夏祭り企画
[お題3つ] ●浴衣、●蚊とり線香、 ●花火

■ムリメのニキータ■

by◆志麻ケイイチ◆

惑星ミルアイフの周回軌道に入った宇宙船エリーゼは、艶っぽい声で言った。
「ハァイ。ヴァルティラ。ジーン。私はもうすぐベッドインよ。シーツはブルー」
「……ブルー……だって?」
 リビングのソファでくつろいでいたジーンは、彼女の言うことがわからなかった。
 薄いブロンドの髪を巡らせて空間投影された映像を探した。
 シャワーから出てきた黒髪のヴァルティラが、ジーンの背中近くに像を結んだモニターを 見ながら言った。
「いいよ。エリーゼ。ベッドに貫かれなさい」
「いやん。ヴァルティラ」
 かすかなショックが船体を走った。
「ロックオンされたわ。もう動けない」
 つまりミルアイフ静止軌道上にあるラッフ宇宙港のドッキングベイに接続したと言うこと だ。
 ヴァルティラとジーンは、同じ学校の友人だ。共同所有する宇宙船エリーゼで惑星ミルア イフにやってきた。
「最高だ。エリーゼ」
「しばらくお別れね。ヴァルティラ。ジーン。さみしくなるわ。さあ、ドアを開けるわ」
 二人は活気のある到着ロビーを抜けて軌道エレベーターに乗った。
 一晩の滞在だ。荷物はほとんどない。いそいそと身だしなみのチェックを始めた。
「ヴァルティラ。おまえの予定は決まってるのか」
「友達と会うのさ。ジーンは?」
「女に刺されないように気をつけな。俺もひさしぶりの友人と会うんだ」
 お互いにプライベートだ。根掘り葉掘り聞きはしない。
「じゃあ明日の夜にエリーゼで集合な」
「了解」
 楽しい週末の始まりだ。


 ジーンはミルシスカの旧市街に入った。
 ここはミルアイフを代表する旧都だ。
 待ち合わせは午後一だ。まだ時間はある。
 おしゃれな店が多い大通りにはテラスが並び、人々がお茶を楽しんでいた。
 硬く白いぶどう蔓で編んだ椅子と石英テーブルがはやりらしく、どこの店もそれで統一さ れていた。
 まだ日も高いというのに、ワインを傾けている男の一団もいた。
 ジーンは一人テラスでくつろぐ趣味を持たない。彼は裏通りに潜りこんだ。
 イヂロー通り。そこは背の高いアパートに囲まれた路地がそのままバザールになった通り だ。
 元々は幅の広い通りだったはずだ。しかし左右の通りから前へ前へせりだしてきた店と品 物で、今は馬車もすれ違えない幅になっていた。
 もちろんテラスなんて論外だ。
 地面は土間のように硬く踏み固められていた。犬の糞こそ転がっていないが、食べ物や油 が染み込み、えも言えない臭気が立ち昇っていた。
 しかし悪くない。
「おにいさん。ほら持ってきな」
 左右から途切れることなく客引きの声がかかった。
「そこのいかした若旦那。この娘はどうだい。美人だろ?」
 いかにもやり手のばあさんが、顔を半分隠した娘をちらりと見せた。
「にいちゃん! 若い娘とイッパツやるなら精をつけなきゃ。マンオウ鰻のかば焼食いねえ 。肝もつけるぜ」
 娘によく似た顔の親父が、道の反対側から声をかけた。
 家族でたくましく稼いでいるらしい。
「今夜は昔の女と会うんでね。まにあってるよ」
 彼は約束の店に入った。
 昔の女と会うなんて、彼の流儀ではないはずだった。
 彼は見かけによらず傷つきやすいのだ。過ぎたことは思い出したくなかった。
 しかし彼女から会いたいと連絡が入ったとき、不覚にも胸が高鳴った。


