森に還る
 いつでも、僕は森に帰りたいと思っている。
 本当は、人間が―その人間の一員である僕が―森に還るというのはおかしな発想かもしれない。おそらく、森の生態系みたいなものから飛び出したところが、人間の歴史の始まりであったろうと思うからだ。森という、生命の関係性がとても凝縮した社会のなかでは、とても人間は生きていけない。森には人間の入り込む余地などまるでないのだ。―そんな風に、僕は思っている。
 人間という生き物は、いつも自分たちが生きやすい環境を創造しようとするし、そのことを称して「文化」としたりする。森はけっして人間の生きやすい環境ではないのだ。湿度は高いし、人間の体液や血液を捕食しようとする生き物も多く居る。人間は雨や風を防ごうと、或いは動物や昆虫の進入を遮ろうと人工的な住空間を建設したがるけれど、森はそんなことを望んではいない。人間が入り込めば、森は滅びてしまう。いや、現に人間はそうやって多くの森を地上から消滅させてきた。悲しくて残念なことだけれど、それは事実だ。
 けれど、人間は森が好きだ。森の外で暮らしながらも森との友好的な関係性を保っている民族もある。(ルーマニアの一部の民族は今なおそうした伝統を守りつづけている) 森に畏敬の念を抱き、信仰の対象にしている人々もいる。森との係わり合いをもっと濃厚なものにする為、その中に分け入って森の人となり、もはや人間であることの本質さえ断念した人々もいる。
 例えば、イギリス、ノッティンガムのロビンフッド伝説は森の側の人々が、森の外からそれを開墾しようとする人々に反抗する物語と言えなくもない。
 人間は森を拓いて文明を発生させた。古代文明の発祥地はすべて森林の消え去った砂漠と化してしまっている。都市を建設するために多大の木材を切り出し、保水能力を失ってしまった森の表土は雨に流される。流れ出した肥沃な土壌は農耕の為に活用され、もはやそこに新たな森林は誕生しない。森を失った土地は気候すら変質させ、砂漠化が進む。そして人間はその土地を捨て、新たな森林を求めて、例えばヨーロッパに進出する。
 ロビンフッドの物語はそんな時代に生まれた。深い森は闇の領域だった。そこには(キリスト教を文化の中心に据えた人々にとって)異教的な精霊が棲み、恐ろしい獣が潜み、そしてある意味で新しい文明に阻害されたアウトローたちが逃げ込んでいた。ロビンフッドはそんなアウトローたちのリーダーとして伝説化された。しかし、多くヨーロッパの文明は光を尊重し、闇を払拭しようと働いた。ロビンフッド伝説は、数少ない例外のひとつとなる。また、同じキリスト教の中でも、純粋に光を追い求めるプロテスタントに対して、カトリックは光を求めながらも地上に根源的に存在する闇を尊重し、そこに根づいたアニミズムの宗教観を教義に組み入れていく。修道院は深い森の中の一点の光として存在し、周囲の闇との調和の中に人間の救済を求めた。しかしこれも、16世紀の宗教改革を経ることによって例外的な存在となってしまう。
 人間は森が好きだ。しかし森を拓くことで生きるよりない存在だ。
 そして忘れてならないのは、人間が森の存在無しでは生きていけない生き物であるということだ。
 ひとつには勿論、精神的な側面もあって、これほど森林を切り開いておきながら今なお、それは人間の魂に強い影響力を持つものだ。森に神の存在を感じる。森に安らぎを感じる―。それは人間が人間となる以前、森の構成員であったころの記憶によるものであるかも知れない。
 そしてそれ以上に、森は人間の種としての生存に大きく係わっている。
 森は人間の生存に欠かせないオゾンを生み出す。そして地上の急激な温度の上昇を抑える働きを持つ。都市の中にこんもりと残された森に入れば、そのことをよく実感できる。大阪の市街地の中に有る例えば仁徳天皇陵などで気温を測定すると、周囲より平均5度は低いというし、真夏の八重山でかつて僕が訪れた御嶽(うたき)なども周囲の暑さからは想像できないほどの涼しさだった。
 地球はその誕生からほぼ一定した気温を保ってきたらしい。地球のその温度調整の役割を、森林―特に熱帯雨林が担ってきた。太陽の激しい熱や光をその葉で吸収し、反射して拡散させ、大量の水分を蒸発させることで地表の気化熱を奪い、さらに蒸発させた水分を雲に変えて熱と光とを遮り、他の太陽系惑星に無い、生命を生息させる環境を維持してきた。その熱帯雨林が急速に姿を消しつつある。これはエコロジストが言うような「地球環境の危機」ではない。純粋に「人類の危機」なのだ。
 森が無くては生存できないくせに、その森を消滅させる形で生きるよりない、とんでもない自己矛盾に満ちた人間という生き物は、だから滅びるよりないのだと思ってしまう。人間さえいなければ、少なくとも人間以外の多くの生命は種を存続できるのだから。
 それでも、僕は森に還りたいと思う。
 生き延びたいというのでもないし、人類が生き残る方途を見出そうというのでもない。矛盾した存在の人間のまま、それでも森に分け入ってその森と調和したものとなりたい。それは森と共に人間たちに滅ぼされたあのロビンフッドの仲間に加わることかも知れない。宗教改革によって淘汰されていった修道士となることかも知れない。森に棲んだ古い精霊たちの一部となることなのかも知れない。
 森は快く受け入れてはくれないかも知れないし、それは人間でなくなることを意味するのかも知れない。また、その最低条件として人類の滅亡が要求されるのかも知れない。
 それでも、僕は森に還りたいと思う。
 森と人間との関係を、もう一度、最初から作りなおしてみたいと思う。
 森の中にひっそりと住ませてもらい、森の一部分になりたいと思う。
 人間を、そういうことの出来る新たな―そして別の、生き物に生まれ変わらせたいと、思う。

                            
 1993.8.26.