| 鍛えて最強馬をつくる |
| ミホノブルボン |
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朝日杯3歳S 皐月賞 東京優駿(日本ダービー) スプリングS 京都新聞杯 |
坂路の申し子
現在では信じられないことだが、中央競馬では長い間関東馬が圧倒的な力を示し続け、関西馬は時々強い馬が出て、東に行ける馬すなわちクラシックに参加できる馬が出てくるもののほとんどのタイトルは関東馬に独占され続けてきた。ところが関西馬が拠点とする栗東トレーニングセンターに坂路コースが完成すると、その情勢は一変する。この栗東の坂路によって鍛え上げられた馬達があっという間に中央競馬の大レースを席巻してしまったのである。要するに関西馬がそれまで弱かったのは京都や阪神といった関西の競馬場の直線に坂がなかったために最後の直線を粘りきる力が足りないのが理由だったのだが、それが解消され、さらに強化されたのである。そんな坂路コースの効能を先駆けとして示したのが戸山為夫調教師とミホノブルボンであった。
ミホノブルボンは門別の原口牧場という小さな牧場に生まれたとてもおとなしい馬だったが、天性のスピードを持っており、中京で行われた新馬戦でスタートで遅れながら3歳馬ながら33秒台のすさまじい末脚を披露してレコードで勝利を飾った。この馬に素晴らしいスピードがあることに確信を持った戸山調教師は血統的におそらく足りないであろう距離に対する適正を強化すべく、まだできたばかりの坂路コースでブルボンを鍛え上げていった。ブルボンは続く500万下、そして朝日杯3歳Sを勝利で飾り、最優秀3歳牡馬に選ばれた。ここまではブルボンの天性のスピードでこなせるレースであった。戸山式ハードトレーニング
「スタミナは鍛錬によって鍛えることができる」との信念を持っていた戸山調教師は、ブルボンに通常では考えられないほどのハードなトレーニングを積ませていく。坂路は前脚への負担が少ないため、調教量を多くしても足下への負担が少ないという利点があるが、それでも1日3本が限界量である。そこをミホノブルボンは4本、多いときは5本ものトレーニングを課せられていた。普通の馬なら鍛え上げられる前に調子を崩してしまうほどのものだが、幸いブルボンはカイ食いが非常によく、このトレーニングを順調にこなしていった。
皐月賞トライアル、スプリングSは距離1800m、ブルボンにとってはクラシックに進むか短距離路線を歩むかの試金石となるレースだったが、距離に対する不安を払拭するぶっちぎりを見せ、堂々皐月賞に1番人気で向かうこととなった。そして皐月賞でも道悪をものともせず堂々逃げ切り、まず三冠のうち一冠を獲得した。鞍上の小島貞博はベテランのジョッキーではあったが、それほど騎乗機会に恵まれていたわけではなく、それまでビッグタイトルとは無縁の騎手生活を送っていた。ミホノブルボンほどのクラシック有力候補ならばもっと成績のいいジョッキーに乗り代わる事もよくあることである。しかし戸山調教師は頑なに弟子の小島を乗せ続けた。ブルボンのクラシック制覇は小島騎手にとっても初めてのクラシック制覇である。勝利騎手インタビューで「戸山調教師に何か一言」と聞かれた小島は「有り難う御座いました」の言葉と共に、溢れる涙を抑えることができなかった。
一冠を制したミホノブルボンの次の目標は2400mの日本ダービー。距離はまた400m伸びるもののブルボン陣営にはさほどの不安はなかった。その期待に応えるようにブルボンは2400mを堂々と先頭で逃げ切り、無敗で二冠を達成した。「スタミナは鍛錬によって鍛えることができる」という戸山式ハードトレーニング完成の瞬間であった。小島騎手は皐月賞の時とは違い、ほっとしたような笑顔で勝利インタビューに応えた。
ただ、このダービーは結果として万馬券になったのだが、ブルボンの後方で2着に入っていたのがその時まだ人気のなかったライスシャワーであった。努力では超えられない壁
放牧から帰厩し、三冠目の菊花賞に向かって始動したミホノブルボンは最終トライアル京都新聞杯のパドックに姿を現した。さらにハードトレーニングを積んだブルボンの馬体は更に迫力を増し、筋肉の盛り上がったお尻はもはやサイボーグのようでもあった。ダービーと同距離のこのトライアルでは不安なし。ブルボンは堂々この京都競馬場でも逃げ切って見せた。しかし2着にはまたもやライスシャワー。ダービーの時よりも着差は縮まっていた。
菊花賞に向かうブルボン陣営にとって不安な要素がもう一つ。神戸新聞杯を制したキョウエイボーガンが逃げ宣言をしたのである。ブルボンは前に馬がいると追いかけてしまって折り合いを欠く恐れがあったのである。小島騎手がどうするのか、抑えるのかハナを切るのか、その点にも注目が集まった。
かくして三冠最終決戦、菊花賞の幕は切って落とされた。やはりキョウエイボーガンが強引にハナに立ち、ミホノブルボン小島は離れた2番手。それでもブルボンはボーガンを追いかけようとし、小島は懸命にブルボンをなだめながら進んだ。菊花賞にしては珍しい縦長のハイペース。ブルボンは2番手を進み、その離れた後ろにライスシャワーがブルボンをマークするように進んでいた。そしてキョウエイボーガンが捕まった第4コーナーあたり、ブルボンは舌を出して苦しがりながら先頭にたっていた。あと400mで三冠達成。そこで外から満を持してライスシャワーが襲いかかってきた。もはやブルボンにこの最強ステイヤーを抑える力は残っていなかった。ライスシャワーがついに三冠最後でミホノブルボンを捕らえ、ミホノブルボンは2着を死守するのが精一杯。距離の壁に挑み続けた努力の馬が、天性のスタミナを持った天才ステイヤーという壁に跳ね返された瞬間であった。
三冠を逃したミホノブルボンはその後脚部不安を発症。懸命に復帰を目指して調整を続けたが、ついにターフに戻ることはできなかった。ミホノブルボンが燃え尽きたのと運命を共にしたのか、戸山為夫調教師も翌年の5月29日、肝不全でこの世を去った。「鍛えて最強馬をつくる」という戸山師の信念が実を結び、またいつか訪れるその限界に挑み続けた、それがミホノブルボンの競争生活であった。
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ミホノブルボン 牡 栗毛 平成元年〜
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