競作小説企画第四回「夏祭り」       by sagitta氏
 

メイド戦隊ナスカ・執事は盆だけ吸血鬼

お題:墓標、蝉しぐれ、夕凪 

志麻ケイイチ/2010/09/20

 

 五人はメイドさんである。彼女たちのご主人様はナスカ。

 とある街の大きな屋敷で、メイド戦隊は雇用とお屋敷とご町内の平和を守るために戦うのだ。

 それが彼女達「メイド戦隊ナスカ」だ!

  詳しくは「メイド戦隊」でググッてくれ。

  「すべて」でも「画像」でもトップに来ちゃうぜ。びっくりだ!

 2009年競作小説企画第三回「夏祭り」に続いていくぜ。

  悪乗りご容赦!

 

「では、皆様。良いお盆を」

 執事のセバスは、いつものダークな三つ揃えをアロハに着替えて言った。

 お盆の期間。ナスカ屋敷はとても奇妙な理由により執事が交替した。

 ナスカは奇妙な理由が怖いので、旭川にトンズラしていた。

 レッドがセバスのバッグをタクシーに運んだ。

「いってらっしゃい。セバス」

「ありがとうございます。レッド様。では、後のことはジュリアン様によろしくお伝えくださいませ」

「安心してセバス」

 少し心配気なセバスに、レッドはウィンクで応えた。

「きちんとお役目を果たすわ。お土産は気にしないでね」

「皆様のご無事がなによりの土産でございます」

「うまいわね。セバス」



 そしてメイド戦隊だけが屋敷に残された夜。

 今夜は8月15日。お盆だ。

 ナスカ屋敷はでかい。

 どれくらい大きいかと言うと、一学年二クラスの小学校くらいある。

 遅い夕暮れが訪れると、これまた広大な庭の常夜灯にキャンドルが灯され、柔らかな炎が夜の帳を開いていった。

 少し涼しい風が芝生を撫ぜて右から左に流れた。

 真昼の熱気と湿度が、木々に吸い込まれるように払われていく。

 白く広いテラスには、錆びない鉄のテーブルとチャペルベンチが三脚。

 五人のメイドたちは、チリの赤ワインをリーデルのデカンターに移してゆっくり空気を含ませた。

 昼間の蝉しぐれが嘘のように夕凪があたりを満たした。

「そろそろグラスに注いでいい?」

 くるりんとした瞳のイエローがレッドに聞いた。

 アイドルの顔とシャイロックの金銭欲を持つ美少女だ。

 金の分は働くが、それ以上に得をすることをいつも考えていた。恋人にはいいが、妻にしたら男の人生終わりってヤツだった。

「うん。お願い。イエロー」と、レッド。

 イエローは、デカンターからヴィノムボルドーグラスにワインを注いだ。

 二つ注いだグラスのうち一つはテイスティング用だ。

 レッドは濃い赤のボブを揺らしながら、グラスを持ってキャンドルの光に透かした。

「きれい」

 そして濡れたルージュの唇でワインを一口含み、鼻から香気を抜いた。

 強い意志を示す、きりっと書かれた眉のラインと、くっきりとした縁取りの大きな目がリーダーの資質を示していた。

「レッド。僕も試したいな」

 レッドよりも頭半分背の高いピンクが、グラスの柄を持つレッドの指に手を重ねた。

 長い髪がサラサラと音をたてているかに見えた。

 彼は自他共に認める戦隊一の美形だ。

 しかし男だ。

「ダメよ。未成年」

 しかも高校生だ。彼だけバイトで戦隊に参加していた。

 

 

 彼女たちの視線は、広い庭の一角に作られた薔薇花壇に注がれていた。

 オールドローズの一つシュラブローズだけを集めた、不思議な花壇だった。

 花壇の後ろには、畳四畳ほどもある白い石のプレートが立っていた。

 薔薇の原種であるワイルドローズに近いため、花の色彩は限られるが、モダンローズにはないたくましい生命力と繊細さを併せ持っていた。

 そして優雅な姿や花の色と豊かな香りが特徴だった。

 知らない人が見ると、ダリアの花とも間違えそうな開いた花弁が特徴だ。

「……あら」

 グリーンが花壇の奥を指差した。

 彼女は卵形のきれいな小顔に似合わず、夕張メロンみたいな巨乳の持ち主だった。

 「のんびり母さん」な性格とあいまって、えもいえない癒し系をかもし出していた。

「ジュリアン様が見えられたわね」

「うーーーっ。今年も来ちゃったよーーーっ」

 イエローがおもいっきりしかめっ面でふくれた。

「あたしは苦手なのよ。非生産的な男って」

「失礼なこと言わないの」と、レッドがたしなめた。



 赤い薔薇のしげみをかき分けて、白いシャツの少年が姿を現した。

 ロロピアーナのドゥエ ボットーニシャツは、いまどき日本のクールビズを意識したようなデザイン。

 第二ボタンの位置が少し低いので、胸元の開きを微調整できるのは、オーダーメイドならではだ。

 その襟首からかすかにのぞくチェーンの金色。

 乳首と乳首を繋ぐ線とクロスする位置に来る金の針のトップを持つネックレスをかけていた。

 茨でシャツを傷めないように、無駄に花びらを散らさないように、薔薇を一枝ずつゆっくりと横にしながら歩を進めた。

 そして白人に見える少年が彼女たちの前に立った。

 灰色の長い髪に、赤みかかった瞳。

 不健康そうな青白い肌に、口紅を塗ったような唇が目立つ。

 少年らしい中世的な美しさだ。

 華奢な体つき。身長も150センチ台だろう。

 小柄なイエローよりもはかなげだ。

 しかし色っぽい。男をも魅了する妖しい色香を漂わせていた。

 


