| たくましき根性娘 |
| トウメイ |
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天皇賞・秋 有馬記念 京都4歳特別 マイラーズC2回 阪急杯 牝馬東京タイムズ杯 31戦16勝 競走成績 |
ネズミのように細い馬
トウメイは、昭和41年5月17日北海道静内の谷岡増太郎牧場で生まれた。母トシマンナは小岩井農場系の名牝フラストレートにさかのぼることができる良血で、父の母には戦後屈指の名馬メイヂヒカリ。そのような名血のトシマンナには最初トサミドリの公配が予定されていたが、申し込み過多ということで急遽当時無名だったシプリアニが相手に選ばれた。こうした偶然から生まれたトウメイは小柄なもののあか抜けた馬体を持ち、最初はなかなかの評価を受けていた。
ところがどうしたことかしばらくすると発育が停止し、スマートだった体つきも見る見る崩れだした。全く見栄えのしなくなったこの「ネズミのような」馬を買おうとするものなど現れるはずもなく、牧場もなんとか彼女を売ってしまおうと他の2頭をあわせてセット販売を試みた。しかしその3頭を見た調教師はトウメイを差し、次にように言ったという。
「他の2頭はいい。でもこの1頭だけはいらない。」
屈辱の売れ残りトウメイは2歳夏に一縷の望みをかけてセリに出された。この年の一般馬の平均価格は284万円。しかしネズミ馬トウメイにつけられた最低希望価格価格は150万円。セリが始まり、初めに「160万円」と声がかかった。次に大井の高木調教師が「165万円」と応じた。それでセリは終了し、たったの165万円で未来の名牝トウメイは売られていった。
地方競馬の大井競馬場でデビューする予定となっていたトウメイだったが、予期せぬことが起きた。入厩先の高木調教師が急逝し、急遽トウメイは購買時に高木調教師と一緒に来ていた阪神の清水茂次調教師のもとに移ることになった。しかし中央に転厩したものの、余りにみすぼらしい馬体を持つトウメイには預かりたいという厩務員も現れず、とりあえず馬房前の空き地につながれて手の空いたものが面倒を見るという有様となった。
デビュー前のトウメイは屈辱の日々の連続の中でたくましく育っていった。屈辱からの脱出、マイルの女王へ
ところが3歳に夏にデビューするとトウメイの評価は一変する。初戦6番人気ながら2着に食い込む健闘を見せると2戦目で見事勝ち上がり、3歳時は結局6戦4勝という素晴らしい成績を上げることができた。4歳になっても京都4歳特別で牡馬陣を一蹴するなどの活躍を見せ、クラシック第1弾桜花賞にはなんと1番人気で望むことになっていた。このときには誰もが「あれはただのネズミではない」と言うようになっていた。
桜花賞はもう1頭の人気馬ヒデコトブキとの桜花賞史に残る激しいレースとなった。競馬実況の重鎮・杉本清氏がはじめてクラシックレースを実況したレースとしても知られるこの桜花賞はハイペースの流れの中、先に抜け出したトウメイと後ろから迫るヒデコトブキの300mにも及ぶ激しい一騎打ちとなり、わずかにヒデコトブキがトウメイを抑えて優勝した。名馬コダマを父に持つ良家のヒデコトブキにあと一歩のところで涙を呑んだトウメイは、続くオークスでも僅差の3着と健闘したものの勝利には至らなかった。この後ヒデコトブキは故障などで大した活躍はできなかったが、対して雑草の強さを持つトウメイはタフに走り続け、次第に名馬としての地位を確立していくことになる。
オークス後も走り続けたトウメイは、5歳時に白腺裂という奇病にとりつかれ、4歳時のタフさとは裏腹に3戦しかできなかった。しかし強さは衰えず、第1回マイラーズCでダテホーライを押さえ快勝した。そして7ヶ月もの長い休養をおいて復帰した6歳時は第2回マイラーズカップを連覇、このころには「マイルの女王」と呼ばれるようになっていた。そして6月の阪急杯で58キロを背負い完勝すると、トウメイ陣営は天皇賞獲得へと動きだす。天皇賞・有馬記念連覇
秋に行われる天皇賞・秋(当時は3200m)は東京競馬場開催。関西馬のトウメイはまず東上初戦に得意のマイル戦牝馬東京タイムズ杯に出走、59キロを背負いこれを快勝する。まわりの誰もがこのレースを目標に東上したと思っていたので、トウメイが東に留まり、天皇賞挑戦を表明した時には皆びっくりした。牝馬に3200mはあまりに過酷。ましてやトウメイはマイル戦での斬れ味を売りにする馬。いくらトウメイが勝負根性に優れた強い馬だといっても勝ち負けは難しいのではないか?その思いは騎乗する清水騎手も同じだった。しかしさんざん悩んだあげく、清水騎手は極めて楽観的な2マイル克服法を編み出した。
「3200mといっても結局は2マイル戦。トウメイの得意なマイル戦を2度走って来るつもりで乗ればいいのだ・・・」
果たして天皇賞で3番人気に押されたトウメイはその言葉通りマイルを2度走ったのか、直線マイル戦のような鋭い追い込みを見せてダービー馬ダイシンボルガード・菊花賞馬アカネテンリュウ以下牡馬の強豪を抑えて見事に天皇賞を獲得した。牝馬が天皇賞を勝ったのはクリヒデ以来9年ぶりのことで、これ以降も昭和55年のプリティキャスト、そして平成9年のエアグルーヴ(ただし2000m)ただ2頭しか記録されていない。
天皇賞を制覇したトウメイは続く有馬記念制覇に夢を膨らませる。ここで今まで様々な不運に見舞われてきたトウメイに大きな幸運が転がり込んできた。有馬記念当日突如流感騒ぎが東京・中山競馬場を襲い、有力馬メジロアサマ・アカネテンリュウが出走取り消し。わずか6頭立てで有馬記念のゲートは開いた。ここでもトウメイはもやの中得意の斬れ味を発揮し、堂々有馬記念制覇。牝馬による天皇賞・有馬記念制覇は昭和34年のガーネット以来、史上2頭目の快挙であった。
戦後最強牝馬の称号を手土産に牧場へ戻ったトウメイは繁殖生活に入り、初仔と第2仔ルイスデールの牡馬を産んだ。余談だがトウメイがルイスデールのところに種付けに出かけたとき、過去を思い出すようなトウメイらしい目にあった。種馬場の係員が馬運車から降りてきたトウメイを見て次のように言ったという。
「今日はトウメイという偉い馬がやってくる。すまないが後にしてくれ。」
ルイスデールの初仔はホクメイといい、道営でA級馬として活躍した。そして第二仔がテンメイである。テンメイは母と同じ天皇賞・秋を勝った。同じ馬主、同し調教師、同じ厩務員、同じ騎手によるもので、ゲートも12頭立て12番枠、そして2着につけた着差も1/2馬身とすべてトウメイの時と全く同じであった。母仔2代天皇賞制覇は後にも先にもこの例があるだけである。
トウメイは91年に繁殖生活を引退、悠々自適の生活をしていたが、平成9年4月7日にこの世を去った。32歳の大往生であった。最後の繋養地となった幕別牧場は、トウメイ繁殖引退後はトウメイの余生の為だけに存在する牧場であったが、トウメイの死とともに牧場もその幕を下ろした。
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