表紙映画メモ>2006.09・10

映画メモ 2006年9・10月

(劇場・レンタル鑑賞の記録、お気に入り作品の紹介など。はてなダイアリーからの抜書です)

トリスタンとイゾルデ / ブラック・ダリア / グエムル 漢江の怪物 / キンキーブーツ / アガサ・クリスティーの奥様は名探偵


トリスタンとイゾルデ (2006/アメリカ/監督ケヴィン・レイノルズ)

暗黒時代のイギリス。イングランドの兵士トリスタン(ジェームズ・フランコ)は、瀕死の重傷を負ってアイルランドに流れ着き、王妃イゾルデ(ソフィア・マイルズ)に救われる。若い二人は愛し合うが、やがてイゾルデは、トリスタンの育ての親であるマーク候のもとに嫁ぐことに。

(以下、少々ネタバレあり)
レディスデーの夜にメディアージュで観たのですが、客が、ウチラ入れて4人しかいなかった。でも面白かった。
昔の話なんで、何もかも「素朴」なのがいい。例えば戦闘の作戦は「まず俊足の二人が…」って、トリスタンとその仲間が、自らの脚力でもって敵をおびき寄せる。馬で追ってきたところに、隠れてた兵士達が…シンプルながら鮮やかで、目を奪われる。戦闘シーンについては、ハード面だけでなく、精神的な駆け引きもさらっと取り入れてて、飽きさせない。
木や石で出来た殺風景なお城も魅力的で(イゾルデの父親が、寒々しい海辺の小屋で偉そうにしてるのも良い)、最後にトリスタンが傷を負いながら守るのが○○というのもロマンチック。原作もそうなのかな?岩場に匿われるトリスタンの、緑のセーター姿も可愛かった。
それから、色んな「音」がとても心地よかった。枯葉を踏みしめる音、火のはぜる音、中でも私の好きなのは、「木」のたてる音、とくに、木の橋を渡る足音。観終わって劇場をあとにしたら、お台場の、いちおうウッドデッキに出たので、歩きながら思い出してた。昔飼ってたうちの犬は、橋の上に差し掛かると、下の「空洞」を感じるのか、後ろ足を踏ん張って動こうとしなかったものだ、あんな橋、絶対渡らないだろうなあ、なんて。

イゾルデの侍女は「若気の至りだったんです…」と言うけれど、若く美しく真面目な二人が出会えば恋におちる、それでじゅうぶんだ。
それにしても、トリスタンを演じるジェームズ・フランコは、細こかった頃のヒース・レジャーみたいに愛くるしいし、マーク候はマーク候でルーファス・シーウェルがシブいもんだから、愛する人がいながら他の男性と…とはいえ、昔の少女漫画みたいなもんで、どっちに転んだっていいじゃん?というかんじ。
イゾルデを乗せた船が、マーク候のもとへと川を下ってゆく結婚式のシーンがとても綺麗で、このあと、愛する男の前で他の美男に抱かれるのかあ、とかるい性的興奮を覚えてしまった(ここはあえて抱かれる、としておく)

ちなみにトリスタンの少年時代を演じたのは、「ラブ・アクチュアリー」でリーアム・ニーソンの息子を演じたあのくるくるお眼目の子。私は子役の顔はめったに覚えてないんだけど、すぐ判った。あんまり可愛くて。

(06/10/25・劇)


ブラック・ダリア (2006/アメリカ/監督ブライアン・デ・パルマ)

週末の歌舞伎町にて。場所柄か、デパルマファンの?中高年男性がわんさとつめかけてて、正直匂いに閉口してしまい、持ってたチョコを食べて気をまぎらわせてました。

先週「サンキュー・スモーキング」を観たばかりなので、アーロン・エッカートづいている。「サンキュー〜」では「タバコ研究アカデミー」のやり手PRマンながら一本も吸わないのが、「ブラック・ダリア」ではまあまあふかしてたので嬉しかった。
「サンキュー〜」は面白かったな〜。とにかく彼扮する主人公の言うことがいちいち真っ当で、気持ちよかった。彼の息子がパパとのロス行きをママに反対されたときの反論とかね、私もいつも、ああいうふうに考えてる。私生活での「一般には…」なんて話、その枕詞にすら気付かないまま口にされる話には何の意味もない。
あと「あなたもおっぱい好きなの?」と言われた彼が「誰のものかによるさ」と返すのは、私もこの手のこと聞かれたらたぶんこう返すと思うけど(状況によるが聞く方も聞く方だけど)、こういうブナンな返答をさらっとするのって大事なことだ。
それから、日本びいきのハリウッド大物プロデューサーのロブ・ロウって、一瞬ジョン・バダム?かと思った(好きな監督。最近はじめて、ジェイソン・パトリックが贋作画家を演じる「迷宮のレンブラント」('97)観たけど結構面白かった)

