| 三冠馬が恐れた馬 |
| アサホコ |
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天皇賞・春 金盃 AJCC盃 京王杯スプリングH スワンS 50戦12勝 競走成績 |
シンザン天皇賞春回避の理由
皐月賞・ダービー・菊花賞・天皇賞・有馬記念と当時の大レースを全て制したシンザンに一つだけケチを付けるとすれば春に天皇賞を勝っていないことだろう。当時春秋ともに3200mで行われていた天皇賞は一度勝った馬には再び天皇賞を走ることは許されていなかった。そのため最強馬決定戦の意味合いの強かった春の天皇賞に比べて、春の勝ち馬が出てこない秋の天皇賞は敗者復活戦の意味合いがあった事は否定できない。
菊花賞を勝った後、体制が整わないことを理由で春の天皇賞を回避したシンザン。「シンザンが走りたくないと行っているから」と回避の理由を語った調教師・武田文吾。もちろんそれも事実だろうが、彼の頭の中にはある1頭の馬の存在がちらついていたに違いない。その馬はちょうどシンザンが休養している間に破竹の快進撃を続け、結果春の天皇賞までも圧勝してしまった。遅れてきた大器・アサホコである。凡馬としての半生
アサホコが生まれたのは北海道ではなく青森県七戸の盛田牧場。父ヒカルメイジは持ち込み馬として初めてダービーを制した盛田牧場の最高傑作で、故郷で種牡馬入り後内国産馬ながらグレートヨルカ(菊花賞)、アサホコ(本馬)など数多くの活躍馬を送り出した。母アサヒロは中央で愛知盃に勝ち、地方転出後ミスアサヒロの名でキヨフジ記念2回、秋の鞍(現在の東京大賞典)に勝ったなかなかの活躍馬であった。後で見てみればなるほど良血と呼べるような血統背景ではあるが、これくらいの血統の馬は五万と存在する。青森産と言うこともあってアサホコはさほど注目されることもなく競馬場にデビューした。
デビュー後のアサホコは完全な凡馬であった。3歳の7月にデビューしたものの6頭立て5着に敗退。4歳の1月5戦目でようやく未勝利を勝ち上がるが、昇級戦の壁に苦しみ続け、なかなか勝てなかった。条件馬として年間を通じて休み無く走りつづけた。丈夫さだけが取り柄だったアサホコが4歳時にこなしたレースはなんと21戦。それでもこつこつと積み重ねた勝ち星によって5歳のはじめにはオープン馬となっていた。
オープンに上がった5歳、やはりアサホコは苦戦していた。オープンの壁は厚くなかなか勝てない。それでも中京や福島を転々としながらキャリアを積み重ねた。そして暮れの目黒記念でアサホコは初めて一流馬ヤマトキョウダイを相手に2着と健闘する。そしてその勢いをかって天皇賞に挑戦したが、さすがにそこでは荷が重く7着と敗れた。しかしそれがアサホコの凡馬としての最後の姿であった。重賞5連勝で天皇賞も圧勝
天皇賞の後自己条件の条件戦で5歳唯一の1勝を上げたアサホコは、鞍上に闘将・加賀武見を迎え6歳初戦として金盃に出走した。当時リーディングジョッキーだった加賀とアサホコの相性はかなり良かったようで、アサホコはこの金盃に勝利、初重賞制覇を遂げた。そして続くAJCC、京王杯と重賞3連勝を飾った。そこには凡馬としてのアサホコの姿は何処にもなかった。
天皇賞を目指して西下したアサホコは初戦としてスワンS(1800m)に出走した。天皇賞の前哨戦だった同レースでもアサホコはバリモスニセイらを振り切って勝利を飾った。一方そのころ前年3冠を制覇して天皇賞に向かって調整中だったシンザンの天皇賞回避が決まった。強敵のいない天皇賞でアサホコは断然の本命となった。
天皇賞当日は大雨。馬場は不良。不良馬場を得意としたアサホコの勝利を疑う要素は無くなっていた。シンザンのライバルとなったバリモスニセイやブルタカチホらが人気でアサホコに続いたが、レースはアサホコの独壇場となった。好スタートから中位につけたアサホコは第3コーナーで前を進むパスポート・バリモスニセイに接近し、直線先頭に立つとバリモスニセイや追い込んでくるブルタカチホを一気に突き放し、2着のブルタカチホに大差をつけて圧勝してしまった。これで重賞5連勝を含む6連勝。2年間も条件をうろついていた馬とは思えない鬼神のごとき快進撃だった。
天皇賞の後関東に戻ったアサホコはオープンで2着した後日経賞で5着に敗退、休養に入った。日経賞の行われた日は関西では宝塚記念が行われており、三冠馬シンザンが圧勝劇を飾っていた。シンザンは天皇賞が終わってまもなく競走に復帰、オープン2連勝の後の宝塚記念出走だった。アサホコはこの年ワシントンD.C.インターナショナルの日本代表として推薦されていたが、体調不良でそれを辞退し、この年ターフに戻る事はなかった。そして翌年シンザンが5冠馬となって引退したあとターフに復帰、3戦2勝して健在ぶりを示した後、ターフを去ることとなった。同時代にターフを走ったアサホコとシンザンだったが、不思議なほど活躍の時期がずれており、直接対決となることは遂になかった。アサホコがシンザン以上に強かったなどと言う気はないが、もしシンザンが天皇賞・春に出走していたら重馬場苦手のシンザンのこと、苦戦を強いられていたのは必至だろう。
アサホコは引退後宮崎県で種牡馬となったが、さしたる産駒も残せないまま昭和47年に種牡馬登録を抹消、翌48年に病死した。現在ではその血を残すものもおらず、アサホコの名を知る人も少ない。ただ、シンザンとの勝負付けが済んでいない1頭であることだけは確かな事実である。
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