| 名牝系の開花 |
| スターロッチ |
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優駿牝馬(オークス) 有馬記念 京王杯AH 25戦9勝 競走成績 |
日本の代表的名牝系
数多くの過去の名牝と呼ばれる馬の中でも、スターロッチほど子孫に活躍馬を多く送り出した馬はそういないだろう。皐月賞馬ハードバージや天皇賞馬サクラユタカオー、悲運の名馬サクラスターオーにダービー馬ウイニングチケットなど、G1馬だけ挙げてみても蒼々たる面々である。スターロッチ系の優れているところはその牝系がいまなお時代遅れにならず、名種牡馬の力を借りながらますます繁栄しているところであろう。牝馬はますますその系統を広げ、種牡馬入りした牡馬も成功しているものも多い。このように日本の血統を語る上では欠かせない存在となったスターロッチだが、生まれ育ちは驚くほど地味であった。スターロッチは抽せん馬だったのである。○抽最大のスター
抽せん馬とはセリでJRAが購入した馬を抽選で馬主に安く譲られる馬のこと。最近ではアインブライド等の活躍馬の出るようになったが、一般的にはいわゆる安馬としてあまり走らないとのイメージを持たれているのは否定できない。コダマと同世代のスターロッチのころは生産頭数も少なく、ほとんどの馬が庭先取引で売られていた。自然セリに大物が出てくることも少なかったため、抽せん馬の質も低かった。生まれた頃はまだロッチと呼ばれていたスターロッチはそんな中では比較的良質の馬で、普通なら当然売れているはずの馬だったが、腰のあたりの肉付きがひどく寂しいのと、競争生活終了後(昭和37年1月まで)に買い戻し条件が付いていたのでセリに出され、中央競馬会に150万円で購入された。この後他の抽選馬と同じように宇都宮の育成牧場で鍛えられ、3歳の11月にデビューした。なお、スターロッチの名は、牧場名のロッチに6代前の種牡馬サンスター(英ダービー馬)からスターを取って名付けられたそうだ。
スターロッチのデビュー戦は新馬戦に出られるにもかかわらず、控えめに未勝利戦だった。腰に弱いところが残っていたスターロッチは初戦、2戦目と惜敗したが、3戦目でようやく勝ち上がった。この後順調にクラシック路線に乗るかと思いきやあくまで控えめに抽せん馬限定戦にばかり使われ続けた。しかしその限定戦で2連勝したスターロッチはその鮮やかな勝ちっぷりを買われ桜花賞へ出走することとなった。桜花賞では一線級と一度も対戦していないこともあって穴馬的5番人気にとどまった。しかし野平騎手を鞍上に迎えたスターロッチは先に抜け出したチドリ・トキノキロクの2頭を外から猛然と追い込んだ。結果は2着チドリにもわずか及ばない3着に終わったものの、このレースで一線級と当たっても何ら遜色のない能力の持ち主ということを示した。
一躍オークスの有力候補となったスターロッチだったが、次走4歳牝馬特別で7着と惨敗。本番オークスでは9番人気の低評価となった。しかしレースではすばらしい足を使って優勝。単勝2800円もつく波乱となった。騎手生活23年目にして初の4歳クラシック制覇となった高松騎手は「直線に入ると気ばかり先に行って、手綱ががたがたになって困った」と正直な感想をもらした。ともあれ、スターロッチは抽せん馬ながら牝馬の頂点に立つこととなった。有馬記念は無欲の勝利
オークスを制したスターロッチは特に秋に目標があるでもなく使い続けられた。白百合Sやオープン、特ハンなどを勝ったが、ころっと負けることもしばしばだった。このように特に派手な活躍をしなかった秋シーズンだったが、暮れの有馬記念には推薦委員会の選出によって出走できることとなった。この年の有馬記念には天皇賞馬オーテモン、2冠馬コダマ、ダービー馬コマツヒカリ、菊花賞馬キタノオーザなど蒼々たる面々が揃った。この年で5回目を迎えた有馬記念は、過去全て天皇賞馬が制しており、「天皇賞馬しか勝てない」というジンクスが生まれつつあった。前年有馬記念を制した牝馬ガーネットですら、その年の天皇賞秋を勝っていたのだ。さすがに4歳牝馬の身で果敢に挑戦したスターロッチには全く支持が集まらなかった。
ほぼ完全なノーマークのスターロッチは逃げ馬ヘリオスの2番手でレースをすすめたが、後方の馬たちはスターロッチには当然目もくれず後方で牽制しあっていた。そして距離を苦にしたヘリオスが直線失速すると一気にトップに立ち、ゴール目指して疾走した。後続のオーテモン・コマツヒカリ・キタノオーザたちが必死に追い込んでくるものの、特すでに遅し、1馬身3/4までオーテモンが迫ったところがゴールだった。4歳牝馬による有馬記念制覇。この記録は後にも先にもスターロッチただ一頭である。競争中止で繁殖入り
5歳になってからもスターロッチは走り続けた。しかし元来ムラ駆けなところがあったように、なかなか勝利を挙げることができなかった。完全なスランプに陥ってしまい、安田記念ではしんがり負けする有様。しかし秋には徐々に調子を取り戻し、9月の京王杯で久々有馬記念以来の勝ち星を掴んだ。
そして勇躍毎日王冠に出走したスターロッチは、3コーナーまでいい感じでレースをすすめたのだったが、そこで急につまずいたようになり、スピードが鈍って馬群後方に消えた。競争中止。診断は右前肢種子骨脱臼となったが、幸い命には別状はなく、生まれ故郷の藤原牧場に帰って繁殖生活に入った。その後の産駒の活躍は前述の通りである。結局スターロッチは多くの仔を残しながら昭和61年に死亡した。子孫で同じ牧場の馬サクラスターオー2歳の時であった。
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