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映画メモ 2006年11・12月

(劇場・レンタル鑑賞の記録、お気に入り作品の紹介など。はてなダイアリーからの抜書です)

小さな恋のものがたり / 硫黄島からの手紙 / 007 カジノ・ロワイヤル / シーズン・チケット / プラダを着た悪魔 / 明日へのチケット


小さな恋のものがたり (2005/アメリカ/監督マーク・レヴィン)

原題は「Little Manhattan」。オープニングタイトルは、10歳の男の子・ゲイブが、スティックボードに乗って僕の町=マンハッタンを飛ばす「アド街」的映像。空手教室の窓からあんな景色が見下ろせる子ども時代は羨ましい。

マンハッタンに暮らす10歳のゲイブ。パパとママは離婚話の最中で、冷蔵庫の食糧にもそれぞれ名札が付いている。
ある日、通い始めた空手教室で、彼のことを組み敷いたのが、同じクラスのローズマリー・テレスコ。女なんてキモチ悪い!と思ってたのに、日に日に彼女のことが気になり始める。

話はゲイブのモノローグで進む。こんなにも一人よがり、というか、主人公以外の心の内を伝えてこない映画は久々で、そこんとこがいかにも「ニューヨークの、10歳の男の子」というカンジで面白い。
作中、ゲイブはどこへ行くにもスティックボードで移動するんだけど、他にボードに乗った子が映ることはない。そうポピュラーなもんじゃないのかな、と思いきや、デイブの属する「男の世界」の帰り道では、数人中一人を除いて全員ボードに乗っている。
ちなみにこの「男の世界」のシーン、ボードに乗っていない一人が小走りで仲間に付いてくるんだけど、これが「女の世界」なら、逆にボードの子達の方が、そうじゃない子に合わせるんじゃないかなあ、と思って可笑しかった。そういう気の遣い方の差が、大人になっても溝の原因になるんだ(笑)
ゲイブとローズマリーがボードに乗ってデートするくだりは、全然違うんだけど「デトロイト・ロック・シティ」で一行がデトロイトに向かうシーンを思い出した。それから、「小さな恋のメロディ」の時にも書いたけど、手ぶらでデートができるのっていいなあと思った。眉墨ひとつ持たずにだよ。まあ、私も慣れた相手なら、なくもないけど…(笑)

「この9ブロックの中は僕の町」とゲイブは言う。北はプラネタリウム、南は72丁目まで…外国に行ったことのない私には「ブロック」という感覚はよくわからないけど、その区切り方、私もかつては、いや、今だって、そういうとこある。そういうホームタウンを持つのって、幸せだなあと思った。


硫黄島からの手紙 (2006/アメリカ/監督クリント・イーストウッド)

イーストウッドの映画が好きだ。とくに、始まりと終わりが好き。今回、オープニングの、硫黄島のあちこちを捉えた映像を見て、頭に浮かんだのはなぜか「マディソン郡の橋」。静かだった。

冒頭、「こんな島、アメ公にくれてやれ」とぶつぶつ言いながら穴を掘る二宮くんは、汗もかいてないのに、何度も顔をぬぐう。なぜ拭っているのかわからない。たんなるクセなんだろうか。大体イーストウッドの映像は暗いから、意図されていない場合、快晴なのか曇りなのか、暑いんだか寒いんだか、よくわからない。

一つ許せなかったのは、二宮くんとペアのように行動する松崎悠希の、ゴハン(白飯)の食べ方。百歩譲って箸の使い方がヘタなのはともかく、なぜあんなに、ちびちび食べるんだろう。
このシーンに限らず、作中に出てくるゴハンはどれも不味そうで、そもそも戦時中に、あんなにたらふく食べられるわけがないから、リアルに感じられないし、二宮くんの回想シーンでも、盛り方がべちょっとしてて、赤紙の上にあれじゃあ、ますます食が進まなくなるだろう。裕木奈江の黒々とカールさせた睫毛も異様だ。
渡辺健と伊原剛志が酒を飲むシーンでは、「いただきます」直後に暗転してしまい、おかずが何なのか分からず、しごく残念だった。ちなみにこのシーン、上官には、ほんとにあんなキレイなお皿が用意されていたんだろうか?でも、ともかく、イーストウッド映画に「ゴハン」が出てくるというのが可笑しかった。

