| 皇帝 |
| シンボリルドルフ |
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皐月賞 東京優駿(日本ダービー) 菊花賞 天皇賞(春) ジャパンカップ 有馬記念2回 弥生賞 セントライト記念 日経賞 日本・15戦13勝 アメリカ・1戦0勝 競走成績 |
「日本でもうやる競馬はありません」
昭和60年12月22日有馬記念。その年天皇賞・春、ジャパンカップに勝利し、有馬記念連覇を目指して出走してきた六冠馬シンボリルドルフは単勝1.2倍の圧倒的な支持を集めていた。その有馬記念には皐月賞・菊花賞を勝って二冠馬となったシンザンの子ミホシンザンが出走してきており、レースの興味はミホシンザンがシンボリルドルフに果たしてどこまで迫ることが出来るかということに絞られていた。
第4コーナーを曲がって早くも先頭に立ったシンボリルドルフの後ろにミホシンザンがようやく迫ってきたところで、岡部騎手は珍しくルドルフに対してムチを入れた。そのムチはミホシンザンに勝つためのムチではなく、ルドルフの力を万人に改めて見せつけるためのムチであった。ルドルフは鋭く加速。必死に追いすがるミホシンザンを4馬身突き放してゴールした。
岡部騎手は5本の指を広げて左手を上げ、更にそれに右手の2本指を添えて掲げた。「七冠」の称号を得たシンボリルドルフにはもはや国内には戦う相手も、獲得すべきタイトルもなかった。「日本でもうやる競馬はありません」フジテレビの盛山アナウンサーが語ったこの言葉が史上最強馬となったシンボリルドルフを世界の舞台へと送り出した。2度の敗戦すら糧に
シンボリルドルフは無敗で三冠を獲得したあと、中1週のローテーションでジャパンカップに挑戦し、そこではじめてカツラギエースの3着と敗れた。ルドルフに対する調教の手加減と人気薄の逃げ馬カツラギエースに対する油断によるものであった。野平調教師も岡部騎手も激しく後悔し、有馬記念に雪辱を誓った。有馬記念にはカツラギエースと前年の三冠馬ミスターシービーがおり、3強対決と呼ばれていたがルドルフは終始カツラギエースを徹底マークする作戦を取って他の2頭に堂々レコードタイムで圧勝した。
2度目の敗戦は休養明けぶっつけで挑んだ天皇賞・秋。大外枠の不利を跳ね返して一瞬勝ったかに見えたルドルフにまさかのギャロップダイナが襲いかかり一瞬のうちに交わされてしまった。しかしそのあとのジャパンカップではギャロップダイナを含む強豪を完全にねじ伏せ、ジャパンカップ史上唯一の1番人気での優勝を勝ち取った。
ルドルフのレースの中では敗れたあとの2戦が最も強い勝ち方だったと評する者も多く、たとえ負けてもその敗戦すら糧にし非情なまでの力を見せつける、それがシンボリルドルフだった。そのあまりにも強すぎるレースぶりは「面白くない」とまで評される始末だった。皇帝のプライド
「七冠」を達成し、アメリカに渡ったルドルフはサンタアニタのサンルイレイSでレース中に故障を発生、ダハールの6着と敗れた。失意のうちに帰国したシンボリルドルフは同年の12月に引退した。そこそこの期待を受けて種牡馬生活に入ったシンボリルドルフは初年度からとてつもない大物トウカイテイオーを送り出した。史上最強馬となったルドルフは種牡馬としてもそのプライドを誇示しつづけた。
関係者がルドルフについてのコメントを求められたとき、関係者は一同に国内で敗れた2戦やアメリカでの敗戦がルドルフに対して申し訳ないと語る。岡部騎手はシンボリルドルフに競馬を教えてもらったと語り、野平調教師はわがままなほどプライドの高い馬だったと語る。人に対してすら何かしら恐れ多さを感じさせる、シンボリルドルフはまさにそんな誇り高き名馬であった。
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シンボリルドルフ 牡 鹿毛 昭和56年3月13日〜
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