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映画メモ 2006年7・8月

(劇場・レンタル鑑賞の記録、お気に入り作品の紹介など。はてなダイアリーからの抜書です)

スーパーマン リターンズ / ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男 / トランスアメリカ


スーパーマン リターンズ (2006/アメリカ/監督ブライアン・シンガー)

自らの過去を求め宇宙をさまよっていたスーパーマン(ブランドン・ラウス)だが、クリプトン星が消滅したことを知り、第二の故郷・地球へ戻ってくる。しかし宿敵レックス・ルーサー(ケビン・スペイシー)は新たな野望を実現せんとし、愛するロイス(ケイト・ボスワース)は子供を抱えて他の男と暮らしていた。

(以下少々ネタバレあり)
やっぱりスーパーマンは面白かった〜。
ブランドン・ラウスがとにかく素晴らしいです。彼演じる新スーパーマンは「目」から登場するんだけど、画面一杯に映し出された眉毛と眼を見ただけで、「スーパーマン」以外何者でもないって分かる。対してケビン・スペイシー演じるレックス・ルーサーの「目」は…例えば博物館に隕石を盗みに入った際の、ライトに照らされて浮かび上がった眼は、素直には育ってこなかった面白さを湛えてる。
愛人キティ役のパーカー・ポージーの、いかにも彼女らしい、時代を超越したB級ぽいファッションも良かった。彼女なら何とかやってのけるだろう、無人島でも(笑)

今作は、オリジナルをかなり細かいところまで踏襲していて、かつバージョンアップ?してるとこもあって、楽しかったです。例えばルーサーとキティのやりとり「おい言ってやれ、オレの親父の口癖は何だっけ?」「…『ハゲるぞ』?」「じゃなくて!」「『出て行け』?」/ジミーが撮ったボケボケの写真に編集長と同僚いわく「これは何だ?」「鳥か?」「飛行機か?」等々。
舞台が現代になっているのも面白いポイント…なんだけど、クラーク・ケントが育った農村は昔も今もさほど変わりがないし、新聞社の内部も大して変化がない。タイプライターの音の有無くらいか。ロイスの髪型や服装もクラシカルだし。
目立った「時代の変化」といえば、クラーク・ケントが着替えに電話ボックスを使わないところと、ジミーのボケボケ写真が「12歳の子が携帯で取った写真」に比べられてしまうところ。ちなみに今作で、スーパーマンが携帯で写真撮られちゃうのはこの一回きりなんだけど、もし舞台が日本なら、観衆は皆、一斉に携帯出して撮りまくりだよね。日本人とアメリカ人の違いなのか、それとも単にフィクションだからなのか。
(そういや、ジミーが最後に撮ってた「スーパーマンがデイリー・プラネット社のシンボル(あの地球儀ね)をかついでる写真」は出てこなかったけど、次作があれば、そこで見られるのかな)
窮地に陥ったスーパーマンを、ルーサーの愛人が助けてしまう、というのもオリジナルと同じで、もー、なんでもっとしっかり見張っとかないのかな〜。まあ、とくに今回なんて、一度スーパーマンの腕に抱かれて空飛んだら、そりゃあ彼の側についちゃうよなあ(笑)「スパイダーマン」でも、一緒に空飛んだオバサンがぼーっとしてたけど、八百屋お七みたいに?スーパーマン会いたさにトラブル起こす女性が続出してもおかしくないよね。

スーパーマンを呼び寄せるためにわざとクルマで暴走したキティが、病院から戻るなりレックスを平手打ちすると

「ブレーキが利かない『フリ』だって言ったじゃない!」
「女のウソはすぐバレるからな」


一瞬黙って、レックスのビジネスライクな問い(えっと何だったかな?忘れてしまった)に答える。その「間」、何がアタマをよぎったのか、すごく印象的だった。

帰宅したら日曜洋画劇場でオリジナルの「スーパーマン」を放映してたので途中から観たんだけど(DVDも持ってるんだけど・笑)、私の好きな、ロイスとの夜間飛行デートが短くカットされてたので寂しかった。一人で飛べる気になっちゃったロイスが手を離してしまって、慌てる場面とか。そうそう、新作の飛行デートでは、ロイスの方も慣れちゃって、静かにパンプス脱いで、静かに上ってく。オリジナルのロイスなら、あんなにしずしずと行動しないよね。彼女はオリジナルの方が(当時の言葉で言えば)「お転婆」なカンジ。だからベランダでの「私の下着の色、分かる?」(中略)「…ピンクだね」「ピンクは好き?」「大好きだ」のようなやりとりもすんなりはまるわけで、今回の二人には、そういうやりとりは期待できないもんね。
それにしてもまあ、オリジナルでも今作でも、運がいいのか悪いのか、彼女はひどい目に遭いすぎ。飛行機内でもみくちゃにされるところは、あまりの凄さに笑ってしまった。「ポセイドン・アドベンチャー」「飛べ!フェニックス」等々、数々のパニックシーンを思い出しながら観てました。お得だったかも。