ここ数年、ほとんどテレビ観てないから忘れてたけど、昔、伊原剛志が大好きだった。身体大きいから。10年くらい前、ドラマ「オンリー・ユー」で鈴木京香の愛人やってたころがピーク。
私は戦争に関する知識があまりないので、今作での彼の格好は少女漫画の登場人物のように映った。
彼が馬に対して最後にかける言葉は、ああイーストウッドの映画だなあ、と思わされた。このシーンに限らず、淡々としていながら、そこかしこにイーストウッド自身を感じる、そんな映画だった。

(06/12/17・劇)


007 カジノ・ロワイヤル (2006/イギリス-ドイツ-チェコ-アメリカ/監督マーティン・キャンベル)

ダニエル・クレイグの、顔と同じくらいの太さの二の腕がすごかった。頭、もたせかけたいけど、首が痛くて3分が限度だろう。

今日の「観賞後の第一感想」は、女性二人連れの「ダイ・ハードみたいだったね〜」というもの。たしかに泥臭く、不死身で、スーツより普通のシャツが似合うジェームズ・ボンドだった。「初めてのオーダーメイドスーツに鏡の前でカッコつけてみる」の図がやたら長いのが可笑しい。
冒頭のアクションシーンは、トニー・ジャーの映画みたい。爆弾しょって逃げ廻る悪役青年の身体能力ががすごすぎて、何度も笑ってしまった。終盤のヴェネツィアでの一幕は、長すぎて、眠くなっちゃったけど。

しかし、見終わってのともかくの印象は「高校生の恋愛」…素朴で純情なの。ジェームズの顔を挟み込むボンドガール、ヴェスパーの爪は短く切り揃えられており、マニキュアの色味もない。そもそもその手は、すらりとした脚から想像し得ないほど子どもっぽい。療養所のベッドで彼女と絡み合うボンドの、サッカー少年のような太いふくらはぎも印象的だった。

良かった点は、映像も何もかも、とにかく分かりやすかったこと。ゆるいパンツの中でもカタチの分かるボンドの尻に注目していると「あなたのお尻は…」となるし、笑顔の可愛らしさに惹かれていると「あなたの笑顔と小指が…」云々となる。
血の涙を流すマッツ・ミケルセン始め、悪役の顔も皆、味があって良い。MI6側では、やっぱりジュディ・ディンチ。夜中に職場からの電話をとるシーンは「女王陛下の007」(だっけ?電話が鳴って、女の方がとるやつ)のオープニングを思い出した。

2時間超の長さにも関わらず面白く観られたけど、残念だったことも幾つかあって、まず、ボンドガールのファッションが安っぽかったこと。ヴェスパーの衣裳の良さも、あくまでも身近な可愛らしさ。始終離さないペンダント(「昔の恋人からの贈り物」)もごつすぎる。「高校生」だからそれでいいのかな。
何日間も居座る「カジノ・ロワイヤル」の内装も、もうちょっとどうにか、と思わされる。そこかしこに出てくるロゴも、円の中にCとRが入ってるだけの、それこそ文化祭みたいなやつなの。
それから、途中何度か、007シリーズではあまり見られない食事のシーンが出てきたのに、実際に「喰らう」場面が一度しか見られなかったこと。その際のキャビアの大盛りぶりはダニエル・クレイグに似合ってたけど。肉か何かにしゃぶりつくところが見たかった…

(06/12/10・劇)


シーズン・チケット (2000/イギリス/監督マーク・ハーマン)

ドリュー・バリモアが超可愛い「2番目のキス」(原題「Fever Pitch」)のラストに、スポーツのことをあまり知らない私は、球場に足を踏み入れることがそんなに大きな罪なのか〜と驚いたものだ。
野球とサッカーの違いはあれど、同じくシーズンチケットの出てくる「シーズンチケット」の冒頭は、球場の芝生を盗み出すサッカーファン二人の姿から始まる。

