競作小説企画第六回「夏祭り」       by sagitta氏
 

メイド戦隊ナスカ・cafe bar Chant「安ワインの会」

お題:ひまわり、朝顔、ソーダ水 

志麻ケイイチ/2012/08/15

 

 五人はメイドさんである。彼女たちのご主人様はナスカ。

 とある街の大きな屋敷で、メイド戦隊は雇用とお屋敷とご町内の平和を守るために戦うのだ。

 それが彼女達「メイド戦隊ナスカ」だ!

 詳しくは「メイド戦隊」でググッてくれ。

  2012年競作小説企画第六回「夏祭り」

  今年は札幌が舞台だ!

 

 

「北海道キターーーッ!」

 レッドとピンクは新千歳空港の到着ロビーで万歳した。

 二人とも北海道は初めてである。

「レッド。今日は出張なんだからね。任務優先だよ」

 整った女顔のピンクは、白っぽい柔らかな長髪を乾いた風になびかせた。

 レッドは、赤黒いすっぱねたボブをかきあげて言った。

 これでもセットには、毎朝30分はかかっているのだ。

「わかってるわ。ナスカ様の重要な任務よ」

 新千歳空港から札幌市街地に至る公共交通機関は二つだ。

 JRかバス。彼らは北斗交通空港連絡バスの札幌中心街を迂回する便に乗った。

「現在時刻18:00。時計OK?」と、ピンク。

「OK。20:00作戦開始ね」

 レッドは少し緊張した面持ちで、装備の確認を行った。

 今日の彼らは揃いの白いメイドブラウス以外は普段着だ。

 トートバックには二本のワインと作戦資金2,000円。

「ナスカ様の作戦詳細書をもう一度確認しよう」

 ピンクがA4の和紙を取り出した。ナスカ好みの無駄にゴージャスな紙だ。

 彼は小声で作戦を読み上げた。

「cafe bar Chantの「安ワインの会」に参加し、そのビジネスモデルを探ると共にMs Cyndi参加の可否を報告せよ」

「札幌の片隅のバーの企画を、なぜMs Cyndiは知ったのかしら」

 レッドがもっともな質問をした。

「東京でバイオリン弾きのお嬢さんに聞いたらしいよ。お嬢さんは何回か参加したそうだ」

「バイオリン弾き? 東京から参加なんてすごいわね」

「Ms Cyndiは50歳台のはず。彼女はお嬢さんの話しを聞いて、とても興味を持ったのだけれど、いきなり参加する勇気もなかったんだね。茶飲み話しでナスカ様に相談したそうだよ」

「ナスカ様もおせっかいね」

「あははは。まったくさ」

「きっとナスカ様の真の目的は、店の実入り1,000円/人の企画で何年も継続できるビジネスモデルの調査でしょうね」

「うん。興味深いよ。酔っ払いすぎないでね。レッド」

 

 

 彼らは札幌大学前停留所でバスを降りた。barはここからすぐらしい。

 人気のない住宅街は街灯も少なく暗い。

「寒い……」

 レッドは手に息を吹きかけた。8月だと言うのに冷気が漂っていた。

「本当にこんなところにbarがあるの? なんだかこの世の果てに来た気分よ」

「誰も歩いていないね」

 北海道の特徴だろうか。中小路のような道なのに、道幅がとても広い。本州の国道ほどもありそうだ、

 小さな橋を渡った。意外な高さのそれは、川面が黒く草が生い茂って風が吹き抜けていた。

「……あれかな?」

 ピンクが指差した。

 道の先。ゆるやかな坂を登った先に、とても小さな家があった。

 かろうじて二階建てだとわかる程度の低い三角屋根。

 小さな看板とわずかばかりの電飾があるおかげで、普通の民家ではないとわかった。

 歩道から数段登る狭くて急な階段が店を見上げる形にしていた。

 道路と同じ高さにあったら、昔の農家の納屋の一部くらいに思ってしまったかもしれない。

「トタン屋根ね。瓦じゃないんだ。貧乏なのかな」と、レッド。

「失礼だよ。……旅行雑誌には、北海道は寒いから瓦屋根がないって書いてあったよ」

 言いながらピンクにも人が住む家には見えていなかった。知識と認識が一致しない。

 入口の脇には、背の低いひまわりが小さな花をつけていた。

「北海道でも朝顔って咲くのね」

 レッドは鉢からのびた朝顔の紫のつぼみに触れながら言った。

「入りましょう」

 

 

