| 流れ星 |
| サクラスターオー |
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皐月賞 菊花賞 弥生賞 7戦4勝 競走成績 |
幻の名馬
かつて10戦10勝でダービーを制し、その直後に破傷風で死んだトキノミノルという馬がいた。その馬は「幻の馬」と呼ばれその物語は今なお語り継がれている。そして昭和の末期、忽然と現れ皐月賞を制し、その後長期休養明けのぶっつけで菊花賞を制した奇跡の馬がいた。その馬も菊花賞を制した次のレース・有馬記念でファン投票一位で出走し、故障発生、長い闘病生活の末この世を去った。鞍上の東信二騎手を男にし、忽然と姿を消したサクラスターオー。彼をトキノミノルと同じ「幻の馬」と呼んでも差し支えないだろう。東騎手との出会い
サクラスターオーは昭和59年5月2日静内の藤原牧場で生まれた。父はサクラ軍団初のダービー馬サクラショウリ。母は名牝スターロッチ系のサクラスマイル。
サクラスターオーの周りには常に不幸がつきまとっていた。生まれてから間もなくサクラスターオーに関係する最初の不幸が訪れる。スターオーが生まれて2ヶ月後母サクラスマイルが亡くなってしまったのである。まだ仲間の仔馬が母親の乳をもらっているときに孤児のスターオーは柔らかい飼い葉を選んで食べ、たくましく生きていく術を身につけた。そして3歳になった昭和61年に第2の不幸が訪れた。、牧場の基礎牝馬でありサクラスターオーの祖先スターロッチが死亡したのである。むろんそんなことは知る由もないスターオーは平井厩舎に入厩、元から弱かった足下と相談しながらじっくり調教され、2戦目の新馬戦で勝ち上がった。
4歳になり、2月の寒桜賞でサクラスターオーはシンボリの評判馬マティリアルの5着に完敗した。しかしながらこのレースでスターオーの素質の片鱗を見ることができた陣営は強気に弥生賞にスターオーを出走させることにした。ここでスターオーと一人の騎手に転機が訪れた。ここまで鞍上にはサクラの主戦騎手・小島太騎手が乗っていたが、この時期サクラの全オーナーと小島騎手の間には溝ができており、オーナーサイドの意向によって小島太騎手から東信二騎手へと乗り代わることとなったのである。東騎手はそれまで「代打男」と呼ばれ、アンバーシャダイの有馬記念などの勲章を得ていたが、この馬とのコンビによってその運命を大きく変えることとなる。
さらにスターオーに第3の不幸が訪れた。スターオーの故郷の藤原牧場場主の藤原祥三氏が亡くなったのである。自分を育ててくれた第2の母とも言うべき存在を失ったスターオーはしかしながらこのころから華々しい活躍を始める。弥生賞に6番人気で出走したスターオーは直線大外一気でホクトヘリオス・マイネルダビデらのクラシック候補を破り見事優勝した。この勝利はスターオーを混迷のクラシック路線の主役にまで押し上げるまでには至らなかったが、次走皐月賞でその輝きは更に増すことになる。
皐月賞一番人気は岡部幸雄騎乗のマティリアル。前走スプリングSで豪快な追い込みを決めたシンボリの期待馬である。サクラスターオーは2番人気に過ぎなかったが、レースでは素晴らしい実力を見せつけた。直線一気に馬群をわって突き抜けると2着ゴールドシチーに2馬身半差をつけてゴールした。「これほど力強い馬に乗ったのは初めてだ」と語った東騎手は、表彰式で1本指を突き立てた。かつてシンボリルドルフで岡部騎手がやったように「まず一冠」の意味である。皐月賞の勝利によって一気に主役に躍り出るかと思われたサクラスターオーだったが、この後繋靱帯炎から来る脚部不安が再発。ダービー(勝馬メリーナイス)には出走すらできなくなってしまった。「菊の季節に桜が満開」
秋になり、菊花賞のトライアルレースが終わった時点で主役はダービー馬メリーナイスであり、半年前に皐月賞を勝ったサクラスターオーのことなど忘れ去られていた。サクラスターオーは依然脚部不安に苦しめられており、菊花賞には出られるかどうかもわからなかったのである。ただ、徐々に快方には向かっており、東騎手はスターオーの状態を見て、「大丈夫、西へ行きましょう」と平井調教師に進言した。結局スターオーが出走を決めたのはレースの10日前のことであった。
皐月賞以来のぶっつけで菊花賞に出てきたサクラスターオー、当然の事ながら評価は低く、単勝18.9倍の9番人気にすぎなかった。淀の2度に渡る坂越えはぶっつけの馬にこなせるほど甘くはない。ましてや長距離を一度も走っていない馬であればなおさらであった。しかしここで奇跡は起こった。
中断じっとしていたサクラスターオーは直線内を強引にこじ開けるように抜け出し、皐月賞と同じように2着に飛び込んできたゴールドシチーに1/2馬身差をつけてゴールに飛び込んだ。「菊の季節に桜が満開!!菊の季節に桜!サクラスターオーです!」杉本氏のこの実況とともにスターオーと東信二は二冠を達成し、東騎手は「二冠」を示す2本指を突き立てた。このときがサクラスターオーと東信二騎手が最も輝いたときだった。悪夢の有馬記念
二冠を制したサクラスターオーはファン投票一位に支持され、有馬記念に出走することになった。しかし調教でもいい動きは見せず、好調だった菊花賞時から明らかに状態は悪くなっていた。それでもスターオーは1番人気に支持された。そして有馬記念のゲートは開いた。
ゲートが開いた瞬間、2番人気のダービー馬メリーナイス根本騎手が落馬。場内から大きな悲鳴が上がり、波乱の予感が場内に立ちこめた。そして落馬したメリーナイスがとことこ後を付いていくなかレースは淡々と進む。そして第3コーナーを回ったところで二つ目の波乱、そしてサクラスターオーにとって最大の不幸が訪れた。スパートを開始した瞬間、スターオーの足下で「バキッ」という不気味な音がした。馬場のちいさな穴に足を取られて骨折してしまったのである。ずるずると下がっていくサクラスターオー。左前繋靱帯断裂並びに第一指関節脱臼。ただちに安楽死の処置となるほどの重傷だったが、関係者の願いにより一か八かの闘病生活へ突入した。
直ちに安楽死処分の処置が取られなかったことはサクラスターオーにとって最後の不幸だったかも知れない。5ヶ月間にも渡る闘病生活の末、サクラスターオーは衰弱し、5月12日に安楽死の処置が取られた。
「バキッという音を聞いた瞬間、僕の人生も終わったなと思った」という東騎手。彼はこのサクラスターオーによって天国と地獄の両方を味わった。そしてスターオーの後はしだいに乗り鞍が減り、今年5月に騎手を引退した。
また、サクラスターオーのライバルだったマティリアル・ゴールドシチーも悲劇の名馬だった。マティリアルはスプリングS以降ずっと勝ち星に恵まれなかった。そして6歳になった京王杯オータムHで久しぶりの復活勝利を成し遂げるが、ゴール入線後骨折し、そのまま帰らぬ馬となってしまった。そしてゴールドシチーは引退後宮崎競馬場の乗馬となっていたが、引退した翌年5月に放牧中骨折、安楽死となった。
のちに「悲劇の世代」と呼ばれるほど悲しい馬達が多い世代だった。
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