「ジュリアン様」

 五人の戦隊から、ブルーが一歩前へ出た。

「ジュリアン様。お待ち申し上げました」

 ブルーは片足を引き、優雅にお辞儀をした。

 均整の取れたモデル並みのプロポーションと長い手足。

 彼女は、ジュリアンと呼ばれた少年の浮世離れしたオーラに負けていなかった。

 しかし少年はけんもほろろだった。

「ブルーか……あいかわらずでかいな……」

「ジュリアン様」

「見下ろすなよ。バカ」

 ブルーは少年よりも頭一つ大きい。

 レッドが、ここは堪えて、とブルーの肩を叩いた。

「ジュリアン様。薔薇のワインをご用意いたしました」

「……だれだっけ?」

「お忘れですか。レッドでございます」

「ああ」

 彼はポンと手を打った。

「ちっちゃいおっぱい見て思い出した」

「……! ジ……!」

 殴りかかろうとするレッドをピンクが羽交い絞めにして押さえつけた。

「おまえは知ってる。ピンクだ」

「ジュリアン様。お加減はいかかですか?」とピンク。

「おまえ嫌いだ」

 フン。と彼は首を振った。

「僕よりきれいな男は消えちまえ」

 見えない圧力がピンクを襲った。

「うわッ」

 彼の身体が5メートルも吹き飛ばされて芝生に転がった。

「ピンク!」レッドが駆け寄った。ピンクは大丈夫と手を上げた。

「あらあらまあまあ。おいたして悪い子ですねえ。ジュリアン様」

 グリーンが巨大な胸をユサユサと揺らしながらジュリアンの前に立ち、その手を取った。

「悪いことする子にはお仕置きですよお」

 グリーンは彼の手の甲をキュッとつねった。

「−−痛い」

 三テンポくらい遅れて彼は言った。

「痛いよ。グリーン」

 ジュリアンはグリーンの胸に顔をうずめるように抱きついた。

「ごめんなさい。もうしないよグリーン」

 ジュリアンは、グリーンの胸の影からレッドたちにあかんベーをした。

「あら。いけない」

 グリーンはジュリアンの頬を両手で挟んで、鼻をくんくんと鳴らした。

「あら。いけない。ジュリアン様。くさいですわ」

「僕、お風呂は嫌いだよ」

 イエローが両手を揉みしだくように言った。

「それはたいへんですわ! ねえ、レッド」

「そうですわ。ジュリアン様。お仕事の前に身を清く保つのもの。ねえ。イエロー」

 二人はハモッてグリーンを見た。

「ねえ、グリーン!」

 ジュリアンは、不快そうにグリーンを見上げた。

「そうですね。ジュリアン様。私はきれいなジュリアン様が好きですわ」

「……グリーンがそう言うなら」

 

 

 更衣室でもじもじする彼を、グリーンは手際よく脱がせた。

 細く白い身体には贅肉の欠片もない。鎖骨と肋骨が美しく浮き出ていた。

 彼は促されて薔薇の花びらを浮かべたバスタブに入った。

 グリーンは、腕をまくり彼の首筋を大きなスポンジで優しくなでた。

「ジュリアンさま」

「……ん」

「お湯加減はいかがですか?」

「き、気持ちいいよ」

「ずいぶん汚れが溜まってらっしゃるの。皮が剥けるように垢がはがれてますわ」

 たしかにすごい。塩酸に肉を突っ込んだようなジュワジュワ感だ。

 グリーンがイエローに聞いた。

「このお風呂のお湯って良い香り。どうしたの?」

「祭壇にお上げしていた薔薇水よ。ジュリアン様は薔薇がお好きだから」

「……それって聖水?」

 バシャバシャ!

 ジュリアンはあわてて湯船から立ち上がった。

 肉が溶けて肋骨がむき出しになっていた。

 ボチャン、とチ○チ○が溶け落ちた。

「ひえええええっ」

 グリーンが卒倒した。

「たいへんだ。グリーン!  グリーンしっかりして!」

 ジュリアンは、見るみる再生していく腕でグリーンを抱きとめた。

 驚くべき回復力で肉が再生されていった。

 メイド戦隊は知っていたが、彼はいわゆる吸血鬼だった。

 

 

「うーーん。なにかすごいものを見ちゃった気がするんですが」

 ピンクに支えられて、額にアイスノンを当てたグリーンが食堂に入った。

「ジュリアン様。すぐにディナーにしますね」

「僕は薔薇があれば十分だよ」

「少しは精のつくものをお食べくださいませ」と、グリーン。

「うん」

「テラスでお待ちくださいね」

 メイド戦隊は、当然だが料理上手。

 ジュリアンの前には、次々と美しい料理が並べられた。

 冷制ガスパチョは、京都の夏野菜とモダンローズ系の薔薇がたっぷり。

 小樽北一ガラスの一点ものに盛られて、見るからに涼しげだ。

 冷たいスープと相性の良いカクテルは赤。

 スッポンの生き血をキュービックに凍らせて、カクテルグラスに積み上げた上から、マティーニを垂らしたものだ。

 仕上げにドライラベンダーが散らされているので、普通の人にはトイレの香水に感じるかもしれない。

 

 

 ジュリアンは、ガラステーブルが好きだ。

 乾燥した彼の肌は、真夏の夜でもガラスに指紋を残すような無粋なことはない。

 そして鏡に映らない彼は、ガラステーブルにも姿を映さない。ゆっくりとサーブしてくれるメイドたちと食器だけがテーブルの上で踊るのだ。

 彼が自分は特別な存在であると、もっとも満足する瞬間だった。

「さあ、めしあがれ」

 レッドとイエローが最後に運んできたのは、刺激的な香りのスパゲッティだった。

「……なにさ?」ジュリアンが聞いた。

 レッドとイエローは、お多福さんみたいな目で笑っていた。

「はい?」

 二人はニッコリと首をかしげた。

 邪悪だ。

 練習したみたいにピッタリな角度に、ジュリアンは悪意を感じた。

 三人の視線は、火花を散らして絡み合った。

 ……さあ、食べられるものなら食べてごらんあそばせ……

 ……ふっ。あまいな。レッド。イエロー……

 ジュリアンはほくそえんだ。

 大丈夫。十字架とニンニクは克服していた。グリーンの前でスパゲッティを噴水するような醜態を晒すことはない。

 ジュリアンは余裕でスパゲッティをフォークに絡めた。

 一口、食べた瞬間。

「ん……ふが」

 鼻に爆竹を押し込まれたような衝撃に顎が落ちた。

「ジュリアンさまあ。お口にあいますか?」

 レッドとイエローは蛇の舌が出そうな笑顔で聞いた。

「い、いったいこの香草はなに?」

「精をつけていただくにはアイヌネギが一番です」

「……ア、アイヌネギ?」

「ギョウジャニンニクとも言います」

 ニンニクの十倍増しみたいな臭気が頭のテッペンから黄色く立ち昇った気がした。

「気、気をしっかり持つんだ僕」

 ジュリアンはフォークを左手の甲に突き刺した。

「あお!」

 トムさんみたいな悲鳴が漏れそうになった。

「しかもフォーク、銀だし……」

 レッドとイエローは、仮面ライダーWみたいにバロムクロスした。

 