 ちりりん。

 かわいい鈴の音といっしょにドアが開いた。

 そこは玄関だった。まさに民家の玄関。

 スリッパがおいてあるところを見ると、靴を脱いで入るらしい。

 なぜか彼らの眼前には、もう一枚ガラス扉があった。

 レッドはミュールの紐を解きながら言った。

「一畳もない玄関よ。ホールでもあるまいし、どうして玄関の中に扉があるの?」

「たぶん……断熱の関係じゃないかな。ほら、冬はしばれるって言うし」

「ああ。そうね。そういうこと?」

 ガラスの引き戸の向こうに小さな人影が見えた。

 ゴロゴロと、戸車の音で戸が開いた。開けてくれたのは小学生くらいの男の子だった。

「いらっしゃいませーー。今夜はワインパーティーだよ」

「……え。Barよね……こんばんは」と、レッド。

 利発そうなぼうやと言う表現がぴったりの少年だ。

 でも、ちっとも大人に物怖じしていない雰囲気が、本当の歳は何歳なのよ、と聞きたいような聞くのが怖いような。

「あら。いらっしゃいませ」

 少年の肩に手を置いて、40歳前後の美しい女性が顔を出した。ママらしい。

「レッドさんとピンクさんですね。お待ちしていました」

 Chantに予約を入れたのはグリーンだ。彼女は二人を本名ではなく、コードネームで知らせたらしい。

 ママは、彼らの名前がタイガーだろうがバニーだろうが驚かないに違いない。

 

 

 二人は顔を見合わせながら店内に入った。

 店内はとても狭かった。わずか六畳間ほどだろうか。

 キッチンに併設されたカウンタースペースや押入れの扉を取り外したようなエリアを入れて十畳がやっとだろう。

 そこにテーブルが置かれて、バラバラな椅子が無造作に置かれていた。

 時計は20:00を回っていたが、店内には先客が三人ほどいるだけだ。

 二人は作戦詳細書にあった通りに、一本1,000円の安ワインを二本と二千円を出した。

 レッドが不安げにささやいた。

「ほ、本当に会費1,000円でいいの?」

 キッチンからはさかんに料理の音と良い香りが漂ってきた。テーブルにはサラダなどが並んでいた。

「レギュレーションは、1,000円未満のワインを一本持参と会費1,000円とのことですよ」

 ピンクが自信なさげに言った。ホームパーティーと錯覚しそうだ。

 ママは二人を常連らしい三人に紹介した。

「じゃあ、なんとなく始めちゃいますか」

 ママはテーブルに並んだ五本のワインをワインナイフで手際よく開けていった。

 彼らが持ってきたワインは、カール・マイスター ツェラー・シュヴァルツ・カッツとカール・マイスター リープフラウミルヒ。

 文字にするとかっこいいけれど、つまりアレだ、黒猫と聖母の乳。うまいワインではあるけれど、スーパーでよく特売している代表的なドイツワイン。

「ベタだったかな?」と、レッド。

 すでに並んでいたワインは、メイドである彼らが見たこともないワインばかりだった。

 特にデカデカとG7と書かれたワインに目を奪われた。ワインのラベルにはあるまじき潔さである。しかしなぜか迫力があった。

 客らはお互いに自分の飲みたいワインを指して注ぎあった。

「いただきます」

「乾杯」

 思いおもいにグラスを掲げてワイン会はスタートした……らしい。

 

 

「エゾ鹿のスモークです」

 のそおおっと体格の良い男性が現れた。

「ムッ」

 ピンクが反射的に構えようとしてレッドに止められた。

 マスターとおぼしき男性は、きれいに肉を盛り付けた皿をテーブルに置いていった。

 ひげにバンダナにプロレスラーのような体格は、Barよりもムツゴロウ牧場が似合いそうだ。

 しかしキラキラと輝く少年のような瞳は、斧よりもハーモニカが似合いそうな繊細さだ。

「かっこいいマスターですね」と、背中を目線で追いながらレッドがつぶやいた。

「男にはそう見えるんだ」

「なんです?」

「あれはママが苦労するわ」

「なぜですか?」

「女の勘よ」

「なんか憧れちゃいますけど」

 レッドはにやりと笑った。

「そういう男に女は惹かれるしね」

「あっ。タイプなんだ」

「バカ……おいしいわ。エゾ鹿スモーク」

「まさにジビエですね。すごいな。初めて食べました。牛肉の血の香りに似ているけど、とても力強い」

「ほんとう。とてもていねいに仕事してるわね。噛むほど味がでてくる」

 ピンクは次々と出される料理をもりもりと食べながら言った。

「レッド。こちらの料理って、香辛料が効いていますね」

「うん。どこかの国の料理のインスパイヤじゃないわね」

「素人料理とプロ料理のギリギリで、でも香辛料になじみのない人でもおいしく食べられる絶妙なラインね」

「こういう手もあったんですね」

「勉強になるわ。このパスタはクミンとバジルはわかるんだけど、あと……」

「キャラウェイ? フェンネル?」

「両方ですよ」

 サラダを運んできたマスターが微笑んでいった。

「このサラダは、ベーコン以外は店の畑で採れたものですよ」

「自家菜園もお持ちなんですか」

「店の裏と借りた畑でね」

 

