黄金の末脚
タニノムーティエ


タニノムーティエ 阪神3歳S

皐月賞

東京優駿(日本ダービー)

スプリングS

きさらぎ賞

弥生賞

デイリー杯3歳S





18戦12勝
競走成績

関東馬と関西馬

 アローエクスプレス・タニノムーティエ。昭和45年のクラシックはこの2頭の対決に沸いた。アローエクスプレスは3歳時5戦5勝で朝日杯3歳Sを制し、最優秀3歳牡馬に輝いた関東の期待の星。そして一方のタニノムーティエは3歳時9戦もして7勝、阪神3歳Sを制していたが最優秀3歳牡馬の座をアローに奪われていた関西NO.1である。現在でも東西の両雄が相まみえるとき、関東馬か関西馬かで盛り上がることもあるが、交通網・通信網が発達した現在ではこれはもはや昔の名残でしかない。しかしこの当時は、関東馬と関西馬が共に戦うのはクラシックまでは夏の北海道の新馬戦くらいで、秋以降交流戦は全くと言っていいほど行われなかった。馬券の相互発売もほとんどなかったので、関東のファンが関西馬を見ることも、また関西のファンが関東馬を見ることもほとんどなかったのである。当然いつも目の前を走っている馬に愛着がわき、その馬が一番強いと応援したくなる。そんな背景でこのAT(アローエクスプレス・タニノムーティエ)対決は盛り上がっていったのである。

AT対決4番勝負

 タニノムーティエはハードトレーニングを信条とするカントリー牧場で鍛えられ、7月にデビューすると5ヶ月間に9戦も戦い、そのうち7勝している。蛇足であるが、ハードトレーニングというと我々はミホノブルボンと戸山調教師を思い出す。戸山調教師が初めてダービーを取ったタニノハローモアも、このカントリー牧場のハードトレーニングで鍛え上げられた馬であり、戸山師の鍛えて最強馬を作るという理論もカントリー牧場譲りのところも多分にあったのだろう。
 さて、そのタニノムーティエが4歳になって皐月賞目指して初めて東上したのがダート変更になった弥生賞であった。関東ではほとんど情報の入ってこない関西馬のタニノムーティエはこの弥生賞で初めてその力を見せつける。そして続くスプリングSは関東の無敗チャンピオン・アローエクスプレスと、関西の栗毛のチャンピオン・タニノムーティエの初対決の場となり、巌流島の決戦とも呼ばれるほど大きく盛り上がった。レースは鮮やかに抜け出して先頭に立ったアローエクスプレスが一瞬勝ったかに見えたが、タニノムーティエがその爆発的な末脚を披露してアローを並ぶまもなく差しきり、ゴールに飛び込んだ。この勝利によってタニノムーティエは1番人気で皐月賞に臨み、2着に敗れたアローエクスプレス陣営は必勝を期すため、アローの鞍上を当時まだ若手だった柴田政人からベテランの加賀武見に変更した(有名な柴田政人の無念の乗り代わりである)。
 皐月賞はこの2頭の2度目の対決。他馬はこの2頭には勝ち目がないとわずか12頭立てとなっていた。このレースも前走と同じくタニノムーティエの完勝に終わり、ムーティエはまず一冠を制した。
 その後タニノムーティエは強気のローテでNHK杯に挑んできた。それを聞いたアロー陣営はなんとしてもムーティエに雪辱を、とNHK杯に出走を決定。3度目のAT対決が実現する。このレースはタニノムーティエが完調でなかったこともあり、アローエクスプレスが初めてタニノムーティエに勝利する。アローは520キロを越す大型馬で胴の詰まった体型であったことなどから距離に対する不安がささやかれていたが、この勝利によってダービーに対しての距離不安を何とか払いのけ、再び人気の面でタニノムーティエを上回った。
 そして本番ダービー。関東マスコミの後押しもありアローエクスプレスは1番人気。タニノムーティエは2番人気となったが、レースは以外あっけないものとなった。悠々と抜け出したタニノムーティエに対し、やはり距離不安を露呈したのかアローエクスプレスは直線ずるずると後退。5着と敗れた。タニノムーティエはこれで二冠達成。AT対決と騒がれた2頭の対決は結果としてタニノムーティエの圧勝に終わった。

