| 流星の貴公子 |
| テンポイント |
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阪神3歳S 天皇賞(春) 有馬記念 スプリングS 京都記念 鳴尾記念 京都大賞典 |
甦った血統
テンポイントの祖母クモワカは32戦11勝の名牝だったが、5歳の6月、伝染性貧血症(伝貧)と診断され、薬殺処分を命じられた。しかしクモワカを殺すに忍びなかった関係者は、密かにクモワカを京都競馬場から北海道に移し、かくまった。この事件は裁判にまで発展し、なんとかクモワカの無実を勝ち取ったときにはすでにクモワカは血統書から抹消されていた。さらに裁判は続き、結局伝貧事件の12年後になってようやくクモワカは血統書に甦った。そのクモワカから生まれたワカクモはみごと桜花賞を制し、繁殖にあがってコントライトとの間に1頭の栗毛の馬を産んだ。それがテンポイントである。
新聞のテンポイント活字で載るような名馬に育って欲しいとのことでテンポイントと名付けられたその馬は、函館の新馬戦を10馬身差のレコードで圧勝すると、続くもみじSでも9馬身、そして関西No.1を決める阪神3歳Sでも7馬身差をつけて圧倒的な強さで3歳時を3戦3勝。関西期待の星と称されるようになる。宿敵トウショウボーイ
4歳になってもテンポイントは連勝を続ける。東京4歳S、スプリングS。しかし2着馬との差は徐々にちぢまっていた。一方関東では年明けにデビューすると徐々に2着馬との差を広げて連勝してきた馬がいた。終生のライバル・トウショウボーイである。この2頭は皐月賞ではじめて激突する。この年の皐月賞は厩務員のストのため、1週遅れて東京競馬場での開催となった。これはデビューの遅かったトウショウボーイには好材料。一方、テンポイントはこの1週間の間に調子を崩してしまっていた。結果トウショウボーイの溢れるスピードに全く歯が立たず2着。続くダービーではレース中に骨折し7着と完全にトウショウボーイの後塵を喫してしまった。
秋になってトウショウボーイはダービー馬クライムカイザーを相手に神戸新聞杯・京都新聞杯の両トライアルを連勝。圧倒的な力を示していた。ダービーで骨折したテンポイントだったが、幸い症状は軽く、秋の京都大賞典に顔を見せていた。ここを及第点の3着としたテンポイントは、打倒トウショウボーイを目指して菊花賞に望んできた。菊花賞はトウショウボーイ、クライムカイザー、テンポイントの3頭の対決と見られていたが、菊花賞ではそれまで全く無名だった馬が突然名馬への道を歩み出すレース。勝ったのはグリーングラスだった。テンポイントははじめてトウショウボーイに先着したものの2着。三冠レースを無冠で終えてしまった。有馬記念でもトウショウボーイに追いつくことはできず、2着に終わった。
5歳になったテンポイントの目標は4歳時なしえなかったビッグタイトルの獲得、そして何よりもトウショウボーイへの雪辱だった。5歳になったテンポイントは体質もパンとして、まさに無敵だった。京都記念、鳴尾記念を連勝、天皇賞・春に出走したが、そこにトウショウボーイの姿はなかった。宿敵のいない天皇賞をテンポイントは快勝、念願のビッグタイトルを手にした。あとはトウショウボーイへの雪辱。宝塚記念でそれは実現した。しかし休み明けにも関わらずトウショウボーイは強かった。必死に追い上げるもののトウショウボーイには追いつけずまたもや2着。雪辱は秋に持ち越された。
既に天皇賞タイトルを獲得してしまったテンポイントは再び天皇賞には出走できない。テンポイントは有馬記念を目標に調整された。京都大賞典では63キロ、続くオープンでは60キロを背負いながら圧勝。この斤量負けしないところが後の悲劇を招くことになるのだが、それはともかく順調に有馬記念を迎えた。そこにはここを引退レースと定めた宿敵トウショウボーイがいた。これが雪辱する最後の機会。
レースはTTGの3強の強さを恐れてたった8頭立て。しかしレース内容は更に少ないたった2頭立てであった。ゲートが開いてからテンポイント・トウショウボーイががんがん先行し、他馬を突き放していく。抜きつ抜かれつで全くのマッチレース。直線でようやくのことでテンポイントがわずかにトウショウボーイより先に出て、最後の最後でトウショウボーイに勝利することができた。日本競馬史上最高の名勝負であった。日経新春杯
もはや国内に敵なしのテンポイントに海外遠征の話が持ち上がっていた。海外に行く前に今一度ファンの前にテンポイントの姿を披露したい。そんな気持ちで出走した1月22日の日経新春杯だった。小雪舞う京都競馬場に登場したテンポイントの背中に背負わされた斤量は66.5キロ。そんな斤量はものともせず悠々とゴールしてくれるものと誰もが思っていた。しかしテンポイントはゴール板にたどり着くことはなかった。骨折、競争中止。通常なら安楽死となるほどの重傷である。海外へ向かうはずだったその馬は一転して生きるための死闘を強いられる事となった。手術が行われ、闘病生活が始まった。しかしテンポイントはどんどん衰弱し、恐れていた蹄葉炎も発症。42日間にも及ぶテンポイントの戦いはもっとも悲惨な形でその幕を閉じた。伝説の名馬
しかしテンポイントの名は今もなお競馬ファンの間で語り継がれている。テンポイント・トウショウボーイ・グリーングラスのTTGは3強の見本として、そして日経新春杯での悲劇はサラブレッドの儚さの見本として。絶えてしまったテンポイントの直系だが、その一族のワカオライデンが種牡馬として大活躍、そして甥にあたるフジヤマケンザンが海外重賞制覇を成し遂げた。競馬界で様々な出来事が起こる度にテンポイントの名は登場し、テンポイントに思いを馳せながら様々な人が競馬を観戦する。「テンポイントは競馬が夢であり、ロマンであることを実証した馬だ」と語ったのは馬主の高田久成氏であるが、まさにテンポイントはロマン競馬を具現化した伝説の名馬であろう。
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テンポイント 牡 栗毛 昭和48年4月19日〜53年3月5日
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