| 孤高のステイヤー |
| ライスシャワー |
![]() |
菊花賞 天皇賞・春2回 日経賞 25戦6勝 競走成績 |
淀を愛した関東の刺客
菊花賞、天皇賞・春。3000mを超える長距離G1が行われているのは京都競馬場ただ1カ所であり、これまで名ステイヤーと呼ばれてきた馬は必ずこの京都競馬場でその強さを示してきた。京都競馬場第3コーナーに存在する坂の上り下りは力のない馬にとって過酷なものであり、この坂を2回も登り下りする菊花賞、天皇賞・春は力のない馬には決して克服できるものではない。数年前、その過酷な坂を味方に付け、大舞台で強敵を次々とうち破ってきた孤高のステイヤーがいた。それがライスシャワーである。ミホノブルボンの三冠阻止
ライスシャワーが4歳時クラシックロードを走っているとき、ライスシャワーのはるか前にミホノブルボンという圧倒的な強さを誇る逃げ馬がいた。坂路調教によって極限まで鍛えられたミホノブルボンは無敗のまま二冠を達成、三冠はもはや確実といわれていた。ライスシャワーがミホノブルボンと初めて対戦したのはスプリングS。全く歯が立たなかったライスシャワーだが、ダービーで2着に突っ込むと菊花賞トライアルの京都新聞杯でもミホノブルボンの2着となる。いまだブルボンの力には歯が立たなかったものの、その差は確実に詰まっていた。そしてミホノブルボンが三冠を賭けた菊花賞。逃げるブルボンを後ろから徹底マークに出たライスシャワーは直線、自身の距離の限界に懸命に抵抗するかのように何とか先頭に立ったブルボンを後ろから一気に交わし、ブルボンの三冠達成を願っていた大観衆の悲鳴の中、2馬身もの差をつけてゴールに飛び込んだ。鍛錬の馬ミホノブルボンと天性のステイヤーライスシャワーの立場が4歳秋という時期、3000mという舞台で逆転した瞬間だった。この勝利によってライスシャワーはミホノブルボンの三冠を阻んだ馬として人々に記憶された。メジロマックイーンの天皇賞春3連覇阻止
5歳を迎えたライスシャワーは生涯最高の充実期を迎える。日経賞を取り、目指すは再び淀の舞台、天皇賞・春。そこには天皇賞春3連覇を目指すメジロマックイーンと武豊がいた。ライスシャワーはその強敵に対し徹底マークの作戦に出る。淀の第3コーナー坂の下りからメジロマックイーンが仕掛けると、その後ろについていた的場とライスシャワーもスパートを開始。直線に入ったところでメジロマックイーンと並ぶとあとは突き放して行くばかりだった。勝ちタイムは3分17秒1のレコード。ミホノブルボンの三冠を阻んだ馬が今度はメジロマックイーンの3連覇を阻止。「関東の刺客」ライスシャワーは強い悪役のイメージを確立した。思い出の淀の舞台での復活と終焉
メジロマックイーンを負かし、超一流馬となったライスシャワーだったが、この後は燃え尽きたように負け続ける。骨折などもあってなかなか勝つことができない。勝てないまま2年が過ぎ、再び天皇賞・春を迎えていた。そこにはかつてのように負かすべき超一流の相手はいない。しかしもはや終わったと思われていたライスシャワーの評価は4番人気であった。マークするべき相手のいないライスシャワーは2周目の第3コーナーの登りから敢然と先頭に立ち、ついてくる馬たちのスタミナ消耗戦に出た。こうなれば超一流のスタミナを持つライスシャワーに食い下がれる馬はいない。鬼気迫るようなライスシャワー渾身のロングスパートに並びかけられる馬は確かにいなかった。4コーナーまで完全に死んだふりの作戦に賭けたステージチャンプだけが最後に猛然と追い込んできたが、ライスシャワーは何とかハナ差だけしのぎ、2年ぶりの勝利をみたび京都競馬場で手に入れた。
それから42日後、震災復興支援競走として宝塚記念が開催された。この年は阪神大震災による影響のため、例年の阪神競馬場にかわり京都競馬場で開催されたのだった。それまで敵役だったライスシャワーは今度はファン投票1位。はじめて主役として迎えられた瞬間だった。
しかしライスシャワーは再びゴールへたどりつくことはなかった。運命に導かれるように淀の第3コーナー坂の下りで骨折し、この世を去ってしまったのである。。
関東馬ながら京都競馬場で3度もG1を制覇し、同じ京都の馬場で散ったライスシャワー。彼の生涯を讃える石碑が京都競馬場パドック裏にたてられ、現在でも天皇賞当日には多くのファンがそこを訪れている。
|