セミスウィートヴァレンタイン

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「やるか?」
「うん、やる!」
 その言葉を合図に、ヒロアキとユウジはするするっと一群の中から急ぎ足で離れて、林立するホテルの一軒の前で二人並んで足を止めた。
 しばし意味ありげに入り口の料金表示を見つめる。そしてすっと腕を組み、ぴったりと身をくっつけあった。ユウジがヒロアキの肩に頭を乗せる。自分より少し大きい彼は、まるでその為にあるように丁度いい位置に肩がくる。
 二人は皆が見守る前で、仲良く身を寄せ合ったままホテルの入り口をかいくぐった。
 途端に、後ろからわっと歓声があがった。
「やだーっ、本当に入ったぁ!」
「きゃああ、あはははは!」
「バッカー! マジで入りやがんの、わはははは。ホ〜モ野郎〜! わっははは」
 男女入り混じった友人たちは、道を歩きながら可笑しそうに大笑いしている。ヒロアキとユウジは適当な頃合いを見計らって、ただドアを超えただけのホテルから並んで出てきた。
「いやあ、良かった良かった。最高だったぜぇ、ユウジちゃ〜ん」
「も、ヒロちゃんったらテクニシャンなんだからぁ。ユウジ溺れちゃう〜、うっふん」
 嘘くさいオネエ言葉で、わざとしなを作ってユウジは唇を突き出した。その様を見て周りが一層笑い狂う。
 横を行く通行人たちが、賑やかな一団に何事かと胡散臭い眼差しを投げかけていった。
 そこにいる全員が、高校の時のクラスメイトだった。
遠い田舎で共に青春時代を過ごした者たちが、今都会で時折出会っては懐かしく酒を飲む。だいたいいつも7,8人が集まる中、彼らは思い出を語り合ったり今の生活の愚痴をこぼしたりして、解放されたひとときを過ごした。
 ヒロアキとユウジは、高校時代、誰もが親友と認めるほど仲が良かった。当の本人たちはそんな陳腐な言葉で自分たちの関係を表現することはなかったけれど、それでもお互い、他の誰よりも特別な存在なのだとは思っていた。
 だけど、だからといって人生がいつも同じ道に沿っているとは限らない。二人の進学した先は別々の大学で、場所も遠く離れていて、いつしか連絡もとらなくなり関係はすっかり途絶えていた。それぞれが自分の新しい世界で生きることに必死だったし、慣れれば慣れたでそこは目新しいきらめきに溢れていて、新鮮で魅力的だった。彼らは別々の道を歩き出した。
 やがて大学を卒業し、社会に出る。厳しい仕事と難しい人間関係と、そして仕事へのやりがい、そんなものが世界をまた変えていく。昔のことなんて振り返ってる暇はいっそうなくなる。
 そんな風に何年も過ごして、ふとしたきっかけで同じクラスの者が何人も同じ街にいると知った。誰かが場を作って再会した。とても懐かしかった。とても嬉しかった。昔の友達っていいもんだなと心から思った。
 利害関係のない、純粋な仲間。良いことも悪いことも共有してきた、貴重な同志たちの群れ。
 そんな風にヒロアキとユウジは再び出会った。
 こっちにでてきていたなんてお互いに知らなかった。再会した時はさすがに少し照れ臭くて、わざと嬉しさを押し隠して、よおなんて簡単に挨拶を交わすだけだった。それでも何年もの隔たりは一瞬傍に居ただけですぐに埋まって、また昔みたいに楽しい時間を共有できた。いや、昔よりも、もっともっと意味のある重たい時間を。
 予約してあったスペイン風居酒屋で、その日も皆で盛り上がっていた。ワイワイと賑やかに、周りの客たちが少し顔をしかめるほど、お喋りに花が咲く。
 そんな中で、まだ夜もこれからという頃、ユウジが真っ先に退席を告げて立ちあがった。
「なんだよ、もう帰るってぇ? そんなの許せねーぞ、オイ」
 ブーブーと批難の声を受けながら、ユウジは苦笑して言い訳した。
「わりい、俺さ、今夜母親から電話くんだわ。家に居ないとやばいんだって。申し訳ないけど、じゃな、お先」
 そう言って顔の前で手を立てると、文句と引き止める声の中、早々に彼は帰っていった。
 それからまた盛り上がり30分ほど経った頃、今度は着メロがひとつ鳴り響く。ヒロアキの携帯である。彼は届いたメールに目を通すと、上着とコートを抱えて立ちあがった。
「ごめん! 俺、ちょっとここでリタイア。なんか、女に呼ばれちまった」
「ええーっ、なんだよー? 友情より女を取るのか? この裏切り者〜」
「すまんっ、断るとグダグダうるせーしよ。んじゃ、また今度な。わりっ」
 ヒロアキはヘラヘラと笑いながら帰っていった。
 残された者たちは二名も脱落者を迎えて多少気分が冷めたものの、またすぐに話に華が咲いて長い夜を楽しんでいた。
 



