表紙映画メモ>2007.01・02

映画メモ 2007年1・2月

(劇場・レンタル鑑賞の記録、お気に入り作品の紹介など。はてなダイアリーからの抜書です)

ドリームガールズ / ディパーテッド / マリー・アントワネット / 王の男 / スパングリッシュ


ドリームガールズ (2006/アメリカ/監督ビル・コンドン)

新宿バルト9での初鑑賞作品。
三丁目イーストビルのエレベータは、バルト9の受付フロアの9階どまり。それより上の「国内最高層に位置するシネコン」の各劇場に行くにはエスカレータを使う。エスカレータの角度も速度も「急め」で、若い人向けの施設だなあと思った。
窓からは甲州街道沿いの、新宿御苑と都立新宿高校(の屋上プール)が見えた。まぶしすぎる上に、さほどよい眺めじゃない。四谷区民センター内のモスバーガーからの眺めの方が好き。
時間があったんで、いったん9階に戻り、カフェでドリンクとピスタチオを買う。コーヒーは美味しかったけど、長蛇の列に対して一人で切り盛り?していたお姉さんは大変そうだった。

映画の方は、最近「アメリカン・ドリームズ」と「アメリカン・アイドル WORST」を観たのがタイムリーだった。
前者については、ヒュー・グラントって結局ルパート・エヴェレットに似てきてると思った。

「ドリームガールズ」は冒頭から…まだストーリーも始まっていない、スピーディに描かれる冒頭になぜか一番、目頭がじんとした。その後は、音楽を愛する「ファミリー」が、各人の思惑やタイミングのズレによって翻弄される話となる。

最も共感した、というか心が高揚したのは、エディ・マーフィ演じる大御所シンガーのジミーが「お次はメロウなナンバーを…」とか何とか紹介されて登場したものの、途中でキレて「ジミーのラップ」を始めるところ。そう、何もかも、あんなタルいの、私もイヤだ。
エディ・マーフィはほんとに達者だった。へんなシャツだな〜と思ってるとこにジェイミー・フォックスに「そんなもん着るな」と言われるシーンには笑ったけど。

ブラックミュージックはよくわからない。「Onenight only」はディスコバージョンの方が全然いいと思ったし(このパクリ具合は、ヒット曲の紅白歌合戦バージョンのようなカンジだと思った)、皆がエフィを囲んで「Family」を歌うところは、あんなんで丸め込もうとしてる〜と可笑しくて、吹き出してしまった。彼女が「It's all over」を歌う所は歌舞伎みたいだと思った。そうそう、この時もだけど、やたら鏡とか、向こうが透けて見えるセットとかが多かった。
ダンスシーンはもっと見たかったな。C.C.が振り付けしてるシーンが楽しかった。

(07/02/25・劇)


ディパーテッド (2006/アメリカ/監督マーティン・スコセッシ)

マット・ディモン、アレック・ボールドウィン、マーティン・シーン…って20世紀に逆戻りしたみたいだったけど、面白かった。アレック・ボールドウィンの男ぶりは、壊滅したかと思えば、振り子のようにしぶとく戻ってくる。七三分けのマーク・ウォルバーグも良かった(昔から好き)。ちょっとゲイリー・オールドマンみたくなってた。

二人と関係する女医さん、ベラ・ファミーガって、いい顔してるなあと思った。ベスト付きのパンツスーツも、細い身体に合っており良かった。ベッドシーンで下着が上下揃ってなかったのが面白かった。なんだか得体の知れない、円錐みたいなブラジャーを着けている。

映画を観てると、携帯電話をえらく間抜けなものに感じるときがある。というか「携帯電話が間抜けに見えてしまう映画」がある、と感じる。今回の、バイブ機能で机上でゴーっと動いてる有様とか。バイブ機能をうまく見せてる映画って、何かあったかな?ちょっと思いつかない。

(07/02/15・劇)


マリー・アントワネット (2006/アメリカ/監督ソフィア・コッポラ)

どこで観るか迷ったあげく、有楽町マリオンの日劇へ。お弁当持参者が多いのが、匂いさえガマンすれば、いかにもで楽しい。
隣の初老の夫婦は、上映前にはおかずパンを食べながらしきりに語らっていたが、中盤には寝ていた。ちなみに私も(寝不足もあって!)最後うとうとしてしまい、宮殿のガラスが民衆の石で割れる音で目が覚めた。

オープニングはGang of Four「Natural's not in It」…この曲を超満員の日劇で聴いてるってことに、すごく違和感を感じて、面白かった。このへんの音楽には疎いんだけど、Radio Dept.は好きなので、狩りのシーンで犬が走ってるのに「Pulling Our Weight」が流れたのが嬉しかった。
動物といえば、馬車がやたら正面から撮られてて、真正面からの「馬の走る図」って普段見慣れてないから、妙なカンジがして可笑しかった。とくにオーストリア側の馬は無骨だ。

