと安定した方法であり、経済的でもあり、まして研究を重ね、蔵独自の酵母を連綿と培養し続けている酒蔵さえあることを思えば、それは決して恥ずべきことではない。
 が、優れた山廃を前にして、編者は思いもかけぬ酒造りの摂理に、呆然としてしまうのだ。これほど化学の研究、醸造学の研鑽が進み、優れた酵母菌が培養された現代でさえ、ほとんど原始的とさえ呼んでいいような古来の製法の前にはただ屈服するしか無いのだ、と─。
 それほどに優れた山廃には深くて力強い味わいがあり、その重厚さを忘れさせて余りある鮮やかなキレを併せ持つ。その味の奥行きの深さを、どう表現すれば良いだろう。それはさながら幾重にも層を重ね、その層の一つ一つに微妙な変化を付けた何連もの虹のよう─とでも言えば良いか。編者がこれまでに出会った最良の山廃は、今から10年近く前の「天狗舞」という石川の酒である。その後、それだけの山廃に出会っていない。同じ「天狗舞」を飲んでさえ、あの感動は取り戻せない。酒とはそうしたもので、同時期に造られた全く同じ造りの酒でさえ、二つ並んだタンクの味が微妙に違うと言われるほどだ。
 
 一期一会─それが日本酒の魅力と言える。だとすれば、こうした酒の分類さえ虚しくもなるが、むしろ、だからこそ、少しでも良い酒と出会う機会を増やして欲しいと思った次第である。

2.造り

【精白】
 玄米を磨き上げて白米にする作業。通常の食用米は90%、1割の糠を削り取る。酒造りでは最低でも70%の精白を行う。先にも述べたが糠の主成分はたんぱく質と脂肪で、これらは酒造りに不要であるばかりでなく、余計な雑味の原因となる。だから吟醸酒では60%、大吟醸酒では50%の精白を行い、新酒鑑評会などに出される酒は40%、35%がざらである。
 こうした高度精米では、70%でも約12時間からの作業となる。精米機のロールの交換や米の温度管理など、不眠不休の仕事となり、温度が上がりすぎても仕上がりにムラが出来ても、その時点で酒作りは失敗に終わる。もっとも近代的なオートメーション工場で酒を造る酒造メーカーでは機械が自動的に管理してくれるのだろうが。

【枯らし】
 精白で高くなった米の温度をゆっくりと下げながら、米粒の中の水分の分布を均一にするため、精白後の米を放置すること。2週間から30日位行われる。

【洗米】
 洗米は第二の精白と呼ばれる。いくら高度な精白を実施しても糠が十分に取り除かれていなければ、仕上がった酒の雑味は残る。十分に洗われた酒米はその心まで十分に水分を沁み込ませて、次工程の蒸米に備える為、水に浸される。これを浸漬と呼ぶ。浸漬の時間は普通で1〜6時間から、デリケートな米では5〜7分に数秒を争うような作業まである。

【蒸米】
 浸漬後、水分をしっかり切られた米は高温の蒸気を一気に吹き付けられ、蒸し上げられる。この蒸し具合で後の酒の気質が決定される。時間は60〜70分。熟練した杜氏はこれを潰してひねり餅を作って蒸し具合を確認する。この蒸米は、この後の工程で麹米、もと作り、仕込みの掛米と用途別に分けられる。
【製麹】
  麹造りである。蒸米に種麹を振り掛け、良くほぐし麹菌を米に食い込ませる。製麹作業は徹底した温度管理の麹室で行われ、勿論、雑菌の進入などは許されない。麹は数日をかけて丁寧に育てられる。