 居酒屋から少し離れた道端で、ユウジはコートの襟を引き寄せながら、ずっと一人の相手を待っていた。チラリと時計を見る。もうすぐかな、と思った頃に、道の向こうから見知った顔が笑いながら駆けてきた。
「おう、いたいた。呼び出しご苦労」
「さみーよ、ヒロ。やっぱ、どっかの店で待ち合わせりゃ良かった。こんなとこじゃなくさ」
「なに、もっと早く呼び出しても良かったのに」
「ん〜、やっぱりな。それなりの間は開けないと……な?」
 ユウジは首を傾げ、意味ありげに苦笑する。ヒロアキはそんな彼の頭に手を置き、髪をくしゃっと掻き乱して、にっかりと笑った。
「なあ、俺っておまえのオフクロだったのな?」
「ええ? ……むぅ、いいじゃねえか。おまえだって俺を別人に仕立てたんだろ?」
「俺は、俺の女って言ってやったぜ。その方がなんかよくね? 恋人よ、恋人」
「るっせーな。たいして変わんねえよ。それより、ほら、行こうぜ。俺もう冷えちまった。さすがに夜はまだ寒いって」
「おお、行こうぜ。どこにする? さっきのホテルにするか?」
「ああん? ばーか、わざわざあんな人目のあるとこ誰が行くかよ、ははっ」
 二人は楽しそうに笑いあって、夜の街を後にした。周りにはまだたくさん人が歩いていたけれど、その中で二人がただの友達同士ではないなんて気がつく者は、きっと誰もいないんだろう。




 再会を果たした二人は携帯メールを交換し合って、何度か連絡を取り合い、やがて時々二人だけで会うようになっていた。バーや居酒屋で酒を飲みながら他愛のない会話を交わす。仕事のこと、昔の友人のこと、ちょっとした悩みや馬鹿げた失敗談、昨日観た映画の話。そんなものをどうということもなく語り合った。
 ユウジは、話しながらヒロアキの横顔を見つめていた。
 少し大人になった彼。昔よりも骨格がきつくなって、厳しい男の顔になった。目元に一本しわがあり、笑うと一層深くなる。だけど眼差しは変わらずに温かくて、薫る爽やかさは昔と何も変わらない。
 そんな彼を見ながら、ユウジは思う。
 あの頃こいつが好きだった。ただ友達としてとか、仲間としてとか、そんなものじゃなく好きだった。
 だけどそんな感情は絶対口にする気はなかったし、伝えたいとも思わなかった。想いが小さかった訳じゃない。ただ不用意に口にして彼に嫌われるのが怖かった。軽蔑され、関係が壊れるのが恐ろしかった。
 もしこいつの傍にいられなくなったら……。そんな危険を冒すくらいなら、黙って耐えていた方がいい。一番仲のいい友人として、特別な存在として、あいつの中にあったほうが絶対いい。だからユウジは何も言わなかった。
 あの頃はそれで済んだのだ。まだまだ心も体も子供だったから。傷ついたら、そこから逃げる術を知らなかったから。
 だけど今は違う。もしこの関係が壊れても、きっと少し笑って、少し後悔して、そして忘れて別の誰かと遊ぶことができるだろう。傷に蓋をして逃げる術なんて幾らでも知っている。もう子供じゃないから。もうあの頃みたいに純粋じゃなくなってしまったから。
 ジャズが流れる渋いバーで、二人で飲んでいた夜、ユウジは思わず口にした。
「俺さ、昔、おまえのこと好きだったんだよな。なんつーか、ダチとかじゃなく、恋愛感情でさ」
 言ってしまって少しだけ後悔したけれど、それでも変な顔をされたらジョークでくるんでしまえばいいと思った。若気の至りだよなーなんて、笑って誤魔化せばそれで済むと。
 だけどヒロアキはおかしな顔はしなかった。笑いもしなかった。ただ一言、ふうんと静かに相槌を打って、しばらく無言でグラスを運んでいた。やがてふっと顔を向けると、唇に微かな笑みを浮かべて、ゆっくりと呟いた。
「俺なんてさ……今でも好きだぜ、おまえのこと」
 その瞬間、なんだか周りの時間が止まってしまったみたいに全ての音が聞こえなくなったのを、ユウジは鮮やかに覚えている。
 


