アヒンサーとアングリマーラ
 1922年2月、反英闘争が激化するインドのウッタル・プラディッシュにおいて、民衆による警察官虐殺事件が勃発した。インド独立に向けて当時サッティアグラハ(真理把持)運動を展開していたガンジーは、即座にこの運動を中止し、5日間の断食に入った。一般に非協力・不服従運動、或いは無抵抗運動と呼ばれるガンジーの闘争の基本理念は、非暴力、不殺生にある。相手を傷つけることのない戦いは、むしろ自己抑制を武器とし、祈りや断食の中で行われた。イギリスによる逆輸入製品を拒絶して自ら糸を紡ぎ、重い塩税を拒否して自ら塩を製造するといったような、積極的な意思表示はしても、加えられる暴力や迫害にはあえて甘んじ、むしろ抵抗しないことで相手の良心を喚起するといった運動だった。それは相手の中に仏性を見いだし、これを礼拝するすることでその仏性を呼び起こすという、法華経の但行礼拝をその基盤に据えていたとも言われている。だから、この戒めが破られ、例え運動の高まりが生んだ必然であったにせよ、殺生が行われたことを彼は遺憾とし、「ヒマラヤほどの誤算」を自らの責と認めて断食に入り、運動の指導者や協力者、大衆の不興を買いながらも、あえて運動の停止を宣言した。
 このガンジーの基本姿勢でもある非暴力、不殺生は、もとより釈迦も在家信者に定めた五戒、出家者に定めた十戒の中に課しているし、ジャイナ教やビシュヌの信者の間にも伝えられているインドの伝統的な戒律のひとつである。
 この不殺生をヒンドゥー語で<アヒンサー>と呼ぶ。釈迦の弟子のうちの一人の名から、それは取られた。

 アヒンサーはクシャトリア(貴族階級)の生まれで、誠実で勉強熱心な青年だった。一人のバラモン(僧侶階級)を師事し、よく勉学を修め、将来を嘱望されていた。ところが、そのバラモンの若い妻が彼に懸想をした。彼はこの誘惑を退け、彼女を拒絶するのだが、これにプライドを傷つけられたバラモンの妻は亭主に対し、逆にアヒンサーが彼女を誘惑したかのように訴える。怒り狂ったバラモンは彼に呪いを掛け、千人の人間を殺してその小指を切り落とし、その指で作った首飾りを掛ければ学問が成就すると思い込ませる。アヒンサーは殺人鬼と化し、以後アングリマーラ(指鬘―指の首飾り)と呼ばれて恐れられるようになった。
 九百九十九本の指が集まり、あと一人という時、ひとりの老女が彼の前に通りかかった。それは生命を掛けて彼を制止しようとする、彼の母親だった。が、呪いを掛けられたアヒンサーには母親よりも、学問の成就こそが大切に思われる。何の迷いもなく彼は剣を振り上げた。その時、彼の眼前に立ちはだかった一人の沙門がいた。アヒンサーには剣が振り下ろせない。訝った彼は母親を置いて、その沙門の後を追う。が、どれほど力の限り走ってもその沙門には追いつけない。
 やがて疲れ果てたアヒンサーはたまらず、「止まれ!」と叫ぶ。
「わたしは始めからここに立っている」
 沙門は息を切らすこともなく、最初の場所に佇んでいた。
「あなたこそ、何故そんなにひた走るのか。あなたこそ、止まるがいい」
 アヒンサーは震えながらも沙門を罵った。
「俺が何をひた走っているというのか。お前が逃げるから追っただけだ。お前を殺して指をもらう。それで俺の学業は成るのだ」
「わたしは逃げてなどいない。あなたがひとり、あなたの内の善なるものから逃れようとしているだけなのだ。わたしはだから、あなたにこそ止まれと命じる。あなたはいったん死なねばならない。死んで善なる本来のあなたに生まれ変わらねばならない。その手助けをしに、わたしはあなたを訪れたのだ」
 この時、瞬時にしてバラモンの呪いは解け、アングリマーラはもとの誠実な若者のアヒンサーに戻っていた。彼は沙門の前にうずくまった。
「ああ、しかしわたしが行った悪業の消えることはありません。すでにわたしはあなたの教えの不殺生を破った者です。わたしにはあなたに教えを受ける資格などなく、地獄に落ちるよりないのです」