故郷オーストリアを旅立ち、寂しい林道を馬車で抜け、パリに到着し、ヴェルサイユ宮殿に目を見張る…オープニングからこのあたりまでが、一番心に残った。国境で祖国の衣服を全て脱がされるのは、漫画「ベルサイユのばら」でも印象的なシーン。ちなみに漫画読みとしては、ルイ15世が「天然痘」に罹るとこで、あのコマを思い出してしまい、ちょこっと覚悟してしまった(子どもの頃、べるばらで怖かったのは、そのシーンと、アンドレの目が見えなくなるとこ…)
恋人のフェルゼンがほんのあれだけの扱いというのも面白い。外地に赴いた彼を想ってパーティを抜け出し、自室のベッドに戻ったマリーの脳裏に浮かぶ「崖っぷちで馬にまたがるフェルゼン」には爆笑してしまった。

キルスティンの白い肌はすごく良かった。裸の背中にゴツゴツがあるのが、個性的で目に付いた。
彼女のマリーはきついコルセットをしない。アレコレ言われて部屋に戻って泣く場面で、うずくまると、ニッパーの中に上半身が埋まってしまう。

女のコは、見たものしか見ない。だから、実際に見ていない、宮殿の外の革命は、映画には出てこない。
女のコが見るのは、窓の外。私だって、年齢的には女のコじゃないけど、電車に乗ったら、ドアのガラスに手を付いて、外を眺める。マリーも馬車から外を見る。オーストリアからパリまでの林道。仮面舞踏会の朝帰りの川辺。でも、最後には、もう見ない。

(07/01/28・劇)


王の男 (2005/韓国/監督イ・ジュンイク )

12月にオープンした新宿ガーデンシネマにて観賞。傾斜が緩くてちょっと首が疲れた。でも恵比寿行くよりラクだから嬉しい。来月バルト9が出来たら、明治通りのこっち側だけでほとんどの映画が観られちゃうかもしれない。

16世紀初頭。漢江の都にやって来た旅芸人のチャンセンとコンギルは、悪評高い王とその愛妾ノクスを茶化した芝居で人気を博すが、侮辱罪で捕らえられてしまう。しかし機転を利かせて王を笑わせ、お抱え芸人として宮廷に暮らすことに。たらふく食べつつ芸人としての信念は貫く二人だが、笑う事を知った王の暴政はエスカレートし、周囲の不穏な空気は高まってゆく。
(昨年から何度も予告編観て「色気と笑いで王の寵愛を得ようと張り合うライバル同士の話」だと思ってたのが、全然違ってたので驚いた…)

冒頭、田舎で興行を行っている二人。コンギルが足の裏から登場する。綱渡りだ。女形の彼は色白で、王が見惚れるほどの美しさだが(私にとってはチャンセンの方が美しいんだけど・笑)、白い足袋の裏は芸人らしく汚れている。容姿とのコントラストがエロティックに感じられる。
チャンセンの足は勿論、いつも汚い。彼は最後に一度だけ、裸足で綱渡りをする。捕らえられていた後だから当然だけど、このときの彼は(ネタバレ→)盲目になっているから、足裏で感覚をつかめてよかった(←ここまで)などと思ってしまった。
夜ごと王に呼ばれるコンギルを横目に苦しむチャンセン、二人の関係はプラトニックなもの。同じむしろの上で、別々の布団にくるまって寝るシーンが印象的だった。

打楽器や仮面、綱を使用した「芸」のシーンがとても楽しかった。イモだけ喰ってあの躍動感。芸人仲間で、お面を作るなど準備をするシーンも興味ぶかい。
それから、芝居の際には宦官役が股に「無」、宮廷の狩で獲物役になる際にはそれぞれ「猿」「鶏」などと書いた布をゼッケン状に着けるんだけど、「芸人は文字が読めない」のに漢字は知ってるの?そこんとこよく分かんない。

韓国人俳優のことは知らないので、チャンセンを演じるカム・ウソンの顔は「北斗の拳を演じている江口洋介」にしか見えなかったけど、動作がとても好みだった。とくに歩き方。ちょっと上から捉えたアングルが最高。
セットも豪華で、衣裳の数々が面白く、宮中が喪に服している際の格好が良かった。日本人の目から見たら牛の刻参りみたいなカッコ。同行者は生成と言ってたけど、私には真っ白に見えた。どっちだったんだろう?

