| ダービー馬はダービー馬から |
| カブトヤマ |
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東京優駿(日本ダービー) 帝室御賞典(福島) 目黒記念 29戦12勝 競走成績 |
カブトヤマ記念
現在JRAで名馬の名を戴くレースはシンザン記念・セントライト記念・トキノミノル記念共同通信杯4歳S、そしてカブトヤマ記念の4つだけである(昔はクモハタ記念もあった)。5頭に共通しているのはダービー馬であるということだけである。シンザン・セントライト・トキノミノル・クモハタは顕彰馬入りしているほどの名馬なので特に語る必要はないだろうが、ではもう一頭カブトヤマはいかなる馬なのか。それは日本で初めて産駒としてダービー馬を送り出したダービー馬なのである。第2回日本ダービーを勝ったカブトヤマは種牡馬入りして、戦後に競馬が再開されて初の第14回ダービーを勝ったマツミドリを送り出した。名馬は名血統から生まれるということを表す言葉に、俗に「ダービー馬はダービー馬から」というのがあるが、これを達成したのは実に少なく、カブトヤマ(マツミドリ)、ミナミホマレ(ゴールデンウエーブ・ダイゴホマレ)、シンボリルドルフ(トウカイテイオー)のわずか3頭しかいない。この偉業を最初に達成したカブトヤマを記念して作られたのが「カブトヤマ記念」であり、競争が父内国産馬限定戦なのはそのようなり理由からなのである。小岩井の1番馬
カブトヤマが生まれたのは岩手県小岩井農場。下総御料牧場と並ぶ戦前の2大牧場の一つである。父はカブトヤマの後にフレーモア・ガヴアナーと3年連続でダービー馬を送り出した戦前の大種牡馬シアンモア。母アストラルも目黒記念の前身の目黒連合2マイルや帝室御賞典などを含め16勝もあげている強豪馬で、産駒成績も飛び抜けており、カブトヤマの後にも全弟としてガヴアナー(ダービー)、ロッキーモア(天皇賞)などを送り出し、さらにその牝系からはケゴン(皐月賞)、オーハヤブサ(オークス)、さらにオーハヤブサの牝系からもビクトリアクラウン(エリザベス女王杯)、ニッポーテイオー(天皇賞・秋・安田記念・マイルCS)、タレンティドガール(エリザベス女王杯)など蒼々たる名馬が出ている。
そのような名血を持ったカブトヤマは小岩井の一番馬として評判を呼んでおり、小岩井の3歳馬のセリに出された時、大久保房松氏によって2万150円の超高値で落札された。当時のダービーの賞金が1万円だったのだから今でいえば2億円以上の値がしたことになろう。ちなみに実際に資金を出したカブトヤマの馬主は伊勢丹の社長の前川道平オーナーである。大久保調教師・39度の高熱をおしてのダービー騎乗
4歳の3月にデビューしたカブトヤマはクビ差で初勝利を手に入れると一週間後優勝戦に出走し、3着に破れた。そして3戦目がなんと日本ダービーである。今では絶対出走不可能な成績だが、当時は3歳競馬が行われておらず、また馬資源そのものも少なかったので出走の意志さえあればこんな成績でもよかったようだ。クモハタの時も書いたがこの時代の3戦目ダービー制覇は珍しいことではなく、現に第1回ダービー馬ワカタカも3戦目でダービー制覇を成し遂げている。このときのダービーは19頭立てで、うち11頭が牝馬であった。これは4歳クラシックがダービーしかなかったからである。競馬場は東京ではなく目黒競馬場。馬場は前日からの豪雨により稍不良だった。カブトヤマはアスリート・ハッピーランドに継ぐ3番人気だった。鞍上にはカブトヤマを購入した大久保房松氏。大久保氏は調教師と騎手を一人兼業してカブトヤマを育ててきたのだった。
カブトヤマのダービー出走に際して一つエピソードがある。ダービーの直前になって大久保氏は超過気味の体重を一気に減らそうと減食し、汗取りをかけた。それが災いして体調を崩し、39度もの高熱に侵されてしまった。立っているのすらままならない体調の中、大久保氏はカブトヤマの騎手乗り代わりを前川オーナーに提案した。しかし前川オーナーは「カブトヤマはあなたのために買った馬なのだから、あなたが乗りなさい」と大久保氏騎乗をすすめた。大久保房松氏はそれならばと腹を据えてカブトヤマに跨りダービーに出走した。
果たしてカブトヤマは軽快に逃げるメリーユートピアをゴール前200mで捕まえ、4馬身の差を付けてダービーに優勝した。ゴールに飛び込んだときには不思議なことに大久保房松氏の高熱もけろっとおさまっていたという。
カブトヤマはダービー制覇後、4歳時に7戦して2勝、5歳時に19戦して8勝を納めた。4歳時の2勝には阪神の農林省賞典、5歳時の8勝には福島の帝室御賞典や府中東京競馬場の目黒記念などが含まれている。通算成績29戦12勝。5歳の12月に5歳馬特別に勝ったのを最後に引退した。大久保調教師によって大切に育てられたカブトヤマは結局全レース大久保氏自らが乗り切った。産駒マツミドリ
時は流れて昭和22年。戦争で中断していた競馬が再開され、日本ダービーも久々に行われることになった。有力馬はアヤニシキと皐月賞を制覇した女傑トキツカゼ。かつてカブトヤマを育てた大久保房松師の管理馬である。2番人気ではあるものの、大久保氏はこのダービーに絶対的な自信を持っていた。しかし猛然と追い込むトキツカゼをアタマ差押さえて勝ったのはマツミドリ。かつて大久保房松師が手塩にかけて育てたカブトヤマの仔であった。自身の管理馬トサミドリが惜しくもダービーの栄冠をのがしてしまった大久保氏だったが、「カブトヤマの仔に負けたのなら本望だ。」と無念さを押しつぶしていたという。
カブトヤマはマツミドリのほかにはそれほど大した産駒を残した訳ではなく、昭和26年に死亡した。しかし初めてダービー馬を出したダービー馬としてその名は「カブトヤマ記念」として現在も生き続けている。
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