 
 狭いユウジの部屋は、明かりの一つも灯ってなかった。
 やっぱりまだ、セックスの最中に互いの顔を見るのが照れ臭くて、いつも電気はつけなかった。
 窓からうっすらと差し込む蒼白い光の中、それぞれ逆向きに寝転がって相手のものを熱心にしゃぶった。荒い息づかいが聞こえてくる。いや、それは自分の発するものなのか。熱い吐息や、時折漏れる小さなうめき声は、彼なのか自分なのか、まるでわからなくなってくる。
 どちらともなく我慢が出来なくなって体をつなげる頃には、もう闇にもだいぶ目が慣れて、すぐ傍にいる愛しい者の姿ぐらいは見分けることができるようになっていた。
 ヒロアキは自分の下で悩ましく顔を歪めているユウジを見て、その何もかもを愛しいと思った。
 まさかこんな関係が自分の道の先にあるなんて、あの頃は考えもしなかった。ただ彼と一緒にいるのが好きで、彼の笑う顔にホッとして、共に怒ったり共に悲しんだり、一晩中喋っている時もずっと黙りこくっている時も、それだけで幸せだったから。
 だけど今はもう、それだけじゃ収まらない。会えば触れたくなる。触れたら、体をつなげたくなる。たくさんこいつとセックスして、気持ちよくなりたい。心も体も満足したい。彼の全てを手に入れたい。
「ん……ヒロ、な、もっと……もっと奥の方……あ、そこ。そこ、いい……んふ」
 ユウジが艶かしく声をあげた。ヒロアキはねだられるままに、強く奥まで幾度も幾度も突き続けた。
「ここ? ここか? すげぇ。おまえん中めちゃくちゃ熱いよ……ん、あ、あっ、ふあっ」
「ばか……女みてえな声たてるなって……。恥ずかしい奴」
「何言ってんだよ……おまえだって……さっきからよがりまくりで……くっ、あ、ユウジ……。ごめ……俺イきそ……くっ」
「いいよ、イけよ、ヒロ……イってい……ああっ、あああっ!」
 ユウジは彼の二の腕に爪を立てた。彼の腕には小さな傷がたくさんあった。全部自分がつけたものだ……そんなことをユウジは思って、少しだけ誇らしげな気分だった。