閑話休題。
1947年、ロサンゼルス。元ボクサーの二人の刑事、リーとバッキー。リーの婚約者ケイ。切断死体となったのは、スターを夢見た「ブラック・ダリア」。ダリアに似た富豪の娘。
原作となったエルロイの「ブラック・ダリア」は未読。先月買ったスティーヴ・ホデルの「ブラック・ダリアの真実」は、上巻数十ページのとこでずっと止まってる。同行者が読んでたから、色々聞いてしまった。
前半のボクシングシーンから、濡れた音楽、せまるカメラ、メロドラマぽくて、いかにもデパルマだな〜と思って、楽しかった。

恋におちると、彼が睫毛を伏せただけで、思慮にふけっていると感じられるように、もしくは、何も考えてないと判るからこそ美しく見えるように、映画には魔法がある。実際の人生では、誰かと誰かの何かが重なっても、よくあることで、それ以上の意味はないけれど、映画では、何かがある。でも「ブラック・ダリア」では、幾度か魔法がとけて、何もない瞬間、があった。ヒラリー・スワンクが何か言うとことか。何て言ってたかも、忘れた。
魔法の存在には、とけたときに気付くものだけど、デパルマの映画はそういうことを気付かせてくれる。魔法なしの本当の人生はそういうもんだって。それもまた面白いかも、と思うほど、まだデパルマのことが好きではある(笑)
ちなみに私が彼の映画で印象的かつ好きな場面のひとつは、「殺しのドレス」で、娼婦のナンシー・アレンと、眼鏡かけたおたく少年が、コーヒーショップで事件について話し合うシーン。デパルマの、とくに昔の作品には、こうしたちょっとしたリラックスタイムのようなとこがあって、好きだった。

後半はややこしくなってきて、疲れてしまった。同行者とは「外国人の名前は頭で瞬時に処理できないため、登場人物が多いとわけがわからなくなる」ということで意見が一致。

ヒッチコック風ヒロインに扮したスカーレット・ヨハンソンは、私にはいつも、つるつるした単なる子どもにしか見えず、何の印象も残らない。今回もそうだったんだけど、その演出から、いわゆる「女らしさ」って、顔や身体がどうとかじゃなく、表情やしぐさ、身なりなんかでじゅうぶん表現し得るもの、むしろそういうとこにこそ現れるものなんだなあとしみじみ思った。まあ実生活では疲れちゃうから、利便もあって脚でも出すわけだけど。
ヒラリー・スワンクのほうは、背中の開いたドレスをよく着るんだけど、「ミリオンダラー・ベイビー」での筋肉は程よく落ちていた。女性ばかりが集うクラブでの登場シーンに「彼女が一番美しかった…」というジョシュ・ハートネットのナレーションが入るんだけど、その場面にいる女性の中で、私が誰かとベッドに入れって言われたら選ぶのは彼女だろうから(あれが男ならかぶりつきたい顔だ)、美しいんだろう。

事件が起こる1947年は母が生まれた年。作中、ロスの大通りの時計が夜中の12時を指してるシーンがあるんだけど、皆、ふつうに行きかってるの。この時代からこんなだったのかと羨ましく思った。東京メトロや営団も、夜中運行してほしいものだ。

(06/10/24・劇)


グエムル 漢江の怪物 (2006/韓国/監督ポン・ジュノ)

漢江の河岸で売店を営むパク一家。長男のカンドゥは怠け者だが娘のヒョンソを溺愛していた。ある日、川の中から怪物が出現し、逃げ惑う人々を襲う。ヒョンソは連れ去られ、カンドゥはウィルス感染者として隔離された。そして、死んだと思われたヒョンソから電話が入り、一家は病院を脱走、雨の河岸へと向かう。

