| 天才が愛した馬 |
| スーパークリーク |
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菊花賞 天皇賞・秋 天皇賞・春 京都大賞典2回 大阪杯 16戦8勝 競走成績 |
生粋のステイヤー
近年はおおよその長距離戦もスローペースからの上がり勝負となり、斬れ味に優れた中距離馬が制してしまうことも頻繁に起こるが、もしそこにスタミナを信条とする真のステイヤーがいたならば、斬れ味だけのスピード馬はもはやなす術がない。近年そういうステイヤーは減少しつつあるが、平成に入ってからも真のステイヤーと言える馬が数頭現れている。メジロマックイーン・ライスシャワー・そして平成初期の名ステイヤー・スーパークリークである。
スーパークリークは生まれたときからステイヤーとなることを約束された馬だった。父ノーアテンションはニジンスキー産駒のグリーンダンサーの仔であり、長距離戦を得意とする馬であった。そして母の父インターメゾは昭和の名ステイヤー・グリーングラスらを出した極めつけのステイヤー血統。このような血統背景から生まれた仔馬は「今は小さな小川(クリーク)でも、いずれは大レースを勝つような大河(スーパー)になって欲しい」との願いで「スーパークリーク」と名付けられ、デビュー戦から引退まで全て2000m以上の長距離を使われた。初戦の新馬2000mは2着だったが、折り返しの新馬2000mを勝ち上がり、5戦目のすみれ賞を勝ち上がったときはダービーでもおもしろいと目された。しかし骨折、春シーズンを棒に振ってしまった。
秋になり、神戸新聞杯から復帰したスーパークリークはこのレースを3着とし、続く京都新聞杯で菊花賞の権利を得ようとするが、道中3回も不利を受けて6着と敗れてしまう。目指す菊花賞はフルゲート18頭。菊花賞には36頭もの馬が出走登録をし、スーパークリークの賞金はこのときガクエンツービートと並んだ19番目。確実に出走するには2頭の回避が必要であった。ところが直前でセンシュオーカンとマイネルフリッセが回避、なんとか菊花賞へ出走権を得ることができた。実はマイネルフリッセのオーナーの岡田繁幸氏が「このレースを勝つほどの本当に強い馬が出走すべき」と自分の持ち馬を「本当に強い馬」スーパークリークのために回避してくれたのであった。
はたしてぎりぎりの賞金ながらも菊花賞に出走がかなったスーパークリークは3番人気に押され、直線もがく1番人気の皐月賞馬ヤエノムテキを尻目に後続に5馬身もの大差をつける大圧勝を演じて見せた。このときスーパークリークに跨っていたのは当時まだデビュー2年目であった武豊。これが初のG1制覇。そして19歳7ヶ月での菊花賞制覇はもちろん最年少記録であり、また史上最年少クラシック制覇であった。すみれ賞のときに初めてクリークに跨って以来、その堂々とした威厳や乗り心地に魅入られ、そのスーパークリークで初G1制覇を成し遂げた武豊は、この後も何よりも優先してスーパークリークを選ぶようになる。3強激突・平成元年秋
スーパークリークは慢性的に脚部不安を抱えていた。ノーアテンション産駒の特徴として左前脚の膝下から球節にかけて少しゆがんでいたのである。そのような脚部不安と常に戦っていたクリークは有馬記念(3位入線・失格)でオグリキャップに敗れたあと9ヶ月もの長期休養を強いられることになる。そして再び競馬場に出てきたのは10月の京都大賞典であった。このレースを1着としたクリークは続く天皇賞・秋で怪物・オグリキャップと二度目の対決を迎えた。
このレースでは見るからにステイヤーのスーパークリークよりも強力マイラーのオグリキャップに人気が集まるのは当然のことで、オグリ断然の1番人気でゲートは開いた。しかしここでもスーパークリークは強かった。早めに抜け出し、後方から追いすがるオグリキャップの猛追を凌ぎきってゴール。得意とは思えない2000mの中距離線を制したことでスーパークリークの評価は更に高まった。
続くジャパンカップはステイヤー故の決め手のなさになす術もなかったが、有馬記念では打倒オグリの1番手とされた。そしてこのレース、直線で止まったオグリキャップを堂々とかわし、先頭でゴールするかと思われたが、ここで猛然と追い込んできてハナ差クリークを交わしたのは天皇賞・春・宝塚記念を制しているものの天皇賞・秋、ジャパンカップで惨敗し3強の枠から外れた感のあったイナリワンだった。
結局この年G1勝を上げたイナリワンがこの年の年度代表馬に選ばれたが、マイルCS・ジャパンカップで激走を見せたオグリキャップ・そしてそのオグリを天皇賞・秋で完封したスーパークリーク、この3頭どの馬が年度代表馬でもおかしくない年であった。スーパークリークと武豊
スーパークリークにとってどうしても取っておきたいタイトルは天皇賞・春。そこには海外遠征プランのあったオグリキャップはいなかったものの年度代表馬・イナリワンが顔を見せていた。有馬記念の雪辱をと直線堂々とイナリワンを寄せ付けずに天皇賞・春も圧勝。タマモクロスに続く天皇賞連覇をやってのけた。この後スーパークリークにも凱旋門賞挑戦プランが持ち上がったが、このころはすでに慢性的な脚部不安が再発しており、なんとか秋に京都大賞典を走ったもののそのレースを最後に引退となった。結局スーパークリークが万全な状態で走ることはできたのは5歳秋の京都大賞典、天皇賞・秋、ジャパンカップの3レースしかなかったそうである。
引退式では天皇賞制覇時の5番のゼッケンをつけたスーパークリークが、背に武豊を乗せて馬場を歩いた。感慨深そうにクリークの首筋をなでる武豊、彼はこのスーパークリークを心から気に入っており、後に「もうあんな感触は味わえないかも知れませんね。現役時代にもう一度だけでもクリークのような馬に巡り会えたら幸せです」と語っている。
この後数々の大記録をうち立て、押しも押されぬ日本競馬ナンバーワンジョッキーへと成長した武豊、クリークの後もメジロマックイーン・ナリタブライアン・ダンスインザダーク・エアグルーヴなど数多くの名馬の手綱を取ってきたが、果たして彼にとってスーパークリークを超えるような馬は現れたのだろうか?一度聞いてみたいものである。
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