夕日は思いっきり篤志に飛びついた。
 先ほど入り口でわかれたばかりなのに、なんだかもうずいぶんと逢っていなかったような気がする。ここまでの道のりが、ひどく遠かったように思える。
 そして、それはまた篤志も同じ気持ちだったらしく、しっかりとその体を受けとめ、力一杯抱きしめた。
「篤志、逢いたかった……」
耳元で夕日が呟くと、同じように返事が返ってきた。
「俺もだ」
 体を抱く手にギュッと力がこもる。夕日はしばしその抱擁を甘受し、そしてそっと顔を離すと、ニッコリと微笑んだ。
「よかった、途中で逢えて。出口まで逢えないかと思った。ここ、なんだか妙なんだもん」
「そうだな、確かになにか少しおかしな気はする……」
 どことなく篤志が不安そうにつぶやいた。夕日はその顔を見つめながら、何故か胸にちくりとした痛みを感じた。なんと表現したらよいのかわからないのだけれど、何かが胸に影をさしていた。入り込んではいけない世界に入ってしまったかのような、なにかが心に引っ掛かる。後悔のような、後ろめたさのような……。それは篤志を見つめていると強く膨れあがり、だがまた逆に篤志に対する愛おしさをも倍増させた。
 夕日はもう一度彼の胸にすがりついた。篤志が少し戸惑ったようにつぶやいた。
「夕日……?」
「大好き……篤志。きみが一番好きだよ、僕……」
 突然のストレートな愛の告白に、篤志はちょっと照れたように笑い、そして意地悪く返した。
「なんだよ、じゃあ二番は誰なんだ? 俺以外に好きな相手がいるのか?」
「いないよ、誰も!」
 夕日がむきになって答えると、篤志はくすりと笑って、その顔を両の手で包み込んだ。
「本当に本当だな?」
「うん」
 篤志は満足げに破顔して、そっと唇を寄せてきた。柔らかな感触が重なり、それは少しの間小鳥のように優しく夕日の唇をついばんでいたが、やがて情熱を抑えきれないのか熱っぽく押しつけて、歯列を割って舌が入り込んできた。夕日はちょっと戸惑って、顎を引き、ささやいた。
「篤志……誰か来たら、見られちゃうよ……」
 だが篤志はかまわないとでも言うように、ぐいと夕日の体を引き寄せ、再び強くくちづけてきた。愛しいと全身で叫んでいるかのように、強く熱く抱きしめる。その激しさの前には、もう夕日も抵抗できなかった。
 もとより逢いたくて逢いたくてたまらなかったのは夕日も同じだった。この迷路に足を踏みいれ彼と道を分かった時から、不思議な世界が自分を包んでいた。それはなんだか危険で、頼りなくて、心許なかった。妙な不安をかきたてた。だけど篤志の傍にいれば、そんな心細さは微塵にふきとんでしまう。
(篤志……好き)
 彼の唇がそっと口を離れ、頬を伝って首筋へと移行する。耳たぶをそっと甘噛みされて、夕日はせつなげに鼻を鳴らした。
「ん……だめ、篤志……ん、ぁ……」
 その鏡に包まれた小さな空間に、夕日の声が扇情的に響いた。それは制止するというよりもいっそう深くその先に誘い込むような、妖しい響きを秘めていた。
 篤志が引き込まれるように熱っぽく愛撫を続けると、夕日はたまらないように身をよじった。
「だめだったら、篤志……。そんなにされたら、僕自信ないよ……」
「なんの?」
 篤志が問い返すと、半分伏せた瞳で色っぽく見つめて言った。
「僕……止まらなくなっちゃう……。こんなところなのに……きみが欲しくなっちゃうよ。抱いて、欲しくなる……」
 そうつぶやいた夕日の顔は、今まで見たどんな彼よりも艶かしかった。半開きの唇が濡れてきらめき、篤志を誘っていた。すでにうっすらとにじんだ額の汗に前髪が何本か張りついて、その妖しさに拍車をかける。熱く漏れる吐息が、媚薬のように甘く香りたつ……。
