『過去に沈めて』 by あみ |
「バー カオス。ここだな。」 目立たない看板を確認すると青年はドアをくぐって店内へと足を踏み入れた。 肩にかかる髪も細面の顔もよく日に焼けている。 黒い皮のコートを脱ぐとシンプルな黒のセーターにストーンウォッシュのジーンズ。 店内をぐるりと見渡すと探す相手を見つけられなかったようで ドアに背を向けたカウンターに腰を下ろした。 クルージングスポットということを知らなければごく普通のバーだと思うだろう。 飾らない落ち着いた雰囲気の店内には押しつけがましくない音量でBGMが流れている。 「えっと、アルコールが少なくて少し甘めのもの、もらえますか?」 普段あまりアルコールを口にしない青年はカウンターの中にいるバーテンに声をかけた。 ほどなく出てきたのはC.C.トニック。 カナディアンクラブをトニックウォーターで割ったそれは、口当たりも良く飲みやすかった。 青年は飲み物の説明をするバーテンに向かいニッコリ微笑むと二口目を口にした。 「何を飲んでいるんだ?」 振り返り待っていた相手の顔を認めた青年は 「久しぶりだね、神(じん)さん。先に飲んじゃった。ごめんね?」 と穏やかな声で挨拶をした。 「うん、久しぶりだな。あ、コオさん、俺はジェントルマンズカクテルね。」 「ジェントルマン?!」 「俺にぴったりだろ? こら、秀司(しゅうじ)笑いすぎだぞ。」 「あ、ジャックダニエルで作るんだ。そっか。神さん好きだもんね。」 カウンター越しにバーテンのコオがカクテルを作る作業をながめていた秀司がようやく納得したといった表情で神内(じんない)の方を見て言った。 「かっこいいよね、あんな風にカクテルが作れたら。」 秀司はまるで子供が新しいオモチャを見たときのような表情をしてコオの手許を見つめている。 タンブラーに氷を入れ琥珀色の液体を注ぐと軽くステアする。 コオは手際よくカクテルを仕上げると神内の前にすっとグラスを差し出した。 「で、向こうはどうだった?」 「結構成果が上がったんだ。でもさ、寒いよね、こっち。帰ってくるなり風邪ひいちゃったよ。」 「風邪? もういいのか?」 「うん。体力には自信あるからね。」 「しかし、延々土いじりだろ? よく飽きないよなあ。」 「神さんってばまた言ってる。考古学はねえ・・・」 「はいはい。歴史と対話する神聖な学問、だったな。」 口をとがらせて抗議する秀司に、神内は苦笑しながらそう答えると秀一の髪をくしゃりと撫でる。 「もう!いつもそうやって・・・」 身体ごと神内の方を向いて更に言い募ろうとした秀司の視界の端で客がドアを開けたのが見えた。 一瞬垣間見た外に秀司の動きが止まる。 入ってきた客が雪が降りだしたと言っているのが聞こえた。 言いかけたまま口を噤んでしまった秀司に 「どうした?」 と神内が声をかける。 「ん。なんでもない・・・。」 秀司はくすんと小さく笑うと飲み物を口にした。 「今度の春で4年になるんだよね、神さんと初めて会ってから。」 「そんなになるか。あのキャンプの時だよな。初めて会ったのって。」 「そう。兄さんにくっついて行ったんだ。」 秀司は早いうちから自分の性癖について気付いていたが、そうとは知らない兄の優一が大学と家とを往復するだけで一向に彼女を作る気配のない4歳年下の弟を心配して連れていった入社2年目の会社の同期有志で行くキャンプに神内も参加をしていたのだった。 「早いもんだな。優一もそろそろ結婚だろ?」 「うん、兄さんと陽子さんももう2年になるから、そろそろだね。」 「神さんは? 周りから言われるでしょ、結婚。」 「まあな。でも、俺は無理だから。そのうち諦めるだろ。」 「そうだね・・・」 会話が途切れ、だまってグラスをかたむける。 秀司は神内と一緒にいるときのこの沈黙がいつも好きだった。 