 彼女の名前はニキータ。
 故郷のここミルアイフでは、かなり良いところのお嬢様らしい。
 家はこの星有数の大企業だ。彼女は経営にたずさわるために休学しているはずだ。
 学校で知りあった彼女は高慢そうな美人だった。だが人当たり良く成績もスポーツも ばつぐん。男にも女にも先生にも人気があった。
 学校でそんな女の子にせまろうという男は皆無だった。
 彼女とのデートには、黒服のボディガードと白ひげのセバスチャンがついてくるという噂 があったくらいだ。
 しかしジーンは、さらうように彼女を愛した。
 長い髪を鷲掴みにして、のけぞるキスをした。
 スカートの股間に太股を割り込ませてはがい締めに抱きしめた。
 そして一年前の暑い夏の日に汗だくで抱き合ったとき。彼女が処女だったことを知った。
「ひさしぶり。ジーン」
 待ち合わせ場所のカフェに現れた彼女は昔と変わらずに美しかった。
「やあ」
 逆光の中。白い日傘から凛と微笑む姿は、あの時のままだった。
「かわらないな」
「あなたも」
 ニキータはあの頃と変わらずに美しかった。
 漆黒の黒髪に象牙の肌。大きな瞳は光彩まで真っ黒で、きらきらと光を反射していた。
 きれいに 通った鼻筋はちょっとだけ低め。唇は真っ赤で小さく、まるでなにかのベリー のようだ。
 それでいて子供っぽくはない。品の良さが所作の一つひとつにあらわれていた。
 自分の彼女だったなんて、ちょっと信じられないいい女だ。
 ジーンはどんな格好で来ようか悩んだ。
 付き合っていた頃は服装なんて気にもしなかったが、別れた後に会うとなると話しは別だ 。
 そういうものだろう。
 しかし悩んだ末に、結局カジュアルな服装に落ち着いてしまった。
 ざっくりした麻のシャツにジーンズだ。
 ただしジーンズはお気に入りの一本を用意した。ステッチのねじれが効いているブーツカ ット。汚くない味だしが良い感じだ。シルバーのネックレスは短めのを選んだ。
「元気そうだな。ニキータ」
「ありがとう。会えてうれしいわ」
 この国では手足までを覆う禁欲的な着物が女性の普段着だった。
 通常の衣服のように、身体に合わせた立体裁断を行うのではなく、一枚の長い布を平面的 に切って縫い合わせたものだ。
 着るというよりも、まとうと言った方がしっくりくる。
「不思議なドレスだな」
「浴衣って言うのよ」
「シーツを着ているみたいだ」
「きれいでしょ?」
 この種類のドレスは、ゆったりとした布の質感とたくさんの装身具で飾ることが多い。
 しかし浴衣は、生地に折り込まれた複雑な絵と気持ち良さそうな布の材質で完成されてい た。
「その胸元。やべーーな」
「バカ」
 ペシッと団扇で鼻面を叩いた。


 浴衣は不思議だ。
 セミヌードな水着よりも、なぜかセクシー。柔らかで薄いきれいな布越しに、ときおり浮 き出る身体のラインがなまめかしい。
 しかし彼女は、それが下品だと言わんばかりに、しきりと帯のまわりの生地を直した。
「そんなに気にするんなら、シャツとパンツで来ればいいのに」
 笑いながら言った彼の言葉が、ニキータの感に触ったらしい。
「お茶をいただこうかしら」
「茶かよ」
「昔の女を酔わせてどうするつもり?」
「酔ったおまえのことなんて忘れたぜ」
「はしたないわ」
 二人は通りを歩きながら買い食いを楽しんだ。
「甘いお酒が好きよ」
 彼女は、杏の砂糖漬を前歯でかじりながら流し目をよこした。
 ジーンは、赤面しそうな自分に動揺しながら、竹の葉でできたグラスをあおった。
「なんというか……その、雰囲気変わったな」
「きっと浴衣のせいよ」
「髪をアップにしているのを初めて見たよ」
 彼女はうなじのほつれ毛を気にするように、白い指を首筋に伸ばした。
 首から肩にかけたラインが見えた。襟ですっぱりと断ち切られたラインが美しい。
「そう? そうだったかしら」
 ーー誰に見せたのさーー
 男にそんなセリフを言わせる悪い仕草だ。
「私がいろんな初めてだったのはあなたよ」
 フォローも忘れない芸の細かさだ。
「あっ」
 ニキータがつまづいて立ち止まった。
「だいじょうぶか」
「……これ。困っちゃった」
 ジーンは彼女の足元を見た。草履が変なことになっていた。
 鼻緒が切れたらしい。ニキータはつま先に草履をひっかけたまま足を後ろに上げて、草履 を手にした。
「どうなったんだ?」
 初めて草履を手にしたジーンには、構造がわからなかった。ビーチサンダルによく似た形 だが、鼻緒の部分が交換可能らしい。草履の裏側の何かが外れただけのように見えた。
 ケンケンをして立つニキータは、妙に可愛らしかった。
 ジーンは彼女を、ひょいとお姫様だっこするとスタスタと歩き出した。
「ち、ちょっとジーン……!」
 彼はオープンテラスのベンチに軽々と彼女を座らせた。
 そしてニキータの足元に片膝をついた。
「足を」
 ジーンはニキータの足を、そっと手に取ると、無事なほうの草履を優しく脱がせた。
 体温が残る草履をガラスの靴のように慎重に見つめた。
「ジーン?」
 ニキータは心臓が大きく鼓動するのを感じた。うつむいた彼の鼻先に、自分のつま先があ るのがたまらなく恥ずかしかった。
 艶消しクリアのペティキュアしかしていない指先は、まるで裸を見られているような気持 ちにさせた。
「なるほど。納得だ」
 彼はハンカチを小さく裂いて、紐を作ったかと思うと、魔法のような早さで外れた鼻緒を 結び直した。
「できたぞ」
 彼の大きな手がニキータの素足を包み、左足、右足と、草履を履かせた。
「立ってみな」
「う、うん」
 ニキータは飛び上がるように立ちあがった。なんだか子供に返ったような気持ちだった。
「だいじょうぶか?」
「うん」
 ジーンはニキータのらしくない素直な返事にクスクスと笑った。
「あ……」
 彼女はネックレスをしたままなのに気づいた。さりげなく腕を回すと魔法のような早さで 外して巾着に入れた。
「いいのに」
「なんとなくね」
「指輪はOK?」
 彼は自分がプレゼントした指輪が彼女の指に輝いているのを見て言った。
「ジーン。そうだ。ねえ。浴衣を買いにいきましょう」
「浴衣? 俺の?」
「だって、シャツにジーンズは、この街に合わないわ」
「そうかな。でも簡単に買うようなもんじゃないだろう」
「私にプレゼントさせて。いいでしょう」
 そう言って彼女は、彼の手を取ると旧市街のメインストリートに引っ張っていった。