 篤志は有無を言わさずその体を床に押し倒すと、上からのしかかってささやいた。
「もともと止まる気なんかないよ、俺は」
「篤志……」
「もう……どうにもならねえ。おまえを抱く以外に、この欲求はおさまらない。おまえが欲しいんだ……夕日」
「だって、こんなところで……。誰か来たらどうするの?」
「誰もこないさ。来たってかまわねえよ。見せつけてやる」
「ばか……」
 夕日の声は篤志の唇に消されて消えた。激しいくちづけを受けて、胸の奥に灯っていた火がカッと強く燃えあがる。夕日はすぐに息を荒げた。
 篤志が性急に服を剥ぎ取り、そして自分も急いで脱ぎ捨てた。まるで一瞬たりとも時間が惜しいとでも言わんが如く、滑稽なほど焦ってのしかかってくる。触れ合う素肌は互いにすでに熱かった。
 もう一度強く抱きあってキスを交わしたあと、篤志は夕日の胸に舌を這わせて愛撫した。ピンク色に尖った蕾を舌先で転がし、強く含んで吸い上げると、夕日はたまらずに身悶えして声をあげた。何度も繰り返すと、その度にせつなげに身をよじって震えたが、いつものように「やめて」とは言わなかった。むしろもっと続きをせがむように、篤志の腕を強くつかんで胸を押しあげてくる。篤志は応えるように接吻を続けた。
「あ……いや、いや! 篤志! んぁ……はあ、いやぁ」
 閉じた瞳から涙が溢れだし、つーっと頬を伝って流れていく。ハアハアと苦しそうに息をつく唇は、まるで赤い宝石のようにきらきらと妖しく輝いていた。
 それは見ているだけで官能的だった。あきらかにいつもの夕日とは違う。いや……いつもの夕日だけれど、いつも以上に深く感じている。感じようとしている。愛を待ち望んでいる。
 篤志は自分の中で熱く高ぶる鼓動を感じながら、きゅっと少し強めに口の中の蕾を噛んだ。その瞬間夕日の体が強くのけぞって、一瞬息も止めて硬直した。すぐにハアッと大きく吐息をついたが、よほど激しく感じ入っているのか見ていて苦しそうなほど激しく呼吸している。篤志はちょっと心配になってささやきかけた。
「だいじょうぶか、夕日?」
 夕日はうっすらと瞼を開くと、息を荒げながら消え入りそうな声で応えた。
「うん……でも、なんか……僕、へん。感じすぎて……どうにかなっちゃいそう」
「やめる……か?」
「やだ……、やだけど、ちょっと休ませて……」
 篤志がスッと身を引くと、それを引き止めるように夕日が彼の腕をつかんで言った。
「篤志……きみが横になってよ」
 言われるままに体を入れかえると、今度は夕日が上からのしかかってきて篤志の胸に頬をすりよせて甘えてきた。しばらくその感触を楽しむように、密着させた体をゆっくりとうごめかしていたが、やがて下へとずりさがると、篤志のものに唇を寄せてくちづけた。いとおしそうに手に取り、何度もくちづけてはそっと先端を含んで舌先でくすぐる。篤志はわきあがる快楽に眉をしかめ、小さくうめいた。
「夕日……」
 返事の代わりに、その華奢な口がすっぽりと篤志のものをくわえこんだ。熱く柔らかな感触が伝わってくる。絡みつく舌がまるで生き物のように妖しくうごめいて愛撫する。
「う……く……」
 篤志がこらえきれずに声をあげると、夕日はそれを楽しむようにいっそう熱心に愛撫してきた。残酷なほど丁寧に、長い時間を苦ともせず少しも休まず愛し続ける。やがて篤志のほうが音をあげてつぶやいた。
「おい……だめだ、よせ、夕日……」
 だが夕日は容赦なく口を動かし続けた。
「だめだって……こら。いっちまうぞ……」
 夕日を見ると、口撫しながら上目使いに見上げるその瞳は、濡れて艶やかにきらめいていた。まるで享楽の世界に誘い込む小悪魔のように、淫靡な輝きを放っていた。その美しさは残酷な匂いすら感じさせる。篤志は背筋にぞくりとするものを感じた。