 

 そうこうしているうちに客は10人近くに増えていた。

 ワインはお互いに酌をしながら飲むシステムのようだ。

「どれ飲む?」

 客から客へ声が飛んだ。

 グラスが空になっていると、誰かが声をかけて、林立するワインから飲みたいものを選ぶらしい。

「その黒いラベルの白ください。誰のですか?」

 情報処理産業の庶務さんと名乗る小柄な女性が聞いた。

「俺」

 名古屋ティストなマッチョ学生が手を挙げた。彼は試験期間中だと言うのに息抜きと称して参加していた。

「おいしい。甘くて梨みたいな香り」

「それ私もいただこうかしら」

 いつのまにか客席にいたママがグラスを手にした。

 

 

 ピンクは頬を少し赤くして言った。

「とても自由なシステムですね。好きなものを好きなようにお客さん同士でサーブし合うなんて」

「マスターとママも客席に参加するのね」と、レッド。

「一応、酒量はセーブしてるみたいに見えるけど」

「プロですからね。それにしてバラエティに富んだお客さんたちですね」

「うん。常連さんと一見さんの区別がつかないわ」

「アットホームとはまた違ったフランクさですね」

 ハンディキャップを持ちながらひたすら前のめりな青年。印象的なコーディネイトをキメたおしゃれな漫画家。

 情報処理産業からの参加者も多いようで、納税システム本番処理に失敗したら新聞に載るの載らないのと、ぶっそうな話しをSEな女性がしていた。

 60歳台の男どもは陽気な女連れだし、薬業界だという水を珠とはじくような肌のかわいいお嬢さんは、歳の差をものともせずにグラスを重ねていた。

 図書司書さんや団体職員など、お堅いと思われがちな仕事の方々もTDLの耳を付けて盛り上がっていた、

 レッドは隣りに座るフォレストと名乗る男に聞いた。

「あちらのきれいな方。ワインを飲みながら熱心にメモしてますけど、なにをされているんですか?」

「ああ。彼女はワインショップの店員ですよ」

「えっ!? プロも参加しているんですか?」

 レッドの向かいに座る、富良野の山から出てきたような渋い声の男性が、ニッと笑って言葉を続けた。

「10本以上のワインを毎月呑み比べられる店なんてないですからね」

「そうか……」

 レッドはピンクと視線を交わした。

 ワインに興味がある人には、画期的なシステムかもしれない。

 実質2,000円で毎月ワインの勉強ができるのだ。しかも並んだワインが被ることはほとんどないらしい。

 1,000円ワインと言えど、客はバーゲンを上手に利用して実質的に2,000円未満クラスのワインが持ち込まれているようだ。

「画期的なビジネスモデルですね。えーーと」

「ゴローです」

「北の国からですか?」

「いいえ。ゴロワーズのゴローです」

「はあ……?」

「たしか、すっごくきつい輸入煙草ですよ。レッド」

 

 

「ねえ、マスター。その箱はなに?」

 誰かが聞いた。テーブルの後ろの小さなカウンターに、酒が入りそうな大きさの箱が鎮座していた。

 ママが箱を開けた。どうみてもレギュレーションオーバーしていそうな赤と白のワインが出てきた。

「京都のお友達が送ってきてくれたの」

「なんと。道外サポーターまでいるんですか」と、レッド。

「丹波のワインよ」

 ママが言った。客たちは目の色を変えてワラワラと群がってきた。

 レッドは、クイッと残ったワインを飲み干してママが抜栓してくれるのを待ち構えた。

「はい。どうぞ」

 ママは笑いながら、レッドのグラスに赤を注いだ。

 レッドは香りを胸いっぱいに吸い、宝石のようなワインを口にふくんだ。

「お、おいしい……」

 彼女は恍惚とした表情で椅子に座り込んだ。

 ママが言った。

「遠くてご本人の参加は難しいんだけど、時々こうしてワインで参加してくださるんですよ」

「さすがにレギュレーション外ですね」

「たぶん一本で三倍どころじゃないでしょうね」

 

 