 ーーヤコシヤーー
 一体どんな筆記具で書いたらこんな字体になるのかという看板がそそり立っていた。
 彼の心象風景を一言で言うなら
 ドーーーン!
 である。店に脅迫されたのは初めてだ。
 外からはなにを商売しているのかわからない。
 そこが店であることを示すものは、看板の横に書かれた言葉「創業 カンエツ暦十七年」 だけだ。
 カンエツ暦がどんな暦かは知らないが、指折り数えるには100人くらい連れて来なければ ならないに違いない。
「……ここに入るのか?」
 と、聞く間もなく、彼女はスタスタと店に入って行った。
「これはこれはユズレのお嬢さま。まあ、大きくなられて」
 出迎えた老婦人が優しい笑顔で挨拶をした。
「ご無沙汰しています。ユハさんもお元気そうでなによりですわ」
「おかげさまで踊りも続けさせておりますのよ」
「それは素敵ですわ。お師匠さんはおげんきですか?」
「今年で120歳ですが、まだまだ舞台に立つほど。あら、いけない。お茶でもご用意いたし ますわね」
 そう言って老婦人は、店を開けて奥に入った。
 ジーンは、呆然と立ち尽くしていた。
「これは……店なのか? なんだかタタミのカウンターバーみたいだが」
 入り口から入ったそこは横長の土間だった。ひいき目に見ても巨大な小上がり付き玄関に しか見えない。
 だいたい商品がどこにもない。小上がりは掃除の行き届いた広大な畳スペース。しかしそ れだけだ。つきあたりの壁が一面引き出しになっているようだが、それが商品入れなのだろ うか。
「お待たせしましたお嬢さま。ちょうど伊集庵の萩の昆布固めが入りましたのよ」
 そう言って彼女は、どんぶりに入った緑の液体と、チョコのカケラのようなナニかを白い 皿に乗せてきた。
 ただし一人分だ。
「今日はどんなご用向きで」
 ニキータは、ジーンを優雅に指し示しながら言った。
「こちらに浴衣をと思って」
 老婦人は、その時初めてジーンがいることに気がついたかのようだった。
 まじまじと彼を見ると、ハタと膝を打った。
「こちらの異人さんにでございますか。それはそれはお嬢さまはお優しい」
 ……俺はペットか……
 とりあえず彼は、ニコニコと愛良く笑った。
 老婦人が気味悪そうに身を引くところを見ると失敗していたようだが。
「すぐに着て帰りたいから。そんなのあるかしら」
「あらまあ。そうですね。お客様背丈ですと……」
 老婦人は、壁の恐ろしく薄い引き出しから白い紙に包まれた浴衣を次々と取り出した。
 ニキータは、彼には理解できない基準でダメ出ししまくった。見ているジーンが冷やひや するほどに容赦なしだった。
 しかし老婦人もプロ。的確に彼女の言葉を理解して二枚まで絞り込んだ。
「こちらはカミヤユウの二十一代目の新作です。こちらはカスラの豪農サエギリの八代前の 蔵出物」
 ちょっと待て。
 ジーンは二人を止めるタイミングを懸命に図っていた。このパリッとイカす浴衣が、どれ ほどの価値を持ってるのか知らないが、ド素人の彼にもデートで衝動買いするレベルではな いことがわかってきた。
 だいたい値札がついていない。
「ジーンはどう思う?」
 ニキータは真剣に悩みながら聞いた。
「そ、そうだな。これもいいけど、もう少し。なんて言うか。地味な……軽いだな……」
 ほお、という顔をしてニキータと老婦人は顔を見合わせた。
 そして二人は、専門用語まじりの話しをものすごい勢いで始めたかと思うと、薄いグレー 地に薄い×印が散りばめられた生地の浴衣を取り出した。
 先ほどの二枚よりもあきらかに安そうだ。
「そうね。ジーンにはこういう淡色系が似合うわね。地味が出ていて素敵よ」
「そうだね。うん。俺もそう思うよ」
 一瞬胸を撫で下ろした彼だったが、どうも「地味」の用法が違う気がした。
「雪駄はどれがいい?」
「せった? ああ。サンダルか」
 老婦人は、次々と雪駄を並べたてた。これまたどれもこれもビーチサンダルにして、ベチ ャベチャのトイレには履いていけそうにない代物ばかりだ。
 彼は救いを求める気分で店内を見回した。
「あれ。あの棚の隅にある黄色いヤツがいいな」
 なんだか売れ残りっぽいのがあった。彼には十分だ。
「えっ」
「あらあらまあまあ」
 二人は同時に驚きの声を上げた。
 ギョッとしたジーンはリアクションできずに固まった。なにかルール違反をしたのだろう か。
「ジーン。あなたすばらしいわ」
「まああ。異人さんなのにお目が高い。大変に失礼いたしました。さすがはニキータお嬢様 のお連れ人。基礎がおありになる」
 老婦人は、手のひらを返した腰が低くなった。
「基礎?」
「そういう言い方をするのよ。でも本当に良いセンスね。あれは故ホンカン九代目の遺作よ 。それを予備知識なしで見極めるなんてすごいことよジーン。私も鼻が高いわ」
 ……一番安そうだったなんて言えない……
「よござんす。私もヤコシヤの十一代目。お売りしましょう。目のある方にお使いいただく のが一番です。ホンカンの九代目とは幼馴染の間柄。私から墓前によく報告しておきます」
「よかったわね。ジーン」
 とても誇らしそうにニキータは笑った。
