| 名門の令嬢 |
| ガーネツト |
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天皇賞・秋 有馬記念 38戦14勝 競走成績 |
日本古来のフローリスカップ系
最近日本に根付いた古来の牝系が見直されてきている。血統表で牝系の流れにカタカナや漢字の名前がずらっと並んでいる馬たちがそうである。それらの古来の牝系を持つ馬たちはビューチフルドリーマー、フローリスカップ、フラストレートなど明治の終わりに輸入された牝馬に遡ることができる。その中でも現在特に発展しているのが小岩井農場が英国から輸入したフローリスカップの流れである。この牝系の流れを汲む名馬には古くはミナミホマレやコダマ、キタノカチドキなどがおり、最近では菊花賞馬マチカネフクキタル・そしてダービー馬スペシャルウイークなどが出ている。
今回取り上げるガーネツトもフローリスカップの流れを汲む名牝で、自身が牝馬ながら天皇賞・有馬記念を制覇し、名血の流れからか子孫から多くの活躍馬を送り出している。中山大障害3連覇のポレールや未出走のSS産駒種牡馬エイシンサンディもガーネットの流れを汲む馬である。名牝トウメイは直仔から天皇賞馬テンメイを送り出したが牝系としての流れを残すには至らなかった。しかしガーネットは直仔から超大物は出せなかったが、その牝系は着実に広がりつつある。気性難で4歳クラシックを惜敗
ガーネツトの馬主畑江氏は戦前、ガーネットの祖母に当たるフロラヴァースなど4頭の牝馬を購入して日高で牧場を始めたが、戦争激化とともに召集を受け日本を離れ大陸にわたった。そして戦争が終わってソ連の捕虜になり23年にようやく帰ってみると牧場は農地改革の波に巻き込まれて召し上げられてしまっており、馬も散り散りになってしまっていた。それでも何とかフロラヴァースの仔サンキストだけは探しだし、稗田牧場に預けたのだった。ガーネツトの母サンキストは先述のように名門フローリスカップの流れを汲む良血馬で、ガーネツトの前にも目黒記念など15勝をあげたハヤオー、東京大賞典など8勝をあげたケンチカラなどを出していた。しかしサンキストはおよそ見栄えのしない馬で左前足がひどく内向し、尻は牛の尻そっくりであった。このサンキストに内国産種牡馬トサミドリをつけて生まれたのがガーネツトである。ガーネツトは幸い母の悪い特徴を受け継いでおらず、父トサミドリの特徴をよく示していた。ただ、トサミドリ産駒には気性に勝った馬が多く、ガーネツトも例外ではなかった。
3歳夏の函館でデビューしたガーネットは4戦目で未勝利を脱出し、その後も千葉4歳特別やオープンなどを勝って桜花賞候補の一頭に数えられていた。事実オープンでは桜花賞候補(結局は後の桜花賞馬)ホウシュウクインを鋭い斬れ味で破っており、桜花賞ではホウシュウクインに次ぐ2番人気に支持された。しかしこの大一番で気性の難しさがもろに出てしまったガーネットは激しくイレ込み、バリヤーが上がったとき大きく出遅れてしまった。結果ホウシュウクインの6着に破れた。その後オープンを2連勝して臨んだオークスでもまた激しくイレ込んでしまい、外枠発走の上口取りのままスタートとなってしまった。結果追い込んだものの5着。結局スタートの悪さがたたって4歳時はビッグタイトルを獲得することができなかった。
オークスの後もガーネットはひっきりなしに走り続けた。しかし発馬癖の悪さはそれから先も直らなかった。生涯38戦で8人もの騎手に乗り変わられたガーネツトだが、不思議と野平祐二騎手との相性がよく、野平祐二騎手が乗ったときに14勝中9勝をあげた。野平祐二騎手もガーネットのことを後に語ったときに癖馬とは言えないまでも、難しい馬ではあったと語っている。競争生活の最後に天皇賞・有馬記念制覇
