| 元祖「怪物」 |
| タケシバオー |
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朝日杯3歳S 天皇賞・春 東京4歳S 東京新聞杯 京都記念 毎日王冠 英国フェア開催記念 (スプリンターズS) 国内27戦16勝 海外2戦0勝 競走成績 |
オールラウンダー
最強馬は?という議論が出ると、真っ先に名が上がるのがシンザン・シンボリルドルフ・あるいはナリタブライアンあたりであろうが、その次くらいで必ず「タケシバオー」という名があがってくる。制した大レースは天皇賞だけと、実績では上述の馬に遠く及ばないが、その強さは別の次元のものであった。芝だろうがダートだろうが、短距離だろうが長距離だろうが、良馬場だろうが不良馬場だろうが全くお構いなし。叩き出したレコードは5つ。中には3200mの天皇賞を勝った直後にスプリンターズSで叩き出した1200mのレコードや、30年余り経った今なお不滅の東京ダート1700mのレコードが含まれている。制した大レースが少ないのは、日本の競馬に見向きもせず、海外挑戦を敢行したためで、日本に留まっていればより高い成績を残していたのは確実である。今後グラスワンダーのように、この馬に近い馬が出ることはあっても、タケシバオーを越える馬は現れないだろう。野武士
タケシバオーの父チャイナロックは、今でこそタケシバオーやハイセイコーなどの活躍によって名種牡馬と見なされているが、当時はさしたる活躍馬も出しておらず無名に近い存在だった。母タカツナミも大井で走ったものの未勝利で繁殖入りした馬で、血統的には特に注目を受ける存在ではなかった。加えて、タケシバオー自信見栄えもあまり良くなく、三井末太郎調教師がこの馬を初めてみたとき、そのあまりにもひどい姿に「これが馬ですか?」とつぶやいたという。
期待されていなかったタケシバオーは新潟でデビューすると函館・札幌・福島・中山と勝ったり負けたりしながら各地の競馬場を転々とし、なんとか朝日杯に駒を進めた。特に着目すべき所のなかったタケシバオーは3番人気で迎えられたが、このレースでタケシバオーは2着を7馬身ちぎる圧勝を見せ、一躍関東3歳ナンバーワンに祭り上げられた。その圧倒的な勝ちッぷりと、それまで各競馬場を転々とした戦績から「野武士」と呼ばれだしたのもこのころからだった。このあたりの経歴は後のナリタブライアンに似ていておもしろい。2着病
3歳暮れから始まった連勝は4歳に入ってからも続き、東京4歳Sではダート1700mのレコードを叩き出した。そして、クラシック候補として弥生賞に駒を進める。ここでカドマスとの無謀な逃げ合戦に出たタケシバオーは最後に力尽き、のちに3強を形成するアサカオーに敗れて2着となってしまった。この敗戦がケチのつけはじめで、次走のオープンは勝ったものの、続くスプリングSから5歳はじめまでタケシバオーは勝ち星に見放されてしまう。別に弱くなったわけではなく、いわゆる「2着病」というものに陥ってしまった。
皐月賞ではアサカオーには競り勝ったものの3強のもう一頭・マーチスに敗れ、ダービーでは3強で最先着するものの、戸山調教師の伏兵タニノハローモアの逃げ切りを許してしまった。そして、秋になってなんでもないオープンでも2着となってしまう。ここで、陣営は菊花賞には目もくれずアメリカのワシントンDCインターナショナルへの遠征を敢行した。このレースでは、勝ち馬にトモを引っかけられるアクシデントに見舞われ最下位と敗れてしまう。その後、日本にもどって2戦したが、2着病はまだ治っていなかった。鬼神の8連勝
しかし5歳2月の東京新聞杯で、タケシバオーは久々に勝利を味わう。そしてこの勝利を機にタケシバオー鬼神の連勝が始まった。続くダート1700のオープン戦では1分41秒9という今なお不滅の大レコードを叩き出した。その後も京都記念では重馬場を62キロを背負って快勝、続くオープンも60キロを背負ってレコード勝ちした。
そして迎えた春の天皇賞。敵はかつての3強・アサカオーとマーチスだったが、マーチスはやや不調をかこっていたので実質アサカオー一頭であった。レースは超スローペースとなり、直線だけの勝負となったが、タケシバオーはここで34秒9の上がりタイムで快勝した。
天皇賞の次走・ジュライSはどろんこの不良馬場。タケシバオーに課せられた斤量は65キロという酷量であった。このレースでもタケシバオーは後方から大外強襲して勝利をものにした。「このレースくらいタケシバオーの強さに驚いたレースはなかった」と古山騎手は語った。
毎日王冠を勝って史上初の1億円ホースとなったタケシバオーは、国内最終戦となった英国フェア開催記念(スプリンターズS)に出走、62キロを背負ってレコード勝ちを納めた。もはやどんな場合でも負ける姿を想像できない鬼神と化していた。
その強さを背負って、2度目のアメリカ遠征を敢行したタケシバオー陣営だったが、またしても不運に見舞われた。熱発でとてもレースに使える状態ではない。今なら明らかに出走取り消しする程の状態だったが、陣営はせっかくだからと出走に踏み切った。結果またしてもしんがり負け。ぼろぼろになって帰国したタケシバオーはそのレースを最後に引退した。
種牡馬としても実に多くの活躍馬を送り出したタケシバオー。「怪物」と呼ばれる馬はこれ以降何頭かいるが、初めて「怪物」と呼ばれるにふさわしい活躍をしたのはこのタケシバオーではなかろうか。現在顕彰馬には選ばれていないが、この先顕彰馬見直しが行われればタケシバオーもおそらく加えられるであろう。
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