 いつも見慣れているはずの彼は、こんなにも奇麗でこんなにも艶かしかったのか。世界中のどこを探しても見つからないような、特別な宝石だったのか。誰もが手に入れたいと望むような……。
 篤志はごくりと唾を飲み、無理矢理夕日を引き離すと、乱暴に床に押しつけて上から押さえつけた。胸の下から、夕日が驚いた眼差しで、少し不安げな表情を浮かべて見あげていた。
 篤志は彼の華奢な顎に手を伸ばし、強く掴んだ。夕日が痛そうに顔を歪める。それを食い入るように凝視しながら、篤志は低くつぶやいた。
「……誰にもやらない。おまえは俺のものだ」
「篤、志……?」
「そして……俺はおまえのものだ。おまえ以外には触れさせない。おまえ以外に俺の名を呼ばせない。おまえだけが俺の傍にいてくれ、夕日……」
 夕日は少しの間黙って見つめていたが、やがてゆっくりと口の端をあげて、微笑んだ。
「うん、きみは僕のもの。誰にもあげない」
 夕日は腕を彼の肩にまわすと、誘うように引き寄せた。
「……篤志、早く、来て……」
 篤志はその言葉に応えるように、夕日の両足を高く持ち上げると、胸に届きそうなほど深く折り曲げた。そして露わになった彼の後ろに自分のものを押し当て、そのまま深く挿入した。
「あああっ!」

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illustrated by Tohya kunikida


 夕日は高く細い声をあげ、ぎゅっと唇を噛みしめた。まだなんの愛撫も受けていないそこは、突然の行為に悲鳴をあげた。引き裂かれそうな痛みが全身を駆け抜ける。だが夕日はそれにもかまわず、涙を流しながら淫らに哀願した。
「もっと! もっと深く、もっと奥まで来て、篤志! 僕を全部奪ってよ!」
 ぐいと彼が突き進む。夕日は声もなく体をのけぞらせた。
「はあぁぁっ!」
 悲鳴のように息が漏れる。奥をつかれるたびに、痛みと共に激しい快感が襲ってきて、頭の中が真っ白にスパークした。篤志が強く深く攻めてくる。彼のものが、夕日の中を荒々しく掻き乱す。苦しいほどの快感。恐ろしいほどの快楽。夕日はもうなにも考えられなくなって、自分の髪をつかんで喘いだ。
「ああっ、あああっ! 篤志っ、篤志ぃ! ああぅん!」
 周りの鏡に睦み合う自分たちの姿が幾千と映っていた。そのどれもが、たった一人の愛する相手にすべての愛を与え、そしてすべてを奪っている。淫らに腰を振り、淫らに嬌声をあげて、愛しい愛しいと叫んでいる。
 夕日はその世界に溺れた。
 ふ、とあらゆる感覚が消えうせ、まるで宙に漂っているような恍惚とした感覚に包まれた。夕日は薄れゆく意識の中で、愛する者の名を呼びながら手を伸ばした。
「あ、つ、し……」
 その手を彼が受けとめ、優しく握り締めたのを感じながら、深い静寂の底へと沈んでいった……。


「おい、夕日……」
 耳元で優しい声が聞こえた。夕日はぼんやりとした頭でそれを聞いていた。
「こら、起きろ。もう朝だぞ」
 一瞬間を置いて、夕日はがばっと跳ね起きた。
「嘘、今何時? 帰らなくちゃ」
 焦った顔でキョロキョロと辺りを見回したが、すぐには自分の置かれている状況が理解できない。目に映るのはたくさんの自分の顔。数えきれないほどの、素っ裸で目を丸くしている滑稽な己の姿。そして……傍に横たわっている篤志の、ちょっとからかうような優しい笑顔……。
「篤志……?」
 彼は可笑しそうに鼻で笑いながら言った。
「ばーか、なに寝ぼけてんだよ、おまえ」
