希代の名馬
トサミドリ


トサミドリ 皐月賞

菊花賞

セントライト記念

金盃

札幌記念

東京盃




31戦21勝
競走成績

種牡馬として大成

 まずは主な産駒の欄を見ていただきたい。トサミドリは7歳から種牡馬生活をはじめ、18年間種牡馬として活躍したが、初年度産駒からいきなり朝日盃3歳Sのキタノオー、阪神3歳Sのトサモアーと東西3歳チャンピオンを送り出し、その後もこの2頭の他にも多くの8代競争の勝ち馬や、障害の勝ち馬を出し、10年間内国産種牡馬のエースとして君臨し続けた。
 このようにトサミドリが内国産馬にもかかわらず種牡馬として活躍できたのは、トサミドリが種牡馬をはじめた昭和27年はちょうどサラブレッドの輸入が戦後再開された年で、まだ輸入種牡馬が少なかったことが理由としてあげられる。まだ舶来のライバルの少ない時期に良質の繁殖牝馬と交配し、活躍馬を次々と送り出して人気種牡馬の地位を確立したのである。

ダービーでの敗戦

 トサミドリは、青森県の盛田牧場で父プリメロと、母フリツパンシーの間に生まれた。フリツパンシーは我が国初の三冠馬セントライトの母としても知られるが、トサミドリはフリツパンシーの最後の子である。もともと小岩井牧場に繋養されていたものがプリメロの種付けをされた後繁殖払いされて、これを買い取ったのが青森の盛田牧場であった。トサミドリは札幌でデビューすると順調に勝ち星を重ね、皐月賞も楽勝した。そしてダービー前のオープンも快勝してダービーでは単勝支持の半分以上を占める圧倒的一番人気で臨んだ。
 しかしトサミドリはタチカゼの7着と大きく負けてしまった。勝ったタチカゼの単勝配当が5万5430円、票数にして72票しか売れていなかったという大波乱である。敗因としては浅野騎手があがっていて、大きく逃げてしまったためだとか、直前に1日に2度調教をかけてしまったためだとかいわれている。

丈夫な名馬

 この後のトサミドリは4歳特別をレコードで圧勝して、菊花賞を含めて11連勝をかざる。しかしそれからは斤量との戦いとなり、時には75キロを背負うこともあった。そして天皇賞には3度挑戦したが、落馬などの悲運もあってついに勝つことは出来なかった。
 競走馬としての晩年はそれほど華やかな活躍は出来なかったトサミドリだが、生涯成績は皐月賞、菊花賞を含む31戦21勝、そしてその間10回のレコードタイムを記録するなど立派なものである。そしてその後前述したように18年間に渡ってたいした病気もせずに種牡馬として活躍するのである。
 現役時代から種牡馬時代までタフに良績を残し続けたトサミドリは、派手さはないもののまさにサラブレッドの見本となるものである。この馬に「希代の名馬」というどこか抽象的なことばが送られているのもそのような優等生っぽい所から来ているのだろう。

トサミドリ 牡 鹿毛 昭和21年〜45年8月

生産地・生産者 青森県 盛田牧場 総収得賞金 5,494,060円
馬主 斎藤健二郎 繋養地 北海道静内 稗田牧場
調教師 望月与一郎(札幌)、稗田虎伊(札幌) 主な産駒 キタノオー(朝日杯3歳S、菊花賞、天皇賞・春)、
トサモアー(阪神3歳S)、
キタノヒカリ(朝日杯3歳S)、
メイジミドリ(阪神3歳S)、
トサオー(天皇賞・春)、
コマツヒカリ(日本ダービー)、
ガーネット(天皇賞・秋、有馬記念)、
マツカゼオー(朝日杯3歳S)、
キタノオーザ(菊花賞)、
ホマレボシ(安田記念、有馬記念)、
ヒロキミ(菊花賞)、
オータジマ(中山大障害)、
ハルボー(中山大障害)、
トサキング(中山大障害)、
フェニックス(中山大障害)、
ライトリア(中山大障害)
他重賞勝ち馬多数
騎手 浅野武志、田中康三、小溝秋吉 選考年度 昭和59年


プリメロ
Primero
(鹿 1931)
Blandford Swynford John o'Gaunt
Canterbuly Pilgrim
Blanche White Eagle
Black Cherry
Athasi Farasi Desmond
Molly Morgan
Athgreany Galloping Simon
Fairyland

フリッパンシー
Flippancy
(黒鹿 1924)
Flamboyant Tracery Rock Sand
Topiary
Simonath St. Simon
Philomath
Slip Roberto le Diable Ayrshine
Rose Bay
Snip Donovan
Isabel