【もと造り】
 もとは酒母とも呼ばれる。蒸米に麹米と水を加え、酵母菌と乳酸を添加して良質でイキのいい清酒酵母を培養する作業である。乳酸は雑菌の浸入を防ぐ役割を担う。こうしたもとを速醸もとと呼び、現代では一般的なもと造りと言える。これに対し、人工的に培養された乳酸を添加せず、何時間もかけて蒸米と麹米、水だけを混ぜてすりつぶすことで健康な酵母と天然の乳酸を育てる(山卸しと呼ぶ)昔ながらのもと造りを生もとと呼び、その山卸しすらせずに麹の糖化力だけで天然の酵母と乳酸を育て上げるのが山卸し廃止もと(山廃)である。時間は掛かり、腐造の危険もある面倒なもと造りに違いないが、強い酵母が育ち力強い酒が生まれる。

【仕込み】
 酒造りのハイライトである。ここで行われる三段仕込みは世界でも類を見ない稀有の醸造方法であり、その繊細さは芸術の域に達する。
 酵母がしっかりと培養されたもとに蒸米(掛米)、麹、水を3回に分けて加えていく作業であるが、これは酵母や乳酸の密度を一気に薄めて雑菌の付け入る隙を作らないようにするための手間だ。その1回目を初添と呼ぶ。この仕込で米のでんぷんが麹によって糖に変わり、糖が酵母によってアルコールに変わるというふたつのダイナミックな化学反応が、同時進行で進んでいく。これを並行複発酵と呼ぶ。初添の翌日は酵母をさらに増やし、育てるために1日の休みを置くが、これは踊りと呼ばれる。2回目の仕込みが仲添、そして最後の仕込みが留添。そのようにして生まれたものが醪で、糖化と発酵のバランスが管理されながら、低温でじっくり約一ヶ月に渡って熟成される。
 なお、純米酒以外の普通酒や本醸造酒はこの熟成後、次工程の上槽前に醸造用アルコールが添加される。

【上槽】
 熟成を終えた醪は、圧搾機を使って絞られる。昔ながらの木製の圧搾機を槽(ふね)とよぶ。圧搾前に、醪の入った袋から自然にほとばしる原酒を荒走りと言い、酒蔵でしか味わえない酒として珍重されたりする。袋の中に残るのが酒粕である。

【滓引き】
 絞った酒のにごりを沈殿させて抜き取る作業。この工程を省略した酒を濁り酒として販売したりする。

【濾過】
 一般に炭素濾過が行われる。活性炭素に雑味や匂い、色を吸収させて取り除き、その後濾過機にかけて不純物を取り除く。活性炭素を使用すると炭の匂いが残って逆効果となるのは、勿論だ。このため、これを嫌う杜氏も多い。

【火入れと熟成】
 酵母の活動を止め、雑菌を殺すために加熱殺菌を行う。約65度。一般にはその後、貯蔵熟成が始まるのだが、この加熱処理を行わないのが生貯蔵酒。貯蔵後、再び濾過と火入れを行って出荷される。この二度目の火入れを省略するのが生詰め酒(冷おろし)。二度の火入れを行わないのが生酒である。長期に渡って熟成した古酒と呼ばれる酒もある。前回も述べた通り、それぞれに個性があって魅力的だ。

3.日本酒のいろいろ

【日本名門酒会】
 二十代の前半、日本酒は編者にとって甘ったるく、嫌な匂いのする、ただただ辛い二日酔いの原因でしかなかった。どれも同じ味に思えて、それでも辛口だというので「菊正宗」とか「剣菱」とか、薦められるままに試してみたが、編者にはどれも同じ味にすぎなかった。
 それが、今から14,5年前になるか、ふと仕事で出かけた町の小さな酒屋に日本名門酒会の看板があった。今では珍しくはないが温度管理された日本酒の陳列室があって、その中で店の主人と日本酒問答をしながら、4,5本の酒をテイスティングさせてもらった。そのどれもがとても美味かった!
 日本酒にこれほど爽やかな味わいのものがあって、ものによってはさながらフルーティなワインを思わせるものすらあるということを、その時初めて知った。今まで、自分は何を飲んでいたのだろうか、と、まさに開眼の瞬間だ。この時気に入って買って帰った一本が、だから編者のベスト1である。銘柄は覚えていない。爽やかなフルーティーさは吟醸の、生酒だったかもしれない。
 日本名門酒会で知った酒には聞き知ったものはひとつとして無かった。少なくともテレビでコマーシャルを打てるような大手メーカーではなく、小さく細々とした経営ながら良心的で手作りの酒造りをしている蔵と、そうした蔵を大事に育てていこうとする酒販店が加盟した組織である。年に二回ほどの頒布会では、数多のすばらしい酒との出会いを経験したものだ。