 

 などと、あれこれのうちにお盆の夜は更けていった。

 メイド戦隊は外着に着替えた。

 庭掃除で膝をついたり、雪下ろしで屋根から落ちても「いたたた」ですむためのメイドウェアだ。

 黒に近い濃紺を基調に、ズシッとした質感のドレスだった。

 ギュッギュと革グローブが力強く鳴いた。

「フッ!」

 レッドが長い脚を頭の上まで振り上げて、腰周りに動きやすい余裕を与えた。

「さあて、お仕事の時間よ。みんな」

 庭に出た彼らは、真夏なのに立ち昇る冷気に気づいた。

 ブルーは冷たい瞳で周囲を見渡した。

 白とも青ともつかないひも状の光が、大気に漂っていた。

 彼らは横一列に並び、庭と塀の向こうにそびえたつ黒々とした建物を見渡した。

 

 

 お盆の夜。

 ナスカ屋敷に幽霊たちが姿を現した。

 それは屋敷が建ってから、ずっとのことだ。

 地元出身のブルーが言った。

「お坊さんの話しだと、鬼門に向かう幽霊たちの通り道が、お屋敷と隣に立ってる小学校体育館を繋ぐ線にあるそうよ」

 すなわちナスカ屋敷の庭の鬼門方向である北東と、体育館裏口裏鬼門南西が、なにやら見事なあやかしの道となっていた。

 それは有史以来のとてつもなく古いものだった。

 ナスカは屋敷の土地がいわく付きなことを知っていたが、気にするタマではないので放置していた。

 しかし小学校の体育館が移転して、鬼門の軸線上に建って以来、幽霊騒ぎが続出したために、無視を決め込むわけにも行かなくなった。

 町内会の平和を守るのが使命だし。

 そこで地獄の釜の蓋が開く毎年のこの夜。メイド戦隊は一夜かぎりの執事を迎えて戦うのだった。

「恒例行事とは言え、ビビります」

 ピンクは4メートルもある鬼やらいの矛を構えて言った。

 グリーンとイエローは、鬼門を具象化するために、古い樫のチャペルベンチをテラスの一角に置いた。

 チャペルベンチに特有の背もたれ裏側にある聖書入れには、お札と十字架と羊皮紙と石と狼の牙とススキの穂が詰め込まれていた。

「ジュリアン様。さっきはごめんなさい。準備はいいですか」

 レッドがジュリアンに聞いた。

 見かけは少年だが、戦隊全員の歳を足して何倍かしたほど生きている彼だ。

「レッド。僕はちっとも気にしていないよ」

 彼はニッコリと笑ってテラスに立った。

「グリーンの胸みたいに大きな心でさ。あっ、君にはわからないか」

 

 

 霊感とはほど遠い彼女たちである。

 唯一、グリーンがちょびっとだけ敏感だった。

「レッド。き、来ちゃったみたいです。来ますうう」

 グリーンの産毛という産毛が子猫のように逆立った。

 彼女たちの目には、いつもと変わらない静かな夜の庭だった。

 虫たちが鳴き、蛾が灯かりに惑わされて白く飛んでいる。

 しかし毎年この日この夜に怪異は起きるのだ。

「……きゃーーー……」

 どこか遠くから女性の悲鳴が聞こえた。

 それは始まりの合図だ。

「ジュリアン様」

 レッドは少年を見た。

「わかったよ」

 ジュリアンは、なんの予備動作もなしに霧と化して巨大化した。

「わっ。すごい」

 イエローは携帯で写真を撮りながら言った。この暗がりで写るわけないのだが。

 彼の姿を肉眼で捉えさせているのは、夜の闇をスクリーンとして、無数のホタルの青白く冷たい光だった。

 肉の腐臭と薔薇の香りがお互いをマスキングしながら、濃厚に甘く大気を満たした。

 ジュリアンの体臭は、物の怪どもにとって、かぐわしくも悩ましいフェロモンだった。

 吸血鬼の恐怖のプレッシャーと本能を突き刺す臭気が虫と小動物をあやつり、地上、地下、空中に数え切れない命のカーテンを作り出した。

 生者の放つ光は死者に負けることなど原理的にありえない。

 しかしそれを取り持つのが、生ける屍である吸血鬼であるとは皮肉な話しだった。

 彼が自らの身体で作り出した鬼門へと続く道。

 亡霊たちが、寄り道せずに鬼門へと辿りつくための道を用意したのだ。

 メイド戦隊には見えない魂の列は、ゆっくりと確実に学校からナスカ屋敷のチャペルベンチへと流れていった。

「私たち、本当に役に立ってるの?」

 イエローはもっともな質問をした。

 たしかにメイド戦隊の役割は小さい。彼女たちの主観では、ただの夜の芝生に立っているだけだった。

 鬼門を進む有象無象に、生きた人間の命の光を浴びせかけることが役割なのだが、マントラの一つも唱えているわけではない。

 しかし見る人が見たら、彼女たちは大変なことになっていた。

「あっ。イエロー!」

「なによグリーン。なにかいるの?」

「ううん。ないないなんでもない」

 天然なグリーンだが、ニュルリとしなやかな肌色のなにかがイエローの背中がひるがえり、スカートの中に消えていったことを言わない思いやりくらいあった。

 そして、ぼたり、と官能的な脊椎を持つ二本足の姿が地面に落ちて這って去った。

 特大カラットのダイヤのネックレスが、プラチナのチェーンを引きずりながら、付喪神よろしく手足を伸ばして走っていく様はシュールだ。

 後ろを追いかけるバングルがチェーンに触れるたびに、無数の人間の表情が線香花火のように飛び散った。

 グリーン以外は、自分の身体をすり抜けていく異形の者どもを見ることも感じることもないのは幸いだった。

 

 