 宴もたけなわになったころ。マスターがギターを手にした。

 若い長身の男性が、店の奥に飾ってあったコントラバスを手にしてマスターと並んだ。

 ピンクは作戦詳細書に添付された写真を確認した。

「彼がMs Sindiと話しをされたバイオリンの女性の弟さんです」

「ハンサムねえ」と、目を輝かせてレッドが見とれた。

「ショータイムまであるんですね」

 マスターのギターとハンサムのコントラバス。

 そしてボーカルは、彼らを出迎えた少年だ。

 とても息の合ったコンサートだ。客はワインの手を休めて聴き惚れた。

 

 

「どうもありがとうございましたあ」

 少年は礼儀正しく一例すると、かぶっていた帽子をクルリとひっくり返して客席に回しだした。

「あははは! すごい。チップ催促ね」

 すっかり上機嫌のレッドは、財布から小銭をジャラジャラと全部流し込んだ。

 

 

「あら。音楽終わっちゃったーー?」

 遅れてやってきた某社監査役のバリキャリは、手作りカップケーキを山ほど持ってきた。

 ママは躊躇なく、皿に移すとテーブルに並べた。

「持ち込みありなんだ」

 ピンクはびっくりして言った。

 レッドは、すでに仕上がりつつある目つきでカップケーキにかぶりついた。

 おいしーーっと騒ぎながら、親知らずを抜いたばかりだという女性にケーキを勧めていた。

 すっかり安ワインの会の雰囲気に溶け込んでいた。

 少し休憩をと思って、ピンクは5%度数のスパークリングにチェンジした。

 彼はさっきから気になっていたのだが、テーブルの上にはワインと一緒にソーダ水やお茶のペットボトルが何本も並んでいた。

「……ねえ。ママ。どうしてこんなにノンアルコールが多いんですか」

「お酒飲めない人が、好きなものを持ち込んでいるんですよ」

「えっ? ワイン会なのにそんなのありなんですか」

「はい。常連さんの二人はまったく呑めないんですよ」

「はあ。そんなワイン会って初めて聞きました」

 ママはにっこりと笑って言った。

「みなさん楽しんでいただけければいいんですよ」

「場の雰囲気を壊すとか。店側で遠慮してもらうのはないんですか?」

「別にいいんじゃないですか」

 ママのこだわらない雰囲気に、ピンクは質問したことを恥じた。彼は話題を変えて聞いてみた。

「これおいしいですね。G7? 高いって感じじゃないですけれど、ずいぶんと足腰のしっかりしたワインって感じですね」

「500円なんですよ。それ」

「えっ!? うそ」

「北海道のコンビニのセイコーマートで扱ってるテーブルワインですよ」

「えーーーっ。これがたったの500円ですか」

「セイコーマートのバイヤーさんって凄腕みたい。他のワインもほとんど1,000円未満でおいしいんです」

 メイドとして少しはワインの勉強をした彼だったが、世の中広いと思い知らされた。

 フランスのマルキドボーラン カベルネ・ソーヴィニヨン。

 イタリアのボルサオ・クラシコ・ティント

 これだけ並んだワインで彼がラベルを見たことがあるのはそれくらいだった。

 

 

