| 砂漠に消えた一等星 |
| ホクトベガ |
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エリザベス女王杯 川崎記念2回 帝王賞 マイルチャンピオンシップ南部杯 フラワーC 札幌記念 フェブラリーS エンプレス杯2回 ダイオライト記念 群馬記念 浦和記念 42戦16勝 (うち地方交流9戦9勝 海外1戦0勝) 競走成績 |
二つの1等星
砂の女王・ホクトベガがクラシックロードを走った平成5年、同期にはもう1頭の「ベガ」がいた。凱旋門賞馬トニービンを父に持つこの才気溢れる「ベガ」は、チューリップ賞を制すると続く桜花賞・オークスと二冠を制覇し、同期の中でも2歩も3歩も抜けた存在であった。それに対し、このころのホクトベガは善戦はするものの勝利にはほど遠く、ただのもう1頭の「ベガ」に過ぎなかった。
牝馬三冠目のエリザベス女王杯、秋になってぶっつけながら牝馬三冠を目指すベガに対し、トライアルで2戦とも敗れたホクトベガは思いっきり人気を落とした9番人気。ベガ・ユキノビジン・スターバレリーナの3強に他馬がいかに挑んでいくかがレースの焦点だった。陣営はおそらく横綱相撲では叶わないとみて、一か八かの直線勝負に賭けた。直線まで内でじっと死んだ振りをしていたホクトベガは4コーナーまわったところで植え込みの切れ目から内に切れ込みスパートをかける。ベガは直線中程を追い上げてくるが苦しい。これをかわして抜け出したのは後のマイルの女王ノースフライトだったが、ホクトベガは信じられないような鋭い斬れ味でノースフライトをかわして一気にゴールに駆け込んだ。
「ベガはベガでもホクトベガです」
馬場アナウンサーの名実況と共にベガの三冠、ノースフライトのG1制覇を阻んだのは、輸送に弱く長距離苦手で芝では斬れ味に足りないはずのもう1頭のベガ・ホクトベガだった。ちなみにこのレース、後の女王2頭で決まったにもかかわらず馬連25,650円の大波乱であった。18馬身差の大圧勝から砂の女王に
エリザベス女王杯を制したホクトベガは歴代のG1勝ち牝馬がそうであったように斤量と牡馬の壁にぶつかってしまう。夏の札幌で勝利したりしたものの普通のレースでは良くて善戦のなかなか勝てない日々が続いた。陣営は迷った末に障害入りも見据えてホクトベガに障害の練習までさせた。結局AJCCでサクラチトセオーの僅差の2着になだれ込んだことから障害入りの話はなくなったが、勝てないことに変わりはなかった。しかし安田記念後に出走を決めた初の地方交流競走・川崎エンプレス杯でホクトベガのもう一つの才能が万人の目に示されることになる。不良馬場のこのレース、ホクトベガは押さえ切れない手応えで先頭に立つと、直線で後続をどんどんどんどん突き放し、ゴールには行ったときは18馬身もの大差がついてしまっていた。ほとんど反則的な強さに観客も言葉を失った。ダートに変わって恐るべき力を見せたホクトベガにとって、このエンプレス杯は後で思えばまさに転機となるレースであった。
その後も何レースか芝のレースを使われたホクトベガは、引退レースの意味も含めながら再びダート交流競走の川崎記念に出走した。久々のダートになったこのレースでは前年ダートで圧倒的な強さを示したライブリマウントが出走することや、エンプレス杯の勝利がややフロック視されたこともあり単勝3.3倍の2番人気であった。しかしレースは全ての人の想像を超えるベガの圧勝で終わる。あまりの強さに引退の話も吹っ飛び、この後ダートの女王を目指すことになった。
続くフェブラリーSではなんと3番人気だったが、雪の中57キロを背負い圧勝。そしてその勢いに乗ってダイオライト記念・群馬記念・そして交流最大のレースである帝王賞も難なく手に入れてしまった。このころにはホクトベガの強さは本物だということになり、ホクトベガ見たさに地方競馬場に観客が詰めかけ、入場も売り上げもレコードという事態が続出するようになっていた。そしてそれはこの後南部杯、浦和記念と続き、このころにはホクトベガの世界最高賞金レースであるドバイ・ワールドカップ遠征の話が具体化していた。そして国内最後のレースとして川崎記念を選び、これを難なく制覇して交流競走V10の偉大な記録をひっさげてホクトベガはダート最高の舞台であり、自身の引退レースともなるドバイ・ワールドカップへ向けて旅立っていった。最悪の結末
もともと輸送が苦手なホクトベガはドバイ入りしてからの環境の変化に体重を激減させてしまい、また裂蹄も発症して状態はかなり悪くなっていた。しかし陣営はそのようなことも踏まえて早めにドバイへ渡ったのであり、レース当日までには徐々に快方に向かっていた。
そしてレース当日、ドバイに記録的な集中豪雨が降り、珍しいことに雨で順延になってしまった。しかしホクトベガにとってはこの雨は少しでもレースまでの時間を稼ぐ恵みの雨になるはずであった。事実5日間の順延の間にホクトベガの体調は見る見るアップしていき、順延後の4月3日には十分な状態まで回復していた。そして5年間にも及ぶ競争生活の最後の舞台に堂々と送り出されたホクトベガであったが、まさかこれがホクトベガの最後の姿となろうとは。ホクトベガは第4コーナーで転倒、前脚を複雑骨折し即座に安楽死処分となってしまった。
泣き言も言わずに42戦も走り続け、ゴールすればその後は静かな牧場での生活が待っていた最後のレースで、ホクトベガは本当に星になってしまったのである。その強さは永遠の謎
ホクトベガの強さの秘密はと聞かれて、彼女を管理する中野調教師は次のように答えたという。
「彼女はモナリザ。その強さは永遠の謎だよ。」
確かにホクトベガの競争生活は謎そのものであった。芝では切れる脚がないといわれながらエリザベス女王杯では二冠馬ベガ・後のマイルの女王ノースフライトをかわして勝利。古馬になり伸び悩んだ末のダート・エンプレス杯18馬身差の大圧勝。あっという間に砂の女王になり交流競走10連勝。そしてドバイに渡っての壮絶な最期。いったい誰がホクトベガがこんな馬になると予測しただろうか。
1頭の馬の運命というものを考えたとき、彼女に与えられていた運命はあるいはエリザベス女王杯制覇までだったかも知れない。ではその後の活躍はいったい何なのか。壮絶な最期を受け入れるのを条件にを約束されたものだっだのだろうか。そんなことを考えたところで彼女にとってもはや何の意味のないことであるが。
ドバイで散ったホクトベガはその亡骸すら故郷へ帰ることは叶わず、今は砂漠の国で静かに眠っている。
我々にできることは「ホクトベガ」という名の懸命に生きた牝馬がいたことを後々まで語り継ぐことだけである。
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