「帯は私から送らせていただきましょう。旦那様には桃色のへこ帯がお似合いです」
「ありがとう。そうね。彼にはかぶいた雰囲気がよく似合いそうね」
「ささっ。旦那様。お着替えください。着かたがわからない? よござんす。ガイリ流着付 免許皆伝の私がお掛けいたします」
 あれよあれよと言う間に、ジーンは浴衣姿になっていた。
「どうです。お嬢様。三国一のお婿さまでございましょう」
 ジーンは、パジャマで人前に出たような心細さだった。
「まあ、素敵。ジーン。よく似合うわ」
「鏡はがないのか?」ジーンが聞いた。
「鏡? いやですわ。旦那様。ご冗談を」
 老婦人は手をひらひらさせて笑った。本気でないらしい。そういうモノなのだろう。
 彼女はくだんの雪駄を土間に丁寧に並べた。
「ささ。旦那様」
 ジーンは海と布団の中以外で素足になったことなどない。人前で素足に履物をするなんて、ひどく気恥ずかしかった。
 急いで鼻緒に足を通して立ち上がった。
「うん。かっこいいわ。ジーン」
 ニキータは満足そうにうなずいた。
「またのお越しを」
 老婦人はにこやかに二人を店の外に送り出した。
「………」
 一町ほど歩いてからジーンは聞いた。
「よお。金払ってないんだけど」
「やめてよ。プレゼントに決まってるじゃない。私が言い出したんだから」
「いや、でも高そうだぜ」
 ジーンは財布に手を伸ばそうとした。
「夏休みが終わったらランチでもおごって」
 ニキータはおそろしく無邪気な笑顔で言った。
「本当にすてき。ジーンに浴衣がこんなに似合うとは思わなかったわ」
「なあ。ニキータ」
「ジーン。簡単に言うとね。エリーゼくらいよ。たぶんね」
「たぶんって……おまえも値段知らないのか? えっ……エリーゼくらいだと?」
「あなたが素敵なら私は満足よ。ねえ、腕を組んでもいい? 旦那様」
「お、おう」
「あっ、生姜飴! 懐かしい。飲みたいな」
 二人はオープンテラスのカフェに来た。
 この街は甘味処と飲み屋の境界があいまいだ。
 なんとなく酒を飲み始めていた。米から作った白く甘い酒だ。
 かなりうまい。しかし飲み始めてから気がついた。こいつはかなり度数が高い。
 彼は少し酔った頭で考えた。
 ……どうして別れたんだっけ……
 そんなとりとめのない考えが顔に出てしまったらしい。
「あのときね。約束なんてなかったのよ」
 ニキータが、ほんのりピンクの頬で言った。
 そうだ。
 初めて過ごすニキータの誕生日。彼女は約束があると言って彼とは違う夜を過ごしたのだ 。
 からかわれていたと思ったジーンは、用意した花束を片手に車を走らせた。
 そしてたまたま現れた牧場の馬に食らわせたのだ。
 馬がうまそうに食べるのを見て、彼はなんだかたまらずに一緒になって花びらを食い散ら かした。
「苦かったぜ」
「なにが?」
 あいかわらずまっすぐな視線を相手にむける女だ。
 ジーンは挑まれたらキスをせねばなるまい、という気分を思い出した。
 いかん。このノリで彼女を抱いてしまったんだ。
 涼しい風がテラスを流れた。
 浴衣は風を捕らえて気持ちいい。
 傾き始めた日の光が、ジーンの輝くブロンドの髪にいっそうの輝きを与えた。
 きっと彼はそんなことに気づいていないだろう。
 ニキータは、うっとりと見惚れた。
 彼に抱かれてみたいと思うのは罪じゃないんじゃない?
 給仕がテーブルごとに、良い香りのする蚊取り線香を配って回った。
 今夜は川向こうで花火大会があるはずだ。通りでは企業広告の入った団扇が配られていた。
 ニキータが遠い目で言った。
「ねえ。エリーゼと私とどっちが大事?」
「エリーゼと? エリーゼとニキータを比べたりできないぜ」
「そうよね。男の子はそういうわよね……」
 ジーンはわけがわからずに酒をあおった。
「おばあちゃんが言ってたわ。男はお金と時間をそそげるものを欲しがるって」
 ジーンは彼女のきれいな黒髪に手を伸ばした。艶やかで美しい。
「ほんとうね」
 彼女はジーンの小指のリングに、初めて気づいたように言った。
「あら。素敵なリングね」
 ピンクゴールドの変形リングだ。
 それは彼が映画のスタントのアルバイトで知り合った俳優からもらったイミテーションの ビスカンファー・リングだ。
 小道具の職人が趣味で作ったもので、宇宙船の反応炉隔壁栓に使うムク合金から削り出した代物だ。
 素材の価値は、プラチナよりもはるかに高い。
「不思議な色。シーズンモデルじゃないのにとてもきれい」
 イミテーションだとバレバレだ。
「ねえ。私にさせてくれない?」
「いいとも」
 ジーンは小指からリングを外して、彼女の細い手を取った。
 迷ってしまう。どの指にもブカブカだ。
 ドラマみたいに、予告もなくリングをプレゼントして驚かせるなんて絶対にムリだ。
 それとも世の男性は、恋人の指の太さを、手をつなぐだけで当てられるのだろうか。
 親指が精一杯のリングは、しかし彼女によく似合った。
「よかったら受け取ってくれないか」
「いいの? ごめんなさい。まるで催促したみたい」
「きっと帯代にもならないぜ」