【銘酒十選】
 先ほどの編者のベスト1が、どの程度のレベルの酒であったか、今となれば心もとない。初めて吟醸に出会ったと言う感動が酒の味を過大に評価したとも、言えるかもしれない。ことほどさように、ものの良し悪しは主観によって大きく評価が移ろうものだ。ましてや、日本酒は同じ銘柄でさえ年ごとに、樽ごとに、その味が変わっていく。気候や米の出来、杜氏の体調ひとつで日本酒の味は微妙に影響を受ける。同じ銘柄でも造りを変えれば別の酒になる。
 だから、その中で良酒悪酒を選ぶなど不遜きわまりないことだ。ただ、本当に良心的ないい仕事をしている蔵には、もっと評価が集まってもいいと思うし、もっと多くの人に知ってもらいたい。また、酒飲みにはもっと良い酒を飲んでもらいたい。そう思ってあえて選出する。いずれにせよ、編者の主観であり、また、評価の基準も決して永続的な物でないことだけは断っておく。

 天狗舞 山廃純米 石川県
 山廃という特に手の込んだ造りについては先に述べた。しかし、手を掛けてもその全てが銘酒を生み出すとは限らない。山廃が酵母の力を徹底的に引き出し、たくましい酒を生み出した数少ない成功例が、この「天狗舞山廃純米」である。編者にとってこれは二度目の衝撃的出会いとなった。たくましく濃厚な味わいながら、口当たりは軽く、キレがある。今、手に入る酒の中ではこれがベスト1であるが、残念ながらその評価は毎年下せる訳ではない。この天狗舞さえ、飲んで後悔する年が、時折ある。

 神亀 純米 埼玉県
 戦後においては、日本で最初に純米以外の作りを廃止した蔵が神亀酒造で、そうした蔵は私の知る限りまだ全国に数軒しか存在しない。どれほど良心的な蔵でも、主力は醸造用アルコールを添加した普通酒や本醸造酒であり、純米酒だけで蔵の経営を維持していくのは、困難なのだそうだ。この神亀はすっきりした辛口の酒。すべて手作り。心意気を感じる。

 富久錦 純米 兵庫県
 神亀より遅れたが、平成4年から全ての作りを純米に変えた。純米ならなんでもいいとは言えないが、そうした蔵がいい加減な造りをする訳がない。神亀より全般に味がまろやかで、特に吟醸の香りは素晴らしい。

 玉乃光 備前雄町 純米吟醸 京都府
  社長が大酒のみで、長年の痛飲が祟って40にして体調を崩してから、路線を純米に切り替え、そのすべてにおいて吟醸造りを行っている。その時、ここでは純粋日本酒協会を発足させている。爽やかな山田錦も捨てがたいが、備前雄町の力強い味わいも素晴らしい。

 清泉 純米 新潟県
  名作コミック「夏子の酒」のモデルとなった蔵の主力品。名状しがたい爽やかな味わいは評判だけのことがある。この蔵は米造りを日本酒造りの原点として位置付け、幻の酒米とされた「亀の尾」を復活させ、これを使用した「亀の翁」という素晴らしい純米吟醸を生み出した。この酒は、生産量が少なくて手に入れにくく、編者はまだ口にしていない。が、愛好家の間では幻の名酒として広くその名が知られている。

