| 単枠指定第1号 |
| キタノカチドキ |
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阪神3歳S 皐月賞 菊花賞 デイリー杯3歳S きさらぎ賞 スプリングS 神戸新聞杯 京都新聞杯 マイラーズC 15戦11勝 競走成績 |
史上初のシード馬
「単枠指定」という言葉は馬連全盛の現在ではもはや死語になっている。枠連馬券では同じ枠に入った馬が出走を取り消したとしても、その枠にまだ馬が残っていたらその枠をからめた馬券の買い戻しは行われない。もし取り消した馬が人気のある馬であったら、その馬を信じて馬券を買った人も大勢いることになるが、その人達の馬券も買い戻されず同枠の来る見込みのない馬券になってしまう。
そのような問題を解決する為に中央競馬会が苦肉の策として編み出したのがシード馬・単枠指定制度である。この制度はともすれば主催者側の予想行為と取られても仕方のないものだったが、ともあれそれが初めて導入されたのが昭和49年の皐月賞。この年のクラシック路線の中心となり、三冠すら可能といわれたキタノカチドキが初めてである。野生の母
キタノカチドキの母・ライトフレームは未出走ながらその血統より繁殖牝馬として大いに期待されていたが、発情すら示すことがなく死産・不受胎が続いていた。牧場長はこれはライトフレームが置かれた恵まれた環境によるものではないかと考え、繁殖力の回復への僅かな希望を賭けてライトフレームを牧場の裏山に放して野生生活を強いることにした。ろくに草すら生えていない冬の裏山での過酷な生活によりライトフレームはみるみる痩せこけていったが、一か八かのこの野生生活が功を奏し、ライトフレームは繁殖牝馬としての能力を取り戻した。そして第4仔としてキタノカチドキを産み、その後にもエリザベス女王杯馬リードスワロー・短距離王ニホンピロウイナーの母ニホンピロエバートらを産んで名牝と呼ぶにふさわしい成績を残した。
さて、名種牡馬テスコボーイと野生を取り戻した母ライトフレームの間に生まれたキタノカチドキは生まれたときからその発達した馬体と仲間達を圧倒する激しい闘志などから大物感が漂っており、服部厩舎に入厩してからも順調に能力に磨きをかけていった。そして3歳の9月16日、阪神競馬場でデビュー戦を迎え、直線追うところなく後続をどんどん引き離して4馬身差の圧勝を収めた。続くデイリー杯3歳Sでも9馬身差の楽勝、そして次走のオープンでも持ったまま楽勝し、関西No.1を決める阪神3歳Sでも華麗なる一族の快足馬イットーに3馬身差をつけて圧勝を飾った。3歳時4戦4勝。その全てを圧勝で飾っているキタノカチドキはクラシックの関西馬最有力候補となった。
そして4歳になってもきさらぎ賞・皐月賞トライアルスプリングSを勝利し、6戦6勝無敗で皐月賞へと駒を進めた。キタノカチドキが関西No.1ならば関東には3歳時6戦5勝、弥生賞も制覇してきたカーネルシンボリという強豪がいたのだが、カーネルシンボリは皐月賞前に骨折してしまい、皐月賞はキタノカチドキ断然のムードになった。
この年皐月賞は厩務員ストの影響をモロに受け、4月14日の予定が5月13日まで伸び、舞台も中山から東京へと変更となっていた。突然の日程の変更によりギリギリに仕上げられた馬たちにも少なからず影響がでたが、それでもキタノカチドキは強かった。直線並ぶまもなく抜け出す完勝。7戦7勝無敗で日本ダービーへ駒を進めた。
しかしキタノカチドキへの厩務員ストによる影響はこの一世一代のダービーで出てしまった。調教でも内へササるなどやや不安なところを見せたカチドキは、ダービーの直線、馬群を抜け出そうとしたところで内ラチへささり、立て直そうとすると外へもたれるなどのロスをしてしまった。結果コーネルランサーの3着と初めての敗戦をダービーで喫してしまったのである。前年ハイセイコーが無敗でダービーに挑みタケホープに敗れたように、キタノカチドキも同じように圧倒的な人気を背負いながら敗れてしまったのだ。距離の壁を克服
秋になり雪辱を期すキタノカチドキは菊花賞を目指して神戸新聞杯から始動しこれを圧勝、そして続く京都新聞杯も圧勝してまたもや菊花賞では断然の1番人気となった。走る度に人気を上げていくキタノカチドキ。キタノカチドキは血統的に中距離までということも言われているなど不安がないわけではなかった。しかし両トライアルが圧倒的な勝ち方であったこと、ダービー馬コーネルランサーらが戦線を離脱しこれといった対抗馬が見あたらなかったことからカチドキ断然のムードが漂っていた。鞍上の武邦彦騎手らにかかるプレッシャーも並大抵ではなかったろう。
しかしキタノカチドキが菊花賞で見せた走りはまさに横綱相撲であった。スタートから5、6番手の好位につけると直線までじっと追い出すのを待って、直線に入って外へまわってから先に抜け出したバンブトンオールを残り1ハロンで交わして1着でゴールした。アナウンサーの杉本氏によると、鞍上の武邦彦もすさまじい重圧から解放されてさすがにうれしかったか、向こう上面まで行ったときに勝負服の袖で目元をさっと拭ったそうである。
皐月賞・菊花賞を圧倒的な力で制覇したキタノカチドキはこの年年度代表馬に選出された。その圧倒的な力は三冠も夢ではなかったのが明らかである。つくずくダービーでの敗戦が残念でならない。近代競馬の旗手
翌年古馬となったカチドキは初戦のオープンで63キロを背負い、2度目の敗戦をしてしまうが、続くマイラーズカップで快足馬イットー・そして前年の有馬記念でハイセイコー・タケホープをちぎり捨てたタニノチカラと強豪2騎をねじ伏せた。そして天皇賞・春でまたしても圧倒的人気となるが、イチフジイサミを追っても追っても捕らえることができず、2着と敗れてしまった。3200mという長距離で距離に対する適正が出てしまったものの、初めての力負けであった。そして7ヶ月半ぶりに姿を現した有馬記念ではファン投票1位で迎えられたが、もはや強いキタノカチドキはそこにはなく、道中骨折などもあり8着に敗れてしまった。結局キタノカチドキはこの有馬記念を最後に引退した。
古馬になってからは1勝しかできなかったキタノカチドキだったが、その1勝マーラズカップは当時としては最高のメンバーがそろったレースで、そのメンバーを堂々ねじ伏せたカチドキのレースレースっぷりは名勝負のひとつに数えられている。
キタノカチドキの距離適正は明らかに中距離であった。もし現在のように中距離のレースが多く組まれていたならばもっと素晴らしい成績を上げることができただろう。また、キタノカチドキが唯一勝った長距離重賞の菊花賞は現在の菊花賞でよく見られるような上がり勝負の中距離馬達のレースであった。菊花賞がこのような上がり勝負のスピード馬のレースになったのはキタノカチドキの時が最初。そういう意味では近代競馬を最初に具現化した馬であると言えるかも知れない。
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