「うーーーーっわ!」

 そんなグリーンが悲鳴を上げた。

 巨乳がドップンと上下するほどの身震いが全身を襲った。

「ちょっとまって、まってまってえ。なにこれーーーっ!」

 人畜無害な魑魅魍魎とはまったく異質なモノが近づいてきた。

 レッドが警戒して周囲に目を配った。

「なに? グリーン。説明を」

「レ、レッド。こんなの初めてですう」

 泣きそうな顔でグリーンは、体育館の方向を見た。

 ジュリアンもまた、人の髪すら持ち上げられない亡霊とは一線を画する巨大な気配に気づいた。

 それは現生生物とは違う進化を果たして滅びた太古のなにものかの亡霊だった。

 鈍いレッドたちにも、その強烈な異質感は伝わった。

 レッドがうめいた。

「いっっちばんタチが悪いのよね」

「どういうこと?」ピンクが聞いた。

「狼男もぬらりひょんも地球人だけどクトゥルーはエイリアンだってことよ」

「わかんないよ」

「お岩さんは人を選んで呪えるけど、人に祟る論理も理性もない悪意の塊ってこと。わかる?」

「……それって、Grudgeみたいな感じ?」

「ええ? ああ。まあ、そう。そんな感じ」

 レッドは全員をチャペルベンチの前に集めた。

「ジュリアン様」空に向かって言った。

「たいへんな者が現れたようです。お任せできますか?」

 ジュリアンは急激に身体を回収して人の姿を形作った。

 虚空に焦点を結ぶ瞳を上げて、彼は言った。

「二度目だね。レッド」

「はい。前回はとても小さくか弱いものでした。カンブリアの者たちのように」

「進化の袋小路で滅んだ生物の亡霊と言えど、鬼門に捕らわれるなら、僕の意志をまぬがれるのは無理」

「しかしジュリアン様。いったいどうすると」

「生贄だな」

「はあ!?」

 レッドは不信感をあらわにしてジュリアンをにらみつけた。

「だめ?」

 ジュリアンは、指をくわえてかわいい視線をレッドに送った。

「だめか? レッド」

「くっ……」

 レッドは罵倒の言葉を飲み込んだ。こういう顔をするときの彼はやばい。

「生者の力が強いと言うなら女でしょ。レッドは生理だし」と、イエロー。

「バカ」

 そんな二人を無視して、ジュリアンはピンクを見た。

「ピンク。僕のピンク」

「……ジ、ジュリアン……さま。な、なんですか」

「来い。ピンク」

 ピンクの瞳の色が、赤い薔薇の色に染まった。

「ピンク。僕に血を吸われたしもべ。そして僕の血を持つ者」

 レッドがピンクの腕を取った。

「ちょっと。どうしたのピンク。ジュリアン様になにかされたの?」

「レ、レレレレ、レッドオ」

 ピンクは全身を痙攣させてレッドを見た。

「思い出したかい。小さなピンク」

「ジュリアン様! ピンクになにをしたの!」

 レッドは震えるピンクを抱きしめた。

 ジュリアンは赤い瞳で言った。

「血を流す生贄をささげよ」

 ピンクはレッドの胸を鷲づかみにした。

「きゃあ!」

「レッド。キ、き、君の流す血を……」

「なに錯乱してるのよ。ピンク!」

 レッドの長くしなやかな脚が、前蹴りで振り上げられた。

 そして自分の頭越しにピンクの顔面を蹴りつけた。

 プーーーッと鼻血を吹いて、ピンクはスッとんだ。

 パタパタと地面に落ちる血に、亡霊どもはうろたえ、色めきたった。

 地を這う霊たちには、生きた鮮血が溶けた鉄の火花のように美しくも恐ろしかったのだ。

「そうきたか」

 くすり、と笑ったジュリアンは、空を覆って近づく陽炎に向かって、ひゅっと飛び上がった。

 

 

 太古の亡霊の血が赤かったか青かったかはわからない。

 だが血を持つ者にとって、ほとばしる鮮血は魂を奪われずにいられなかった。

 ジュリアンは、その瞬間を逃さずに亡霊に襲いかかった。

 人知を超えた戦いが、低い空で走った。

「ガッ!」

 音とも悲鳴ともつかぬ声が闇を走った。

 メイド戦隊の視線は、空にジュリアンを探した。

 彼は空から落ちてきた。

「ジュリアン様!」

 ブルーは身体を投げ出してジュリアンを受け止めた。

 彼は異様なほど軽い。しかしすさまじい握力で彼女の腕にすがりついた。

「ジュリアン様! お怪我を……!」

 ブルーは彼の左腕を押さえながら名を呼んだ。

「ジュリアン様!」

 しかし彼女の声にジュリアンは応えなかった。

 誰の目にも映らなかった空中での一瞬。彼の左腕は、手首から先が失われていた。

 信じられないことに太古の亡霊が喰らったのだ。

 塵あくたのごとき亡霊が、物理的な危害を加えたことが信じられなかった。

 しかし現実に彼は左手を失い、意識をも持っていかれていた。

 狩りの本能と喜びが亡霊に残っていたかは知らない。

 太古の亡霊は、ジュリアンを目指して鬼門への道から逸れようとしていた。

 ブルーはジュリアンの前に立ちはだかった。

「お守りします」

 霊感など持たない彼女の目には、太古の亡霊もかすかな陽炎にしか見えなかった。

 彼女は迷った。

 亡霊の歩みは遅い。意識を失ったジュリアンを抱きかかえたまま、後方に下がるべきか?

「レッド。グリーン! どうしたらいい?」

 レッドが命令した。

「動かないで! 亡霊を逃がしちゃいけない」

 亡霊の前に立ちふさがれと言うのだ。

「……わかったわ」

 ブルーは両手をふさがれていた。いや、そもそもできることなどない。

 太古の亡霊が彼女に触れたときに、危害を加えられるかもわからない。

「ジュリアン様」

 ブルーは美しいジュリアンの顔を見つめた。彼を守りたいという押さえがたい衝動がこみ上げた。

 彼女は自分の唇を強く噛み切った。

「ん……」

 ルージュより赤い血が口に広がった。

 ペッ、と血を亡霊に吐きかけた。

 煙草の煙が揺れるように、紫のかげりが揺らめいた。

 ブルーはさらにぎりりっと唇を噛み傷つけると、唇に溜めた血を滴らせながらジュリアンにキスをした。

 血は彼の唇を濡らし、甘く舌に広がった。

「……マァマ……」

 ジュリアンがいずれの国のイントネーションともわからない発音でつぶやいた。

 その瞬間。

 滅びた命の巨魁が二人に覆いかぶさった。

 ブルーは目が見えなくなるのを感じた。いや、五感がすべて遠のいていった。

「……ブルー!」

 遠くにレッドの声が聞こえた。

 