15歳のジェリーと17歳のスーエル。「2番目の〜」の「『教師の』ベン」も、部屋中を夥しいレッドソックス・グッズで埋め尽くしていたけど、ニューカッスル・ユナイテッドファンの二人の生活にも、貧しいながらサッカーグッズがあふれている。ジェリーが集めた記事の切り抜きや、スーエルが4年も着ているベンチコート。
ジェリーの家庭は暴力をふるう父親から逃げ回る日々だし、スーエルは紅茶を水で淹れちゃうような、ボケた祖父との二人暮らし。合わせて1000ポンドのシーズンチケットのため、二人はちゃちな犯罪を繰り返し、お金をためる。
一日中歩き回った成果の「クズ」が一文にもならず、物々交換を迫られたとき、スーエルは青いハト時計を選ぶ。「だって、チームカラーだろ」

しかし、彼等は現実的だ。冒頭ジェリーは、シーズンチケットと共に獲得できるものは「敬意」だと言う。終盤、愛する女性との家庭を願うスーエルは「新たな夢がうまれて、サッカーへの興味が失せた」と言う。 二人は、練習中のアラン・シアラー(本人。って、知らないけど…)を捕まえ、皆がサインをねだる中、「チケットをくれ」と頼み、断られると、その辺のクルマを盗み、当のアランのものだと知って、置いてあるCDのダサさを笑う(ガブリエルやセリーヌ・ディオン!)。この、つかず離れずの感じが良い。

「参謀」のジェリーは、パッと見まだ小学生ほどの年齢に見える。実際ああいう子っている。色白で華奢な身体つき、若干腫れた神経質そうな上まぶたの目立つ顔は、たとえ何日もシャワーを浴びなくても、汚れないようにさえ感じられる。しかし口を開くと、しゃがれた声で、気の利いたことを言う。
一方、真夏にも汗だくでベンチコートを着続けるスーエルは、でぶっちょでのろま、実際より年嵩に見える。その粘り強さを活かしたいたずらには笑わされる(最後に出てくる花壇)。犬のしつけもうまい。
二人だけじゃなく、周囲の人たちの顔もとても良い。毎日ウチでタバコ吸ってるだけのジェリーの母親(チャーリー・ハードウィック)は、病院に運ばれて「もう疲れた」とつぶやく。スーエルの愛する女性は、大人より大人っぽい化粧をし、15歳にして、フットボールの選手「ゴリラ」と婚約した。「まともな生活を手に入れたいから」。

「シーズンチケットのための貯金」は一年がかりの計画だから、作中では、ニューカッスルの春夏秋冬が見られます。クリスマスに流れるジョン・レノンの「Happy Christmas」が印象的。

(万引き先を考えながら歩く二人)

「1ポンドショップなんてのもあるぞ」
「面白いかもな、いくらで売れると思う」
「モノによるだろ」
「1ポンドショップで一番高いものはなんだ?一番安いものはなんだ?」
「一度に言われても…どっちを答えればいいんだ」
「いいか!1ポンドショップのものは、どれも1ポンドだ」



プラダを着た悪魔 (2006/アメリカ/監督デヴィッド・フランケル)

自分自身が年末進行に突入しようという中、原作&映画をしみじみと。2度読んだ原作の印象が抜けないまま観たので、どうしても比べてしまい、映像に違和感を抱いてしまった。

まず受けた印象は、「90年代ぽい」「セットが安っぽい」。
パーティでの「イイ男」との出会いの場面にはずっとジャミロクワイが流れてるし(新曲だけど・私も好きだけど)、ファッションショーの舞台裏ではblack grapeが流れる!(大好きだった、懐かしい)
セットについては、例えば、メトロポリタン美術館での「白一色のパーティ会場」なんて、どんなんだろう?と楽しみにしてたのに、出てこなかったばかりか、ディレクターのナイジェルいわく「たんなるファッションを超えた」美を扱っているはずの「ランウェイ」主催のパーティ会場が、すごくださくて、びっくりした。「社員食堂」も、原作だと各コーナーにシェフが付いてるのに、映画では、そのへんの大学のカフェみたいなかんじ。
さらに、原作では、社員は皆、腹出しまくりの「すごく寒そう」なファッションなのに、映画では、オシャレながらも結構ぬくぬくしてて、拍子抜けしてしまった。先輩アシスタントのエミリーのウエストが細く強調されてたのは、イメージ通りだったけど。彼女が一番、見てて面白く、友達になりたかった。バリエーション豊かなアイメイクを見ているうち、日によってメイクが変わらない、いわゆる一般人(勿論、マスカラ塗る程度の私も)の方が、楽しさをみすみす逃してるような、そんな気がしてきて。「睫毛を埋めるようなアイライン」なんて、バカじゃんと(笑)