 春鶯囀 純米 山梨県
  以前、日本名門酒会の頒布会で名状しがたい独特な味わいを持つ酒に出会ったことがある。かつて味わったことの無い風味と香りと、繊細な口当たりは、その後二度と経験することが出来ていない。その酒がこの春鶯囀で、思わず酒屋の店主に頼んで追加注文をしたものだ。が、やはりその評判は高く、わずかに一本手に入れるのがやっとだった。日本名門酒会の頒布会に登場する酒は、そのほとんどが、頒布会用に作られたまったくのオジリナルである。蔵も頒布会ということで特に力を入れ、冒険もし、採算さえも度外視することがあるという。案の定、それから幾度となく取り寄せた通常の春鶯囀に、同じ味わいを見出すことが出来なかった。まさに、幻の酒である。

 梅錦 純米大吟醸 愛媛
  利き酒の技能に長けた蔵元と優れた杜氏を次々次に輩出した名門蔵が生み出した傑作。まろやかな口当たりとさわやかな香りはやや甘口ながら、しっかりとして飲み飽きない酒である。

 扇舞 純米 埼玉県
  これは最近出会った酒。コンビニに並んだこぎれいな4号瓶に、別に大した期待もせずに飲んでみたら、驚くことに何の表示も無いくせをしてしっかりとした生もと造りをしていた。同じ並びに、純米をうたいながらしっかりとアルコールを添加した酒があっただけに、これはちょっとした感動だった。この蔵の通常品である「白扇」も、爽やかな口当たりに好感を持てる。

 住吉 純米 山形県
  これは冒頭のエピソード以前に出会った酒で、その中でも述べた通り、辛口のしまった酒を物色していた頃に出会った。日本酒度+8という超辛口の評判に、つい手が出てしまった。今では日本酒度はあまり酒を選定する基準にしていないが、当時はそれを頼るよりなかったのだ。この酒、最近人気の淡麗辛口とはきっちり一線を画する濃醇タイプの急先鋒とも言える酒で、とにかくその濃厚な味わいに、始めは面食らったものだった。が、独特の旨みと力強い味わい、爽やかな樽の香に、すぐ病みつきになってしまったものだ。同じ蔵の主力である「樽平」はやや甘口の酒で、これも捨てがたい。

 瀧鯉 純米 兵庫県
  酒処、灘で一品を選ぶとするなら、この蔵だろう。灘の酒蔵が豊富な宮水と最強の酒造好適米山田錦、そして良港を武器に次々にのし上がり、日本酒を堕落させるという犠牲のもとに大手酒造メーカーに転進していったなか、この蔵は灘の伝統的な酒造りを徹底して守り通した。丁寧な手造りさえすれば、日本酒がどれほどの可能性を秘めた酒であるか、すぐに分かる。退廃した灘五郷にあって唯一残された一条の光といってもいい。が、先の阪神淡路大震災で壊滅的な打撃を受け、廃業したとの噂も聞いた。気がかりである。
 
 編者の味わってきた酒には限りがある。良心的な造りを続ける蔵が少なくなったとは言え、日本酒にはまだまだいい酒がたくさんあるはずだ。だから、これが銘酒のほんの一部でしかないことを、申し沿えておく。このほかにも捨てがたい酒を編者は多分、この5倍は挙げられると思うが、悪酒に至ってはさらにその倍の100は挙げられるだろう。

