柵の内外(うちそと) | ||
今にして思えば、十二年にも渡る(何と長すぎる期間だろう!)学校生活は、人間や社会に対する幻想をとことん与え続けてくれたような気がする。 人間が、常に共同して行動出来るものだとする幻想。人間の幸福が、金や地位や名誉だけではないとする幻想。差別はいけないことだし、正しい人間は決してそんなことをしないものだとする幻想。真面目にやってさえすれば、必ず報われるとする幻想− 。 しかし、現に、学校という空間の中ではそうした幻想が現実的なものとして存在していた。学校とはそういう特殊な空間であったのだ。社会とは全く別の価値観が支配する特別な空間。聖域といってもよい。ただし、その価値観から少しでも速く脱却出来た者が社会で大成出来るという、おまけのついた聖域ではあるが。 教師はその中にあって「神様」であるべきだ、というのが私の持論だ。 「教師も人間である」などという言い逃れは断じてなされるべきではない。生徒に対して奇跡的ともいえる道徳観を押しつける以上、押しつける教師は彼らにとって神でなければならない。少なくとも、聖人でなければならない。そういった種類の教育を、我々は悲しいことに施されてきてしまった。 社会が、つまりは特定の為政者が、その必要に応じて都合の良い教育制度を作ったのだとする論がある。真面目で勤勉で諦めることと騙されることの上手な選挙民− これを養成する為の機関が学校であるという。極論ではあるが、「君が代」、日の丸の復活を盛り込んだ要領が出されるに及んでは、あながち無視も出来ない。 かつて我が母校の、比較的生徒の自治に理解のあった校長は、「ここは柵に囲まれた学園という名の園である」と主張した。だから柵の外の価値に振り回される必要はないのだと。とすれば、その柵の中の価値が、柵の外の価値を凌駕することは不可能だろうか。ふた昔も前、そのようにして学園紛争なるものが行われ、やがてそれも駆逐され、残った学生たちの中の闘争心も受験戦争なるものに振り向けられてしまった。これは為政者たちの究極の戦略だ。 今や、柵の中に、ひとかけらの幻想も存在しなくなってしまった。教師は聖人となる暇も与えられず、技術者、生活者たることを強いられる。かくして聖域は失墜した。楽園を追われた彼らに、しかし、約束の地は未だ与えられていない。 姫路に「ひめがくキャンパスランド」なるものが誕生した。既成の短大のキャンパスを市民に解放して一大レジャーランドにしてしまったのだ。学食は絨毯張りのステーキレストランで、運動施設はスポーツセンター、研究用の温室はパンブー植物園、世界の犬を集めたミニ動物園やみやげ物屋さえ有る。地域と一体化し、その施設を地元住人に解放するといえば聞こえがいい。つまるところは新手のテーマパーク、新商売に過ぎない。今や、学校はそこまできてしまった。これも時代と言ってしまえばそれまでだろうか。 学びたい時に学ぶべき施設と教師が有って、学ぶことだけが目的とされるのが学校の学校たる所以ではないだろうか。惜しいかな、こんにちの学ぶべき対象すら明確に出来ぬ学生たちに、柵の外の価値を覆す気概など望むべくもないだろう。彼ら自身が、自らの価値を高める機会も場所さえも、与えられていないのだから。 死を目前にした受刑者さえもが無心に学習したとされる、吉田松陰の松下村塾こそが、未だに私にとっての学校の理想形である。是非はともかくとして、現にそこから時代を動かす若者たちが多く輩出した。柵の中の価値が、外の価値を覆したのだ。 しかし、松陰は言う。 「そもそも吾の塾を開きて客を待つは、一世の奇士を得てこれと交わりを結び、吾の頑鈍を磨かんとするにあり」 「我々は遠からず死罪となる。今の読書こそ、功利を排した真の学問である。学問とはこういう時期の透明な気持ちから発するものでなければならない」 私は今でもカオスを学校と思っている。しかも、かの松下村塾により近しい学校と考えている。とすればさしずめ、鬼海氏は松陰に当たるだろうか。なるほど二人はどこか似た生き様を持っている。すると謹直博学の伊達氏は久坂玄瑞、常に塾に反発した高杉あたりは私だろうか。そういえば、先頃鬼海氏は、そろそろカオスの価値を外にぶつけて、外の価値をひっくり返したいなどと語ったものだ。頼もしい限りである。内心、私は恐れているものの。 とまれ、柵の内も外も、未だに人の住むにふさわしい場所ではない。 |
||
1991.6.9-11. |