ガーネツトの競争生活にクライマックスが訪れたのは38戦中最後の2戦だった。5歳11月、36戦目の目黒記念で野平騎手を鞍上にエドヒメの1馬身半差の3着と好走したガーネツトは一躍秋の天皇賞へと駒を進めた。いままで一度も重賞にすら勝ったことがないガーネットだが、その調子の良さなどから「大逆転も可能な惑星中の惑星」との評価を得ていた。ところが主戦の野平騎手は先約があり天皇賞ではガーネツトに騎乗する事ができなかった。迷った末選ばれたのが伊藤竹男騎手である。先日調教師を引退された伊藤竹男氏だが、現役時はウメノチカラの主戦としてシンザンに立ち向かったことなどで知られている。馬へのあたりの柔らかさと大舞台での勝負強さでは定評があった。この伊藤竹男騎手と馬主の畑江氏との天皇賞前日の会話はいまでも語り継がれている。馬主の畑江氏がガーネツトを眺めているところにテン乗りで彼女に騎乗することになった伊藤竹男騎手が風呂上がりなのか下駄履き姿でやってきた。
馬主「敵はオーテモンとエドヒメだと思うが」
伊藤「さあね。オーテモンといったってチリチリくるだけで速い脚はないし、エドヒメだって速い脚はちょっとのあいだだけだしね」
馬主「これ、乗ってなかなかむずかしい馬らしいよ」
伊藤「旦那、むずかしいって馬だよ」
伊藤騎手はそれだけいうとどこかへ悠然と消えていったという。「あのときだけだね。前日から絶対勝てると思ったのは・・・」そう畑江氏は当時の様子を振り返ったという。
果たして9頭立てで行われた秋の天皇賞でオーテモン・ハクフジに続く3番人気に支持されたガーネツトは直線オーテモンとの400mにわたるたたき合いの末、見事天皇賞を制覇した。
そして続く有馬記念に出走する事になったが、ガーネツトが人気投票では出走できなかった。有馬記念のファン投票の締め切りが天皇賞当日であり、重賞すら勝っていなかったガーネツトが上位10頭に入るはずもなかったのである。結局ガーネツトは推薦委員会の推薦馬として出走することとなった。
有馬記念が行われる中山競馬場はその日豪雨のためどろどろの不良馬場となっていた。元々道悪をあまり得意としていなかったガーネツトは12頭中9番人気という人気のなさであったが、馬の調子だけは相変わらず絶好調であった。第4回を迎えた有馬記念だったが、一つのジンクスが生まれつつあった。「その年の天皇賞の勝ち馬で、しかも5歳馬が勝つ」たしかにガーネツトも5歳馬の天皇賞馬であった。しかし道悪下手の牝馬では人気にならないのも当然であった。しかし伊藤騎手には一つの秘策があった。「内は馬場が荒れていて大変だからみな外を通るだろう。しかし4コーナーを回って直線にはいってから外に持ち出したのではたちまち2、3馬身はたちまち損をする。しかし4コーナーからまっすぐゴールの外端に向かって走れば、全然マイナスはない・・・」
伊藤竹男はそれを神業のようにやってのけた。4コーナーで横一線に並んだ6頭の馬の大外に回ったガーネツトは一気にスタンド側の大外に進路を取り、やがて観客の視界から消えた。そして内のどろんこ馬場でオンワードベル・ハタノボル・コマツヒカリらがたたき合いを演じているところへガーネツトが観客の眼前をかすめるように駆け抜けていった。それは後にシンザンが有馬記念で演じた伝説の大外コースであった。
天皇賞・有馬記念を連覇し、ようやく安定した実力を発揮できるようになったガーネツトだったが、彼女を子供のようにかわいがった馬主の畑江氏の意向により有馬記念を最後にあっさり引退となった。繁殖に上がったガーネットは阪神3歳S・弥生賞でタニノムーティエの2着となったウメノダイヤなどそこそこの活躍馬を送り出した。また産駒に牝馬が多かったこともあり、その血は現在に脈々と受け継がれている。そのうちガーネットの牝系からG1ホースが誕生するのもあり得ぬことではないだろう。
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