【悪酒十選】
 悪酒を数えればきりが無いだろう。特に大手の製品には存在すら許しがたいものがある。前回紹介したアルコールを添加してその量を三倍にする三倍増醸酒、吟醸の香りを工業的に添加する付け香、糠に残ったでんぷんを糖化して添加し、原料は米だけと表示する「白糠糖化液」法によるもの、買いあさった様々な桶を混ぜて自社のブランドとして販売するメーカーと、枚挙に暇が無い。が、更なる悪は、アルコールを添加しながら純米酒を名乗ったり、幻の酒の評判の裏で大量生産して品質を落とすなどの詐欺まがいの行為だろう。酒飲みを侮蔑するその姿勢こそが、日本酒の長い低迷を招いたと言える。
 例えば、先の地酒ブームでその名を馳せ、8000円から10000円というプレミアまでつけた著名な地酒が有る。初めてそれを飲んだ時は、期待が大きかっただけに、その落胆も相当なものだったことを覚えている。不味いとは言わない。が、大騒ぎをして、ましてそんなに高値で取引されるだけの味ではなかったし、特別な造りもしていなかった。あきらかに水増しをして増産した人気淡麗酒、純米に明らかに醸造用アルコールが添加されているもの、極めつけは某大手メーカーのの特別本醸造酒だ。木箱に入って金箔入りの特別限定品。頂き物なので贅沢は言えないが、いくらあの「○○」でも、ここまでやればそこそこ飲めるだろうと思い、それでも期待をせずに一口口に含んで、思わず吐き出してしまった。悪い酒を「馬のしょんべん」などと呼ぶひどい表現があるが、まさにそれだ。料理用に廻すのさえ許せず、台所に流してしまったものだ。買えば10,000円近くはするのだろう。「○○」のブランドと「特別本醸造」の呼称、そして木箱に騙されても、本醸造酒に許される許容量を超えたアルコールの量は明白だし、精米歩合70%以下の規制すら守られていなかったと思う。犯罪行為に近い。そういう酒が、まだまだ多いのだ。
 未だに高額で取引される幻の銘酒たちも、当初は本当に美味しかったのだろうと思う。名前の知られない地方の蔵では、量よりも質で勝負するしかなく、実際、細々とした手作りでは、生産できる量もたかだかしれている。が、それが折からの日本酒ブーム、地酒ブームで幻の酒などと騒がれてしまった。プレミアが付いたところで、その利益のほとんどは取引に介在する酒販店が吸収したはずだ。急かされるままに量産すれば、質も落ちるだろう。ラベルだけが取引されて、別の酒が別の場所で瓶詰めされているという、とんでもない噂さえ流れたことがある。
 罪はそうした蔵だけにある訳ではない。ろくな品質管理もせずに酒税の増収ばかりに走った政府。ただ一時のブームだけを煽り、騒ぐだけ騒いで何のアフターケアもしないマスコミ。日本酒の高い文化を見ず、単に商品としての価値だけを優先してきた酒販業界。そして、人の評判やブランド、テレビのCMに振り回され、自分の舌を信じようとしなくなった酒飲みたち。
 すべての罪ではないかと思う。

※この項が書かれて「カオス」で発表した際、勿論悪酒の商品名はすべて明らかにしておりました。しかし、それは書かれた2000年の時点の話でもあり、その後品質を改善したメーカーもあるかもしれない為、ここでは伏せさせてもらっています。また同様に良酒の選定も当時のものです。ご了解下さい。

【日本酒の分類】
 最後に日本酒度について一言。やはり、先の地酒ブームで淡麗辛口がもてはやされた時、辛口の酒を選ぶのに多くがこれを目安にした。比重で糖度を測定し、0を中心に+に数値が大きくなるほど辛口とされ、−になるほど甘口となる。しかし、日本酒の味に大きく影響するのは糖度だけでなく、酸度を無視することは出来ない。酸度が低ければ例え日本酒度が+10であってもかなり甘く感じるし、酸度が2.5くらいになると−10程度の酒度なら辛口に感じるはずだ。この、酒度と酸度の座標を使い、よく「濃醇・淡麗」「辛口・甘口」の組み合わせで日本酒を大きく4種に大別する方法が、一般的になってきた。さらに香りや味わいを分類し、その組み合わせによって日本酒を分ける方法もある。

 何にせよ、くどいようであるけど、最後に頼れるのは自分の舌だけである。醸造酒の宿命で、おまけに食べ合わせひとつで酒の旨みは容易に変化してしまうこともあるし、体調や精神状態が与える影響も無視できない。酒は美味しく飲みたい。憂さ晴らしも良いが、それで酒量が増えて体を壊すのまで酒のせいにされたら、なによりまず日本酒とそれを丹精こめて作る杜氏や蔵元に申し訳ない。
 酒の美味しくなる季節が到来した。これを機に、ぜひ美味しい酒を探していただければ、幸いである。
 
2000.06.26./10.17.