王は、二人の芸に大笑いしつつ「芸人ごときに何が分かる」と言う。確かにチャンセンは、都にやって来た当初、王の愛妾の名すら知らない。しかし二人を茶化すことはできる。なんでも問題は、単純なことなのだ。

そうそう、王が、廊下の桟を指でさーっと流しながら歩くシーン、私はいまだにあれに近いことをしてしまう。「ウチに帰ったら手を洗いなさい」だ。

(07/01/20・劇)


スパングリッシュ (2005/アメリカ/監督マーク・レヴィン)

「映画」の面白さってこういうことだと思う。
話は、スパニッシュのクリスティーナが、大学入学願書に添える小論文において、尊敬する「ママ」のことを語るという体裁。メキシコから渡米したママのフローラは、娘をしっかり育てるために、ロサンゼルスのお金持ち一家のハウスキーパーになった。ゴタゴタの多い家庭では、英語が話せなくても…というわけにはいかず、彼女も教材を買い、英語を学びはじめる。
(「ラブ・アクチュアリー」でも、全然英語を話せないハウスキーパーが作家のコリン・ファースのとこに来てたけど、日本から出たことない私にはわかんないけど、そんなもんなんだろうか。会話できないなんて、つまんないし怖い)

誰かが誰かに、実生活において、フィクションにおいて、その他の場合において、心動かされる、その条件も内容も様々だけど、「私→フローラ(クリスティーナのママ)」については、何ひとつ発生せず、つまり何の興味も持てず、ただそのケツアゴだけが気になってしまった。
他の登場人物皆の気持ちは、陳腐な言い方だけど「ワカル」のに、彼女だけがすごく遠く感じられて、話の結末も、クリスティーナ、母親にまるめこまれてるよ〜と思ってしまった。

一家は奥様…というより女主人のデボラ(ティア・レオーニ)と、その夫でシェフのジョン(アダム・サンドラー)、娘と息子、デボラの母親のエヴェリン(クロリス・リーチマン)。
とにかくデボラが最高で、一緒に暮らしたくはないけど、ああいうの、尊敬してしまう。毎朝「どいて!どいて!」と近所をジョギングし、ダンナと話しながらもトレーニングを欠かさない、会社つぶしちゃった専業主婦。

「話し合うのよ!お互いに地獄の底まで落ちて、もう前向きになるしかないまで」 ←これ最高

彼女と母親の対話シーンもとても興味ぶかく、どういう育て方したんだろうと想像してしまう。ちなみに、浮気を白状したためにダンナに出て行かれてパニックになるデボラに対して母親が取る言動はとても合理的で、私もいつも、ああいう話し方をするよう努めてる。
一方ジョンは、デボラの母親が言うとおり、確かに「良い夫」だけど、魅力を感じない。冒頭、イラつくデボラの胸を突いてなだめたことでよけい彼女の怒りをかうという「笑える」シーンがあるんだけど、私は怒ることもできないから、ああいう事態になったことないけど、ああいうことする男、大嫌い(笑)それに、フローラが後に「人生最高の会話だった」と言う彼とのひと時も、私なら全然楽しくない。でも、唇の前にほっぺにキスされるのは好き…
(でも「自分なら」という見方はさておき、このシーンすごく良くって、「床に足をつけたら…」というのが上手すぎる!)
互いに「こんな異性がいたなんて…」と惹かれあう、ジョンとフローラとの関係は穏やかだ。もし「その後」があってもやはり穏やかだったろう。でも、人間同士の関わりによって、何かが生まれる、変化する、というようなことはないだろうなあ、と思わされる。うまれりゃあいいとは思わないけど。

アダム・サンドラーの役柄は、タイムズ紙に「アメリカ随一」と称される一流シェフ。デブとまでいかなくとも恰幅のある身体つきが、結構はまってた。夜中に作るサンドウィッチの美味しそうなこと。フローラとの話し合いで冷めちゃうんだけど。
それにしても、「自分のために生きた」「(娘いわく)男と寝まくった」、そして今は快適なおウチで昼からお酒を飲んで暮らしてる、おばあちゃんが一番羨ましいかも。娘婿の「口」にキスするくらいの楽しみはあるし(笑)

それから、トーマス・ヘイデン・チャーチ!オープンカーで登場したの見て、笑ってしまった。デボラの「浮気相手」の「不動産屋」というのが、ピッタリすぎて。当たり前だけど順当に老けていた。

ちなみに、英語が話せないママのために、娘のクリスティーナが雇い主との間に入って同時通訳するシーンが何度も出てくるけど、最近は、たとえばうちの近所の公立小学校なんかでも、アジアの他国からやってきたお母さんが日本語を知らず、懇談会などで娘が先生の言うことを通訳するという場面は、結構見られるそうです。



表紙映画メモ>2007.01・02