 ヒロアキがタバコを吸っている。
 その背中を、ユウジがベッドの上から見つめている。
 それはいつもの風景だった。
 終わった後、二人で過ごす静かな時間。ちょっぴりけだるくて、ちょっとだけせつない、そんな時間。
 ユウジがじっと見ていたら、ヒロアキが振り返ってうっすらと笑った。
「なんだよ?」
 ユウジは微笑み返して呟いた。
「いや……」
「なんか言いたげ」
「うん……」
 しばしの沈黙の後、ユウジはぽつりと言った。
「俺たちさ、一年後ってどうしてるのかな?」
 若干の間を置いてヒロアキが応える。
「さあな」
「二年後や三年後や四年後はどうなってるのかな? そのずっと先は、ずっとずっと先は、どうしているんだろう……」
 そんな答えはどちらにも見えなかった。
 もし男と女なら、結婚という新たな世界を築く道もあるだろう。だけど男同士の自分たちには、形の決まった未来なんて何もない。どうなるかなんてわからない。未来があるのかすら知りはしない。
 だから、答えが欲しかった訳じゃない。だけどいつも心に疼く小さな傷だ。彼と関係してしまったその日から、ちくりと痛む胸の奥の傷。ユウジはヒロアキの腕に傷をつけたけれど、ヒロアキはユウジの心に傷をつけた。せつなくて誇らしい傷をたくさんつけた。
 無言でタバコを吸っていたヒロアキが、ふと思い立って立ちあがった。
「ああ、忘れるところだった。いけねえ、いけねえ」
 壁に掛けてあったコートのもとへ行くと、ポケットをゴソゴソと探っては、小さな紙の袋を持ってきた。
「ほら、俺からのプレゼント。ありがたく受け取れ」
「なに?」
「チョコレートだよ。ヴァレンタインだろ、もうすぐ? 俺、その頃はきっと出張でいないからさ。今渡しとくって」
「ヴァレンタイン〜?」
 ユウジは呆れたような声をあげて紙袋を開いた。中には有名なチョコレート専門店の名前がついた包装紙に包まれている可愛らしい小箱があった。
 包装を解いて蓋を開けたら、丸いチョコレートが六つ行儀よく並んでいる。甘い香りが漂ってくる。
 ユウジがじっと見つめていたら、ヒロアキが誇らしげに言った。
「俺って律儀。ちゃんとこんなもん買っちゃってさ。さあ、食えよ。ここの美味いんだぞ。って評判なんだぞ。俺はよく知らんけどさ、ははは」
 ユウジは薦められるまま一つ摘んで口に入れた。香り高いカカオの甘さが口の中一杯に広がった。
「……ほんと、美味い」
「あ、そお? マジ? じゃ俺も一つ食っていい?」
 覗きこんでチョコを口に入れるヒロアキを見ながら、ユウジはくすりと小さく笑った。
「なんだよ? 何笑ってんだ?」
「いや……これ買う時のおまえの姿想像したらさ、なんかな、ハハ」
「あ、笑うなよー。大変だったんだぞ、この時期チョコ買うなんてよ。周りの女どもは意味ありげな目で見やがるし、妹に頼まれてーなんて言い訳しっちゃったりしてさ。それでも後ろに並んでたOLとか笑ってやがるし」
 光景が目に浮かぶようだ。男の中でも体が大きくて、チョコレートなんておよそ似合いもしない彼がちんまりと恥ずかしそうにレジに並んでいる。考えるだけで可笑しくて、微笑ましくて、そして嬉しい。胸が熱くなってくる。
「下手な言い訳なんてしない方がよかったんじゃないのか? 自分で食いますって顔してさ」
「でもよ、自分で食うなら綺麗な包装してもらえないじゃないか。リボンとかさ」
 ユウジはたった今無造作に破り捨てた包装紙を改めて見た。そう言えば、ピンクのハートのシールと小さなピンクのリボンがついていたような気がする。全然気にもとめなかったが。
(そういやあ、こいつってその手のイベントごと好きだったもんな、昔から)
 ユウジはふと考えて、いっそう可笑しくなってくすくすと笑った。
「あ、笑うなって言ってんだろ。いいよ、返せよ、それ。くそぉ、甲斐のねえ奴だな、おまえってばよぉ」
 ヒロアキが顔を赤くしながらユウジの手からそれを取り返そうと迫った。ユウジは笑って、ベッドの上で逃げながら言った。
「やだよ、俺が貰ったんだから、もう俺のもんだよ。返さねぇ」
「んじゃ素直に喜べって、こいつ。可愛くねえんだからよぉ、まったく」
 ヒロアキが唇を尖らせながらぶつぶつと文句を言っている。ユウジは楽しそうにそれを見守りながら、二つ目のチョコを口に入れた。
「じゃさ、来年は俺が買ってやるよ、ヴァレンタインチョコ」
 ヒロアキが嬉しそうに顔をきらめかせた。
「あ、ほんと? 俺、ナッツの入った奴がいいな。あと洋酒の効いた奴」
「バカ、今からんなこと言われても忘れるって。来年言え。あ、再来年はおまえが買えよ?」
「ええー? じゃ、その次はおまえだぜ。で、次の次がまた俺で、そのまた次がおまえな」
 子供のような戯言を何度も繰り返して、二人は楽しそうに笑った。


 毎年やってくるヴァレンタイン。
 一年後も二年後も三年後も、変わらずその日は訪れる。ずっと未来まで続いている。
 
 チョコレートは、セミスウィートな味がした。
  
 

    
                                            ≪終≫

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