「あなたとわたしたち自身を戒めるため、不殺生の教えを、以後アヒンサーと呼ぶことにしましょう。古いあなたは死に、いまここに有るのは新しい生命です。新しく生まれたあなたは、他の誰よりも不殺生の戒めを守ることに長けた者となるでしょう。これまでの罪を贖う、あらゆる努力をする覚悟があるのなら、わたしに付いてきなさい」
 こうして、アヒンサーはその沙門、すなわち釈迦の弟子となった。彼の修行は激烈をきわめた。托鉢に出れば、人々は彼を激しく罵りながら泥や石を投げつける。彼の差しだした鉢には獣の糞が盛られる。彼はそうした人々に向かって合掌し続けた。毎日、傷だらけ、血まみれになって托鉢から戻る彼を、釈迦はただ黙って見守っていた。
 そして、いつしか彼は、彼を捕らえようとして僧園を訪れたパセーナディ王を、ひざまずかせる程の気高い修行僧にまで成長する。

「アングリマーラの帰依」に関する逸話は、以上のとおりで、余り多くを語っている訳ではない。ガンジーから順に辿ってこの物語に出会ったとき、わたしが始めに当惑したのは、例え王の信任の厚い釈迦の保護を受けたとはいえ、千人近い人間の生命を奪った犯罪者が、そう易々と許されるものか、ということだった。確かに現代でさえインドでは人の死は日常茶飯事だ。現にわたしが過ごした半年の間に、わたしのごくごく周辺だけでも数十人の人間が死に、或いは殺された。しかし、殺した人間への報いもまた大きい。いくら死が日常であっても、殺人者にまで寛大な訳ではない。古代インドのことに現代の事例を当てて考えるのは妥当ではないだろうが、しかし、またこのことも言える。インドの人々の僧侶に対する敬虔な態度は、それは想像を絶するほどのものだ。在家のわたしに対してさえ、行脚の最中に人々は家から飛び出して手を合わせ、わたしの足元にひざまずいて足に唇を当てる者さえいた。彼らは誰しも救われたいと願っている。そして、僧が彼らを救いへと導いてくれるのだと信じている。だから、アヒンサーが釈迦の教団に属するということは、社会的に彼が免責を得たということであり、にも関わらず激しい糾弾を受けたということは、やはり彼に対する人々の怒りが、それだけ大きかったということになるかもしれない。
 わたしはアングリマーラの身に起こった「救い」よりも、彼によって殺され、指を奪われた九百九十九人の人々とその遺族にとっての「救い」を考えている。逆に、彼が捕らえられて処刑されていれば、九百九十九人とその家族は救われたのだろうか、と考える。
 死刑論争が激しく行われている現代の日本で、その時に問題とされるのは、残された遺族の心情だ。愛する家族を殺されながら、殺人者がのうのうと生き延びるのは忍びない、許せない―といったような感情論だ。そして、犯罪を行おうとする者が、死刑を恐れることでその犯罪を未然に防ぎ得るという抑止効果論もある。が、このことは死者の救済ということ、死に対する考え方など宗教的な価値観の違いで、いとも容易に認識が異なってくる。
 古代インドにおいて決して一般化されていた訳ではないが、霊魂輪廻の思想は根強く民間にも浸透していたらしい。人間の死は、果てし無く輪廻を繰り返す魂の一現象に過ぎず、インドにおける最古の宗教文献であるヴェーダの内のブラーフマナ(天啓文学)やウパニシャッド(奥義書)によれば、その変遷を決定づけるものはカルマ(業―過去におけるその人間の行い)であるとされる。だから、古代インド人にとって恐怖の対象は「死」ではなく、その後の審判であり、その結果落とされるかもしれない地獄であり、その後に生まれ変わって生きるべき次の生の有り様なのだ。