 

 ブルーの記憶には、モノトーンの世界が広がっていた。

 ブルーは思い出した。

 彼女がジュリアンと出会った時を。

 それは懐かしく悲しい記憶だった。

 

 

 10年前。

 まだメイド戦隊はなく、ナスカが屋敷を購入してすぐのころ。

 屋敷は街外れに建っていた。かつては名家の別荘との噂だった。

 周囲は田んぼと栗林と小学校があるばかり。

 屋敷を囲む鉄槍の塀からは、古い薔薇が半ば野生化してあふれ出ていた。

 そこは地元で有名な幽霊屋敷だった。

 お盆になるとわけのわからない白い者たちが列を作って進むのを知らない者はいなかった。

 そしてもう一つの噂があった。

 外国人の少年が、薔薇の花の季節に姿を現すというものだ。

 庭の一角を占める薔薇園の奥に、白く低い霊廟があるのを見たと言う者もいた。

 しかし誰も確かめようとはしなかった。

 

 

 そのころのブルーは、長い髪を一本の三編みにした活発な少女だった。

 よく日に焼けて、男の子たちと野山や廃墟を駆け回るのが大好きだった。

 級友の女子たちが、子供のくせに噂話しとおしゃべりに興じているのが理解できなかった。

 小学校に通っていたブルーは、男の子たちと屋敷に忍び込んでは、探検するのが楽しみだった。

 その日は、噂の薔薇園の奥に忍び込もうということになっていた。

 上級生たちの噂では、長い牙と凶悪な爪を持つ怪物がいるそうだ。

 しかしその姿は白いシャツと黒いパンツに身を包んだきれいな男子だと言う。

 ブルーは、王子様を探しにいばら城に挑むお姫様のような気持ちだった。

 しかし気持ちが先走りすぎたのか。

「杉田くん。桃谷間君?」

 ブルーは、男子たちとはぐれたことに気づいた。

「やだ。みんな」

 緑の茨が周囲を包む薔薇の茂みに一人っきりでいる。彼女は焦った。

「どこ!? どっち?」

 ブルーは薔薇の棘で手足が傷つくことも気づかないほど夢中に茂みをかき分けた。

 そして突然に小さな空間に出た。

 靴は平らな石を踏み、突き出した手は冷たく堅い壁に触れた。

「えっ」

 開いた目に映ったものは、大人の背丈ほどの白い石でできた記念碑だった。

 外国の文字が、びっしりと刻まれていた。

「……お墓?」

 映画で見た西洋の墓標のようにも見えた。

 カサッと足音がした。驚いて振り返った彼女の前に、白いシャツの男子がいた。

 中学生くらいに見えた。

 外国人のような彼は、とても美しかった。

 ディズニー映画に出てくる王子様とは違う。お姉ちゃんが部屋に隠している、男同士のちょっとエッチな漫画に出てくるようなきれいさだった。

 

 

「君はだれ?」

 少年が聞いた。ブルーは緊張で失神しそうだった。

「あ、あたしは、あの」

「僕たちは初めて会うね」

「は、は、はい。あ、あたし」

 彼はそんな彼女を、くすくすと笑った。子犬でも見るような目で。

「早くお帰り。ママが心配するよ」

「は、はい。ごめんなさい! あの、君……おにいさんの名前はなんですか?」

 ぶしつけな質問をする少女に、彼は不機嫌な視線を送った。

「あ、あたしは青樹ヶ原 樹」

 少年は大きな瞳を見開き、ブルーに顔を近づけた。

 その瞳は虹色に色を変えているかのようだった。

「ジュリアン」

「ジュリアンくん?」

「そう。ジュリアン」

「ジュリアン……くん」

「君の好きなように呼んで」

「ジュ、ジュリアン……さま」

「ん?」

「ジュリアンさま……」

「ん」

 少年は少女の心をとろかす微笑みでうなずいた。

「ジ、ジュリアン様。あの……私の血を吸ってください!」

 少女自身びっくりする言葉が唇からほとばしった。

「えっ……あたしなんて言った……」

 なぜそんなことを言ったのか。ブルー自身が一番驚いたかもしれない。

 しかし少年は、当然受けるべき質問と言った風だった。

 ブルーは彼の笑顔を見つめているうちに、再び押さえきれない衝動に突き動かされた。

「ジュリアン様」

 自分から少年に抱きついていった。

 しかしジュリアンは、犬が尻尾を振って飛びついてきたように頭を撫でるだけだった。

「……私も……」

 なにが私も、なのかはわからない。

 ブルーは恋心とも巫女の自己犠牲の陶酔ともつかない、被虐の衝動に突き動かされた。

 どうやったら、彼に血を吸ってもらえるかという非常識な想いに捕らわれた。



 茂みが再び鳴った。

 小さな姿が薔薇を押しのけて出てきた。

「あっ。きみ」

 ブルーはすぐに気づいた、それはいっしょに冒険にやってきた下級生の男の子だった。

 ジュリアンは青も赤とつかない虹彩の光を、波間の夜光虫のように漂わせた。

 ブルーはその視線の焦点を自分に結ばせようとして叫んだ。

「私の血を吸ってください!」

 ジュリアンの首が奇妙な角度で止まり、やがて「血を吸え」などと無礼なことを言う少女を見た。

「女……」

 ジュリアンは鼻白んだ。

「女の血はママの匂いがするから嫌いだ」

 信じられない言葉がブルーの心を突き刺した。

 しかし10歳ながら女の心に脱皮しつつあったブルーは、不器用にストレートにジュリアンを求めた。

 自分が拒絶されるなどということは、想像を超えるイメージだった。

 そして幸いなことに、彼の拒絶はブルーを素通りしていった。

「カーーーーッ」

 ジュリアンは威嚇の牙を、イタチのようにむき出した。

「ああっ……」

 ブルーは、首に牙が忍び込む予感に身震いした。

 しかしジュリアンはブルーを投げ捨てると、白いノロイのような速さで少年に襲いかかった。

 

 