 そう言われて、ようやく夕日はなにもかも思い出して赤面した。耳たぶまで真っ赤になってカアッと全身が熱くなる。どうやら絶頂の瞬間気を失ったまま、グースカ寝むってしまっていたらしい。こんないつ誰がやってくるともわからない場所で素っ裸のまま寝こけていたなんて、自分ながら呆れるほどの厚かましさだ。夕日は逃げ出したくなるほど恥じ入りながら、消え入りそうな声で恐る恐る尋ねた。
「僕……だいぶ寝てたの?」
「いや、十五分くらいかな? まあ、ほっときゃもっと寝てたかもしれんが」
 篤志は面白そうにニヤニヤと笑いながら話した。
「おまえ、いい度胸してるよな、こんなところで気持ち良さそうに寝れるんだから」
 そういう篤志はすでにちゃっかり服を来て、何事もなかったかのように平然とした様子である。なんだか一人裸の自分がいっそう滑稽で、夕日は再び赤面した。
 ちらりと篤志を見ると、相変わらずご機嫌な顔をしていかにも楽しげに見守っていた。夕日はちょっと悔しくなって、ツンと唇を尖らせた。
(なんだよ、自分ばっかり関係ないような顔をして……)
 夕日は心の中で文句を言いながら、周りに散らばっている服を掻き集めて着始めた。それでも、寒くないようにとシャツがふわりとかけられていたあたりは、篤志の心遣いなのかもしれない。きっと優しい目をして、じっと見つめていてくれたのだろう。
 だけどやっぱり恥ずかしくて、夕日はぶつぶつとつぶやいた。
「……ちぇ、それぐらいなら起こして欲しかったよな、まったく」
「え? なんか言ったか?」
「別に。なんでもないよ」
 照れ隠しもあっていつまでも膨れている夕日に、篤志は後ろから絡みついて尋ねた。
「何不機嫌になってんだ? 気持ち良くなかったのか?」
 そんな明らかすぎる質問をされて、夕日は頬を赤らめながらもいっそう脹れっ面をしてそっぽを向いた。篤志がからかうように耳元でささやく。
「そんな顔するなって。おまえなー、さっきはメチャクチャ色っぽかったぞ。場所が場所だけに興奮した?」
「ばか……」
 夕日は赤くなりながら篤志の胃に軽い肘打ちをいれた。篤志は顔を歪めてうめきつつもたいそう楽しそうだったが、ふと真顔になって背中から夕日を抱きしめると、どこかせつなげな口調で低くつぶやいた。
「あんな顔、俺以外の絶対誰にも見せるなよ、夕日。おまえ……誰かにさらわれていっちまいそうで、不安になる……」
 夕日はちょっと呆れたように笑った。
「なに言ってんだよ? 僕のことなんて誰がさらうっていうんだよ。へんな篤志」
 そう言って微笑む夕日の顔が、周りの鏡に数えきれぬほど映る。その笑顔は、やはり例えようがないほど奇麗だった。世界中のどこにもない特別な宝石だった。
 篤志はギュッと力を込めて夕日の体を抱きしめた。夕日は幸せそうに抱かれていたが、ふいに大きな声をあげた。
「あっ、出口見つけた!」
 視線の先を見ると、鏡の通路の左奥に外に通じる出口が見えた。
「やったぁ。やっと出られるよ、篤志。良かったあ」
 夕日は子供のように素直に喜んで、嬉しそうに破顔した。その笑みにつられて、篤志もまたニッコリと笑った。
 夕日は篤志の腕を引いて出口へと向かいながら、すっかりご機嫌に戻って楽しそうに言った。
「ねえねえ、今度はスタンディングコースターに乗ろうよ。あれ、結構怖いってさ」
「ええ、まだ乗るのかよ……? もう充分乗ったぞ」
「だってせっかく来たんだからさ、全制覇したいじゃない?」
「全……勘弁してくれって……」
「なんだよ、ほら、早くぅ、篤志」
 二人の楽しげな声が鏡の部屋から消えていった。誰もいなくなったその不思議な迷路には、当たり前のように静寂が訪れた。
 だけどもし誰かが残っていたなら、聞いたかもしれない。鏡の部屋のどこかで、誰かがくすくすと笑う声を。幸せな恋人たちを待ちうける、鏡たちがささやく声を……。

 

もうひとつの出口