緑の刺客
グリーングラス


グリーングラス 菊花賞

天皇賞・春

有馬記念

アメリカJCC

日本経済賞

26戦8勝
競走成績

TTG最後の1頭

 トウショウボーイ・テンポイント・グリーングラス。数多くの「3強」の中でももはや伝説めいたものになっているこのいわゆるT・T・Gの3強の中で、グリーングラスはもっとも有名になるのが遅かった馬だった。しかし、3強のうちトウショウボーイがターフを去り、テンポイントが不慮の事故でこの世を去っても走り続け、結局3強の中でもっとも多く賞金を稼ぎ出し、もっとも長い間活躍し続けたのがグリーングラスであった。菊花賞で突然鮮烈なインパクトを与え、後も長い間活躍し続けたグリーングラスを「遅れてきた青年」と呼ぶ人もいた。しかしなんといってもTTGの3頭が伝説となり得たのは、2頭が去った後も活躍し続けてテンポイント・トウショウボーイの評価を更に高めたグリーングラスの存在があればこそであろう。

菊花賞・内から緑のマスク

 グリーングラスは現在では珍しくなってきた青森の生産馬である。父はステイヤー血統として名高い英セントレジャーの勝ち馬インターメゾ。母は福島大賞典や七夕大賞典などを勝ったダーリングヒメである。グリーングラスのデビュー戦は遅く4歳の1月、東京の新馬戦であった。2番人気に押されたグリーングラスだったがこのレースにはとてつもない天才がいた。後のライバル・トウショウボーイである。結局トウショウボーイの4着と敗れたグリーングラスは2戦目でも勝ち上がることができず、初勝利は3戦目の未勝利戦であった。当然クラシックには間に合わず、1勝馬の身で無理に挑戦したNHK杯でも12着と完敗した。その後トウショウボーイが菊花賞最終トライアルの京都新聞杯を圧勝したその日、グリーングラスは中山の鹿島灘特別を勝ち3勝目を上げた。そして賞金的に出走できるかどうかわからないものの、一縷の望みをかけて菊花賞に登録されたのであった。
 果たしてクラシック最後の菊花賞にグリーングラスは何とか出走できた。賞金順では21頭中21番目、人気も12番人気であった。滑り込みで出走してきた上に鞍上の安田富男騎手は菊花賞も初めてならば京都コースすら初めて。これでは人気がないのも無理はなかった。このレースは両トライアル連覇の1番人気トウショウボーイと2番人気ダービー馬クライムカイザーが単枠指定されて、3番人気に骨折から復帰してきたテンポイントが押されており、この3頭の競馬だろうというのが大方の見方であった。
 ゲートが開き、トウショウボーイ・テンポイントらが先行集団につけてレースは淡々と流れていく。そして第3コーナーでテンポイントがトウショウボーイに馬体をあわせ、先頭に躍り出ようとするとき、馬場の最内、まったく内ラチ沿いから緑のマスクをつけた黒鹿毛の馬がするすると抜け出してきた。
「ムチなどいらぬ、押せ!テンポイント」と絶叫する杉本アナを尻目に最内を走る黒鹿毛の馬・グリーングラスの脚色は衰えることがなく、テンポイントを振り切って先頭でゴールに飛び込んだ。多くの人がレース前その馬の名前を知らなかったが、この菊花賞の勝利で人々はテンポイント・トウショウボーイを倒した緑の刺客の名「グリーングラス」の名を心に焼き付けた。

