秩父峠の神々2 | ||
実に迂闊なことに、三年前のちょうど今頃、コスモ誌は一度「祭り」というテーマを取り上げている。 三年前といえばわたしが神戸からこの秩父に転居して間もない頃。二十世帯にも満たないこの諏訪平という地域共同体に、年間十近い祭りがあって、それだけでも驚異だというのに、秩父谷全体にすると毎日必ずどこかで催されているとさえ、言われている祭りの数々に圧倒されていた頃だ。 その中でわたしはアニミズムに通じる祭りの原型に共感し、土地神にわたしたち家族が受け入れてもらえるかどうか腐心し、『「祭り」が「生活」と同義になるまで』『私の祭り』を祭りつづけようと考えたものだった。 さて、あれから三年が経過して、いまだにわたしは無節操にあらゆる種類の神々の前に額ずいている。 先に述べた部落内の祇園様は牛頭天王(一説で素盞鳴尊―スサノオノミコト)。在の名の起源となっている諏訪神社は建御名方命(タケミナカタノミコト)。初午のお稲荷さんは宇迦之御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)。お犬替と呼ばれる祭は宝登山神社のお犬神で、祭神は神日本磐余彦尊(カンヤマトイワレヒコノミコト)。また、ぜひ氏子に、と誘われた萩神社の祭神も素盞鳴尊だ。それとは別に山の神もある。 秩父夜祭に出掛ければ、これも秩父神社の祭神は知々夫彦命(チチブヒコノミコト)と八意思兼命(ヤゴコロオモイカネノミコト)であるが、妙見様が共に祭られ、この妙見様と武甲山の蔵王権現との逢い引きの祭と言われてもいる。長瀞の舟玉祭りは川の神であり、吉田の龍勢祭りを行う椋神社は猿田彦尊(サルタヒコノミコト)を祭っているし、近くの国神神社は大物主命(オオモノヌシノミコト)。勿論、札所巡りで有名な秩父は観音信仰も盛んであるし、八幡信仰も多い。皆野の秩父音頭祭りなどというものもある。 仕事ではトンネル現場だけあって、山の神を祭り、年頭の安全祈願祭は秩父神社で執り行う。 神はどこにでも降臨するのだ。 信仰心の篤い人なら、いったいどの神を祭ればいいのかと迷うところであろうけれど、神はどこにでも居るのであって、それらすべての神を祭り、祈りを捧げればいいのだ―。と、わたしはすっかり秩父の人間になっている。 そう、日常そのものが祭りなのだ。 日々、美味い酒を飲む。美味い飯を食う。歌い、騒ぐ―。そこに祭りがある。いや、机に向かって日記をつける。ワープロのキーボードを叩いてコスモの作品を書く。カオスの発行物の折りをする。パソコンに計測データを打ち込む。測量器を担いで現場を歩く。会議をする。生コンの品質管理試験に立ち会う。―気持ちがそのことに集中し、高まり、与えられた力の全てをそのことに傾けている時、そのことが喜ばしく思われる時、わたしはわたしの祭を祭っているのだと思う。 幼い娘が歌い、踊る時、何やら訳の分からぬ言語を発してわたしに駆け寄る時、求めて「桃の天然水」を飲む時、喜々として風呂に向かう時、安らかな寝顔で眠る時―、彼女も彼女の祭を行っている。 そこに神が降臨する。 数多に存在する神々は、人間の妄想の産物なのかもしれない。人間の欲得や迷いや勝手な願いが、それぞれの神を創り出したのかもしれない。しかし、だから祭りは生み出されたのであって、祭りに際しての敬虔な心情は、それはそれで可愛いものだし、貴重なものだ。神が傍らに在るからこそ、人間は大胆にもなれるし、謙虚にもなれる。余りある身勝手は押さえ込み、苦労にも耐え、他人にも優しくなれる。一方で傲慢になったり、排他的になったりもするのだが―。 祭りとは、だから人間の魂の解放の場であるべきだと思っている。人間の自由な精神の飛翔こそが根本命題であると思っている。 われわれが、心を満たしながら、おこない、語り、味わい、楽しむとき、そこに神は降臨するのだ。 |
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1999.1.24. |