冒頭のミランダの登場シーンは楽しかった。原作読んで、映画版「オペラ座の怪人」のカルロッタの入場シーン(お輿に乗って運ばれ、空からドレスが降ってくる)みたいなのを想像してたけど、そこまでテンション高くなかった。もっとめちゃくちゃでもいいように、思ったんだけど。帰宅途中に「ズーランダー」観たくなったよ。
長い話をまとめただけあって、全てが駆け足なので、主人公アンディの魅力も、アン・ハサウェイの顔(とくに好みというわけじゃないけど)に頼っているように感じられてしまった。だって、アンディの魅力というか、この話の面白さは、「主人公が何かにつけて色々思う」ところなのに、映画じゃあ、そういうの描くヒマ、ないもんね。それに、はじめのうちは、髪梳かせよ〜歯磨けよ〜そんなスカート履くなよ〜とイライラさせられるし。
男性キャラも魅力に乏しいというか、だって、「8ドルしたチーズ」を、あんな真っ黒こげのグリルサンドにしちゃうし!あれが得意料理だなんて。
ちなみに二人の今後について、私は、いわゆる「遠距離恋愛」になるけど、彼の方が「なんとかやっていこう」と考えてる、と受け取ったんだけど、同行者は、彼女が彼に着いていく(もしくは、彼がそれを望んでいる)と受け取ったようで、そこんとこは、陳腐な言い方だけど、性差なのかな〜と思った。

売れっ子作家のクリスチャン(サイモン・ベイカー)といちゃついてるアンディを目撃した友人のリリーが「すごい顔」をするシーンにはびっくり。なんてイヤな友達だ。あんまり異様な表情なんで、アンの背後に天変地異でも起こってるかと思った。ちなみに原作の彼女は男好きで、友達には大変なりたいが、一緒に住みたくはないタイプ。
結局アンディはクリスチャンと一夜を過ごすんだけど、そう、仕事がんばったら、神様からあれくらいのご褒美はもらわないとね。翌朝、シーツから覗く、アンディのトゥーリングが可愛くて、クリスマスにもらってもいーかも、と思ってしまった。私は指が短いから、似合わないかあ。でも、原作では、靴がきつくて階段昇るのにも涙目、というような描写が多いんで、そっちのアンディは、あんなの、してないんだろうなあ。

見ていて落ち着かなかったのは、国民性の違いなんだろうけど、アンが、ミランダに対して、書類などを片手でひょいっと渡すこと。私は目上の人に対してじゃなくても、プライベートでも、物を渡すときは、両手を添えるようにしている。遠くの人に渡すときは、届くはずのないこっち側の手を伸ばすアクションさえ試みる。礼儀というより、そうしないとどうにも気持ちがわるい。

(06/11/26・劇)


明日へのチケット (2006/イギリス-イタリア/監督エルマンノ・オノミ、アッバス・キアロスタミ、ケン・ローチ)

ローマへ向かう特急列車の中で起こる、3つの物語。監督は3人だけど、それぞれの持分が完全に分かれてるわけではなく、舞台は同じ列車、登場人物も重なり合う。これは面白かった。
(以下少々ネタバレあり)

▼第1話(エルマンノ・オルミ)

飛行機の欠航で、インスブルックからローマまで列車で帰ることになった初老の大学教授。食堂車に落ち着いた彼の胸によぎるのは、チケットを手配してくれた仕事先の秘書のこと。開いたパソコンで彼女に宛ててメールを書き始めるものの、なかなか進まない。