3強の激突

 2強を倒したグリーングラスは4歳暮れの有馬記念には出走せず、有馬記念はトウショウボーイ・テンポイントの4歳馬2頭で決まった。グリーングラスは春の天皇賞を目指して5歳の1月AJCCから始動した。人々は菊花賞での勝利がフロックだとしか考えられず、グリーングラスの人気は3番人気だったが、この人気に反抗するようにグリーングラスはレコードで圧勝した。そして目黒記念2着のあと天皇賞・春に出走し、テンポイントと再び対決した。菊花賞と同じように最内をするする抜け出すグリーングラスだったが、テンポイントは強くなっており、結局テンポイントの4着に敗れた。その後、宝塚記念でTTGの3強は菊花賞以来で顔を合わせた。ここ宝塚記念はたった6頭立てであったが、TTGの3強にダービー馬クライムカイザー・天皇賞馬アイフル・そして後の天皇賞馬ホクトボーイと宝塚記念史上最高の豪華メンバーとなった。この宝塚記念でグリーングラスは健闘するもののトウショウボーイ・テンポイントの後塵を拝し3着に終わった。
 秋になり日本経済賞をレコードで圧勝したグリーングラスは秋の天皇賞でトウショウボーイと顔を合わせた。テンポイントは既に天皇賞を勝っているため出走権がない。天皇賞秋はトウショウボーイとグリーングラスの一騎打ちとなった。しかし互いを意識しすぎたトウショウボーイとグリーングラスは向こう上面あたりから2頭で競り合ってしまい、直線半ばで力つきてしまった。結局グリーングラスは5着、トウショウボーイは7着に敗れてしまったが、もしここにテンポイントがいたら3頭で牽制しあい、結果は違うものになっていたに違いない。
 3強の3度目の激突、そして最後の対決はもはや伝説の有馬記念であった。このレースはテンポイントとトウショウボーイのまさにマッチレースとなり、グリーングラスはもはや脇役でしかなかった。3強の対決はこれが最後になってしまうが、結局3頭がそろって出走したときは必ず3頭が1、2、3着を分け合うというまさに3強にふさわしい馬達であった。

いつも3度目に勝つ

 2強がターフを去ってもグリーングラスは走り続けた。球節からくる脚部不安に苦しめられたものの、天皇賞・春を3度目の挑戦でようやく獲得し、名ステイヤーの地位を確かにした。6歳時はこの後宝塚記念と半年の休養後有馬記念に出走したが、2着、6着と勝利には至らなかった。7歳時は更に脚部不安に苦しみ、4戦しかできなかったが、4戦目調子を上げながら望み、3度目の挑戦にして見事勝ち取ったのはトウショウボーイ・テンポイントがともに獲得していた有馬記念のタイトルだった。そして、この勝利でグリーングラスも2強と同じように年度代表馬のタイトルを手に入れた。苦労の末3度目の挑戦で勝つ。常に内ラチ沿いの緑の街道を突っ走ってきたグリーングラスは2強に並び立ったこの有馬記念の勝利を最後にターフを去ったのだった。

 種牡馬としてもエリザベス女王杯馬リワードウイングなどをだすなどそこそこ活躍したグリーングラスは現在は種牡馬を引退し、佐賀県で余生を送っている。テンポイント・トウショウボーイはもうこの世にはいないが、ここでもグリーングラスは最後までただ1頭頑張っている。種牡馬を引退した際はその余生を巡って議論を呼んだグリーングラスだったが、今は静かに暮らしていることだろう。伝説の3強最後の馬としていつまでも長生きしてもらいたい。

(追記)グリーングラスは平成12年6月12日、牧場で牧柵にぶつかり骨折、懸命の治療が加えられたが19日午後11時12分にこの世を去った。28歳。

グリーングラス 牡 黒鹿毛 昭和48年4月5日〜平成12年6月19日
生産地・生産者 青森県 諏訪牧場 総収得賞金 328,451,400円
馬主 半沢吉四郎 繋養地 北海道浦河 日高軽種馬農協浦河種馬場、佐賀県 エンドレスファーム
調教師 中野隆良 主な産駒 リワードウイング(エリザベス女王杯)、
トウショウファルコ(AJCC、中山・金杯)、
トシグリーン(CBC賞、京王杯オータムH)、
グリーンタイセイ(道営・農林水産大臣賞典、北海優駿)、
ツルマルミタマオー(ダービー4着)、
グリーンカップ(セントライト記念2着)
騎手 安田富男、岡部幸雄、大崎昭一、嶋田 功、郷原洋行



インターメゾ
(黒鹿 1966)
Hornbeam Hyperion Gainsborough
Selene
Thicket Nasrullah
Thorn Wood
Plaza Persian Guff Bahram
Double Life
Wild Success Niccolo Dell'Acra
Lavinia

ダーリングヒメ
(栗 1964)
ニンバス Nearco Pharos
Nogara
Kong Baytown
Clang
ダーリングクイン ゲイタイム Rockfella
Daring Miss
ダーリング セフト
第弐タイランツクヰーン