 21:00も過ぎた頃に、怪しげな男が姿を現した。

 コーヒー袋で作った小洒落たベレー帽に革のベスト。

 あごひげに丸サングラス。不健康な夜の住人のようなコーディネイトでありながらモリモリと黒く日焼けしていた。

「ふぉふぉふぉ」

 そんなことは言ってないのだが、そんな声が聞こえてきそうな仙人みたいな挙動だ。

「あーーっ。おひさしぶりです」

 馴染みらしい客に声をかけられて、彼はひょいと手を揚げて挨拶をした。

 やっと彼の登場に気付いたレッドの顔色が見るみる変わった。

「おまえはヂャイケル!」

「お?」

 呼ばれた男はレッドに笑顔を向けた。

「おーーーーっ」

「おーーっ、じゃないわよ。ショタキングのあんたがなぜここにいるのよ!」

「レ、レッド。知り合いかい?」と、ピンク。

「あなたも名前くらい聞いたことがあるでしょう。メイド業界に敵対するショタ界の王にして日本のショタを牛耳る男よ」

「あっ。わかった。たしかコミケとかの表舞台は引退して、北海道で農業やりながら暗躍しているとか」

「そうよ。山まで持ってる大富豪よ。くやしいけど財力はナスカ様も目じゃないわ」

「じゃあ、僕らみたいな戦隊も持っているの」

「そうよ。よりによって美少年ばっかり集めて、よくも、この」

「レッド……私怨入ってないかい」

「ここであったが百年目。表へでなさい。勝負よ!」

「おーーーっ。おっお」

 ヂャイケルは優しげにレッドの肩に手をかけた。

 一瞬、二人の戦いが交わされた。鋼鉄のようなヂャイケルの腕とベンチプレス110キロのレッド。

 しかしレッドがストンと腰を下ろした。ピンクが拍子抜けするあっけない勝負だった。

「くっ。なんて力なの。ヂャイケル マクソン!」

 レッドは唇を噛んだ。食糧生産基地北海道農業の腕力は凶暴だった。

 ヂャイケルはサングラスを外すと、クソ高そうな眼鏡にかけ直して言った。

「ナスカさんちのレッド。アイスワインはお好き?」

「……いただくわ」

 ヂャイケルはレッドとピンクと自分のグラスに粘度の高いカナダのアイスワインを注いだ。

 レッドは横目で彼を睨みながらグラスに唇をつけた。

「……おいしい……」

 目を丸くして彼女はつぶやいた。

 ヂャイケルは、アイスワインをママに渡して言った。

「あなたがナスカさんちのピンクですか? きれいなお兄さんに乾杯」

「ど、どうも。ご馳走さまです。ヂャイケルさん」

「10年前に会いたかったねえ。坊や」

「ははは。あ、ありがとうございます」

 レッドは二人の間に身体をねじ込んで言った。

「ちょっと待ちなさいよ。なんでアイスワインよ。1,000円で買えるわけないじゃない」

 とてつもなく複雑な工程を経るアイスワインは、一般的に8,000円は下らない。

 フッと余裕のオヤジ笑顔で、ヂャイケルはよれよれのレシートを取り出した。

「なによ。えーと。酒の安売りビックリッキー? あら、1,050円」

 ママが笑いながら言った。

「ヂャイケルさんは、いつも珍しいワインを特売で見つけてきてくださるんですよ」

「意外と庶民派だったのね。あんた」

 

 

「さて、地下鉄最終ですよ。タクシー呼びますよ。帰る人ーーっ」

「あっ。はい。お願いします」

 何人かが手を振って帰っていった。

 そして楽しい時間が経ち、気がつくと日付が変わっていた。

「さて、お開きにしましょう」

 ママが宣言した。もう01:00だ。

「また、来月ーーっ」

 客たちは三々五々と帰っていった。

 レッドとピンクは店の外に出て冷たい夜風に当たった。

「はーーっ。楽しかった」

「おいしかったですね。ワインも料理も」

「本当。画期的なシステムだったわね。私たちもやってみようか」

「マスターとママみたいにうまく仕切れるかわからないけど、楽しそうですね」

「……それはそうと。ここどこ?」

「えっ……」

 すっかり忘れていた。chantはとんでもないところに建っているのだ。

 店の前の広い道は、人も車もまったくいない。

「ど、どうしよう」と、ピンク。

 

 

「おーーーっ」

 二人の肩に手が置かれた。

「きゃあああ!」

 二人は悲鳴を上げて飛び上がった。

「ヂ、ヂャイケル マクソン!」

 レッドの凶悪な回し蹴りは、ひょいとかわされた。

「お」

 闇夜にサングラスで、彼はニマっと笑った。そして後ろを指さした。

 そこにはX-Menでサイクロプスが乗っていたスポーツカーが止まっていた。

 運転席には、ショタと呼ぶには少しだけ大人な少年がいた。

「乗る?」

「……はい。お願いします」

 ピンクは素直に頭を下げた。

「お。じゃあ。すすきのいこか」

 ヂャイケル名物、命を削るオールナイトカラオケ大会の誘いに違いない。

「ぢゃいけるううう」

 レッドは、弐号機みたいな顔で、ガチガチと歯を鳴らした。

「勝負しようじゃないいい。身の程を思い知らせてあげるわ」

「ほおおお。ほっほっほっ」

 ヂャイケルは、ほとばしるレッドの闘志を揉みしだいて楽しむかのように、両手の指をわしわしと動かして踊り狂った。

 札幌の深夜の住宅街で、人外魔境な二人の瘴気に当てられた近所の犬たちが遠吠えを始めた。

「……おーー。ナスカ様の名にかけてーーっ。どうでもいいけど、近所迷惑だぞーーっ」

 じみーーな闘志をとりあえず燃やしといて、ピンクはナスカに今日の報告をメールした。

 

 

 親愛なるMs Cindi。

 ぜひ来月どうぞ。毎月月末にやってるそうです。

 くわしくは、chantのHPで。

 

 教訓

 cafe bar Chant「安ワインの会」は、自己責任で帰りの交通機関を確保せよ。

 

 

 

Tokinashi-Zohshi