| スーパースター |
| オグリキャップ |
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有馬記念2回 安田記念 マイルチャンピオンシップ NZL4歳S 高松宮杯 毎日王冠2回 ペガサスS 毎日杯 京都4歳特別 オールカマー 中央・20戦12勝 |
地方から来た怪物・再び
かつて大井競馬場からやってきたハイセイコーは「怪物」と呼ばれ、競馬ファンはもとよりふだん競馬など見たこともない一般人や小学生まで、それこそ全国民に愛された。そして昭和63年。また1頭の馬が地方からやってきた。岐阜県の笠松競馬場で12戦10勝の成績を収め、勇躍中央競馬に移籍、阪神のペガサスS(現アーリントンC)を初戦に選んだ芦毛の馬、それがオグリキャップだった。
かつてハイセイコーが中央に移籍したときには既にその名前は世間に知れ渡っており、怪物登場と騒がれたものだったが、オグリキャップは最初からそれほどの人気を受けたわけではなく、初戦は2番人気だった。しかし、そのレースを圧勝したあとは毎日杯で後の皐月賞馬ヤエノムテキらを抑え、京都4歳特別を楽勝、NZLトロフィーでは持ったままの圧勝、そして高松宮杯では古馬のランドヒリュウをあっさり破り、夏を越えた毎日王冠ではダービー馬シリウスシンボリを押さえあれよあれよと重賞6連勝を飾ってしまった。このころにはオグリキャップの名は世間に知れ渡り、再び「怪物」とよばれるようになっていた。そしてなぜこんなに強い馬がクラシックに出ないのかという事も言われるようになっていた。オグリキャップはもともと笠松のクラシックを目標に生産された馬であり、馬主の小栗氏も中央で走らせる気は毛頭なかったためクラシック登録をしなかったのである。そのため、オグリキャップは内国産馬でありながらクラシックに出られず裏街道を歩むことになったのである。(現在ではこのオグリキャップのようなことがないように追加登録制度があり、追加登録料さえ払えばクラシ ックに出走することができる。)
菊花賞に進むことのないオグリキャップは目標を古馬最高峰の天皇賞・秋へと定め、ファンはこの怪物4歳馬を1番人気で迎えた。しかしこの年古馬戦線にはもう1頭の芦毛・タマモクロスがいた。タマモクロスも4歳末から急に力を付けはじめ、この天皇賞・秋まで天皇賞・春や宝塚記念を含む重賞5連勝で挑んできた強豪である。天皇賞・秋はこの2頭の芦毛対決に注目が集まった。
天皇賞・秋は戦前の予想通り芦毛2頭の戦いとなったが、先行して先に抜け出したタマモクロスをオグリキャップはついに捕らえることはできず、中央ではじめて2着に敗れた。これでオグリの不敗神話は敗れてしまったが、オグリキャップはこのあともジャパンC、有馬記念とタマモクロスに挑んでいく。ジャパンカップでは再びタマモクロスの後塵を喫してしまうが、タマモクロスとの最終対決となった有馬記念ではついにタマモクロスを下し、ついに現役最強の称号を得た。普通の名馬ならばこれくらいの活躍でだいたい終わりなのだが、オグリキャップの伝説はこのあとも更に続くことになる。G1連闘、そして世界レコードでの激走
有馬記念のあとオグリキャップは春シーズンを全休、秋に復活し、天皇賞・秋を目標にオールカマー、毎日王冠と戦った。毎日王冠では天皇賞・春、宝塚記念と制してきたこれまた地方出身のイナリワンとの火を噴くようなマッチレースとなったが、激走の末これを抑え、ダントツの1番人気で天皇賞・秋に向かった。しかし、圧倒的に有利と見られていた天皇賞では武豊スーパークリークが得意とは思えないこの距離で最高の走りを見せ、オグリキャップはまたも2着に敗れてしまった。そしてこの後オグリキャップは前人未踏のローテを強いられることになる。G1の連闘である。マイルチャンピオンシップと次週のジャパンCに連続で挑むこととなった。誰もが使いすぎだ、ただでさえ過酷なG1を連続で好走できるはずがない、そう思った。しかしオグリキャップはマイルチャンピオンシップでほとんど不可能と思われる位置からバンブーメモリーを差し切って勝利を収め、続くJCでは超ハイペースの流れの中、先に抜け出したニュージーランドのホーリックスを追いかけてぐんぐん差を詰めていき、クビ差まで迫る激走を見せたのである。その時着順掲示板に表示されたタイムを見て誰もが驚いた。2分22秒2。 世界レコードである。クビ差で敗れてしまったもののオグリキャップは世界レコードで走った。その姿には誰もが感動し、世界レコードで走って敗れたオグリキャップに惜しみない拍手を送った。
