| 初代年度代表馬 |
| ハクリヨウ |
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菊花賞 天皇賞・春 カブトヤマ記念 毎日王冠 東京盃 中山・金盃 目黒記念 25戦16勝 競走成績 |
初代年度代表馬
昭和29(1954)年は日本中央競馬会が設立し、競馬が形だけでも国営から民営に移行した記念すべき年である。そしてこの年からその年に最も印象的な活躍をした馬を表彰する「年度代表馬」の選定が「ケイシュウ・ニュース」などを発行している啓衆社主催のもとで始められた。その記念すべき「初代年度代表馬」に選ばれたのがこの年5歳を迎えていたハクリヨウである。この年は4歳牡馬ダイナナホウシュウが皐月賞・菊花賞を制し、4歳牝馬ヤマイチは桜花賞・オークスの二冠を制するなどハクリヨウの他にも素晴らしい成績を残した馬はいたのだが、この年天皇賞を含め5戦5勝の成績を残したハクリヨウが満場一致で選ばれたのである。現在でもG12勝馬をさしおいてG11勝馬が年度代表馬に選ばれることがたびたび起こるが、これはなにも最近に限られたことではなく、すでに年度代表馬が初めて選ばれたころからあったことなのである。
ちなみに「年度代表馬」の制度は昭和29年〜46年が啓衆社主催、47年〜61年が競馬総合誌『優駿』主催、そして62年以降はJRA主催で行われている。同郷のボストニアン
ハクリヨウは昭和25年5月6日、青森県七戸の盛田牧場で生まれた。前年の昭和24年、下総御料牧場とともに日本の競馬を支えていた小岩井農場がサラブレッドの生産をやめ、繁殖牝馬を全て放出した。その中の1頭第4バツカナムビユーチーを手に入れたのが生産者ヤシマ牧場の小林庄平氏で、小林氏が青森の盛田牧場に預託して生まれたのが血統名ヤシマビユーテイー、後のハクリヨウである。この年のヤシマ牧場は6頭の牡馬を生産していたが、その中にはハクリヨウの他に血統名ヤシマテーマ、後の二冠馬ボストニアンがいた。この同じヤシマ牧場出身の2頭は東西クラシック戦線で激しく激突することになる。
東の名門尾形厩舎に入ったハクリヨウは大型馬であったこともありじっくりデビューが待たれ、3歳の11月にデビューした。その大器という評判から1番人気に支持されたが、同じ牧場生まれのトキツに敗れ3着(4着入線)に終わった。しかしながら年明け3月まで待った2戦目で何とか勝利を収めると、徐々に良化していき、この日は皐月賞前の4歳特別で14馬身という大差で圧勝すると、「大器仕上がる」ということで本番皐月賞では1番人気に支持された。しかしレースでは同じ牧場生産の同期ボストニアンの強襲を受け、2着に敗れた。ボストニアンはハクリヨウと異なり仕上がり早の馬で、3歳の7月にすでにデビューしていた。派手な勝ち方がなかったのと休養を挟んでいたこともあってこの日は7番人気と人気の盲点になっていたが、この時点では明らかにボストニアンの方がハクリヨウを上回っていた。
2頭は続くNHK杯、そして日本ダービーでも顔を合わせた。しかし結果はNHK杯ではボストニアン1着、ハクリヨウ2着で、ダービーでもボストニアン1着、ハクリョウはダイサンホウシュウにも交わされ3着というものだった。ボストニアンは二冠達成。春の時点ではボストニアンが完全に上であった。
秋になりハクリヨウもようやく充実してくると、菊花賞前のオープンで4度目のボストニアンとの対決を迎えた。しかし三冠へ向かって絶好調のボストニアンはハクリヨウを寄せ付けず4度目の勝利。セントライト以来の三冠馬達成へ視界きわめて良好となった。マスコミもボストニアンの三冠達成を当然のように書き立てた。
しかし事実はこの菊花賞を境にハクリヨウとボストニアンの立場が完全に逆転することになってしまう。第3コーナーで先頭に立ったハクリヨウは追いすがるボストニアンに3馬身半もの差をつけてはじめてボストニアンを破り、ボストニアン三冠の夢を見事うち砕いた。そしてそれはハクリヨウの無敵の快進撃の始まりでもあった。晩成の大器完成
菊花賞を制し、充実の5歳を迎えたハクリヨウにもはや敵はいなかった。66キロを負担した特ハンで圧勝すると続く東京盃、オープンを楽勝し、天皇賞でもかつてのライバルボストニアンを5馬身もぶっちぎった。そして毎日王冠でもボストニアン・チエリオ・タカオーといった強豪を楽々退け、5歳時は5戦5勝、前述のように見事年度代表馬に選ばれた。じつはこの年、ハクリョウはアメリカの国際レース・ワシントン・インターナショナル・ハンデにも招待されていたが、招待されたのがレースの2週間前という無理なスケジュールもあり、結局海外遠征は実現しなかった。もし実現していたら、鎖国時代の日本競馬の実力を計る良い機会になっていただろう。
6歳になっても金盃、目黒記念と連勝し、菊花賞からの連勝記録は8となった。その強さを後年、保田騎手は次のように語っている。
「いままでハクチカラ、ハクショウ、ハクズイコウなど西さんの馬にはいろいろ乗せてもらったが、いちばんスピードがあり力もあったのはハクリヨウだったと思う。ダイナミックという言葉がぴったりする馬だった。」
ハクリヨウは結局次のオープンで69キロを背負い、3着に敗れるとそれを機に引退となった。
種牡馬になってもハクリヨウは素晴らしい馬だった。ファーストシーズンから宝塚記念を含む7重賞を制したシーザーを出し、その後も皐月賞馬ヤマノオー、桜花賞2着で中山記念制覇のトーストなどを送り出し、舶来種牡馬の中にありながら内国産のエースとしてその地位を確立した。またブルードメアサイヤーとしても力を発揮、前述のトーストはダービー馬ラッキールーラの父となり、4年目の産駒ホマレタカイは天皇賞を空前絶後の大差2秒8で圧勝したヒカルタカイの母となっている。
競走成績も優れ、種牡馬成績もきわめて優秀。ハクリヨウはまさに初代年度代表馬にふさわしい名馬中の名馬であった。
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