でも、今日の沈黙は居心地が悪かった。 ドアが開く気配に秀司は視線を外へと向けた。 何かを見つけると表情を曇らせて小さくため息をついた。 「ん? 誰か待ってるのか? さっきからドアの方見てるけど。」 「ううん。違うよ。」 「今日の秀司、変だぞ? 何かあったのか?」 「神さんってさ。やさしいよね・・・。でもさ、それって・・・。」 グラスの中を見つめたまま秀司がそう呟く。 「秀司?」 神内はそんな秀司と視線をあわせようと秀司の頬にかかる髪を掻き上げて顔をのぞき込んだ。 秀司はしばらく伏せていた視線を陣内にあわせると意を決した表情で口を開き 「あのさ・・・」 「なに?」 「俺、本格的に調査に参加しないかって先生に言われたんだ。」 「それって・・・?」 「うん。たぶんしばらく行ったっきりになると思う。」 「しばらくって。」 「わからないけど・・・2年くらいは。」 「そんなに?」 「うん。・・・だから・・・」 カクテルグラスの中で氷がカランと音を立てた。 秀司はもう一度ため息を一つ落とすと神内から視線をはずし別れを切り出した。 「だから、もう俺のことは気にしなくて良いよ。」 一気に言い終えると 「そういうことだから。だから・・・」 秀司は震える声をグラスに残っていたカクテルを飲み干すことで隠そうとした。 「秀司・・?」 「もう、優しくしてくれなくて良いよ。ね。神さん、外・・・。雪降ってるから・・・。」 「え?」 「あの人・・いた・・・。ごめん。気付いてたのに・・・。」 「あの人?」 「うん・・・浩之さん。風邪・・・ひくと大変でしょ?」 「アイツがなんで・・・。」 「俺が連絡したんだ。今日神さんと会うって。」 「なんでそんな・・・。秀司、ちょっと待ってて」 ガタンと音をさせて椅子から降りた神内が外へと足早に歩いていく後ろ姿を見ながら秀司は3度目のため息をついた。 「おかわり、作りましょうか?」 「ありがとう。お願いします。」 もうとっくに気付いていた。神内の気持ちが自分にないことは・・・。 認めたくなかった。だから気付かない振りをした。 だけど、もういいかげん彼を解放してあげないと自分で自分が許せなくなる。 遠い外国での発掘作業に参加して離れていた2ヶ月の間に気持ちの整理はつもりだった。 だけど・・・。 神内が体についた雪を払いながら店の中へ戻ってきた。 「秀司・・・すまないが・・・」 辛そうな神内の表情を見る勇気がでなくてグラスの氷を見つめる。 秀司はそのまま 「いいよ。行っても。俺、もう少し飲んでいくから。・・・やだな、そんな顔しないで。ほら、行かないと。」 そう言うと顔を上げなんとか笑顔を作ろうと口の端を無理矢理上げてみせた。 「俺、神さんのそばにいてあげられないからさ。だから俺のことは諦めて?」 「秀司・・・」 「ああ、もう何も言うなよ。俺は土いじりに身も心も捧げちゃったの。だから神さんはあの人に慰めてもらいなよね。」 「・・・すまん。」 神内はもう一度秀司を見てそう言うとコートを羽織り秀司に背を向けた。 「神さん!」 思わず声をかけてしまう秀司。 微かに肩をふるわせて神内が立ち止まった。 「・・・ねえ、ここの飲み代、神さんにつけといて良い?」 「・・・ああ。そうしてくれ。」 振り返りもせずそう答えると静かにドアを開けそのまま外へと出ていった。 「まったくさ。卑怯だよ。あんなに優しいなんて・・・」 優しい人だから。 アルバムを閉じるように、思い出の中に沈めてしまおう。 「えっと・・・、コオさんでしたっけ? もう一杯作ってもらえますか? 今度は後味のすっきりするのが良いな。」 「わかりました。」
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