怪物の登場シーン、ここまで「大暴れ」という言葉をぴったり表現してる映画は初めてだと思った。家族の役割分担も含め(「ここはひとつ年寄りの私に…」が可笑しすぎ)、気持ちのよい作品でした。
ちなみに冒頭では、ヒョンソがやたらと髪を耳にかけるのが気になってしょうがなかったけど(「どれどれ?」と覗き込むときとか)、連れ去られてからはそんな余裕もなかったようで、触らなくなったので、良かった。

(↓ネタバレ?かな)
最後の、雪の降りしきる中、ぽつんと立ってるお店で、くるっと振り返ったら、ちゃぶ台じゃないけど座り机があって、ゴハンよそっていただきま〜すというの、いいなあと思った。
「売店」のお菓子がたくさん出てきたけど、向こうのお菓子って粉っぽいイメージがあって、あまり食欲は刺激されなかった。同行者はカップラーメンが食べたくなったと言っていた。

(06/10/01・劇)


キンキーブーツ (2005/イギリス/監督ジュリアン・ジャロルド)

ノーサンプトンの靴屋の息子チャーリー(ジョエル・エドガートン)は、父の急死でいきなり社長の座に。しかし工場は倒産寸前。そんなおり、ドラッグクイーンのローラ(キウェテル・イジョフォー)と知り合い、彼等の着用する「ブーツ」で起死回生を図ろうと思いつく。

(同じ「イギリス映画」ということで…)たとえばニール・ジョーダンの「クライング・ゲーム」でジョイ・デヴィッドソンが歌うシーンは、はっきり言ってしょぼいけど、何ともいえない雰囲気がある。本作のキウェテル・イジョフォーのステージも、別段すごいってんじゃないけど、惹き付けられる。
コルセットとタイトなワンピース、高いヒールで、「男」の身体が、あそこまで「女」っぽくなるというのにも改めてびっくり。初めて彼が工場にやって着た際の、タクシーから降りる水色のハイヒールにはわくわくした。

私も昔、エナメルのブーツを幾つか持ってた。ムチは入ってないけど(笑)
ブーツは好きだけど脚を出すのも好きなので、冬は迷ってしまう。職が変わると、最初は気を遣って膝丈だったスカートも、段々短くなって、最近はもう、休日と変わらなくなってる。
ともかく、本作でチャーリーがはじめに作ったブーツは、私だって、北極にでも放り出されない限り履きたくない…

(06/09/17・劇)


アガサ・クリスティーの奥様は名探偵 (2006/フランス/監督パスカル・トマ)

クリスティーの探偵キャラ「トミーとタペンス」が活躍する話。
フランス映画だと知らずに観に行ったので、びっくりした。 トミーを演じるのはアンドレ・デュソイレ、タペンスはカトリーヌ・フロ。

原作では、トミーとタペンスは同い年くらいの設定なのに(若かりし頃活躍した二人が、お互い歳取ったねえという話なのに)、本作では、プリュダンス=タペンスを演じたカトリーヌ・フロの方が一回りほど若く、いわゆる歳の差夫婦のようで、そこんとこはピンとこなかった。
二人は湖畔の豪奢なお屋敷に暮らしている。クルマがなきゃどこへも出られなくても、二人仲良しなら楽しいだろう。屋敷に勤めてたのは、探偵社の助手だった赤毛の男の子(名前忘れた)なのかな?そうじゃなかったら寂しい。
それにしても、外国映画を観ていてよく思うんだけど、屋内では年中裸足の私からすると、ストッキングを履いたまま火にあたるのは、たとえ映像で見るだけでも、気持ちがよくない。

ダンナの勤め先は、いかにも昔の「近未来」ぽいセット。クリスティーの、とくに晩年の作品って、新しいもの取り入れてみましたというカンジのスパイものとか結構あるから、そういうのを思い出させて、なかなか面白かった。
ちなみに私がこの映画で「フランス」を一番感じたのは、この職場での会議の様子。飲み物が全員違う。それに、フランスの女性は、目の前に不意にネコが現れても、撫でもしなければ、目もくれないものだ。

あの女性がジュヌヴィエーヴ・ビジョルドだったなんて!全然分からなかったが、そう言われれば確かにそうだ。

カウリスマキの「愛しのタチアナ」を思い出すシーンがあった。ギャグというのもはばかられるようなギャグを言う男。

(06/09/10・劇)



表紙映画メモ>2006.09・10