「きゃあーーーっ!」

 小さな少年は、ブルーには出せない絹裂く悲鳴をあげた。

 ジュリアンは、少年を抱きしめたまま、墓石の上に飛び登った。

 そして少年の白い首筋を、真っ赤な舌でなめ上げた。

「…………!」

 彼は恐怖で言葉もない少年の表情を楽しんだ。

 満足だ。

 彼は死後硬直のような力で少年の首筋をあらわにして、プリンを噛むように牙を突き立てた。

「やだ。だめ……」

 ブルーは、手を伸ばして彼らを止めようとした。

「いやーーーっ!」

 そして悲鳴を上げた。

 それが嫉妬であるとは知らずに。

 

 

 ジュリアンに血を吸われた桃谷間の弟の名前を薫と言った。

 (それってピンクだ)

 だから今でもブルーはピンクが嫌いだった。

 自分よりも美しい上に、ジュリアンを奪った恋敵として。

 

 

「きゃあああ。なんか。なんかすごくやばくないですかあ?」グリーンが悲鳴を上げた。

「ブルーとジュリアン様が見えなくなっちゃっいましたあ」

 太古の亡霊は、どんなリアリストにも見える黒い煙となって二人を覆いつくした。

 グリーンが両手を振り回しながら、あたふたと回りを走り回った。

「なんとか、なんとかしなくちゃ! 消火器どこ?」

「もったいないでしょ!」と、イエロー。

 彼女はと言うと、団扇で必死に黒煙を扇いでいた。そりゃ無理だ。

 レッドはパニクった二人を無視してピンクを見た。

「ピンク!」

 彼女はピンクの胸ぐらを掴むと、自分の視線の高さに引きおろした。

「レッ……! なに」

 ピンクは164センチのレッドのより10センチ以上背が高い。

 しかしレッドは体重をかけて彼の顔を自分の唇の高さに持ってきた。

「ピンク。これも任務よ」

「な、なにさ。レッド」

 聞く耳なんて持たなかった。レッドは彼の唇を奪った。

 人間の目と魂には見えなかったが、欲情したレッドのオーラは、まぶしく周囲を照らした。

「うおおおおおお」

 魑魅魍魎の声かと思ったらイエローだった。

 大きなお友達みたいな歓声を上げて、彼らのキスシーンを携帯で撮りまくった。

 どこかの筋に売り飛ばすつもりだろう。

 レッドはピンクの瞳をまっすぐに見つめて言った。

「ピンク。知ってる? 非生産の極みにある物の怪どもに一番効く呪って」

「…………」

「ピンク? しっかりしてよ」

 きれいな顔をしているくせにファーストキスだったピンクだ。

「レレレレ、レッド! なななな。今、なにしたのーーーっ!?」

 ゴスっ。

 レッドの鉄拳がピンクの頭に炸裂した。

「ダメよレッド。せっかくのロマンチックなムードが消えちゃいますう」と、グリーン。

「む。そうね。聞きなさい。ピンク」

「はへ?」

「化け物にありえないのは、子作りする意志よ」

「なんだって?」

「何度も言わせない! 心意気の問題よ!」

 ピンクはガバッ、と立ち上がった。

 その姿は雄雄しくたくましかった。レッドとグリーンが目を奪われるほど。

 スカート履いてるけど。

「行くよ。レッド」

 ピンクはレッドの手を取り立ち上がらせた。

「レッド。君がその覚悟なら、僕は責任を取るよ」

「いや、責任ってなんのさ」

「良い子を作ろう」

「いや。ちょっと待って。私たちは今は任務の途中よ。ビンク」

「レッドの命令だ。かまうもんかーーっ!」

「私がかまうわよ! 高校生!」

 ピンクは軽々とレッドをお姫様抱っこした。

「行くぞ。レッド」

「ピ、ピンク」

 邪悪な太古の黒煙にピンクは足を踏み入れた。

 そこは生きた彼らには、意外なほどあっけない抵抗しかない魂の流れだった。

「カアアアアッ」

 わけのわからない怪物が大きく顎を開いた彼らの眼前に迫った。

 一体と思っていたが、どうやら太古の怪物は、いくつもの亡霊の残骸が不織布のように重なり絡み合ったもののようだった。

 ピンクはレッドをリカちゃん人形のように軽々と振り回しながら怪物に対峙した。

「レッド」

「な、なに?」

「ジュリアン様がおっしゃっていました。生は死に勝つと」

「そう。そうね」

「この妖怪変化を僕は理解できない。でも彼らを野に放つべきではないと思う」

「メイド戦隊として当然の使命よ」

「ありがとう。レッド。それでこそ僕たちのリーダーだ」

 ピンクは長いさらさらな髪で、レッドの顔を左右から囲い込んだ。

 見上げるレッドは、白いほどに透明なピンクのロングヘアーに視界を覆われた。

 その髪の毛数本の外に、人外の魔物がいることすら忘れた。

「レッド。僕の子供を産んで」

 ピンクは強く確信に満ちた瞳で言った。

 その力に押し戻されるように、黒い闇は退いていった。

 形も定まらぬ異時代の亡霊は、万年に及ぶ呪を散らされた。

 所詮は生命力に劣る吸血鬼と夕暮れの影にも劣る魂の残骸の戦いである。

 レッドは想像以上の効果に驚いた。ピンクの腕の中にいることも忘れた。

 本人は気づいていなかったが、レッドは頬を染めていた。

 

 

