| 幻の馬 |
| トキノミノル |
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朝日杯3歳S 皐月賞 東京優駿(日本ダービー) |
幻の馬
「初出走以来10戦10勝、目指すダービーに勝って忽然と死んでいったが、あれはダービーをとるために生まれてきた幻の馬だ」
これは作家で馬主でもあった吉屋信子さんが、トキノミノルの急死後、毎日新聞に寄せた文章の一部である。トキノミノルは、無敗で皐月賞、ダービーを制したわずか17日後に破傷風でこの世を去った。競馬はまだ社会的に認知されていなかった時代に、トキノミノル急死のニュースは一般紙にまで取り上げられた。
「幻の馬」、このフレーズは、トキノミノルの強さと儚さを表す最上の言葉であろう。パーフェクト
トキノミノルは、デビュー戦は昭25年7月23日だったが、その時はまだトキノミノルという名ではなく「パーフェクト」という名であった。そのデビュー戦を8馬身差のレコードタイムで圧勝するのだが、今思えば「パーフェクト」という馬名はその後のトキノミノルの運命を暗示していたのかもしれない。
その新馬戦の勝ちっぷりに、ついに「時の実る」時が来た、と、2戦目から「トキノミノル」という名に改められた元パーフェクトは、朝日杯3歳Sまでを無敗の6連勝で飾った。岩下騎手によると、馬が勝負所を知っていて、馬なりのようなレースで勝っていたのだという。4歳になってからも圧勝を続け、結局ダービーを勝つまで連勝を続けた。2着につけた差が最も縮まったのがダービー時の1馬身半で、あとは2馬身差以上の圧勝だったという。ダービー、そして…
ダービーに向かったトキノミノルは、必ずしも体調万全という訳ではなく、慢性の膝の疾患に加え裂蹄も抱えていた。それで満足な調教も積めず、爪と蹄鉄の間にフェルトを挟んでのダービー出走だったが、トキノミノルは三角坂上で早くも先頭に立つと、そのままレコードタイムでゴールインし、18代ダービー馬となった。そのあと記念写真を撮ろうというときに場内のファンがどっと馬場内になだれ込んできて、人波の中で多くの人に祝福されながらの表彰式となった。大観衆の前で祝福されるトキノミノルの姿は、競馬が大衆化したことの現れであった。
しかしダービーの5日後あたりから何となく元気のなくなったトキノミノルは、その後2週間目の日に破傷風と診断され、その時は既に手遅れであった。どうやらダービーを走った頃にはすでに破傷風菌に犯されていたらしい。懸命に手は尽くされたものの、ダービー17日後にその生涯を閉じた。
現在東京競馬場のパドックの脇にはトキノミノルのブロンズ像がたてられており、在りし日の名馬を偲ぶことが出来る。
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トキノミノル 牡 鹿毛 昭和23年5月2日〜26年6月20日
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