栗毛の貴公子
クモハタ


クモハタ 東京優駿(日本ダービー)



21戦9勝
競走成績

種牡馬として大成

 クモハタは成績をみていただければわかるように、21戦9勝、主な勝ち鞍は日本ダービーだけである。顕彰馬の中ではとてもではないがよい成績とは言えない。クモハタがその価値を示したのは種牡馬になってからである。種牡馬になってからクモハタは天皇賞馬7頭をはじめとして菊花賞馬2頭、桜花賞、オークス馬各1頭、重賞を勝った馬はそれこそ数知れずとまるで現在のサンデーサイレンスのような成績を残した。それまで内国産種牡馬で1位になった馬がいなかった時代に5年連続でリーディングサイアーであり続けた。現在にも増して内国産の馬が冷遇されていた時代に、これだけの種牡馬成績を残し、日本の競馬に大きな影響を与えたことが評価されて顕彰馬に選ばれたものである。

元祖・病弱なダービー馬

 クモハタは下総のセリで最高価格で取り引きされたものの、4歳のはじめ頃に蹄叉腐爛(ていさふらん)という蹄の病気にかかり、歩くこともままならない状態だった。だから調教も思うようにいかず、デビューは大幅に遅れてようやくデビューできたのは5月20日の新馬戦だった。このレースでは2着に敗れたが、1週間後の次の新馬戦で1着になった。しかし、それは日本ダービーを2日後(!)に控えた日のことであった。勝つには勝ったがいよいよ状態はひどくなり、飼い葉も食べなくなってしまった。こんな状態ではとてもダービーに出せた状態ではないが、ダービーに出さなくてはこの馬を手に入れた意味の半分を失うとして馬主の加藤氏はついにダービー出走を決意した。痛みを押さえるために局部注射を施したり、飼い葉の代わりに鼻から豆乳を注入したりと、散々な状態であった。
 そんな状態で、しかも中たった一日でダービーに臨んだクモハタは2着に1馬身の差をつけてダービーを制してしまった。当時は3歳競馬がなかったので3戦目でダービー制覇といってもそれ自体は珍しいことではなかったが、これだけむちゃくちゃな状態でダービーを勝ってしまった馬はいない。当然ながら人気はなく、単勝馬券は最高10倍の200円をつけ、、さらに余った分は特配として不的中者に払い戻された。馬券が20円で売られていたときに特配は11円をつけた。これは今の万馬券以上のインパクトのあることだったのだそうだ。

伝貧で薬殺

 クモハタはその後も満足な状態で出走することはほとんどなかったそうだが、それでいて9勝の勝ち星をあげ、7万円以上の賞金をかせいだ。ちょっとピンとこないが、帝大卒の初任給が70円か80円という時代だったそうなので、なかなかの高額賞金だったのだろう。
 また、クモハタはきわめて神経質な性格で、飼葉桶の中にネズミの糞が一つでもまざっていたなら決して飼い葉を口にすることはなかったという。調教師は飼葉桶の上にぬれ手ぬぐいをかけてネズミを防いだというが、この神経質で病弱なイメージがこの馬を貴公子と言わしめる所以なのだろう。
 クモハタは最後は伝染性貧血(伝貧)の診断を受け、薬殺処分になってしまった。これだけの成績を残した馬としてはあっけない最後であった。

クモハタ 牡 栗毛 昭和11年3月4日〜28年9月18日

生産地・生産者 千葉県 下総御料牧場 総収得賞金 74,414円
馬主 加藤雄策 繋養地 日高種馬牧場、浦河種馬場
調教師 田中和一郎(東京) 主な産駒 カツフジ(天皇賞・秋) 、
ニューフォード(菊花賞、天皇賞・秋)、
ヤシマドオター(桜花賞、天皇賞・秋)、
ハタカゼ(天皇賞・秋)、
キヨフジ(オークス)、
ミツハタ(天皇賞・春)、
ワカクサ(阪神3歳S)、
クインナルビー(天皇賞・秋)、
タカハタ(朝日杯3歳S) 、
メイヂヒカリ(朝日杯3歳S、菊花賞、天皇賞・春、中山グランプリ)、
ヤマカブト(中山大障害)、
ケニイモア(中山大障害2回)
他重賞勝ち馬多数
騎手 阿部正太郎 選考年度 昭和59年

トウルヌソル
Tournesol
(鹿 1922)
Gainsborough Bayardo Bay Ronald
Galicia
Rosedrop St. Frusquim
Rosaline
Soliste Prince William Bill of Portland
La Vierge
Sees Chesterfield
La Goulue

星旗
Fairy Maiden
(栗 1924)
Gnome Whisk Broom U Broomstick
Audience
Fairy Sprite Voter
Cinderella
Tuscan Maiden Maiden Erlegh Polymelus
Plum Tart
Tuscan Red William Rufus
Fine Feathers