収穫祭
 神戸に日中、まとまった雨が降ったのは6月半ば以来だからほぼ3か月ぶりだった。翌日、現場の庭木を見て驚いたことに、槇や椿の新芽がいっせいに吹き出している。今までじっと耐え忍んできた樹木が、この時とばかりに生命の活動を再開したという風だった。緑地帯のアベリアもたちまち真っ白な花を咲かせ、街路樹のイチョウも葉をみずみずしい鮮やかな緑に変えた。自然の営みには人知を越えたものがある− 分かっているはずのことを今さらのように痛感させられた、長くて辛い夏がようやく終わった。
 異常気象のなかで、それでも被害は人間に近いものから順番に広がっていったように思う。畑の作物から始まって人工的に植樹された街路樹や公園の木々がまっさきに枯れだした。次が植林された近郊の山。雑木林などの方が最後まで緑を保っていた。赤茶けた山裾を見るにつけ、人間の都合で生産され育成された生命のもろさと哀れさを思った。
 食物の安定供給にすっかり慣れたぼくたちに、昨年の米の不作といい、今年の異常渇水といい、じつにそれがとても危うい基盤のうえに立ったものであることを教えてくれたような気がする。もともと、農耕は自然の循環サイクルを無視せざるを得ない宿命を負ってきたし、ややもすると、逆にその自然のサイクルを破壊する役回りさえ行ってきた。危うい成立基盤というのがいつも付きまとう必然であるからこそ、農耕に関する科学は大きく発展し、安定生産の為の化学的な肥料、病害虫に対抗するする為の農薬、労力を軽減する為の機械化、経済性を高めるための集約化などが研究され、実施されてきた。
 しかし、それが本当の意味での解決にはならないことを、為政者や学者はともかく、当の農民は薄々感じていただろうと思う。農業生産は不安定なものだ、どうあがいたところで不安定であることから逃れられない、ということを彼らは、連綿とつながった農業耕作者の血によって強く意識しているからだ。
 だから、春の豊作を祈る祭も、秋の豊穣を祝う祭も、いまだに意味を失わずに存続しているのだと思う。形骸化、習慣化し、ところによっては観光化したそれらの祭も、特に今年のように人間が自然に屈した年には、強く本来の意味を思い出させられたことだろう。
 農耕者はそのように、耕作作業を通して「神」なるものと対峙する。
 耕作物が生産するものではなく、あくまで与えられるものだという意識は、現に土に触れている者にしか分からないことなのかもしれない。同じように農業に関わる者でありながらも、農政の官僚や研究者、農協など流通のみに関する者たちには実感できないことだろう。たとえトラクターやコンバインに乗っていても、背中にタンクを背負って農薬を散布していても、それでも現場の彼らはゴム長を通して触れる土の向こうに、別の存在を意識する。
 それらの「神」はじつに気まぐれだ。気分次第で作物を与えたり、奪ったりする。どれだけ善行を重ねても収穫の少ないときは少ないし、悪さをしても取れる時には取れる―すくなくともそれは倫理を押しつける者ではないらしい。ただ、精魂込めて農耕に励めば褒めてはくれるらしい。舞って騒いで歌うような、賑やかなことが好きならしい。それでいて、突然に機嫌を損じて理不尽を行ったりすることも好きらしい。
 得体の知れないものだからこそ、農民たちは畏れおののいて、やみくもにそれらを祭り上げる。それらが喜びそうなことは全てやってのける。自分たちにとって喜ばしいことはそれらにとってもそうであろうと推測して、自分たちにとっての享楽を儀礼化させてしまう。そのようにして、それら―「神々」が欲すると考えられるものの全てを供物として捧げようとする。
 それでいて、じつは彼ら、うすうす感じてはいるのだ。
 自分たちが捧げる供物など、或いは舞や音楽など、「神」は捧げられる以前に自ら摂取することができるだろうということを。本来は捧げるという行為じたいに意義があるのだろうけれど、例えば何年も不作が続いたり、自然の猛威があまりにも大きかったりするときには、やはりそれだけでは不足なのだろうと考えてしまう。