 通りの向こうから、べらぼうに派手な浴衣を来た男が現れた。
 白地に真っ赤な金魚を昇り竜のようにあしらったデザインだ。
 勘違いキモノの生地で、むりやり浴衣を仕立てたかのようだった。
 彼は二人の座るテラスの下にやってきた。
 そしてジーンを無視して言った。
「お嬢さま。お時間です。お迎えに上がりました」
「リザ。お疲れさま。もうそんな時間かしら」
「次のお約束まで1時間です。お衣装合わせをされませんと」
 見事にスルーされたジーンは、ニキータとリザと呼ばれた彼を見比べた。
 リザは、180以上あるジーンと同じほどの身長だ。
 30歳台だろうか。短いアッシュブロンドの髪をツンツンに立てて、皮巻きセルのべっ甲 眼鏡をかけていた。
 畳表の雪駄が日焼けしたたくましい素足によく似合っていた。
「ごめんなさいね。ジーン。私行かなきゃ」
「そうか。予定があったのか」
 花火大会が始まった。建物の影から光る色とりどりの炎が、彼女を美しく染め上げた。
 一瞬遅れてやってくる爆音のあいまを拾って彼女が言った。
「また学校で会いましょう。浴衣でデートしましょうね」
「OK。また」




 ニキータはパーティドレスに着替えて、ドットキュラソー・タワーの98階の店に来た。
「ハイ。ヴァルティラ」
 ニキータは、カウンターで飲む彼をすぐに見つけた。
「やあ」
 小僧なデートだと、広場で待ち合わせてそれから店に向かう。
 しかし今夜の約束は、いきなりバーだ。
 お目当てのレディを「説得」して「納得」していただいちゃうにはバーが欠かせない。
 なぜって昼間のカフェテラスで、クロワッサンと一杯のビールで1時間も粘るデートに誰 がうっとりする?
 ゲロモン高級クリスタルの代名詞、ジローガオが発信するバー「デブス」
 やたらと濁音の多い名前は喉が渇く。鉛の効いたクリスタルグラスは、放射性同位元素も たっぷりだ。薄暗い証明の中で妖しく光、レディの真っ赤な口紅にグラスを決めた。
 そこがヴァルティラの指名してきた店だ。
 新しい店だが評判はいい。
 ヴァルティラは、少しだけ早めに着いて、バーボンをちびちびとやっていた。
 酒臭い息を吐くのは無粋だが、彼女を待ち焦がれていた風情も粋じゃない。
 くつろいだ雰囲気を二人で楽しみたかった。
 今夜の彼女は美しかった。
 白いドレスは、思い切りよく胸と背中が開いていた。ゆったりしているようで、絶妙な立 体裁断の腹から腰にかけてのライン。それは彼女のスタイルを三倍増しに見せているに違い ない。
 見えそうで見えないふとももの切れ込みは、男にかなりの自制心を要求して楽しんでいる かのようだった。
 ヴァルティラは、彼女の視線だけを受け止めるようにガンバりながら笑った。
「なにを飲む」
「ファジーネーブルを」
「甘いキスをご所望か」
「ああ。そうね。あなたと同じものをもらおうかしら」
 彼のセンスを値踏みするかのような視線。
 敏感な男なら、試されていることにひるむだろう。しかしヴァルティラは、自信たっぷり に微笑むと言った。
「マスター」
 彼は指先でなにかサインを送った。マスターはうなずくと、見たことのないウィスキーを フルートグラスに1/3ほど注ぎ、同量のミネラルウォーターを加えて、混ぜずにコースター に乗せた。
「すてき。こんなの初めて」
「そのセリフは、今日は禁句だ」
「え?」
「きりがないからね」
 ヴァルティラはキスをしそうな距離でささやいた。
 今夜のデートは彼が誘ったものだ。
 学校で噂のお嬢さま。自他ともにもてる彼は、ぜひ一度彼女とデートをしてみたかった。
 彼の知る限り彼女に恋人はいない。
 本気とか遊びとか。構えることなくデートを楽しみたかった。
 彼女の故郷が、ここミルアイフだと知って誘いの連絡を入れてみたら意外にもOKの返事 。
 彼はステージを指した。
「演奏が始まる。ご覧」
 店の片隅に用意されたピアノにスポットライトが当てられた。意外と奥行きのあるステー ジでは、胸の大きな貫祿の女性がバラードを歌い始めた。その声は楽器と聞き間違うほどに 幻想的だった。
「すてき……」
「気に入ってくれたかい」