私がこの話で最も印象に残ったのは、作中何度か出てくる、教授の初恋の女の子の、ピアノの椅子への腰掛け方。薄暗い部屋、こちらに背を向けている彼女のスカートは、やたらふんわりしている。私は子どものころ、ピアノの椅子に座るときは、スカートをぴちっと手でなでつけて尻で押さえるようにしていた。子どもならではの几帳面さでそうしていたんだろう。今は、どんな椅子でも、動きやすいようにスカートを多少ふくらませて座る。彼女は登場人物として、シルエットがキレイに見えるよう、ふんわりさせてるんだろうけど。まあとにかく、そんなことを思っていた。
それから、教授の向かいに陣取る、いかつい軍人の顔が、うちの父親にそっくりで、可笑しかった。彼は座席横に掛けたコートに顔を隠して、混雑した車内の喧騒から逃れようとするんだけど、これも可笑しくて。小学生が、教室で内緒話などするのに、カーテンの裏に隠れるのを連想してしまった。外からどう見えてるかなんて、全然考えてないんだよね。ウェイターが、不味そうなパスタを盛り付けにくる(夕食は食前酒とこれだけ…)のも、給食の「いただきます」の前、余ったおかずを分けて、というより押し付けて廻ってた(教員時代の自分の)ことを思い出したり。

想いを寄せられる秘書を演じた、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ(右画像)。
この人の顔が大好きだ。初めて見たのは「ふたりの5つの分かれ路」、それから「ぼくを葬る」。どちらにおいても、すごく印象に残った。仏像のようだとも思うし、男のようだとも思う。いつまでも見ていたい。

▼第2話(アッバス・キアロスタミ)

太った中年女性と、その荷物を大量に抱えた青年。親子のようにも見えるし、そうでないようにも見える。切符もないのに一等席に陣取り、何かというと大声で呼びつける彼女に、青年はうんざり。

「列車」の楽しさを最も味わえたのはこの話。日本のどこかにもありそうな風景。停車時に窓からはずんで見える風景。流れる風景を追ってせわしく動く、青年のビー玉のような瞳。連結部分の上から眺める、くねったライン。

車内で青年が再会する14歳の女の子二人組は、キルスティン・ダンストと土屋アンナといったふう。土屋アンナのほうは、喋る顔を見ているうち、高校のときの同級生に似てることに気付いた。彼女も笑うと、あんなかんじにシワができたものだ。

▼第3話(ケン・ローチ)

ケン・ローチ=サッカーの話。スコットランドの冴えないバカ3人組が、愛するサッカーチーム・セルティックの試合のためにローマに向かう。私はケン・ローチが好きだけど、彼の作品でこんなに笑ったのは初めて。

アルバニアの難民一家に切符を盗られた三人は、涙ながらの打ち明け話を聞き、泥棒として突き出すべきか、黙って譲るべきか、散々もめる。彼等の方も「残り一人分」のチケット代さえままならない貧乏旅行。とはいえ「難民」はかわいそうだ。

「テレビで観たんだ、難民はひどい目に遭ってるんだぞ」

映画で「テレビで観た」というセリフが出てくると、「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」で、レニグラのメンバーが「ニューヨークじゃ人が殺されるらしい」などと語り合うシーンを思い出し、つい笑ってしまう。 しかし、この話では、続けてこんなやりとりがなされる。

「サッカーの試合は一回きりだけど、難民は数え切れないほどいる」
「俺たちスーパーの店員の手に負える問題じゃねえよ」


ここで三人が「スーパーの店員仲間」だということも初めて分かる。彼等はその後「ゴタゴタになったらスーパーをクビになっちまう」ということも盛んに言う。どこもそう、程度の違いはあれ、ラクじゃない。

列車の中で皆が買ってるサンドウィッチは、たぶん、日本でもここ数年でよく見るようになった、固めのプラスチックの三角ケースに入ってるやつ。それにしてもデブちゃんが嫌がってた「ハムとマンゴー」ってどんな味なんだろう?

(06/11/01・劇)



表紙映画メモ>2006.11・12