 行いが全てを決定するとすれば、アヒンサーは捕らえられ、人間によって裁かれる以前に、悪業の報いを受ける定めにあることになる。彼に救済の道は無い。無い筈の救いの手を差し延べたのが、釈迦だった。それはカルマからの解放を意味する。人間の信仰の目的は、現世の利益でも天国における享楽でもなく、それらに対する執着を離れて、無に等しい存在でありながら宇宙に等しい価値を持つ存在へと転換する(解脱)ことだと釈迦は説く。その新しい信仰の形態の中に彼を導いたのだ。釈迦はそして、アヒンサーに九百九十九の魂とその家族の救済を行わせた、と好意的に解釈することも出来るかもしれない。彼がこの時生み出した仏教という宗教が、後に分裂、発展をしながら諸国に伝わり、極東の島国でさらに展開した際、「死者の供養」と呼ばれ「成仏させる」と呼ばれることがそれだろう。
 しかし、実際のところ、死者に救済は必要ない。そして死は悲しむに当たらない。真に救済が必要で悲しむべきは、むしろのっぴきならないこの世に取り残されてしまった生者の方だろう。
 本当の事をいえば、釈迦は人々の救済を約束した訳ではない。また自分を求道者とは表現しても救済者とは位置づけていない。彼は自ら「全き者」となる方途を求め、その方法論を見いだし、人々と共にそのことを実践しようとしただけだ。彼は道を示すが救済はしない。救済は各自が自らの力で行うものだとする。これは微妙なところだ。結果的に道を示すことが救済につながるには違いない。だから、人々は釈迦に救済を求めて集ってくる。しかし、釈迦の考える救済の根本には、各自の自助努力が必要だった。彼がその方法論を説く「解脱」は救済そのものではない。自らを救う力を得るということが「解脱」なのだ。
 だから、釈迦が対象とするのは生者であって死者ではない。最初のわたしの疑問に立ち戻れば、九百九十九人の死者よりも、たった一人のアヒンサーこそが彼には大切だったのではないだろうか。九百九十九人の救いなど、どうでも良かったのだ。そして九百九十九人の死者の遺族が救いを求めて彼を訪れたなら、釈迦は彼らの死者に対する執着を取り除こうと努めることだろう。この際最終的に働くのは彼ら自身の質的転換だ。彼ら自身がそれを行って、そのことで彼らは救いを得る。釈迦はそのヒントを与えるだけだ。これが彼の考える救済ということになるだろう。

「ほとんどの宗教は天啓として述べられている。しかしブッダの宗教は天啓ではない。啓示的宗教とは、創造主の被造物に対するメッセージであるが故にそう呼ばれる。(中略)それを人びとに啓示する予言者と呼ばれる特別に選ばれた人物を通して送られる。予言者の義務は信仰者の救済を約束することである。(中略)ブッダは自分が予言者だとも神のメッセンジャーだとも決していっていない。彼はそう呼ばれることを断固拒否した。そして更に大事な点は、彼の宗教が発見であるということである。天啓といわれる宗教とははっきり区別されるべきである。」(『ブッダとそのダンマ』B.R.アンベードカル著より引用)
 今回、釈迦に関する学習をしていて、彼が宗教者というより哲学者としての風貌を強く持つ存在であると特に感じ続けた。宗教はともかく、哲学の目的は「救済」ではない。
 冒頭に記したガンジーもまた、同様の印象を人々に与える。ガンディズムはすでにひとつの宗教だとさえ言われながら、彼は宗教家であることは勿論、政治家とか運動家とか呼ばれることを断固拒否する、確固たる哲学者だった。戦う哲学者だった。彼はハリジャン(不可触民)の解放は語っても、それを救済とは呼ばなかった。彼がその弟子たちに示した戒律ひとつを取っても、それは釈迦の印象とよく似通っている。彼がその闘争につけた名を思い出していただきたい。サッティアグラハ―真理把持。釈迦もガンジーも真理を求め、保持することを第一とした。その結果、釈迦は宗教を生み、ガンジーは思想とそれに基づく闘争とを生み出した。
 そして、その真理のあとに救済は訪れる。
                           
1994.4.26-29.