「……ママ。ママ。そこにいるの……」

 ジュリアンは錯乱していた。

 それが傷のためか、太古の亡霊の瘴気によるものかはわからない。

 ブルーは、ジュリアンを背中に回すと、後ろ手で支えた。

 今は彼に守られることを期待はできない。

「ジュリアンさま」

 ブルーは鬼門への道にレッドとピンクがいることに気づいた。

 なんだか馬鹿っプルな雰囲気でいちゃついて見えるのは気のせいか。

 彼らはすぐ近くだ。

 しかしなぜか距離感が狂っていて近づけない。

「ブルー。ブルー! なにやってるの!」

 レッドが叫んだ。

 ピンクの良い子を作るぞオーラに押し戻された太古の亡霊は、鬼門への道に帰った。

 しかしそこにはジュリアンを抱いたブルーがいた。

 亡霊たちは、ジュリアンに同属のなにかを感じるのだろう。居心地の良い方向へとかたまっていった。

 すなわちジュリアンに殺到していった。

「ブルー! あぶない。ジュリアン様を前面ヘ!」

 ジュリアンに惹かれた魍魎は、彼の前に盾として立ったブルーに次々と重なっていった。

 ブルーの顔から生気が失われた。言葉が通じない邪悪な魂の残骸どもの集まりだ。

 人間にどんな影響を与えるかはわからない。

「あ、ああああ。ああああああああっっ」

 ブルーの喉から人の声とは思えない雄たけびがほとばしった。

 その瞳が、名のとおりに青く光った。

 イエローが悲鳴を上げた。

「きゃあああ。ブルーがブラック・ブルーになっちゃった」

 携帯でちゃっかり写真を撮りながらだ。

「ブルー。しっかりして!」

 イエローは、ブルーに近づかずにワイングラスや木の枝を、ガンガンと投げつけた。

「目を覚ますのよ!」

 人の痛みを面白がるイエローは、ワインが入ったままのデカンタを容赦なく投げつけた。

 ゴシャン! と、ヤバイ音がしてブルーの頭に当たった。

 レッドが悲鳴を上げた。

「イエロー! それいくらすると思ってんのよ!」

「私んじゃないし」

 クリスタルのデカンタが砕け散って、ブルーをワインまみれにした。

 子作りモード全開で視野狭窄だったピンクは、レッドの悲鳴でやっと状況を理解した。

「ブルーが血まみれだ!」

「いや、大丈夫。あれはワイン……」

 跳ね起きたピンクは、レッドの説明も聞かずに走り出した。

「ブルー。しっかり!」

「……ギッ……」

 ブルーは獣じみたうなり声をあげてピンクに振り返った。

 両手を広げて駆け寄ったピンクを、ブルーはカウンターのラリアットでブッ飛ばした。

「ぐえっ」

 ピンクは首を支点に、みごとに空中一回転して大地に叩きつけられた。

 蛙の開きのように地面に広がったピンクを、ブルーはゲシゲシと思い切り踏みつけた。

「……! ピンク! あなただけどうして……!」

 ブルーは、理不尽だけれどまごうことなき積年の嫉妬を爆発させた。

「私のほうが、ずっとジュリアン様を……!」

「ま、まって。ブルー。大丈夫!」

 ピンクはブラック・ブルーを傷つけないように足を受け止めた。

 力は男のピンクのほうが強い。

 しかしブルーは掴まれた足首を踏み台にして、仮面ライダーカブトのようなすさまじく速い回し蹴りをピンクの頭に叩き込んだ。

 

 

 太古の亡霊に意識があったなら、己の失敗に恐怖したことだろう。

 嫉妬に燃えるブルーの魂は、万年を経て凝り固まった亡霊には眩しすぎた。

 ブルーを支配することも犯すこともできないまま、冷たく鋭い魂の刃に切り刻まれた。

「……ぶ……」

 一度だけ声をあげようとした。それはブルーの喉を使い発しようとされた。

 しかし誰も聞き取れない音を上げるのが限界だった。

「ピンクのバカ!」

 ブルーは自分の言葉で声を化けものから取り戻した。

「ブルー」

 ジュリアンは彼女に抱かれたまま目を開いた。

「ジュリアン様……ご無事ですか」

「まいったな……やられた。太古の化け物どもも年の功だな。まさかこの僕がやられるなんて」

「化け物は、どこかにいってしまいました」

 ブルーは状況を理解していないようだった。

「ブルー。君はすごいな」

「亡霊は消えました」

「君は太古の亡霊を喰ってしまったようだ」

「…………」

 レッドがグリーンに聞いた。

「どういうことよ」

「さああ? でも、あの亡霊さんは、ブルーに憑りつこうとして消えてしまいましたね」

「ブ、ブルーが憑りつかれたの?」と、レッド。

 ジュリアンが言った。

「私にも想像すらつかない数億年の想い。それはとても重い」

「私はとても悲しい気持ちになりました」と、ブルー。

「亡霊は長いながい時間。その気持ちを抱いてきたのだろう」

「……でも、言葉の意味はわかりましたが……つまりこのあとなにをすれば?」

「なにもしなくていいさ」

「えっ」

「彼れが数億年抱いてきた想いは、私にはよくわかる」

 ブルーは彼の白い顔をみつめた。

「仲間がほしい。自分と同じ種族を増やしたい。しかしもう叶わない。遠い昔に絶滅した者たち」

「そんなことを……?」

「私からも頼む」

 ブルーは、ハッと息を呑んだ。

 悲しげな瞳のジュリアンが、目を回してばっかりのピンクを片手で持ち上げた。

「この者も私も子を産めない。そのことは亡霊どもと同じさ」

「なぜそんな悲しいことを……女も一人では子供を産めません」

「そして私は、増えないが滅びない者だ」

 ジュリアンはブルーの腕に抱かれたまま左手を再生し、なにごとか聞き取れない言葉をつぶやいた。

 どこからか黒く細かな灰が集まり、彼の腕の周りを回り始めた。

「それは不死なる者の運命だよ。ブルー。おまえは不死と子のいずれを望むの?」

「私は子共などいりません。どうかあなた共に永遠の時を歩ませてください」

「ブルー。君が子を成すかは問題ではないんだよ。君と同じ人間がいない世界に君が生きる覚悟があるかということさ」

「私はあなただけがいてくれさえすれば良いのです」

「亡霊もまたいつか滅びる。私が消え、君だけがこの世を彷徨うやもしれない」

「そんな……ジュリアン様は永遠にお美しゅうございます」

「君が滅ぼした古き亡霊は、私の刻の姿だよ」

 忌まわしい亡霊は、シマリスほどの大きさになって、オレンジの光を明滅させていた。

「あっ」

 ブルーは驚いた光を払おうとした。

 彼女の乳房に種を超えた母性を感じたのか。太古の亡霊は手を避けて胸にまとわりついた。

「来い」

 ジュリアンが言った。

「おまえを受け入れよう」

 亡霊は人ならぬ者にさえ救いが欲しいらしい。うれしげな朱色に瞬きながらジュリアンの手に乗った。

 光は線香花火のような飛沫を散らしながら、彼の掌に吸い込まれていった。

「ブルー」

「…………」

 彼の呼びかけにブルーは視線で応えた。

「これが君の望む私の眷属だ」

 