(06/08/22・劇)


ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男 (2005/イギリス/監督スティーヴン・ウーリー)

1969年。ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ(レオ・グレゴリー)は、人里離れた山中に、かつてA.A.ミルンが住んでいた家を買った。マネージャーのトムによって送り込まれたのは、建築家のフランク(パディ・コンシダイン)。情緒不安定なブライアンのお目付け役も兼ねていたのが、次第にそのペースに巻き込まれてゆく。

「上映後のトイレで真っ先に耳に入った感想」というのは面白いものだけど、今回は20代女性二人連れが「ミック役の人、かっこよかったねー!」と盛り上がってました。同感。私も登場時の遠景で心奪われてしまった。といっても、ミックとキースは「画面に映ってる」程度、チャーリー・ワッツに至っては名前を呼ばれることすらないんだけど、メンバー揃ってブライアンにクビを宣告しに来た際の態度が、ミック→ビジネスライク/キース→ちょっと可哀相かも/チャーリー→ただ来ただけ、というもので、私は彼等のことよく知らないけど、それっぽくて可笑しかった。ちなみにトイレ出てからの下りエレベータ内では、それほど親しくなさそうな男女が「この歳になると水を飲んでも太る」という話を延々としており、現実に引き戻されました。

「男は才能より性分」というアタマの私にとっては…というか、この映画ではブライアンの才能が全く描かれていないんで、たんに「傍迷惑な男が死んだ」という印象しか受けないし、筋だけ追えば「大したことは起こらない」。だけど面白い。そういう映画ってやっぱりいいものだ。ジョセフ・ロージーの「召使」を思い出してしまった。ちなみに私が「色っぽい映画」というと思い出す一作が「召使」であり、対して「ブライアン〜」は全く色っぽくもエロくもなく、別にエロスとは内面がどうとか何とかいう話ではなくて、単にまず、自分で行うときと映画として観るときとの違い、なんだろうなあ。
話は戻って、「召使」でもダーク・ボガードよりお坊ちゃん貴族の方に見入ってしまった私としては?この映画では、絵に描いたような変人のブライアンよりも、何考えてるんだか、何も考えてないのかも、のフランクに心惹かれました。ルックスは、痩せてるティモシー・スポールというカンジ。

ラストの幾つかのシーンは、私には泥臭い独りよがりに感じられたんだけど、どうしてもこうしたい、という作り手の情熱を感じて、却って好感を持ちました。
あとまあ、あの時代に青春送ることにならなくてよかった。なんか切ないから。
ゴハンも(イギリス映画として)相変わらず不味そうで楽しかったです。

(06/08/13・劇)


トランスアメリカ (2005/アメリカ/監督ダンカン・タッカー)

初日特典はドクターシーラボのサンブロックミルク。作中、主人公のブリーは日差しを気にするんで、なかなかピッタリだと思った。

ロスに暮らすブリー(フェリシティ・ハフマン)は、女性への性転換手術を一週間後に控えたある日、警察からの電話で、息子トビー(ケヴィン・セガーズ)の存在を知る。動揺するも、身元引受人としてニューヨークへ出向き、正体を明かさずに彼を義父の元へ送り届ける。しかし事はそう順調に済まず、手術費用を切り崩しながら、二人の旅が続く。

私は大抵ショートヘアなので(今は伸ばし中だけど)、ブリーのような肩でワサワサしてる髪型を見ると、もう、振り払いたくなって、まとめたくなってしょうがない。ああいう髪型で生活するのって、ある種のエネルギーがいるように思う。
冒頭は朝のお着替えシーンなんだけど、彼女が髪を整え、ガードルを履き、服を着ける(「着ける」ってのがすごくピッタリくる)のを見ると、「女心」とされるものにも色々あって、露出するとか、派手にするとか、可愛くするとか、そういうのばかりじゃないんだよなあと、改めて気付かされる。なんていうか、上品で、シッカリしてるの。ごくごく普通のオバサンの、シッカリさ。エネルギーの要ることだ。
ちなみにお着替えの後、鏡の中の自分に向かって呼びかけるシーンがあって、ブリーは自分をシッカリ見つめてるから、鏡に向かうのかなと思った。挨拶はちょっと真似してみたい。

妙に印象的だったのは、ブリーの妹を演じたキャリー・プレストン。成金の両親とともに寂しい土地の豪邸に住まい、久々に兄を迎えて開口一番「よかった〜ママの相手、一人じゃキツクて」というようなことを言う。同行者には、私も実家に帰省してるときはあんなじゃないかと言われた(笑)まあともかく、顔や雰囲気が、印象的で。
息子のトビーはほんとに可愛コちゃんでした。甘いルックスだけじゃなく、拍子抜けするほどのいいコ。ブリーと彼との関係はそうゴタゴタしない。ほのぼのしてて、まあ映画だし、安心して見られる。
あと、どこへ行ってもハンバーガー、のアメリカ人に感心したり。

(06/07/26・劇)



表紙映画メモ>2006.07・08