善哉、善哉
 1981年の7月10日から三日間、わたしはインド、ラジギールの日本寺で断食行に入った。
 5月の21日から世話になっていた寺にも、二ヵ月目で暇を乞う約束をしていて、これが最後のチャンスとも思えたし、手伝っていた新寺院のコンクリート工事も一段落した。何より、インドに来た始めの一ヵ月間はげっそりと痩せ細っていたわたしが、この頃には逆に日本に居た時分よりも太ってしまっている。自分の食い意地にはほとほと嫌気がさしていた。
 寺における断食行の意味を、改めて教えられた覚えはなかった。仏に対する供養と言われても釈然としないものがある。事前の説法よりも実際に体験すれば自然に自分で学ぶだろうと、寺の上人さん方もその方法以外についてはあえて語られなかった。自ら志願しておきながら、やり方の説明を受けて、さすがに後悔した。
 三日三晩、文字通り飲まず食わずで過ごす。水を口に含むことさえ、許されない。口に入れなければ、沐浴は何度行ってもよい。そして、朝のお勤めから夕方のお勤めまで、つまり午前6時から午後7時まで、ひたすら読経と題目行を繰り返す。―外気は摂氏40度をゆうに越えていたし、乾期のただなかに水の補給を絶つということがどういうことか、容易に想像できた。そして、読書でもして過ごそうと考えていたわたしの当ては見事にはずれた。
 初日は気の張りが有ったせいか、空腹は感じたが大して苦にはならなかったように記憶している。空腹感は、不思議なもので食事の時間帯になると襲ってくる。習慣というより条件反射と言う方が的を得ているだろう。自分をパブロフの犬になぞらえて自己嫌悪に陥る。そして、その時間帯が過ぎると楽になるのだから妙だ。
 むしろ、辛いのは眠気だった。昼を過ぎてから、無性に眠くなった。それはつまり、エネルギーの補給が絶えているために身体が自然に、体力の消耗を避けようとしているという事だ。何と言う原始的な存在なのだろう! そこでは意志も、思想も、理想も夢も、有ったもんじゃない。ただ、エネルギーを補給して動き、補給が止まれば運動を停止するという、恐ろしく単純で機械的な人間の肉体の構造があるばかりだ。所詮、自分とはこうした存在なのだと思い知らされることが初日の意味だった。
 二日目、空腹感はさらに増す。よりによって、こんな時に限り来客が多く、自然三度の食事にも御馳走が並ぶ。それを横目にお堂に一人向かう。太鼓を叩き、題目を唱えながら、考えていたのはほとんどが食べ物のことだった。行が明けたらあれを食べよう、これも食べたい、菜食主義の寺ではしばらく食べていなかった肉や魚も頭に浮かんだし、マンゴーやカジャという甘い菓子も散らついた。わたしは煩悩の固まりになった。
 参拝者に水とプラサードという砂糖菓子を施すのも、お堂に一人残るわたしの仕事だった。二日目の午前中は、特にガキの参拝が多かった。こちらの神経を逆撫でるようにがんがんと団扇太鼓を叩きまくり、我がちにプラサードをせがんでくる。「俺は飯を食ってないんだ」と、日本語で言ったところで彼らに伝わる訳がない。苛立ってばかりでは、修行として余り意味がないとも思う。いっそやめてしまおうかとも思うが、さすがに意地がある。せめて、今日一日くらいは続けようとガキ相手に引きつった笑みを浮かべたりする。
 二日目午後の眠気ときたら、これは最大級のものだった。読経し、題目を唱えながらわたしは何度も眠った。そして、自分の発する声に目を覚まされた。横になって眠れるなら、もうそのまま死んでしまってもいいとさえ思った。参拝者は途絶えたし、上人方はみな出払っていた。小一時間お堂の隅で横になっても誰も気がつくまい。だいたい、途中で休んではいけないなんて、誰も言わなかった。自分が勝手に思い込んでいるだけなんだ。まして、自分は僧でも修行者でもない。ただの旅行者じゃないか。巡礼というほどのものでもないんだから―。
 わたしは幾度もそのようにしてわたし自身を誘惑した。それでいて、判っているのだ。ここにはかつてマガダ国王ビンビサーラの庇護を受けた釈迦が、その教団の礎を築き、法華経の教えを述べた土地であることを。
 その如来寿量品の偈に曰く、
「一心欲見仏 不自惜身命 時我及衆僧 倶出霊鷲山―己が身体や命を惜しむことなく一心に仏と見まえることを欲するなら、その時、私と衆僧とは霊鷲山に現れよう」
 苦行の意味は、単に自分の身体を痛めつけることにある訳ではない。そのことを苦とも思わぬほどに仏に近づきたいという意思表示であり、誠意の表現なのだ。或いは、それは自己に対する執着を捨て、欲を絶つということなのだろう。なぜなら、その先に真の幸福が存在すると、釈迦は説いていたのだから。欲望の快楽のみに走ることなく、かといって自らを苦しめることに夢中になるのでもなく、その両極を捨て「中道」を歩めと釈迦は説いた。ならば、苦しみだけの苦行には何の意味もない。しかし、人間の本質的な苦(生、老、病、死)を知り(苦諦)、その根本の原因を「渇愛(激しい執着)」であると理解し (集諦)、この渇愛とあらゆる煩悩を滅し尽くした後(滅諦)、初めて真理に到る(道諦)という釈迦の「四諦」の教えによれば、この断食行は、ようやく自分の執着の正体を見極める段階の緒端に過ぎない。
