| 奪い返した最強馬の座 |
| マヤノトップガン |
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菊花賞 有馬記念 宝塚記念 天皇賞(春) 阪神大賞典 |
震災が産んだ霊馬
1996年7月7日に行われた宝塚記念、この競争には「震災復興支援競争」の冠がつけられていた。前年1月17日に阪神地方を襲い、6000人以上もの犠牲者を出した「阪神大震災」、その復興支援として売り上げの一部を寄付するという趣旨で行われた競争である。この日マヤノトップガンはダントツの1番人気で迎えられていた。
マヤノトップガンのオーナー・田所氏は神戸・灘区で田所病院を開業していたが、震災により病院の施設は壊滅状態、さらに共に病院を経営していた弟夫妻も亡くしてしまっていた。あまりにも多くのものを失ってしまった中から必死に病院の復旧・患者の治療につとめる中、田所氏を励ますかのように所有するマヤノ、マックスの冠名をもつ馬達が健闘していた。その中にマヤノトップガンもいた。素質の片鱗を感じさせながらもソエに苦しむこの馬は震災から2ヶ月後の3月25日、やっと未勝利を脱出する。その後もそこそこの健闘はしたのだが、夏前のマヤノトップガンはクラシックにはほど遠い「ただの馬」の1頭に過ぎなかった。
ところが夏を越したあたりから見る見る調子を上げていき、神戸・京都新聞杯の両トライアルを2着でまとめると、本番菊花賞でみごとレコードで勝利を納め、あれよあれよといううちにG1馬に上り詰めてしまった。そしてそのまま有馬記念に出走、周囲の低評価を尻目にヒシアマゾン・ナリタブライアンらの強豪を抑えて逃げ切り、一気に年度代表馬の座も手に入れてしまった。大震災で幕を開けた1996年、頂点に上り詰めたのは神戸六甲山に連なる「摩耶山」からその名を頂いたマヤノトップガンであった。「死んだ弟が、あの世から後押ししてくれたんや。」田所院長はそう心情を語った。
年度代表馬となって半年、昨年は震災によるダメージで宝塚記念を行うことが出来なかった阪神競馬場でマヤノトップガンはまさに横綱競馬で圧勝する。念願の地元・阪神でのG1勝ちである。「これで神戸の皆さんがちょっとでも元気を出してくれたら・・・」田所氏のこの言葉を知っていたかのように不思議と関西では、特に阪神で強かったマヤノトップガン。彼は震災で傷ついた人々に勇気を与えるために走っていたのかも知れない。
ナリタブライアン・そしてサクラローレル
年度代表馬となったマヤノトップガンが年明け初戦に選んだのは阪神大賞典。1昨年の年度代表馬ナリタブライアンもここに復活を賭けて出走してきていた。レースは後続を突き放し400mにも及ぶ2頭のマッチレース。マヤノトップガンが出ればナリタブライアンが差し返す。まったく譲らない両者の争いはアタマ差でナリタブライアンに軍配が上がった。この「平成の名勝負」と呼ばれた戦いでこの2頭のブライアンズタイム産駒はライバルと目され、続く天皇賞でもこのブライアン・トップガンの対決だと見られていた。しかしこの天皇賞、マヤノトップガンは明らかに平常心を欠いていた。レース前からいれ混むトップガンを田原騎手は懸命になだめようとするが、レースでも引っかかって先行したりでちぐはぐなレース運び。ナリタブライアンと馬体をあわせて直線に入ったもののマヤノトップガンにはすでに余力は残されていなかった。失速するトップガンの横をすり抜け、抜け出したナリタブライアンすら豪脚で交わし、ゴールに飛び込んだのは横山典弘サクラローレル。この遅れてきた大器サクラローレルはこの後マヤノトップガンの終生のライバルとなった。
初対決は以外と早く、秋のオールカマーでやってきた。宝塚記念を勝ってきたマヤノトップガン1番人気、ローレル2番人気。しかし楽々抜け出したサクラローレルとは対照的に馬場に足を取られたトップガンはサクラローレルはおろか牝馬・地方馬にすらかわされ4着と惨敗。「いくら馬場が悪くても地方の馬に負けるようではなさけない」と田原騎手も吐き捨て、人気を落として秋の天皇賞に向かった。秋の天皇賞ではサクラローレルと3度目の対決。ローレル圧倒的1番人気、トップガンは屈辱の4番人気。しかしこのレース、トップガンにはこのところ見られなかった気合いの乗りが戻ってきていた。レースでもトップガンは意欲的に先行。直線でも鋭く抜け出してきた。しかしその少し前で調子よくレースを進めていたのが新鋭バブルガムフェロー蝦名正義。トップガンはついにこの天才4歳馬をとらえきれず惜しくも2着。サクラローレルには先着したものの勝利には至らなかった。しかもこのレース中、サクラローレルは前が壁になりつづける不利に見舞われており、両者の評価は相変わらずサクラが上というのに変わりがなかった。そしてそれは暮れの有馬記念ではっきりしてしまう。サクラローレル は後続を大きく離す圧勝。対してまたもや馬場にやられたトップガンは7着。もはや勝負付けはついた。周囲の評価は定まってしまっていた。