 農村の例ではないけれど、マタギが狩りのために山に入る際、山の神への供物としてオコゼを持参したという。何故オコゼなのか、定説はないらしいが、やはり山の神にはおよそ縁のない、つまりわざわざ海まで出掛けて、その深海から捕らえなければならないような珍しい物であるからこそ、供物としての意味があったのではないかと推測できる。また、里神楽などに代表される神に奉納される舞や踊りについても、一面で芸能としての宿命と言いながら、年ごとに技巧が凝らされ専門の技術者が生まれるなど、エスカレートする神の要求に答える形で発展を遂げたといえるだろう。
 そして、神々に対する最大級の供物は、人身供儀―生贄だろうか。
 人間が人間としてなしえる最上の奉仕は、やはり我が身―或いは親しい存在を神に捧げることだろう。神話時代に逆上っても、須佐之男が救い出した櫛名田比売はヤマタノオロチに供された生贄だった。一般にヤマタノオロチは氾濫する川の比喩として説明されることが多いが、だとすればこれも自然の驚異を鎮めようとする人間の、究極の対抗策だと言える。また、後の時代、ヤマトタケルは浦賀付近の海を渡る際、海神の怒りを買って暴風雨に逢い、危うく一命を落としそうになったのだが、妻である弟橘比売が進んで海中に身を投じてこの危難を救ったとも言われる。特に須佐之男とヤマタノオロチの神話はギリシア神話におけるプロメテウスとアンドロメダの神話に対応し、こうした形態の物語は中国の浙江省や福建省、インドシナのミュオン族、フィリピンのモロ族、モンゴル、カンボジア、ボルネオなどにも広く分布する。これは農耕民族の豊穣儀礼として人身御供の習慣があったことを反映しているらしい。
 先に、農耕に関する科学の発展が本質的に農作物の安定供給を確立したとは言えないとしたけれど、それでも農耕の黎明期と比べると今は格段に生産の安定性が増したことは確かだ。季節の変化に関係なく生産していくシステムも、ますますレベルを高めているし、安い農作物の輸入体制もしっかりと確立し、米以外のほとんどの農作物が輸入によってまかなえるほどにもなった。残る米さえも、昨年の不作に対応してたちまち海外米が流入し、タイ米などをダブつかせたように結局は何とでもなってしまって、あの時の米騒動と言われる大騒ぎをいまでは笑い話に変えてしまっている。
 おまけに専業農家も減ってしまった。もう今さら人身御供も本質的な意味の収穫感謝祭もなかろうと、そう思ってしまうのは、しかし早計だ。
 農耕における神の姿が変質している。それは時に、農家にとって絶対的な権威である「農政」という姿に変わり、また時にさらにカリスマ的な存在である「農協」という姿をとり、ついには農民が篤く信奉する「農薬」であったりする。
 合理的、集約的な農耕を行うために小農は犠牲となって統合されていく。国家規模のプロジェクト―例えば大潟村の干拓事業なども盛り上げるだけ盛り上げておいて、突然に助成を停止する。豊作であればあったで農産物価格の暴落を回避するため、作物は生産されたはしから破棄されていく。害虫駆除の農薬散布が獣を殺し、作業者の生命さえ削っていく。―これらが今でも行われている「生贄」に他ならない。
 本当の農耕の神が―それが存在するなら―それらを良しとして豊かな恵みを与えてくれるのだろうか。大地の恵みに対する敬虔な祈りと感謝の気持ちは、もっと人の心の奥底に存在して純粋なものだろうと考える。だとすれば、神に捧げる供物はやはり人そのものでなければならないだろう。土に向かう人間の、根本的で直接的な願いと感謝を取り戻さないかぎり、もう二度と、神はその姿を顕してはくれないように感じる。
 農協が全国的に導入を進めてきたコンピューターのオンラインが、いつか新たな農業の神となって、その神前に供物を供さなければならないといったような状況が現出する、その前に。
1994.9.21,30.