 

「ジュリアン様……」

 ブルーは彼の頭を乳飲み子にするように抱きしめた。

 力を出し切ったのだろう。

 彼の細い四肢は、力なく弛緩していた。

 ブルーは地面に座り込み、ジュリアンを優しく抱いた。

 ジュリアンは目を瞑ったまま言った。

「今年の客は、少々難儀な者たちだったね」

「どうぞゆっくりお休みください」

 ブルーは左手のグローブを脱ぎ、犬歯を立てて手首を噛み切った。

「……ん……」

 静脈が傷つき、大量の血が流れ出した。

 血にまみれた手首を、ジュリアンの唇に、そっとあてがった。

 乾いたジュリアンの肌に、血は染み込んでいった。

 ジュリアンの瞳が、ゆっくりと動きブルーの目を捉えた。

「かぐわしい……これは君の血?」

「はい。お恥ずかしゅうございます」

「女の血は嫌いだ」

 鼻を鳴らしてジュリアンは言った。

「戦いの後は、女の血に溺れるものです」

「おまえはママと同じこと言うんだね」

「……あなたの恋人になれないなら、ママになりましょう」

「僕はグリーンのほうがいい」

「グリーンを殺してあなたの心臓に杭を打ち込みましょう」

「だって、おっぱい大きいんだもん」

「脚は私のほうが長いですよ」

「長い脚なんて、ベッドの中じゃ邪魔だよ」

「ばか」

 ブルーは自分でも不思議なくらいに優しかった。彼の失礼な物言いが少しもいやじゃない。



 ブルーは右手首も噛み切った。

 彼を抱いた姿勢には、少し無理な角度でしたたる血を唇に注いだ。

 ジュリアンは、そんなブルーを大きな瞳で見上げた。

「見ないでください」

 恥ずかしげにブルーは頬を染めた。

「ブルーはきれいだね」

「……ジュリアン様」

「ありがとう。元気が出たよ」

 ジュリアンには、およそ似合わない言葉だ。

 

 

 ジュリアンはブルーの手を払い、ゆっくり立ち上がった。

「ジュリアン様……私ではどうしてもだめですか?」

「君を不幸にはできないよ」

「でも! ピンクは……」

「彼は男だから」

「ジュリアン様……私はピンクを呪ってしまいます。そんなことをさせないでください」

 ジュリアンはクスクスと笑った。

「だろう? だから、彼は私のものにしたいのさ」

「こんなに……こんなに、ジュリアン様の元に行きたいのです」

 ブルーはベルトから細いナイフを抜き、自分の首に当てた。

「ブルー」

 ジュリアンはブルーに軽蔑のまなざしを向けた。

「まさか君は、倒れた君の血を犬のように舐めろとでも言うのか?」

「…………」

「四つんばいになって?」

 首に刃を当てたまま、ブルーは溢れる涙を止められなかった。

 これほどまでに拒絶されても、なお彼を求める自分が、あまりにみじめだった。

 自分がこんな弱い女だとは知りたくなかった。

 恥と悲しみで、瞳の色まで変わりそうだった。

「バカ」

 ジュリアンが少年の笑顔でブルーの額を叩いた。

「……ガ……」

 ブルーの後頭部から、黒い煙が噴き出たように見えた。

「憑り付かれちゃって」

 ジュリアンはブルーの手からナイフを取り上げた。

 そして唾液と血とルージュで、ぐちゃぐちゃになったブルーの唇にキスをした。

「……ん!」

 激痛にブルーは眉をひそめた。

 唇を離したジュリアンの口元からは、真っ赤な血の筋が糸を引いた。

 彼は笑いながら、吸血鬼の笑みを浮かべた。

「じゃあね」

 彼は薔薇の茂みに向かって歩き出した。

「ジュリアン様……私は……」

 振り返りもせずに、ジュリアンは言葉をさえぎった。

「君は僕を追い越しておばさんになっていくのさ」

 そして現れたときと同じように、茨とシャツを気にしながら、ていねいに枝をよけて真っ赤な薔薇の奥に入っていった。

「……おばあさんになってもいいよ。会ってあげる」

 ジュリアンは姿を消した。

 

 

「お疲れ。ブルー」

 レッドはブルーの横に立って言った。

「帰っちゃったわね。ジュリアン様」

「そうね……」

「ちょっと。やだ。よく見たらすごい怪我。血だらけじゃない。早く手当てしなきゃ」

「無粋ね。レッド」

 レッドは怪訝そうに笑顔のブルーを見た。

「女の友情に免じて、しばらくこのままでいさせて」

「振られた女の愚痴を聞けって?」

「バカ。大人のキスをお祝いしてよ」

 ブルーはレッドに血まみれの舌を出して見せた。

「うわ……痛そう。舌に穴開いてるじゃない」

「彼に噛まれたの」

 幸せそうにブルーは言った。

「あのシチュエーションで、舌を入れたんだ」

 レッドは呆れて笑った。

 ブルーは満ち足りた笑顔で微笑んだ。

「大人だから」



 りーーーん

 屋敷の外の草の茂みから、涼しげな虫の声が届いた。

「今年のお盆も終わりねえ」

 グリーンが言った。

 メイド戦隊は、鬼門設定されたチャペルベンチに集まった。

 大の字にのびてしまったピンク以外。

「ところで」

 イエローがみんなにワインを注いで回りながら言った。

「どうして、ジュリアン様はナスカ様をお助けなさるの?」

 グリーンがグラスを回しながら首をかしげた。

「そういえばそうですね。レッドは知ってる?」

「さあ。知らないわ。ブルーは知ってるんでしょう?」

「いいえ。知らないわ」

 メイド戦隊は顔を見合わせた。

 レッドが恐るおそる言った。

「まさか。ナスカ様もピンクみたいにジュリアン様の恋人じゃないでしょうね」

「…………」

 一同、ジュリアンとナスカのキスシーンを想像してしまった。

「……ないね!」と、イエロー。

「ないない」と、レッドとグリーン。

 ブルーはコメントすらしないで鼻で笑った。

 

 

 地面に転がったピンクは、とっくに意識を取り戻していた。

「…………」

 しかしもう少し気絶しているふりをしようと思った。

 まあ、それが男の優しさってヤツだろう。

 

 

Tokinashi-Zohshi