その後の有馬記念ではさすがに疲れがたまったかイナリワン・スーパークリークの争いに加わることなく5着に敗れた。引退レース・有馬記念
6歳になってオグリキャップに海外遠征の話が持ち上がった。9月にアメリカ遠征にとのことである。陣営がそれを見据えて春は天皇賞を回避し、実績のあるマイルの安田記念から始動した。武豊を鞍上に迎えたこのレースはまさにオグリキャップの独壇場となり、オグリは1分32秒4というレコードで楽々とゴール板を駆け抜けた。そして遠征前の壮行レースとして宝塚記念に出走する。しかしこのあたりからオグリキャップの勢いには影がさしはじめた。
宝塚記念では格下のオサイチジョージをとらえきれずに2着と破れ、またこの後故障が発症した事から海外遠征も白紙に戻ってしまう。そして秋の天皇賞に何とか出走してきたが6着、そして続くJCはオグリらしさのかけらも見られない11着と大惨敗してしまった。つねに前の敵を追いかけて猛然と襲いかかっていったかつての激しさはなりを潜め、もはや走りたくないとオグリ自身が言っているようだった。既に高額のシンジケートがくまれ、種牡馬としての印象に響くので引退させたらとの声もあったが、陣営は引退レースとして有馬記念を選んだ。
有馬記念のパドックにはかつてのライバルのスーパークリーク・イナリワンらの姿は既になく、かわりに4歳馬のホワイトストーン、メジロライアンらが人気を集めていた。世代交代の波が押し寄せていたが、オグリキャップは大勢のファンの感謝の気持ちとわずかな期待が入り混じった4番人気に押されていた。復活して欲しい、でも無事に走ってくれさえすればそれでいい、いままでありがとうというのがファンの気持ちだった。鞍上には武豊。安田記念を圧勝したコンビである。平成を代表する若手天才ジョッキーにそのわずかな希望が寄せられていた。
ゲートが開き、レースは予想されたよりもかなりのスローペース。メジロライアン以下4歳勢らも折り合いに苦労する中、オグリキャップは実にスムーズな競馬を進めていた。そして第4コーナーをまわった所で先頭に並びかけ、直線半ばでは先頭に立つ。大歓声の中、追い込んできたメジロライアンを振り切ってオグリキャップは1着でゴール板を駆け抜けた。ウィニングランで拳を突きあげた武豊。場内にこだまし続けるオグリ・コール。引退レースを見事に勝利で飾ったオグリキャップに日本中が沸いた瞬間であった。名馬中の名馬
オグリキャップは京都・東京・笠松の3場で引退式を行い、北海道に帰って種牡馬生活に入った。今のところパッとしたことはないが、種牡馬成績云々ということはどうでもよくなるほどオグリキャップは素晴らしい馬だった。無名の血統・小さな牧場で生まれ地方でデビュー。そんな馬が中央のエリート、そして世界の強豪と戦っていくというサクセスストーリー。本質はマイラーといわれながらもどんな距離もこなし、いかなる過酷なレース・強い敵であっても必死に追い込んでくる姿。そして明らかに調子落ちの中での引退レースの復活劇。誰もが望み、願うことを次々とかなえてきたオグリキャップ。
「ありがとう。」
JRAのヒーロー列伝のポスターにあった言葉だが、オグリキャップを讃える最も短く、最もふさわしい言葉であろう。
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オグリキャップ 牡 芦毛 昭和60年3月27日〜
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