 彼は腕時計の位置を直すように、軽く腕を振った。白いワイシャツの袖口から、四角い銀 色の時計が見えた。
 彼がしていると、夜店の腕時計でも粋に見えそうだ。
 スーツと同じ濃紺のタイをあわせたとっても正統派の着こなし。
 ジャケットからパンツにつながるストレートでシャープなラインが、今夜の彼をとてもス トイックに見せていた。
 下心なんてないゾ、とサインを出して見せているのだ。
 一発でブランドがわかるようなガキっぽさは一切なし。
 彼女の背中と彼の腕はこんなに近いのに、けっして触れることはない。
「今度は彼と来ればいいさ」
 彼女は首をかしげながら左右に振った。
「だめ。まだまだ小僧ですもの」
 ヴァルティラは、右眉だけを上げてドキドキのときめきをごまかしてみた。
 バーの男性的な雰囲気は小娘を警戒させるが、彼女は昨日まで住んでいたようにリラックスしていた。
 壁にかかるさりげない小物は、すべて女優フィノ・スミレソフゆかりのものだ。写真の一 枚も飾っていないが、いくつもの賞を取った彼女の映画でお目にかかる代物ばかりだ。
 そんなイメージを自然に着こなすように彼女は微笑んだ。
「私たちが会ったのはいつだったかしら」
「いつか歴史の試験に出るさ」
「どこで会ったかしら」
「君のベッドの中さ」
「あなたって、女の子に嫌われるタイプじゃない?」
「世界の半分の女の子は、君のようにセンスがあるから寂しくないよ」
「知ってる? 私はパンも焼けないの」
「クッキーをデパートから届けさせられれば完璧だ」
「それはどうすればいいの?」
「カロイスデパート地下のマッシュさんを呼び出して「お腹が空いたわ」と言えばいいのさ 」
「あら。メイドを雇えばいいんじゃなくて?」
「僕をメイドと一緒に住まわせるつもりかい?」
「兄弟がたくさんの楽しい家庭ができそうね」
 にっこりと笑う彼女は、めちゃくちゃリアリティがあった。
 ヴァルティラも笑顔が引きつるほどに本気のようだ。というか天然だ。
 彼女は本当に美しい。
 着飾った男女がたむろする店内でも見事に存在感があり、フォーマルとラグジュアリー感 のバランスが取れていてキャリアの差が歴然。若いのに絶妙な立ち位置は、きっと子供の頃 から自然と身について美意識なのだろう。
 金をかけて遊んできたヴァルティラには、それがよくわかった。
 だからこそ、正直彼はビビっていた。
 ……かなりムリめだったか……
 主導権を取れそうで、実は全然リードできてない。いいようにあしらわれているのさえ、 男に感じさせない巧みさだ。
「座ろうか」
 ここはシーンを変えてみるしかあるまい。
 ヴァルティラはマスターからボックス席をもらい、彼女と並んで身を沈めた。
 新しいグラスのオーダーも彼の趣味でこっそり済ませた。
 杯を重ねるごとに、彼女もほろ酔い加減になってきた。
 素のニキータは、意外とおしゃべりらしい。
 ひとしきり最近のことを話したあと、ふっと黙り込んだ。
「どうしたの?」
 ニキータはつまらなそうに言った。
「私、好きな人がいたの」
「それはうらやましい男だ」
 彼女は大きく首をかしげると、両手を揃えて伸びをした。
「あら。ごめんなさい。私、酔ったのかしら」
 ヴァルティラは、甘いカクテルをオーダーした。
「レモンが効いていてすっきりするよ」
 しかし彼女はヴァルティラの言葉を聞いていないようすでささやくように言った。
「おばあちゃんが言ってたわ。男はばら撒く性だって」
「おばあちゃんは賢いな」
「だから女は選ぶ性だって」
「僕は合格かい?」
「さあ……。若い男性は車や服に夢中でつまらない。中年は下心でガツガツしているか、し ょっちゃってる色々なもので余裕ないし。本当はお爺さんみたいな人がいいんだけど、遺産目当てか孫娘みたい に見られちゃうわ」
「難しい選択だね」
「女の賭けは人生かかってるから」
「自分で社会的に成功しようとは思わないのかい?」
「女は両方を欲しがるのよ。知らなかった?」
「髪結いの亭主が男のロマンさ」
「世界最高のお店を用意してくれたら、きっとどんな女の子もあなたの為にがんばるわ」


