屋台にて
 ときどき、勘違いしてるやつに出くわすよな。
 そう、そこのアンタのことだ。おいおい、アンタだっていうの。
 中学校の通知表で「クラスのリーダー格です」なんて書かれて調子に乗ってさ。班長から学級委員長までやらされて、おまけに「たいへん責任感もあります」なんておだてられたら、しまいには生徒会長にまで立候補しちゃったっていうクチの、そう、アンタのことですよ。
 学校出ても仕事で手を抜けずに、しゃかりきになって頑張っちゃって、上司に気に入られるタイプだよね。同僚から陰口叩かれているのに気づきもしないで、頼まれれば嫌とも言えずに残業はするは、休日出勤はするは、少々かったるくても接待のマージャンやゴルフの付き合いもしちゃって、挙げ句に有給休暇をたっぷり残しちまう―。身に覚えがないとは言わせないよ。
 たしかに責任感があるなんていうのは、たいしたことですよ。自分の最低の役割でさえこなせないやつが、この世に五万といるからね。でも、なんていうのかね。責任っていう奴にはいつも「何々に対する」っていうオマケがあるんだよね。だから、会社の仕事に対する責任を、アンタはしっかり果しているんでしょ。税金を納め、子供を学校にやり、選挙には欠かさず行き、たまには地域の活動にも参加するという、社会に対する責任だってちゃんと果しているんだろうね。その上に、家族に対する責任も全うしてるって、さて、アンタは言えるかどうか、だ。
 残業で毎日の帰りは遅い。月のうちの半分以上の休日も返上する。おまけに気になって仕方ないからついつい自宅から仕事の電話を入れちまう。これで、まともに家庭サービスに勤しんでたら、アンタ、その若さでポックリだよ。早死にしても生命保険の死亡保険金の額が大きいからって、それがアンタの家族に対する責任の果たし方だっていうなら、アタシもなんとも言えないけどね。
 だってそうじゃない。仕事に対する責任とか言ってもさ。そのために使える時間はたっぷりある訳ですよ。胸張って使える時間だよね。おまけに給料までくれる。いや、給料を貰ってるから責任を果たす義務があるんだって、そう言うかね。そう、だからそんなことは自慢にはならないと思いなよ。なんの得にもならないところで責任感じちゃう方が、ずっと立派だ。まだ、家族の方がね、けなげじゃないの。だって金銭的な見返りを期待して家庭サービスをやってる訳じゃないだろ、アンタ。ん、そんなのは当たり前だって言うか。まあ、家族を自分の分身みたいに誤解しちゃってるアンタにすれば、そうかもね。それじゃ、地域社会っていうのはどうだ。自治会の役員とか、輪番制の掃除当番とかあるじゃない。防犯活動とか青少年の育成とか―。そうか、アンタは近所の評判を気にしちゃうタイプだったっけね。
 ほらほら、そうやってくと、アンタの責任感なんて案外たいしたもんじゃないって気づくでしょ。なにを優先させればいいかって考えても分からなくなってくる。なにも打算的で自己中心的なのは良くないとは言ってないけど、アンタはそういうこと、気にしちゃうもんね。現にほら、そろそろどれかひとつくらい投げ出したくなってきてるところだろ。
 生意気を言うようだけどね。責任をきっちり果たすということより、もっと偉いのは自分の果たすべき役割を理解できるってことだと、そう思うよね。それは、つまり、いま自分がどこに居るかってことを認識できるかってことなんだよね。会社も、地域社会も、家族もみんな取っ払ったまったく飾りのない自分を、臆せず見つめられるかってことだよね。何々に対するっていうさっきの言い方でいえば、生まれてきちまった自分に対する責任を、果たすってことだろうと、そう思うよ。
 うん。
 でも、そう考えるとね、いまひっかかえてる仕事とか、家族の絆とか、地域の美化とかよりも、いま目の前に出されたそのラーメンを責任持って食べるってことの方が、よっぽど大切に思えてくるから不思議だよな。
 ほれほれ、伸びちゃうじゃないの。責任持ってしっかり食っちまいなって! ―そうそう。責任なんて言葉は、ほんとうはこういうところで使いたいよね。責任持ってラーメンを残さずに食う。責任を持って汚したパンツを洗う。自分の吸った煙草の吸殻はちゃんと捨てる。つけた電気は消す。トイレは流す。
 だって、そんなことさえ出来ないやつって、居るんだから。ホントだよ。
 で、それ以上のことが本当にお前に出来るのかって言いたいのよね。
 許せないのは、簡単なことさえ出来ないやつよりも、自分が与えられた責任をきっちり果たせるって信じてるやつ。これだよね。こいつは許せない。そのくせポカやったら、たちまち反省してるふりして責任を取るとか言いだして、進退伺いなんか出して終わりにするんだ。終わりなんてありゃしないんだ。謝って済むことでも、辞職して済むことでも、まして金で済むことでもない。それは一生、死ぬまで付きまとうんだ。それなりの覚悟するならね。だから、つまるところ自分に対する責任なんだってことだよ。
 ほら、麺を食べ終わったら、シナチクも残さないっ!
 どんなに情けなくてもさ。みっともてくて恥ずかしくて、生きてる価値も意味も感じなくてもさ。それでも死ぬまでそんな自分と付き合っていく。添い遂げるってのが人間としての責任の取り方なんだと思うよね。それ以上の責任なんて、この世のどこにあるかって?
 ほらほら。そうやって酒が入るとすぐに開き直るだろ。
 生まれてきたのは自分の責任じゃない、とか。好きでこういう性格になったんじゃない、とか。
 そうやって責任をよそに押しつけるのも、最低。
 自分がどこに居るか、ちょとも分かってない。えっ。どこに居るかって? ここだよ。ここ。アンタはここに居て、ここ以外のどこにも居やしないんだ。
 よし。ちゃんとスープまで飲んだね。それでいいっ。
 そうやって、ちゃんと生きていこうよ。救いはないけど、とりあえずおいしいラーメンを食べられたんだから。とりあえず、明日もちゃんと生きてけるんだから。
 ふう。
 何も疲れてんのは、アンタだけじゃないのよ。

1995.3.30.-4.12.