 わたしは欲深い人間だ。食べ物に執着し、それでいながら断食行を貫徹することに執着している。肉体の弱さに流される心の弱さを持っている。弱さを言い繕うために、しきりと自己弁護を繰り返している。
 その午後、疲れ果てて私はその場で横になり、わずかに眠った。浅く、短い眠りだったが、至福の眠りだった。
 釈迦も、ブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開く以前、七日七晩に渡って悪魔(マーラ)の激しい誘惑を受けた。彼はこれを退けて(降魔)その後に成道に到るのだが、その悪魔とは、自分自身の弱い心の姿だと感じる。人の心には仏と悪魔とが同居している。敬い礼拝すれば仏が姿を現すし、蔑み侮れば人は悪魔ともなる。わたしはこの寺で一人の日本人の青年と出会った。彼は麻薬中毒者で破滅的な生き方をしながらも、「ブッダ」の存在を記憶しているこの土地を心から愛していた。わたしは彼を大事に思ったが、寺の上人方も、また土地の人々も彼を排斥した。人々が彼を蔑んだから、ついに彼は狂ってしまった。それでもわたしは、彼が釈迦について語るときの、暖かな笑顔を忘れることが出来ない。
 断食の三日目。昼までの間、ずっと苦痛が続いた。何度か沐浴をする。水を浴びると身体の表面が水を吸い込んでいくのが判った。まるでゴクゴクと音をたてて、身体全体が水を貪っていた。わたしは何度もわたし自身の誘惑に負けた。この日も、昼に小一時間ほどの昼寝をした。身体の自然の摂理に反する苦行に、わたしは意味を感じられなくなっていた。ただ、それを是認出来たのは、そのことが仏の意志に反しているとは思えなかったからだ。欲望に身を任せた後味の悪さはなかった。短い眠りはわたしを豊かな心持ちにさせた。その至福の感覚は、それが仏の教えに反したものとはどうしても思えなかった。
 その午後、わたしの身体が変わった。身体全体に力は入らなかったが、妙に軽く感じられた。何キロでも走ることが出来るような気がした。空さえ飛べるような感覚だった。なにより、わたしは全身であらゆる生命の存在を感じられた。お堂を吹き抜ける風の中に、窓越しに見える木々に、参拝客ひとりひとりの中に、そして地上のありとあらゆる場所に、あまねく生命を感じ、それを心から愛しく思えた。それらの中で自分が認められ受け入れられていることを感じた。夕方のお勤めは、A上人の母親の祥月命日ということで、読経がいつもに増して長く続いたが、それさえ苦にならなかった。断食をこのままあと幾日続けてもいいとさえ思った。
 身体が空になると同時に、わたしの心もすっかり虚ろだった。虚ろな心は何物でも素直に受け入れることが出来るのかもしれない。
 断食明けの翌朝、レモン水を何杯も飲まされる。最後の排便でどす黒い水が排泄された後は、あとはこのレモン水だけが流れ出た。あの黒い水は身体に残った最後の汚れであり、同時に心の汚れでもあったように思える。綺麗に洗い流された身体には、あらゆるものを享受する広い宇宙が宿っているようだった。
 周囲の人々がわたしの身体を気づかってくれ、生野菜やバナナやレモンを届けてくれた。特に、やはり断食明けの釈迦にスジャータという娘が供養したというミルク粥は温かくおいしかった。なにもかもがありがたく、そう思うほどに誘惑に負けて読経を中断して眠ってしまった自分が恥ずかしくてならなかった。
 が、誘惑する自分、誘惑される自分、恥ずかしいと思う自分、そうした自分そのものが空虚な存在なのだ。意識するほどの何物も、はなからそこには存在していなかった。わたしが最後まで誘惑に抗って強い意志を持続させ、断食行を貫徹していたとしたら、わたしは傲慢な気持ちを抱いていたかもしれない。どんなに褒められ評価されても、こんな恥ずかしい気持ちは、たぶん抱かなかったと思う。弱くてもろい、誘惑にすんなりと乗ってしまうこんな自分でも、周囲の人々や、風や木々や、インドの大地の生命を感じられ、それらに包まれていられるという思いこそ、その断食行によって得られた唯一の収穫だった。それは修行でも、まして仏に対する供養でさえない。
 それでいて、四諦の教えにあるとおり、人間の苦しみの原因が自己に対する執着にあり、その執着を絶つところに理想郷が存在するとすれば、断食行の貫徹という執着を絶って眠ってしまったわたしの至福の感は、あながち的外れなものではなかったはずだ。とすれば、わたしの眠りこそが、実は仏に対する供養であったかもしれない。思い上がりも甚だしい。確かにそう思う。我田引水もいいところだ。
 それでも、地上にあまねく仏は偏在して、あらゆる生命に仏性が宿っているのだとしたら、断食行のはてに、わたしが地上のあらゆるものに感じた愛しさは、わたしの中の何かがそれらに感応したのだと信じられる。
「善哉、善哉(よきかな、よきかな)」
 そう仏は声を放ってくれるだろうか。
 今再び、この世の行に疲れて眠り続けている、今のこのわたしにも。

                          
 1994.3.24-28.