 ショートヘアに垂れ目の男が現れた。
 下まつげが濃いくせに、優男な雰囲気をまとった、ちょい不良オヤジだ。
 彼は店に入った瞬間からただならぬオーラを発していた。
 まっすぐ二人の元に向かって来て言った。
「お嬢さま。お迎えに上がりました」
 30代らしいがっしりとした肉付きの全身を、クラシックなストライプスーツと太セルの 眼鏡で隙なく決めていた。
 この真夏にどういう仕組みなんだ? と思うくらい涼しげな顔をしている。
「あら。もうそんな時間ね。ありがとう。リザ」
「お時間は守っていただかないと。私が社長に叱られます」
 リザは、マナーブックのテキスト撮影でもしているような動きで椅子を引き、彼女を立ち 上がらせた。
 機械じかけみたいな癖に、妙に野性的なコロンをつけていた。
 彼女の甘い体臭と相まって、とてつもなくいやらしかった。
「支払いは済ませました」
 ヴァルティラには目もくれずに彼は言った。
「悪いわね。ヴァルティラ」
 彼女は少しだけ申し訳なさそうに微笑んでみせた。そして左手を、すっとさしだした。
「また誘ってくださいね」
「もちろんさ。今日はありがとう」
 ヴァルティラは、美しい指先にキスをした。
 入口まで送ろうとした彼を、リザは小さな動作で制止した。
「見送りはけっこう。ここからは私の仕事だ」