ノドを鳴らしながら

 このまま行けば三冠達成もと期待されたタニノムーティエは夏を休養にあて、秋の朝日チャレンジカップで復帰した。当然の圧倒的1番人気で迎えられたタニノムーティエはこのレースで信じられない負け方をする。出遅れ、直線に入っても後方のまま離されっぱなし。しんがり負けであった。実はムーティエは病に侵されていた。夏に放牧に出された滋賀県の放牧場でムーティエは風邪をひき、そこから喘鳴症(のど鳴り)を起こしてしまったのである。必死に立て直そうと陣営は八方手を尽くし、菊花賞トライアル京都杯に出走するもノド鳴りに苦しみ6着に敗れてしまった。もはや菊花賞は絶望。そればかりか競争生命にも黄信号が灯っている。しかしそれでもあらゆる治療を尽くされて一縷の望みをかけて三冠最後の菊花賞にタニノムーティエは送り出された。
 追い切りでもノド鳴りの症状を見せたタニノムーティエはもはや三冠達成は絶望的だったが、それでも奇跡への願望と同情から多くのファンが馬券を買って応援し、5番人気で迎えられた。ちなみに1番人気は前走京都杯できわどい2着となったアローエクスプレス。こちらも距離不安がありながらの1番人気であった。この最後の舞台で、負け戦とはいえどもタニノムーティエはその名に恥じないレースをした。2週目の3コーナー坂の下り、勝負所でタニノムーティエが外目を上がっていい脚で上がってきたのである。「タニノムーティエが上がってきました」と場内アナウンスが叫ぶと、場内には雷鳴が鳴ったような大歓声が響いたという。
 しかし奇跡もそこまでだった。ノド鳴りで息が持たなかったムーティエはそこで脱落、結局11着でゴールし、アローエクスプレスもやはり距離が持たず9着と敗れた。結局この菊花賞を最後にムーティエは引退、2週間後タニノムーティエの引退式がこの京都競馬場で行われた。

 その後、種牡馬生活に入ったムーティエだったが、「いつかムーティエの仔で三冠を取りたい」、そう引退式で述べたオーナーの願いとは裏腹に、タニノムーティエの種牡馬成績はそうパッとしたものではなかった。一方ライバルのアローエクスプレスの種牡馬成績は素晴らしく、二冠牝馬テイタニヤを初めとする活躍馬を次々と送り出し、80年、81年と2年連続でリーディングサイヤーに輝いている。種牡馬になってからのAT対決は現役時代に辛酸を飲ませられ続けたアローエクスプレスの圧勝に終わった。そして平成3年2月9日、タニノムーティエは故郷カントリー牧場の牧場スタッフに見守られながら25歳の天寿を全うし、1ヶ月後の3月5日、後を追うようにアローエクスプレスもこの世を去った。最後までこの2頭は並んで走っていたのかもしれない。


 

タニノムーティエ 牡 栗毛 昭和42年〜平成3年

生産地・生産者 北海道静内 カントリー牧場 総収得賞金 106,665,100円
馬主 谷水信夫 繋養地 北海道静内 静内種畜牧場、
鹿児島県鹿屋 九州軽種馬生産組合、
北海道静内 静内スタリオンセンター、
北海道静内 カントリー牧場、
北海道鹿追、中野牧場
調教師 島崎 宏 主な産駒 タニノサイアス(京都3歳S、桜花賞4着)、
タニノレオ(京都3歳S、菊花賞5着)、
ハローキング(東海桜花賞、名古屋大賞典、新春グランプリ)、
セブンムーテ(東海・中日スポーツ杯)
騎手 安田伊佐夫、宮本 悳


ムーティエ
Moutiers
(栗 1958)
Sicambre Prince Bio Prince Rose
Biologie
Sif Rialto
Suavita
Ballynash Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Ballywellbroke Ballyferis
The Beggar

タニノチエリ
(栗 1963)
テイエポロ Blue Peter Fairway
Fancy Free
Trevisana Niccolo Dell'Arca
Tofanella
シーマン Able Seaman Admiral's Walk
Charameuse
Vermah Vermeer
Marheke