| 奇跡の豪脚 |
| ミスターシービー |
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皐月賞 東京優駿(日本ダービー) 菊花賞 天皇賞(秋) 弥生賞 共同通信杯4歳S |
19年ぶりの三冠馬誕生
シンザンが三冠を達成して以来、皐月賞、ダービーを勝って二冠馬になった馬はタニノムーティエ、ヒカルイマイ、カブラヤオー、カツトップエースの4頭いた。しかし、そのいずれもが三冠最後の菊花賞に出走できなかったり、出走できても満足の状態ではなかったりして三冠達成はならなかった。すでにシンザンより19年が経過し、競走馬の層も厚くなってきた今、もう三冠馬は誕生しないんじゃないか、そういう空気が漂い始めていた。そんな昭和58年の菊花賞に二冠を制してきたミスターシービーは敢然と三冠目指して挑んできた。
菊花賞のスタートが切られ、ミスターシービーはやはり最後方。1週目のゴール板前をゆっくりと過ぎ、2週目の第3コーナー坂の上り手前に差し掛かったとき、ミスターシービーの青い帽子は馬群の外を回って突然進出を開始、見る見るうちに先頭に躍り出てしまった。京都の坂の上り下りはゆっくり登り、ゆっくり下るが鉄則であり、それを破った馬はことごとく潰れている。「あれでは大本命馬がつぶれてしまう。」観客の悲鳴があがる中、鞍上の吉永正人は馬の力を信じ、冷静に左右を確かめて第4コーナーを先頭で回ってきた。実況の杉本アナが絶叫する。「大地が、大地が弾んでミスターシービーだ。」ミスターシービーはここで第2エンジンに点火したかのように再び加速、後続を突き放した。場内に拍手と大歓声。「史上に残る三冠の脚、史上に残るこれが三冠の脚だ。拍手がわく、19年ぶりに三冠、19年ぶりに三冠ミスターシービー。」セントライト、シンザンに続く史上3頭目の三冠馬が誕生した瞬間だった。追い込み脚質で4冠達成
ミスターシービーは父トウショウボーイ、母シービークインの間に生まれ、その素晴らしい黒鹿毛の馬体は早くから評判となり、千明(ちぎら)牧場の代表馬ということで、千明牧場の頭文字CBにミスターをつけたMr.CBという名が付けられた。ちなみに、ミスターシービーの名を持つ競走馬は以前にも1頭おり、このシービーは2代目という事になる。
父トウショウボーイよりスピードを受け継いだシービーはなぜか父とは正反対の脚質、追い込みを必殺技とした。やや出遅れ気味のスタートからぽつんと後方追走、そして勝負所からエンジン全開で一気に他馬を交わし去る。そんなド派手な脚質で皐月賞、ダービー、菊花賞をぶっこ抜いて三冠を達成したミスターシービーは人々に愛され、その後の活躍も大いに期待されたものの菊花賞以後11ヶ月という長い間脚部不安の休養に入る。しかしその年中央競馬ではグレード制の導入と共にレース体系の大幅な整備が行われ、秋の天皇賞は従来の3200mから2000mに短縮されていた。その天皇賞を目標に毎日王冠から復帰したミスターシービーはそのレースはカツラギエースの2着に敗れたものの、得意のスピード型の距離になった天皇賞秋では最後方からのド追い込みを決めて見事シンザン以来2頭目となる4冠を達成した。次の相手は世界だ、そう意気込んでジャパンカップに参戦したミスターシービーだったが、最大の敵は意外にも国内からあらわれた。皇帝シンボリルドルフ
シンボリルドルフ。ミスターシービーの次の年に無敗で三冠を達成し、4歳馬ながら敢然とジャパンカップに挑んできた馬である。ミスターシービーはこの最大の敵を相手に一度も先着することなくターフを去ることとなる。ジャパンカップではまさかの伏兵カツラギエースの前にルドルフも3着と敗れてしまったが、シービーは勝負にも加われない10着と惨敗。次の有馬記念ではあっさりとルドルフに勝たれてしまいシービーは追い込み届かず3着に敗れてしまった。
今まで通りに戦ったのでは勝ち目はない。そう考えた吉永正人は天皇賞・春で、あの三冠を達成した菊花賞のときと同じ、3コーナーの坂手前からスパートして一気に先頭に立つという一か八かの戦法をとった。しかしルドルフはそんなシービーの必死の抵抗もあざ笑うかのように悠々と追走、4コーナーを過ぎたところで脚色の鈍くなったシービーを横目で見ながらあっさり交わし、ゴールへと独走した。3度対戦して3度とも後輩三冠馬に完敗してしまったシービーは、まるで燃え尽きたかのようにこのレースを最後に引退した。
三冠馬の中ではどの馬が一番強いのか?この質問に対し、ミスターシービーは他の三冠馬、シンザンやシンボリルドルフ、ナリタブライアンらに一歩譲るかも知れない。だが、三冠レースで一番面白い、一番ファンを沸かせるレースをしたのは紛れもなくミスターシービーであっただろう。現在種牡馬としてレックススタッドに繋養されているシービーだが、いまも訪れるファンは後を絶たないと言う。
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ミスターシービー 牡 黒鹿毛 昭和55年4月7日〜
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