「おかえりなさい。ヴァルティラ。ジーン」
 エリーゼの色っぽい声が二人を出迎えた。
 バカンスは終わりだ。学校に戻って勉強とバイトの日々が始まる。
 エリーゼは宙港のドッキングベイから名残惜しげに身を引くと、猛烈な加速で外宇宙を目 指した。
「お二人とも楽しい週末でしたか?」
 ヴァルティラは、ソファに座って茶を飲んだ。
「とても素敵な女性だったよ」
「そいつはよかったな」
 ジーンは缶ビールのタブを開けながら、興味なさそうに言った。
「ジーンはどうだったのさ」
「……俺は今日、人の目に映らない人間がこの世にいるってのを経験したぜ」
「昔の彼女に会ったんだっけ?」
「あいかわらず良い女だったぜ」
「僕も最高の女性に会ったよ。彼女とランチをするためだけに、この星まできても後悔しな い」
「そういう金の使い方をできるってのが、おまえ壊れてるよな」
「ジーン。ところでそのバスローブはなにさ」
「これか?」
 ジーンは、浴衣の裾をちょいと直してニヤリと笑った。
「さあな」




 ニキータは夜の駅に立ち、携帯コンソールから遠ざかっていくエリーゼの映像を見ていた 。
「お嬢様。仮釈放中の身です。自重していただかないと」
「そうね。ごめんなさい」
 ニキータの父親が持っていた会社は今年倒産していた。
 その過程で大きな汚職と不正に手を染めていた。結果、倒産が及ぼした影響は、星の 経済に取って甚大なものとなった。
 父親が亡くなる一年前に代表取締役を引き継いだ彼女は、収賄、インサイダー取引、不正経理 その他山盛りの罪で起訴された。
 まだ公判中ではあるが、軽く20年は行くだろうとの噂だ。
 リザは、彼女の監視と警護を請け負う会社の人間だ。
「行っちゃったわね」
「良い若者達でした」
「そういえば支払いは、どうなったのかしら。私の口座なんて止まってるわ」
「彼らに付け替えておきました」
「あら、すごい」
「ツール・ド・レイス監察サービスは、お客様もっとうです」
 リザは、無表情の中に控えめな微笑みを浮かべて言った。
「きっと恨まれるわね」
「そろそろ別荘に帰りましょう」
「長い……バカンスになるわね」
「次の仮釈放のときも、ぜひ彼らに声をかけてはいかがですか?」
「おばさんに……なっちゃってるわ……わたし」
 ニキータの頬を涙がポロポロとこぼれ落ちた。
「20年よ……次の時にはもう……おばさんよ。信じられる?」
「心配ありません。彼らはきっと飛んできます」
「来るわけないわ」
「いかす中年オヤジになっているでしょう」
「ふふふ。そうかもね」
「彼らにとっては、100年たってもお嬢様はお嬢様です」
「男ってバカ……」
 ニキータは、懸命に涙をぬぐいながら言った。
 花火大会はまだ続いていた。いっそう大きくなった大輪の花火は、駅まで光を落していた。
 リザは男臭いハンカチを差し出した。
「だからどうか美しいあなたでいてください」
「……ありがとう……」
「男がアイスクリームみたいにとろける女の言葉を知っていますか?」
「なにかしら」
 リザは彼女の白い肩に、自分のジャケットを着せた。
 そして包み込むように抱きしめて言った。
「……帰りたくない、ですよ」
「次の夜には、きっと言うわ」
 リザはニキータに19年分のキスをした。

 

[了]
夏祭り企画

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