最終決戦・第115回天皇賞
年度代表馬はサクラローレルに決まり、かつての王者マヤノトップガンは打倒サクラローレルに向けて昨年と同じく阪神大賞典から始動した。ここで田原騎手とマヤノトップガンはそれまでの先行抜けだしパターンとは異なるレースをする。スタートしてからゆっくり出て、後方をぽつんと進むトップガン。「前に行け」との声も飛ぶ中、トップガンは気持ちよく走り、自然と位置を上げていくとあっというまに先頭に躍り出て悠々と勝利を収めた。これは作戦かとの声に田原騎手はNOと答えた。この馬を気持ちよく走らせることこそトップガンの能力を発揮させる唯一の方法なのだと。しかしこの時点ではまさか後方から進んで常に34秒台の末脚を使うサクラローレルを後ろから交わせる、そう考えるものはいなかった。鞍上の田原でさえもその可能性はゼロに近いとの結論を出し、ひとり勝てる可能性を模索する日々が続いた。
サクラローレルはこの天皇賞を最後に日本を離れ、フランスの凱旋門賞に挑戦する予定だった。サクラローレルを負かすのはこれがおそらく最後の機会。マヤノトップガンと、同じくローレルに苦杯をなめさせられてきたマーベラスサンデーは打倒ローレルに向けて万全の体制で臨んできた。サクラローレル1番人気、マヤノトップガン2番人気、マーベラスサンデー3番人気で第115回天皇賞のゲートは開いた。
前年ひっかかって前に言ってしまったスタンド前をマヤノトップガンは馬群の中で息を殺すように静かに進んでいく。サクラローレルはやや前方の外側を進み、マーベラスはサクラローレルを徹底マークするかのようにレースを進める。静かに淡々と進む流れは向こう上面中程で破られた。ローレルが突然進出を開始。それについてマーベラスも徐々に前に進んでいった。しかしマヤノトップガン田原は我関せずといった風に黙々と中断を進む。4コーナーに差しかかった所では既にローレル・マーベラスは先頭に躍り出ていた。トップガン田原はまだ後方。ただいつの間にか馬群の外に出てはいた。4コーナーを回ったところでそれまでほとんど何の指令も出していなかった田原の手綱からトップガンにゴーサインが出た。はるか前で壮絶なマッチレースを繰り広げるサクラ・マーベラスとは決定的な差。しかし何のロスもなく進んだトップガンには十分な手応えが残っていた。ここから前のローレルを交わせるかどうかは未知の領域。田原は必死にマヤノトップガンを追った。一歩一歩ぐんぐん差を詰めるマヤノトップガン。サクラローレルはやっとの事でマーベラスを再び差し返し先頭に立っていたが外 からすごい脚でトップガンがあっという間に交わしてゴールに飛び込んだ。大歓声の中ついにサクラローレルを負かしたマヤノトップガンのたてがみを田原はわしづかみにして相棒の健闘を讃えた。3分14秒4。世界レコードである。「他のレースは全部負けても、このレースだけはトップガンのためにも絶対に勝ちたかった。」田原騎手のこの言葉に代表される関係者の執念に最後の最後で応えて見せたトップガンはこの天皇賞のタイトルを手土産にターフを去ることとなった。
マヤノトップガンは常に強いタイプの名馬ではなく、圧勝したと思ったら次のレースでは惨敗、ダメかと思えばまた好走と強いのか弱いのかわかりにくいタイプの馬だった。しかしはっきりと言えるのは大事なところでは人々の期待に必ず応えた馬だった。震災で傷ついた田所オーナーらを元気づけるかのような驚異の出世劇。天皇賞で惨敗したあと必死に立て直した坂口調教師と騎乗失敗を悔いる田原騎手に応えるかのような宝塚記念での勝利。そして関係者・応援するファン全ての悲願であった打倒サクラローレル達成。もろいところが祟ったのか顕彰馬には選ばれなかったが、種牡馬となったトップガンが再び日高の生産者の期待に応える日が来るかも知れない。
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マヤノトップガン 牡 栗毛 平成4年〜
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