| 豪牝 |
| クレオパトラトマス |
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帝室御賞典(東京) 農林省賞典牝馬 横浜特別 阪神記念 28戦16勝 競走成績 |
忘れられた名牝
現在ではほとんど見かけなくなったが(禁止されているのか?)、昔は競走名と繁殖名の異なる牝馬が度々見られた。顕彰馬入りしている史上最強牝馬クリフジも、年藤と名を変えて繁殖入りしている。クリフジほど競走成績がずば抜けていれば、繁殖で名を変えようと印象が薄れることはなかっただろうが、競走名・繁殖名が違うことはそれぞれの印象が分散してしまい不利である。
今回取り上げるクレオパトラトマスはひょっとしたら月城という繁殖名の方が知られているかもしれない。主な産駒の欄を見ていただければわかるように、直仔で桜花賞馬・中山大障害馬を出しただけでなく、子孫には海外重賞を初めて制した顕彰馬ハクチカラ・菊花賞馬ニホンピロムーテーなどその血統からは今なお活躍馬が出続けている。
では競走名クレオパトラトマスではどうか。これもすばらしいもので、わすかデビュー3戦目で天皇賞の前身・帝室御賞典を制しただけでなく、日本ダービーでは牝馬ながら1番人気に推されている。古馬になってからも各地を転戦し、多くの重賞をかっさらった。
しかしながらクレオパトラトマスという名前は最近では宝島の名馬本に久々に登場したのみで、過去のど古い書籍を探し回らなければなかなかお目にかかることができない。「日本の名馬・名勝負物語」の中では戦前の名牝としてはクリフジ・クレオパトラトマスがずば抜けており、将来名馬の殿堂ができることがあれば間違いなく選出されるだろうとかかれている。にもかかわらずクレオパトラトマスは諸々の事情により忘れ去られてしまった。
後世の評価を分けたダービー
クレオパトラトマスの血統を最もわかりやすい形で言うと、顕彰馬クモハタの姉であるということである。クモハタは下総御料牧場の傑作として高値で取り引きされた馬だったが、クモハタが超良血として認識されていたのは姉であるクレオパトラトマスの活躍が大きい。持ち込み馬であった彼女は日本エレベーターの社長であった東松氏(トマスの名を持つ馬が多い)の服色で4歳の4月にデビューするとたちまち3連勝でなんと古馬を相手に帝室御賞典まで制してしまった。そして4戦目でダービーを迎えることとなるのだが、4歳馬にもかかわらず古馬相手に帝室御賞典を制していたクレオパトラトマスは堂々1番人気で迎えられた。
第4回ダービーは不良の最悪馬場。このころまでなぜか一度も良馬場で行われたことのなかったダービーだが、クレオパトラトマスも結果的にこの馬場に殺される形となってしまった。出遅れたことも祟って9着と惨敗。勝ったのはこちらも良血第2回ダービー馬カブトヤマの全弟ガヴァナーであった。この当時のダービーの価値というものは今とは比べものにならないものであり、結果ダービーに勝てなかった名馬は残される資料も少なく、時の流れの中で忘れ去られてしまいがちになる。クリフジやヒサトモの名前が残っていてクレオパトラトマスがあまり知られていないのはこのダービーを落としたことが非常に大きい。もしダービーを勝てていればそれこそ間違いなく顕彰馬入りしていただろう。
海外遠征の因縁
ダービー後のクレオパトラトマスはそれこそ関東関西を問わず各地を転戦し、着実に勝利を積み上げていく。各地を転戦と簡単に書いたが、当時は馬運車なんてものはないので汽車で輸送、駅から競馬場までは歩いていったそうである。勝星を積み上げる毎に背負わされる斤量も増えていき、当時の規定で満量引退と決められていた77キロまで後わずかのところまで達し、陣営は5歳暮れの5歳馬特別を引退レースに決めた。このレースで72キロを背負わされながら勝利し、引退の花見を飾った。
この後クレオパトラトマスには海外遠征の話もあったそうだが、馬主が競馬界で不祥事を起こして競馬界追放となり、そのどさくさで遠征は立ち消えとなってしまった。実現していればこれが日本馬海外遠征第1号となっていたわけだが、本当の海外遠征第1号の馬が彼女の孫に当たるハクチカラであったことも何かの因縁であろうか。
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